第26話 「おお! キタコレ!」

「当たり前じゃ、敵を目の前にしてわざわざ見逃すこともあるまい」

 ラビの立場ならそれは当然の指示であろう。とはいえ、躊躇せずにはいられない。

「だって、普通の……普通じゃないかもしれないけど、一般人がいるんだよ」

「言ったじゃろ、奴らは人間を害すると。今すぐ排除せねば、その一般人にも被害が及ぶ」

「やだよ。あんな変な人、助けろっての?」

 思わず本音が溢れてしまう。ぶっちゃけた話、目の前の男に対して良い印象を持っていないからだ。

「それが魔法少女の宿命じゃ」

 わたしはは泣きそうになった。というか、涙目にはもうなっていた。「魔法を使いたいって思わなければよかった」と小声で愚痴をこぼしながら、半ば自棄になって肩に下げたトートバックからネコ耳付きのカチューシャを取り出して装着する。

「おお! キタコレ!」

 目の前の男が仰け反るように興奮していた。奇声を発しているような気がするが、そんな事に構っている場合ではない。わたしは注意深く周囲を索敵する。

「いないよ」

 空中を浮遊しているような化け物は見あたらなかった。わたしはホワイトラビットだけに聞こえるような小声で囁く。

「目の前の男を見ろ。邪気が溢れておる」

「え??」

 男を見ると、その周囲が灰色の靄で囲まれている。まるで身体から燻って出た煙が彼自身を覆っているかのように。

「取り憑かれたのじゃ。邪なるモノに」

「え? え? そんな事できるの?」

 これまでは単純に見た目がわかりやすい敵ばかりに遭遇してきたのだ。異様な状態の敵を前に戸惑いは隠せない。

「云ったじゃろ。人間を害すると。取り憑かれた人間は自覚のないまま他人を攻撃する」

「どうすればいいのよ。普通に魔法を使っちゃっていいの?」

「攻撃の魔法は取り憑かれた人間まで消滅させてしまう。できれば男の身体から引き離す魔法がよい」

 ピピッと短い電子音がする。デジカメのシャッター音だ。

 ラビとの会話に夢中になっていて気付かなかったが、カメラのレンズはこちらを向いている。

「……って、えぇぇぇ! また写真撮られてる」

 再びカメラのレンズと対面したわたしは羞恥に耐えきれず頭を抱え込む。

「何をしておる。早く魔法を発動させんかい。簡単な呪文は伝授したはずだ」

 無責任なもの言いには慣れた。命令を聞いてネコ耳を装着してしまったのだからこれ以上恥をかくこともあるまい。わたしはゆっくり深呼吸をすると、記憶に刻まれた呪文を思い起こす。

「えーとなんだっけ……邪なるものよ、この地より退け! えーと、えーと……光消去ニフ○ム……だっけ?」

 自信なさげな詠唱ではあったが、わたしの身体から青白い淡い光が放たれた。

 靄で覆われていた男の身体はその淡い光に包まれる。

 口をあんぐり空け、構えていたカメラが男の手から離れる。ストラップが付いているのでカメラは地面には落ちなかったが、男の身体に変化は起きていた。顔面は蒼白になり、脂汗のようなものをかいている。

「教えた呪文と違っていたがまあいい。効果は期待できそうじゃ」

 男はそのうち手足が震えだした。何かを喋ろうと口を開くも言葉にならないらしい。

「あ……あ、あ、あ、あ、あ。ししししし……しむ!」

「あれ? 魔法効いたのかな?」

 本当に効果があったのだろうか? 首を傾げながら近づこうとすると、男は後退する。

「あわわわわ……近づくな」

「あのー?」

「なおまあー」

 男は奇声を上げて逃げ出してしまう。

「あれ?」

 何が起こったのか理解するのに時間がかかった。これは魔法が効いたのだろうか?

「やはり、完全に魔法が発動していなかったようじゃな。おかげで、取り憑いた人間ごと逃がしてしまったわい」

「もしかして呪文間違ったせい?」

「間違ったも何も、教えた呪文とまったく違う言葉を使っておったぞ。発動した方が奇跡じゃ」

「そ、そうなの? でも、なんであんな呪文がとっさに出たんだろ」

 もし既存の呪文でないのなら、わたしには即席で呪文を創り出せるセンスがあるのかもしれない。

 けど……本当にオリジナルの呪文だったのだろうか。

「ありすちゃん!」

 背後から聞き覚えのある声がする。

「え?」

 振り返るとそこには羽瑠奈ちゃんがいた。

 からみ素材の黒いジャンパースカート姿で、ウサギの耳のような物が付いた黒白のボンネットを被り、リボン付きの黒いブーツを履いている。化粧は青白く、紫の口紅をつけていた。気合いの入ったゴスロリさんだ。

「すごいね。マホーで悪者を追い払えるなんて」

 開口一番で羽瑠奈ちゃんに褒められる。


  *                              *


 公園のベンチに座り、羽瑠奈ちゃんが散歩の為に連れてきたアイリッシュ・セッターの光沢のある毛並みを左手で優しく撫でる。大きい身体のわりには大人しい性格のようだ。

「前に会った時は、見習いとか言ってたけど、もう一人前じゃない」

 隣に座った羽瑠奈ちゃんは感心した口調でそう呟く。わたしには少しくすぐったい言葉だ。

「うーん、呪文間違えちゃったし、魔法も完全に効いたわけじゃないから、まだまだなんだけど……」

 犬にすっかり気に入られたのか、顔をぺろりと舐められた。

「でも、すっかり魔法少女が板についてきたんじゃない? 普通の女の子だったら逃げちゃうでしょ」

「あはははは、逃げたかったけどね」

 犬にじゃれつかれて大笑いしながらも、彼女の言葉には苦笑する。逃げたかったというのは本音なんだけどね。

「いいなぁ、私も魔法を使ってみたいな」

 羽瑠奈ちゃんの視線が右手に握られたラビへと注がれる。

「ねぇ、ラビ。羽瑠奈ちゃんもラビの声が聞けて姿も見えるんだから、魔法少女の素質があるんじゃないの?」

「それは無理じゃ。素質があったとしても、魔法を託せるだけの力がもう我には残っておらん。まあ、汝に会う前に彼女に会っていたら、逆だったかもしれないがな」

 もしかしたら、羽瑠奈ちゃんの方が魔法に対するセンスも良かったかもしれない。運命とはどこでどう転がるかわからないものだなと、わたしは思う。

「残念。心強い仲間ができると思ったのになぁ。というわけで、羽瑠奈ちゃん、魔法は無理だってさ」

 再び羽瑠奈ちゃんの方へと視線を戻したわたしは、そこに柔らかな笑みを浮かべた彼女の表情を見る。

 同年代だというのに、それはまるで幼い我が子を見守る母親のような表情だった。

「ふーん、無理ならしょうがないね。せいぜいありすちゃんの邪魔にならないように応援させてもらうわ」

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