少年の希望は、少女にとっての絶望である。

「先輩……今からあなたにキスをします。嫌だったら逃げてください」

「…………」


 先輩の話は難しすぎてついていけない。

 ただこれだけははっきりと分かる。


「逃げないんですか? 本当にしますよ」

「……………………はぁ」


 宝瀬先輩は逃げなかった。

 世界を止めて逃げれば、追いつけるわけがないのにそれをやろうともしない。


 ゆっくりと顔を近づけ同時に目を閉じる。


「……んぅ」


 その柔らかい唇が俺の唇に触れた。

 キスの味はレモンの味なんて言葉があるが、先輩とのキスは塩の味がした。


 そして一つ言わせてほしい。


「(ちゅっぽ、れろぷちゃあ)」


 舌を入れなくてもいいんですよ?


 体を押さえられて逆に俺が逃げられなくなるし……何か色んな所が熱くなりそう。


 長い間キスをしていた。


「ふう」


 ……なんかお腹を満たした子供のように満足そうな顔をしている。


「俺のギフトはキスをした相手の能力が使えるようになる。これで宝瀬先輩の反辿世界リバースワールドを使えるようになりました」

「おめでとう。これであなたは学園最強ね」


 先輩はすっとぼけるが、何が言いたいか分かっているはず。


「これで俺もやり直すことが出来るようになりました」

「……」

「確認したいんですけど、なんで逃げなかったんですか?」

「…………」


 宝瀬先輩は沈黙を貫く。

 正直に言って答えはもう出ているんだ。


「そもそも自分のギフトのことを話さず、黙っていればいいじゃないですか」

「嘉神君には誠実でいたかったから話しただけよ」


 そう言ってくれると嘘でも嬉しい。


「ではもう一度聞きます。なんで逃げなかったんですか?」

「嘉神君とキスをしたかったから」

「いくらなんでもそれはあからさますぎて通せない嘘です」


 俺なんかと進んでキスをしたがる人間なんていない。


「結局本心では、何と言おうが嫌なんです。認めていないんです。一歩の後押しをしてほしいだけなんですよ」

「違うわ。本心からこれでいいと思っている」

「ええ、本心からこれでいいと思っているでしょう。ですがあなたのいう希望の世界なんて妥協の産物です。これでいいと本心から妥協してしまっている」

「そうね。でも満足しているわ」


 満足……か。しているんじゃなくて、してしまっているの間違いだろ?


「世の中妥協も必要です。妥協があるから許容が出来る。辛いことがあってもそれを受け入れられる。ですが――――これを妥協しちゃダメでしょ?」


 その焼け焦げた右腕を、力を込めて握った。


「――――っ!」


 宝瀬先輩は顔をしかめる。痛いはずなんだ。


「痛いでしょ。この痛みは一生ついていくんですよ」

「いい医者を知っているから……怪我は治るわ」

「そうですね、体の怪我は治ります。でも痛みは違う。


これは敗北の痛みなんです。

この怪我は敗者の刻印だ。

これを受理したら貴女は一生負け犬として過ごさないといけない。

ゴミみたいなあいつらに貴女は負けるんだ。


輝かしい希望の未来? そんなものは存在しない。

ただ糞の臭いが一生纏わりつく。薄汚れた道を四つん這いで這いつくばる奴隷としての未来だけだ」


 それを本心ではわかっているから、止めなかったし能力のことを話したんだ。


「それでもいいから生きていたいの! 私は勝って死ぬより負けて生きたい。それは間違えているの!?」

「間違えていない。勝って死ぬよりか負けてでも生きたほうがいい。だがあなたはどちらも認めちゃいけない。勝って生きろ! それが人の道だろ!」

「……」

「貴女が勝つ方法は一つだけだ。全員が生存し尚且つ運命をぶっ倒す! そうすれば万人が貴女の勝利を疑わない。かつての誇りが取り戻される。そうして漸く、貴女は人として生きていける」

「――――それができたらこんなに苦しい思いなんかしていないわ。私はもう足掻き疲れて一歩も動けないの!」


「いいや出来る。あと一回ならまだ足掻けるはずだ。あなたは理不尽に絶望したかもしれない。足掻くだけの希望だったかもしれない。だがその足掻きは無意味じゃない。今こうして俺がいる。もう一回なんだ。あと一回足掻くだけでいい。そうすれば――――――足掻くだけで希望は掴める」


 だから、諦めないでくれ。

 あなたがどんだけ辛い目にあったのか、俺には計り知れない。

 でもここで止めたらどうなるかは分かるんだ。


「はあ~~」


 先輩は大きくため息をつく。


「仮に……仮に、よ。戻したとしてその後どうするつもり? 私だけがやり直しをして参加をする前に戻っても、多分逃げるだけよ」

「一緒にギフトを使って戻りましょう。そして……共に行き、共に生きましょう」

「本当にうまくいく? 憶えているのは私だけなんて事にはならない?」


 それは……確かにあり得る事態だ。

 お互いに同じ能力を同時に使うなんて経験はない。何があっても不思議じゃない。


 だが何故かそれは無いとはっきり思える。


 絶対に憶えていられるって自信を持って言えるんだ。


「絶対に忘れません。この周回であった事実はどんなことがあっても忘れなんかしません」

「酷い人。根拠のないのに……そんな大見得張っちゃって……信じたくなっちゃうじゃないの」


 信じる。とてもいい言葉。俺も最初から先輩を信じていた。

 先輩は負けないって信じていた。


「分かった。分かりました。私の負けです。嘉神君とキスをした時点で勝敗はもう決まっていたのだけど……はあ、また負けちゃった」

「これから勝てばいいんですよ」

「そうね、最後の大勝負。頑張ってみるわ」


 ありがとうございます。やはりあなたは博優学園の誇り高い生徒会長だ。


「でもその前にやりたいことがあるの」

「俺に出来ることがあれば、何なりと」

「泣かせて。その胸の中で」


 返り血を浴びた衣服を脱ぎ捨て、隻腕となった右腕を広げる。


「ありがとう」


 宝瀬先輩はぴたりと胸に張りつき――――


「んうぅ…………」


 泣いた。


「うぁっぁあああっあぅああああああああん」


 みっともなく泣いた。

 だがそれを咎める人も笑う人もいない。


 終わることのない絶望が一度終わった。

 なのに、偽りとはいえ希望を捨てないといけない。


 辛いだろう、きついだろう、苦しいだろう。


 ごめんな先輩。こんな思いをさせて。

 もっと早く助けに行ければよかった。


 、貴女だけは辛い思いはさせない。


 泣いている先輩を撫でながら、決死の覚悟を決めた。






 まともに話せるまで小一時間泣かれていたと思う。


 これからは未来に生きるために過去に戻った時の為の現実的な話をしないといけない。


「戻る時間は今日の8時頃でいいですか」

「そうね。理想は私達がどちらも記憶を所持していて、かつ参加する前に潰すこと」

「それ以外にはどんな可能性があると思いますか?」

「一番あり得るのは私だけが記憶を保持している可能性。逆に嘉神君だけが記憶を持っている可能性だってある」


 どちらも面倒なことになるのは目に見えている。


「合言葉を決めましょう。宝瀬先輩は俺に伝えてもいいもので自分しか知っていない情報は何かありますか?」

「……母親が嫌いって言っていたといえば、多少は信じてくれると思うわ。逆に嘉神君は?」


 考える。その結果一人の名前を思い付いた。


「俺の親友の名前、林田稟はやしだりんって言うんです。神陵祭町ここに来て誰にも話をしたことないですから、そいつの名前を言えば信じると思います」

「……男の子?」

「ええ。男です」


 確かに男か女かは分かりづらい名前だが、そんなに不満そうに聞かなくてもいいと思う。


「ぐずぐずしても次の周で解禁される期限が伸びるだけですしそろそろいきましょうか」

「でもその前に……」


 左腕を差し出す。手を繋げということか。断る理由などないため黙って握り返す。


「じゃ、1,2,3で。発動をしましょう」

「分かったわ」


 互いに一度大きく深呼吸をして、数を数えた。


「「1,2,3――――反辿世界リバースワールド」」






 この時、誰かが嗤う幻聴が聞こえた。







 良いニュースと悪いニュースがある。


 良いニュースは俺の記憶が完全に残ったままでいること。左腕は復元されているため正しく能力が発動されたという事。


 悪いニュースは戻った時間が予定と大幅に狂っていた事。


「何だこの部屋は」


 目が覚めた時見たのは、腐りかけた茶色い天井ではなく、真っ白で気が狂いそうな、あの忌々しい部屋だった。


 失敗した……と悲観する暇はない。


 まだ誰も死んでいない。

 ならばもう一度頑張ろう。


 やらないといけない事はたくさんある。


 全員の生存。もちろん一年の女子も含めてだ。

 もちろん運営をぶっ潰す。


 最後に宝瀬先輩。


 あなたの誇りを取り戻す。


 全てこの一周でやりきって見せるから――――どうか、皆が笑っていられる未来を。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る