第十四章【わたしの願い】
第60話 「作風、変わったね」
創作ノートから顔を上げてミサちゃんがわたしを見る。
その瞳には穏やかな優しさが込められているようだ。
「作風、変わったね」
「うん。ちょっと悩んだんだけど」
わたし照れるようにそう答えると、アイスティーの入ったグラスを両手で抱えるようにして一気に飲み干した。
「こういう物語も嫌いじゃないよ。だけど、どういった心境の変化があったわけ?」
ミサちゃんは原稿用紙を揃えてローテーブルの上に置くと、グラスを手に取りそれに口をつける。
「今まではね。綺麗なもの純粋なものをより綺麗に、より純粋に書きたいって衝動の方が大きかったの。自分が憧れたものが憧れたままの姿で存在する世界を創りたかったの。でもね、それだけじゃ伝わらないこともあるって気が付いたから」
「わたくしも、それを読んだ時は驚きました。まるで、今までの作品を全て否定するような内容でしたから」
ナルミちゃんがわたしの空になったグラスにピッチャーからアイスティーを注ぐ。今日は彼女の家でお喋りに華を咲かせていたのだが、書き上がったばかりの新作をミサちゃんが読みたいと言い出したことから急遽お披露目会となったのだ。
「やっぱりね、伝える意志ってのを明確に盛り込まないと、作品が死んでしまうの。例えばさ、どんなに綺麗な壁紙の模様も、一人の画家が魂を込めて描いた絵画には敵わないのと同じ。綺麗だ、正確だそんなものはいくらでも量産できるし、メッセージが読み取れなければ人はただ通り過ぎていくだけだもん」
僅かに熱を持った想いを言葉に乗せていく。
「アリスさんも言うようになりましたね。そこまで強い意志が持てるのなら、芸術家と卵としてはこの先が楽しみというものですわね」
ナルミちゃんの言葉は素直に嬉しかった。
「えへへ。そっかなぁ」
「こぉらっ!」
ミサちゃんがわたしの頭を軽く小突いた。もちろんそこに憎悪はなく、愛情たっぷりで。
「なにすんの?」
「あんまし調子に乗るんじゃないの。あんた結構暴走するタイプだから、気をつけないと。……時々危なっかしいからね」
ミサちゃんが言いたかったのは多分授業中に小説を書いていて怒られた件だろう。
周りが見えなくなるのは自覚している。けど……それとは違う部分で心がちくりと痛んだ。
「ごめん」
「どうしたんですか? アリスさんは同じ過ちを繰り返す人ではないことはご自身でもわかっているでしょう?」
優しいナルミちゃんの言葉はさらに心の痛みを増幅させる。
それはわたしの奥底に潜む制御不能な衝動に関係していた。
物語を生み出すことばかり考えて、そのうち飲み込まれてしまうのではないかと時々恐怖することもある。そしてそれは創造ではなく妄想となりわたし自身を蝕んでいく危険性さえ秘めている。
けど、こんなにも親身になってくれる友人の前で、そんな醜いものをさらけ出すことなどできやしない。
「アリス」
黙っているわたしの頭をミサちゃんがもう一度小突く。
「ん?」
「そういう部分もあんたの危なっかしい所だってわかってる?」
「え?」
一瞬、自分の心に潜む闇を言い当てられてしまったかと思った。
「そうですわよ。一人で抱え込もうとしないでください」
ナルミちゃんの言葉がふわりとわたしを包み込む。
「友達だからって言葉を安売りしようとは思わないけどさ。人は独りで生きていけるほど強くないんだよ。それはアリスだけじゃなくて、あたし自身だってそう」
「わたくしだってそうですわ。だからこそ、お互いに弱い部分をかばい合って、さらに間違いを訂正し合いながら生きていくのが理想かもしれませんわね」
人は誰でも過ちを犯す。完璧な者など最初から存在しない。
だから頼っていいんだよ。
ミサちゃんやナルミちゃんはそう言いたいのだろう。
「やっぱり二人には敵わないなぁ」
負けを認めるというより、そんな二人に近づきたいと切に願う。
「今更気づくなっての。だから、何か悩みがあるようなら相談に乗るし、それをネタにできるくらいの強靱な心を持っているってのなら作品にぶちまければいい。どっちにせよ、あたしらにはそいつを受け入れるだけの余裕はあるんだからさ」
ミサちゃんがあまりにもさらりと言い切るものだから、自分の抱えている悩みがとても小さいもののような気がしてきた。
「その代わりと言ってはなんですが、もしわたくしやミサさんが間違った事をしようとしたのなら、ありすさんはそれを全力で阻止しなくてはいけませんわよ。うふふふふ」
ちょっといたずら気味な笑みを浮かべるナルミちゃん。
たぶん、成長した三人がこの場面を振り返れば、なんて子供じみた理想論なのだろうと苦笑を浮かべるに違いない。
でも今のわたしには理想に近づき、憧れること自体が必要なのだろう。
だから、二人がいる限りわたしは大丈夫。
心の闇は独りでは対処はできないけど、ミサちゃんやナルミちゃんと一緒ならどうにかできるかもしれない。
「うん。約束する!」
頼れるべき者がいることを誇りに思えばいい。
そのことを忘れてはいけないんだ。
「ところでさ、物語はこれで終わりなわけ」
ミサちゃんは原稿用紙の表面をノックするように叩いた。それは、読み終わった者が誰しも感じるであろう主人公の行く末だろう。はっきりとした結末を書いていない分、読者はあれこれとその後を想像するのかもしれない。
「それはわたくしも気になりますわ」
「うんとね、この子の物語はまだ始まったばかりだよ。絶望はけして終わりじゃない。この子にはそれを乗り越えて世界と向き合ってほしいの。だって、この優しくも残酷な世界は、わたしの全てが詰まっているの。その世界をそう簡単に嫌われてなるものですか」
これはわたしのセカイ。けど、そのセカイはどこにでも繋がっていく。どんなものでも受け入れていく。そんな想いも込められているのだ
「しかし、まさかね。んふふふふ」
含みを持ったように笑うミサちゃん。
「なによぉ!」
「時代劇を書いてくるとはね。予想外と言えば予想外。しかも戦乱ものだからね。こりゃこの先、ますます化けるかもね」
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