第八章【日常と好意と悪意】

第27話 「わたしもね、ほら三つ編みなんだ」

 あれは初めてキョウちゃんと出会った時だろうか。

 微睡みの中でぼんやりと昔の事を思い出す。

 転校生としてやってきた彼女は、わたしと同じ三つ編みのお下げ髪だった。

 担任の教師に促されて壇上で自己紹介をするあの子は、俯きながら小さな声で自分の名前を口にする。

 そして、驚いた。

 苗字は違うが、名前は自分と同じ『ありす』だった。とても他人とは思えなかった事を覚えている。

 けど、転校してきたばかりのあの子は人見知りが激しかったのか、クラスの子が話しかけても下を向いたまま黙ってばかり。

 そんな態度が気に入らなかったのだろうか、その日はもうクラスの誰も声をかけることはなかった。

 その頃のわたしは、あの子と同じ引っ込み思案の性格でクラスメイトのように気軽に声をかけられるわけでもなく、誰からも相手にされなくなって寂しそうにしている彼女を横目で見ながら、ただただ心を痛めるだけだった。

 けど……次の日の放課後、一人でぽつんとしているあの子を見てわたしは決意する。

「ね、家はどっちの方? 一緒に帰らない?」

「……」

 一瞬だけ目が合うがすぐに逸らされてしまう。他人を警戒して怯えているのだろうか? まるで昔の自分と同じだった。

「わたしもね、ほら三つ編みなんだ」

 あの子の興味を惹くように、頭を動かして二本のお下げを揺らしてみる。

「そのピンクの髪止め、ウサギさんだね」

 あの子の口が開く。

 編んだ髪を留めているピンク色のゴムには白いウサギが付いている。

 わたしが一番気に入っている髪留めのゴムだ。

 お気に入りのアイテムという事もあって、家には予備が五、六個ある。

「かわいいでしょ」

「うん、かわいい」

 そのとき、初めてキョウちゃんの笑顔を見たような気がする。

 それがなんだかとても嬉しくてわたしは髪留めを外して彼女に差し出す。

「気に入ったのならあげようか?」

「いいの?」

 ようやくあの子の顔が真っ直ぐにこちらを向く。

「うん。うちにまだあるから」

 わたしは彼女の髪へと髪留めを付け替えた。柔らかくて艶々した髪質。

「似合うよ」

 そんな時に、タイミングが悪く現れたのがクラスの男子数名だった。

――「それでよ、ナッキーのやつがさ」

――「笑えるよな、それ」

 乱暴に教室の扉が開かれる。

「あれー? ドブスな転校生がまだいるぜ」

「種倉と喋ってるじゃん」

「あいつ口あったんだ」

「日本語喋ってたな。ガイジンじゃなかったのか?」

 男子たちが嘲笑しながらこちらに近づいてくる。その表情は何か新しい玩具おもちゃが見つかったかのように歪んでいた。

「なあ? 前から思ってたんだけどさ。その髪型って頭からヒモが出てるみたいだよな」

「そうそう。公園の遊具でそんなんなかったっけ?」

 男子の一人が突然、あの子のお下げ髪の片方を掴んで前に引っ張る。

「ほーれ!」

 苦痛の表情を浮かべながらよろける彼女。さすがに黙っていられなかった。

「……やめて……かわいそうでしょ」

「なにかな? 聞こえないよ」

「ほんと声がちっちゃくてわからないよ。あー聞こえない聞こえない」

 男子たちは大げさに耳に手を当てて、わたしに当てつけるようにそう言った。

 それまでのわたしはクラスでも影の薄い存在。

 引っ込み思案が災いして、あまりクラスにも溶け込めなかったし、ましてや他の誰かを助けようなんて考えることすらできなかった。

 けど、その時は夢中だった。

「やめなさいって言ってるでしょ!」

 あの子とはまだ友達にもなっていなかった……けど、友達になれるという確信がわたしの中にはあった。

「へっへー。やめないね」

「おまえも引っ張ってやろうか」

 わたしはあの子の髪を引っ張って遊んでいる男子に向かって、思いっきりタックルをした。

 不意を衝かれて一瞬呆然とした男子の向こうずねを思いっきり蹴飛ばしてやる。

「いってー!」

 男子の悲痛の声は無視して、わたしはすぐに転校生のあの子のもとに駆け寄る。

「大丈夫?」

 あの子はわたしが側に来たことで、上まぶたを安堵したようにたるませる。

「ありがとう」

 彼女の安心した顔を見て気を緩めた瞬間、わたしの髪が掴まれて後ろへと倒される。背中と後頭部に鈍い痛み。

「おい種倉! ざけんなよ」

「新田にケリとは、とんだ暴力女だな」

「てっめー!」

 脅すように男子たちに上から睨まれても、不思議と恐怖はなくなっていた。そう、わたしは『もう一人じゃない』と気づいたからかもしれない。

「立てよ!」

 その言葉と同時に男子の蹴りが脇腹に入る。が、入り口の方からさらに怒号が聞こえてきた。

「おまえら何をやっとる!」

 偶然廊下を通りかかった担任の教師が、教室内の異変に気付いて入ってきたおかげでわたしたちは助かった。

 その日以来、わたしとあの子は急激に仲良くなる。

 後に取り返しのつかない喧嘩をするまでわたしたちは多分、永遠に楽しい日々が続くと思っていたのかもしれない。

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