第39話 「だって、理解されないってのは悲しい話だよ」


「あのさ、わかってると思うけど、今のこの状態、つまりあんたらがアリスを虐めていた事実が三池に伝わったらどうなるか考えられる?」

 ミサちゃんの強い口調にはかなりの怒りが込められている。男子相手に対等に渡り合えるほどの性格ゆえに、館脇さんたちには力を持て余してる感じでもある。

「わたしたちは別に虐めてなんて……」

「虐めている側には、自分の行為が虐めじゃないなんて言う権利はありませんわ」

「……」

 館脇さんも他の二人も何も言い返せなかったようだ。顔を俯いてわたしたちから視線を逸らしてしまう。

 考えてみれば人を想う心は誰にでもある。それが行き過ぎる事も多々あるのだ。だから、わたしは寛大な気持ちで彼女たち三人を許してあげようという気になった。今のところ自分自身にはなんら被害はないのだから。

 ただし、その行き過ぎた行為がどんな結果を招くかを彼女たちに気付かせてあげなければならない。だから、わたしは純粋な気持ちでその事を伝える。

「あのさ、わたしは誤解さえ解ければそれでいいの。平和主義……まあ事なかれ主義者でもいいよ。ここで起きたことは誰にも言う気ないし、あの騒動で注目されたからといって三池君に告白しようなんて思わない。でもさ、あなたたちがそんなんだと三池君だって迷惑なんじゃない?」

「迷惑?」

 ようやく館脇さんが口を開く。

「彼が誰を好きになるかは彼の自由だもの。今回はわたしが注目されたけど、次は違う人かもしれない。でも、彼が好意を持つかもしれないってだけで、あなたたちはその人を次々と攻撃するの? それじゃタチの悪いストーカーだよ」

「……」

 反論はできないはず。けど、何か納得のいかない顔の三人。

「アリス、そいつらに理屈を語っても時間の無駄だよ。わかりやすく行こうぜ」

「そうですわね。これ以上、アリスさんに絡まないと約束するのであれば、今回の事は三池さんには言わないでおきましょう。それができないということであれば、三池さんだけではなく、学校全体を敵に回すということになりますが、いかがでしょうか?」

 ナルミちゃんの静かで強いいきどおりが伝わってくる。ここまで怒りを露わにする彼女をわたしは初めて見たような気がする。

「わかったわ。謝ればいいのね。ごめんなさい種倉さん」

「ごめんなさい………………ムカツク」

「ごめん……」

 完全に納得はいかないのだろう。謝罪の言葉に感情は込められていない。

 彼女たちは頭を下げると、そのまま扉を開けて出て行ってしまう。後に残るのは空しさだけだった。

「納得がいかない顔だね」

「だって、理解されないってのは悲しい話だよ」

「でもさ、嫉妬とか恨みとか、そういう感情的な話は理屈じゃどうにもならないんだよ。おまけに今回の件は色恋沙汰が絡んでいるからね」

 ミサちゃんの言っていることは理解できる。人は簡単に他人を憎むことができるし、それに対して理屈で対抗することがどれだけ愚かな事かもわかっていた。

 そんな時、ふいにナルミちゃんの声が聞こえてきた。それはいつもの穏やかで、でも芯の強い響きを持つ彼女のものとは違っていた。まるで迷子にでもなってしまった幼子おさなごのように弱々しい言葉だった。

「アリスさん……本当に……本当に申し訳ありませんでした」

 瞳を潤ませながら頭を下げている。いつもと雰囲気の違う彼女にわたしは混乱した。

「いいって、あれくらいのこと。ほんと、大したことされてないし。ね、どうしたの?」

「ありがとうございます」

 そう言ってナルミちゃんは、わたしに抱きついて泣き出してしまう。そんな彼女の姿を見るのも初めてだった。ますます訳がわからなくなる。

「え? ねぇ、どうしたのナルミちゃん」

「ナルミさ、ヨーコからアリスが大変だって話を聞かされた時、すごく動揺してたんだよ。自分のせいでアリスが嫌な思いをしてるってね」

 そんな彼女の姿を見て、ミサちゃんが補足する。


 そう、ナルミちゃんは友達をとても大切にする子だ。


「大げさだよ、ナルミちゃん。わたしはね、あれぐらいじゃへこたれませんから」

 わたしは彼女の頭を優しく撫でる。その艶やかで綺麗な黒髪は憧れでもあるのだ。

 だから泣かないで。いつだって気高くいて。

「そういえばさ『アリスがトイレに閉じこめられて袋叩きにあっているかも』ってヨーコが言った時さ、タタッキがぼそりと呟いたんだよね『まるでシュレーディンガーの猫みたいだね』って。あれってどういう意味かな?」

 ミサちゃんが雰囲気を和ませようとそんな話をする。

 彼はクラスでも異質な存在で、その言動は真面目なのか不真面目なのかよくわからない人物だ。時々ぼそりと呟く言葉は、時に的を射た意見でもあり、人を惑わす答えでもあった。

「うーん、あんまり関連がないというか、閉じた空間で何が起きてるかわからないって事の喩えじゃないのかな。深い意味はないと思うよ」

 わたしが『シュレーディンガーの猫』を知っているのも創作を行ってるが故の雑学だ。普通なら、大学の専門課程でないと習わない言葉ではある。量子力学など一般の中学生が知るよしもない。

 そういう意味では、クラスの彼も侮れない存在だ。

「……っ……シュレディンガーの猫といえば、あの状況を人間に置き換えると密室犯罪ですわね。トリックはわかりきっているので推理小説には向きませんが」

 ナルミちゃんが涙を拭いながらそう言った。それは意味を知っていないと置き換えられない喩えである。彼女もまた侮れない人間の一人なのであろう。

「で? そもそもシュレディンガーって何?」

 ミサちゃんの顔はますます困惑する。

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