天界司書結城沙織 終章 THE LAST MISSION 後篇

 いつの間にか月明かりが差し込んでいた図書館。

 先程まで良く見え無なかったオーディンの表情も、今はしわの動き一つさえ良く見える。

 彼は先代の事を静かに語り始めた。

 あたしは、大日如来がダウンしている隣で聞き入って居る。


 「香澄さんは、あなたと違って彼女は真面目で優秀でした。 

 美しくて、誰にも優しくて、さらには人望もあり……」


 主神オーディンの話を聞くとあたしの顔が引きつってきた。

 彼は、先代が完璧であたしと比べ様も無いくらい優秀だと抜かした。

 言葉の外で、あたしが乱暴で不真面目と確実に言って居るよねぇ……。


 思わず、『喧嘩売ってる?』と言いたくなるけど、ぐっと我慢する。


 でも、どうしてそこまで優秀な香澄がコキュートスに行く事に?

 優秀なら、ずっと続けていても良いのに……。

 疑問が沸々と湧き上がる。


 「真面目で優秀な先代ならコキュートスに行く理由なんて無いでしょ?」


 あたしは意地悪く彼に尋ねる。


 「いえ、沙織さんの様にガサツで不真面目なのが悪いと言ってるのは有りませんよ」


 あたしが不真面目でガサツなのは確定なんだ……。

 思わず、ジジイを殴りたくなってくる。


 あたしの気持ちをガン無視してオーディンは更に続けた。


 「生前から彼女は全てにおいて完璧でなければ気が済まなかった。 ――完璧な物こそ得てして脆いもの。

小さなミスででさえ命取りになる」

 「彼女に何が起きたの?」

 「お話しましょう――」


 オーディンは先代がコキュートスに行った件を語りだした。


 「戦乙女ワルキューレの資質を持っており、転生した時、いきなり戦乙女ワルキューレとして転生した」

 「あたしの様に覚醒したんじゃないのね」

 「優秀でしたからね」


 なんか、トゲがある言い方ね。


 「そして、彼女は司書としても戦乙女ワルキューレとしても完ぺきにこなした。

 しかし、転生させる度に彼女の繊細な心は悲鳴を上げていたのです」


 オーディンは深い憂いを帯びた表情で続けた。


 「香澄さんの事をもう少し理解してあげるべきでした……彼女が無理をしていることを」



 あたしはあの時の先代の言葉を思い出していた。 ――地獄を見る事になるのかもね、私の時はそうだった。


 彼女は真面目で優秀だった――けれど、悲しい死者の魂を転生させる時、いつも自分の心を殺して頑張って居たんだろう。

 そして、心が哭いても誰にも見せない涙を流して笑顔で居た。

 ――それは、暗黒の焦熱地獄で焼かれる様な地獄の苦しみだったに違いない。


 ……あたしも地獄は見た。 

 けれども、自分はその先に有る『人間の魂の輝き』と言う大切な物を見つけられた。

 もし見つけられなければ、地獄の苦しみだったのかもしれない。

 ――だから、今までもやっていけている……。


 「そして、あの時に決定的な事が起きた……」


 オーディンの口ぶりからただ事では無いのが判った。

 あたしは恐る恐る尋ねる。


 「何があったの?」

 「病院に居た少女を転生させる仕事をお願いしました」


 彼女が流していた大粒の涙の意味をあたしは理解した。

 あの時に見た銀髪の女性は先代だったんだ……。


 「あ、あんたが、病院に居た少女の命を奪う仕事を押し付けたんでしょ?」

 「……否定はしません……。」

 「否定しないって……」

 「此方のミスで配慮が足りなかったとはいえ、結果的にはそうですからね」


 彼は表情を変えずに淡々と話し続けている。

 その様子にあたしは、はらわたが煮えくり返るのを感じた。

 あたし達、戦乙女ワルキューレは、アンタ達の道具じゃないわよ!


 体中からアドレナリンの匂いがして、体中が震えるのが判る。

 気が付けば、拳を固く握って居た。


 そして、あたしはオーディンに掴みかかった。


 「あんたは何様のつもり!?」

 「神様ですが……」


 何が神様だ!?

 確かにそうだけど、この時にお抜かしに成られると心底腹が立ってくる。

 ふざけないでよね!!


 「あたし達を何だと思って居るの!? 本アカシックレコードを人質にして、危険な事や嫌な事を押し付けないでよ!! あんた等に痛いとか悲しいって判るの?」



 彼に殴りかかろうとした時、背後に気配がした。

 振り返ると、其処に居たのはアマテラス。

 彼女は唐突に話しかけて来た。


 「沙織さん、リンドウの花言葉を知って居ますか?」

 「わからないわよ、今はこのジジイを殴るのが先なんだけど?」

 「竜胆の花言葉は、『私は死を望んで居ます』よ」


 「何が言いたいの?」

 「貴方が拾ったリンドウの花に答えはあるわ」


 アマテラスはあたしの手にリンドウの花を乗せて来た。

 これは、病室に転がって居た魂の欠片?


 「病室に転がって居た物?」

 「そうよ、これがあの子の思いの欠片。この花に意識を集中すれば今のあなたなら読み込める筈」

 「やってみるわね」


 あたしはオーディンを殴るのを辞めて花に意識を集中し始めた。


 病室に居た彼女の思いが流れ込む。


「痛いよう…、治療がくるしいよぅ。

 ……自殺も怖いよう…。

 もう助からないに……誰か終わらせて…。」


 怒涛の様に流れ込んで来たのは、生の苦しみだった。

 ――末期の症状で、助からないのに延命治療を施されて、いつ果てるとも知れない苦痛の生。

 この世に地獄の責め苦が有るとすれば、まさにこれだろう。


 凄まじい苦痛の記憶に思わず、あたしは花を床に落とす。

 ――いつの間にか、頬には温かい物が流れていた。


 「これは一体?」

 「わかった? これは病室の少女の記憶よ……」


 アマテラスの言葉はオーディンに途中で遮られた。


 「アマテラスさん、私が残りを話しましょう」

 「良いんですか?」

 「これも私の責任ですからね」 


 「何が有ったの?」

 「彼女は毎日リンドウを枕元に飾り祈って居た。――この苦痛の生が早く終わりますように……と」

 「つまり、死にたがって居たって事ね」

 「そうですね」


 「我々は彼女を救ったのですが……――香澄さんは人の命を殺めたと言う罪悪感が残ってしまった」

 「……」

 「そして、彼女は自分の罪にさいなまれコキュートスの氷の棺で眠り続けているんです、おそらく二度と転生する事も目覚めることは無いでしょう」


 そして、オーディンは更に続けた。


 「もしも、自分の体が生きて居るのに戻れないことが判れば、あなたの心は悲鳴を上げるでしょう。

 そして、いくらガサツで粗暴な魂でも いずれひずみで壊れてしまう。

 あなたの様な素質をもった人間は脆い……」



 オーディンの話を纏めると、先代は少女の命を奪ったと言う罪悪感でコキュートスに居る。

 そして、あたしが戻れないのが確定事項で、心を護るために生きて居る事を黙って居たと言う事ね……。

 ――全部に救いが無いような話しぶりの内容に怒りが新たに湧いてくる。


 人間を舐めないでよ!!



 「ふざけるな!」

 「何ですか!?」


 「戻れないって誰が決めたのよ!? あたしは絶対に諦めないからね。

 それに、先代も転生しないって決めつけないでよ!!

 あたしが、全部救ってハッピーエンドにしてやるわよ。人間をなめんじゃないわよ!!」


 オーディンはあたしの姿を見て目を細めた。


 「……そうですね、あなたはいつも例外だらけでした。 貴方なら何か出来るのかもしれませんね」

 「いいから先代の本を貸しなさい」

 「これです」


 オーディンは本アカシックレコードを出してきた。

 漆黒の表紙に金押しの文字で工藤くどう香澄かすみと書いて有る。


 「此方からもお願いします」

 「私たちが頼めた義理じゃないけど、香澄さんを救ってあげて下さいね」


 彼は本をあたしに手渡すと、彼とアマテラスは深々と頭を下げた。

 あたしも返すように頭を下げる。


 「行って来るね」


 「成長しましたね、昔のあなたなら今の姿になった時点で戻れた筈です。

 でも戻れないと言う事は、あなたの心がそだったんですね……――他者を思いやる心が」


 彼は少し寂しそうな表情で此方を見ている。

 あたしが成長していくのが少し寂しいのかもしれない、でも昔のままじゃ居られないのよね。

 振り返らずに図書館の外に駆け出していく。



 でも、どうやってコキュートスに……。

 ――三途の川の先までなら行った事は有るんだけど……。

 飛んでいけば何とかなるかな?


 「地獄は広いのよ、場所を知らなきゃ何時までも着けないわよ?」

 「あ あんたは何時の間に?」


 其処に居たのはヘル。

 いつの間にか戻って来たらしい。


 「聞いて居たけどコキュートスに行くのね?」

 「案内してくれるの?」

 「ついてきなさい。 あんたに実家じごくで暴れられたら、めちゃくちゃになってしまうから……」


 ヘルが意地悪く微笑みながら口を開いた。

 確かに閻魔大王を地獄に叩き落とした前科有るから何も言えないけど……。


 ヘルの後を追いかけてコキュートスへ向かってゆく。

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