第5話 「それは夢とか妄想って言わないか?」
昇降口から外に出ると、そこは夕暮れの一刻前の色だった。
空は水色を残したまま微かな闇を引き摺り、その反対側を茜に染めつつある。わたしの大好きな夕色の景色。
「そういえばさ、アリスっていつから小説を書き始めたの?」
わたしより頭一つ高いミサちゃんがそんな言葉を投げかけてくる。
「え?」
思わず横に居る彼女を見上げ、その真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになる。ミサちゃんはいつでも自分偽らない。わたしはそんな彼女に純粋に憧れていた。
「素朴な疑問だよ。アリスってさ、それがさも当たり前かのように物語を自然と書き始めるんだもん。今日だって気付いたら勉強そっちのけで書いてるし」
気分転換をしていたつもりが、ついつい夢中になってしまっていた。それは多分『好きだから』『楽しいから』というだけではないと思う。
「うーん……それは難しい質問だよ。わたしさ、昔っから空想癖っていうか、物語を創るのが大好きだったんだよ。だから、それを文章にしようとしたのがいつだったかまでは、ちょっと覚えてないんだよね。ほら、絵が大好きな人がいつから絵を描き始めたかなんて覚えてないのと同じだよ。無意識に書いてるんだよ、わたしは」
無意識の部分はどうにも説明がしにくい。
自分の気持ちを素直に語るだけでは、その想いは伝わらないようだ。なんだかもどかしい。
「たしかに絵は物心が付かないうちでも描けるけどさ、小説は少なくとも文字を習わないと無理じゃない?」
ミサちゃんの言うことはもっともだ。絵と小説は確かに勝手が違う。
「うんとね……だから『小説』って形式に倣おうと思ったのは最近だよ。でもね、イコールそれは小説を書き始めたことにはならないんだ。少なくともわたしの中ではね」
「んー? それはどういう意味。もうちょっと具体的に説明できる?」
頭を捻りながらも真剣に聞いてくれるところがミサちゃんらしくもあった。
その気持ちに応える為に、わたし自身の中でも曖昧だった気持ちを順序立てて説明することにする。
「わたしはね、小さい頃から親に本とか読んでもらってたし、物語に人一倍興味を持っていた。だからそれを自分の物にしようって無意識に創作を始めたの。たぶん小さい頃って誰でもそんなもんじゃない?」
「そうなの?」
ミサちゃんは目を丸くしてそう応える。彼女の場合はインドア派ではないので、わかりにくいのかもしれない。
「うん。少なくともわたしの場合はさ、それが絵から始まって、周りから言葉を吸収しながら学校で文字を習って、本を読みながらいろんな文章に触れて、その過程でいろいろな創作物を吐き出してきたと思うよ」
「創作物って?」
「初めは意味不明な文字の羅列だったかもしれないし、それがポエムっぽいものだったり、台詞だけの短いセンテンスだったり、小説とは言えないような物語の切れ端だったり……そりゃ最近になってルールとかわかってきて、そういうものに縛られて小説らしきものを書き始めたけど。でもね、わたしの中の線引きとしては『この日から小説を書き始めました』みたいなものはないわけ。それでも厳密な答えを求めるのなら、わたしの創作物を過去から順に全部検証して、小説になっているものを探し出して、そこで線引きすればいいのよ。もっとも、その方式でいくと現在ですら小説を書いているかどうかはわからないけどね」
「なんか凄いや」
ミサちゃんが空を仰ぐ。闇に染まらず、そして茜に染まりきらない水色の空を。
「え? なんで?」
「あたしなんかさ、物語なんて自分の周りに勝手に湧き出てくるくらいの感覚しかなくて……誰かがそれを本気で創っているなんてあんまり考えたこともなかったから」
本屋に行けばコミックや小説等で物語が溢れてるし、自分の家でだってテレビの電源を入れればドラマや映画が毎日のように映し出される。
娯楽の為に創られた物語を、普通の人たちはそれが当然であるかのように消費するんだ。大抵はそれがどうやって作られるかまではあまり考えない。
ミサちゃんだって今まではそうやって物語を観ていたんだと思う。
身近にわたしがいなければ作り手の存在など気にかける事もなかったのかもしれないな。
「まあ、全力の本気だからね。手が抜けるほど、技術もなければ才能もないし」
「才能がなければ物語なんて創れないでしょ」
「うんとね。ぶっちゃけた話、基本的に物語を
誰だって夢を見る。現実ではない仮初めの世界を創り上げている。
それは目覚めている時でさえ例外ではない。
「それは夢とか妄想って言わないか? アリスのは妄想じゃないでしょ」
妄想と空想の区別をミサちゃんはわかっていたようで、わたしにはそれが嬉しくも感じる。
「うん、まあ基本的にはね」
「ゼロからにせよ、何かをベースにするにせよ。アリスは物語を組み上げているじゃない。根拠のない誤った世界、それを妄想と言うんだろうけど、そんな無責任な世界は創らないじゃない。そこがね、なんか凄いなって思うんだ」
「そうかなぁ」
小さい頃から当たり前のように物語を組み立ててきた自分には、ミサちゃんの言うところの「凄い」という感覚がよくわからなかった。
なぜなら、わたしにとって物語とは『自動的』に生み出されるものだから。
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