第十二章【日常と物語と愛すべき世界】

第44話 それでも少女は世界を想い続ける。

 すべては愛しき世界だった。

 少女が育む日常も、少女が愛する人々も。


 優しき世界はここに存在し、残酷な規律がそれを包み込む。

 世界がどのようなものかを理解した上で、少女は全てを受け入れた。

 だから、たとえ目の前に絶望が立ち塞がろうと、それでも少女は世界を想い続ける。


 そう。世界が終わりを告げるまで。


 消しゴムが床に転がった。

 拾おうとしたわたしの右手より先に、大人の右手がそれを拾う。そして、親切にも拾った消しゴムを机の上に置いてくれた。

「種倉さん、落としたわよ……ん?」

 迂闊だった。

 創作に集中すると周りが見えなくなるのは、自分でも気づいていた。

 今は国語の時間で、真横に立っているのは担任でもある手津日てづか先生。

 机の上にあるのは教科書とノート、そして創作用のノートだった。

「種倉さん」

 それは僅かな怒りを込めた声。

 眠気覚ましにと創作ノートに手を着けたのが間違いだった。

 さらに教師の接近に気付くことなく創作に集中してしまったのが敗因。

「何をしているんですか? 今は授業中ですよ」

「あ!」

 抵抗する間もなく教師に創作用のノートを取り上げられた。言いようもない喪失感がわたしを襲う。

「これは没収ね。あとで職員室まで来なさい」

 ……最悪な結果だった。



 それ以後の授業はほとんど頭に入らなかった。

 没収されたノートには覚え書きの設定資料と三つの短編小説、そして書きかけの長編小説が記してある。

 中でも長編小説は、わたしと同じ年齢の女の子を主人公としたもので、思い入れはかなり強かった。

 なによりも書きかけということが、喪失感をさらに増大させていたのだ。

「うん、わかってるよ……ルール違反を犯したってことは。悪いのはわたしなんだけどね。……けど、今はただただ心の中にぽっかりと穴が空いた感じなの。喪失感っていうの? また書けばいいって言われればそれまでなんだけどさ」

 休み時間、声をかけてくれたナルミちゃんとミサちゃんに愚痴をこぼす。それはそれでみっともない話なんだけどね。

「アリスさんの心の痛みは、純粋に物語の喪失から来るものなんでしょうね。わたくしも途中まで読ませていただいておりますから、その気持ちはわからなくはありません」

「でもさ、完全に没収されるって決まったわけじゃないだろ。アリスの反省次第ではきちんと返してくれると思うよ。手津日先生って、そんなに分からず屋じゃないし」

 二人とも親身になってわたしの事を考えてくれる。それはとてもありがたい。


 けど、悪いのは自分自身だ。そして犯した過ちは償わなくちゃいけない。

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