第58話 初めから存在などしていなかった

「それはできないよ」

 彼は冷たくそう言い切った。一瞬、その顔に寂しさが見え隠れするが、それはたぶんわたしが作り出した幻だろう。

「どうして?」

「ボクはこの世界の住人ではないからね。願い事はこの世界に対して適用されるんだよ。だから世界の破滅は望めてもボクやその書物自体に干渉することは不可能なんだ」

「なんでも叶えられるんじゃないの?」

「願いにも例外やルールはある。どうしても友達が欲しいのなら、例えばそこに転がっている人間に『友達』という感情を永遠に持たせることもできるよ」

 三和土クンは気絶している羽瑠奈ちゃんに視線を移した。


 ふいに彼女との想い出が頭を過ぎる。初めて出会った公園、ティーパーティーでの不条理で楽しい一時、絡まれた女の子を助けた彼女に素直に憧れたこともあったっけ。

 今思えば初めから歯車は噛み合ってなかったのだ。わたしは『white rabbit白兎』を生み出し、羽瑠奈ちゃんは『march hare三月兎』を生み出した。

 住んでいる世界は同じでも、見ている世界は全く違うものだったのだ。


 公園での殺人はたぶん羽瑠奈ちゃんが犯人だろう。

 双子であることを知らず、公園でよく見かけるあの男を兄と勘違いし殺害を計画した。彼女は短絡的な思考の持ち主であるゆえに、一度思い込んだ事に疑いをもたなかったのかもしれない。

 公園にいたあの男の背中に、自分が噛まれてまで入手したヤマカガシを入れ、犬に追い立てさせて多目的用トイレに閉じこめる。二匹以上使って巧く追い込めば容易に誘導できるはずだ。なにしろ彼女の飼っている犬は、アイリッシュ・セッター。優秀なだ。そのうえ相手は犬を苦手としている。

 そして、ヤマカガシは本来攻撃的ではないが、下手に動けば攻撃されていると思い込み相手に噛みつく。

 背中から出そうと無理矢理蛇の身体を掴もうとしたのだろう。だから噛まれるの時間の問題だった。

 トイレに逃げ込んだ男は噛まれた違和感から助けを求めて外へ出ようとするが、ちょうどその前を犬に番をさせていれば足止めは可能だろう。犬が苦手な男は出られないまま徐々に毒が回り手遅れとなってしまう。

 鍵をかけたのも男自身が犬への恐怖で行った事だと思う。


 結果的に密室になってしまったが、羽瑠奈ちゃんがそこまで考えたとは思えない。


 密室にさせる意味などないのだから。

 もしかしたら、毒蛇を使って殺人を計画したというより、恨みのこもったに近いのかもしれない。

 ただし、あわよくば死んでくれないかと願っていたのだろう。

 犬が苦手だということは事前に知っていたのか、もしくはわたしが公園で男に魔法をかけた時、ちょうど犬の散歩にやってきた羽瑠奈ちゃんがそれに気付いたか。


 どちらにせよ、わたしの魔法は初めから存在などしていなかった。


 あの時、男を退散させたのはわたしのではなく、羽瑠奈ちゃんが散歩の為に連れてきたなのだ。


 すべては都合良く生み出したわたしの幻だった。

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