天谷茉子
日が昇り、母さんが部屋から出ていくのが見えた。
母さんの仕事は、曰くバイトのようなものらしいが、それで我が家の家計が成り立っているので何一つ文句を言う気はない。
もう見張りは必要ないと判断し自分の部屋に戻る。これにて見張り仕事はコンプリート。
ずっと夜風に晒されていた為か、トイレに行きたくなった。
俺はそそくさと足早に自宅のトイレに向かうのだが、急激な眠気が襲ってくる。
これはまずいな。このまま眠ってしまうと十六になってお漏らしというおぞましい事態が起きてしまう。
そう結論付けた俺はダッシュでトイレの戸を開けた。
繰り返すがこのアパートはおんぼろの安物件である。
ただ大家さんの主義で、ビジネスホテルみたいな風呂とトイレが一緒になっているのではなく二つとも別々に分かれているのが唯一の美点だな。
まあ今はそんなことはどうでもよく、重要なのは玄関以外に鍵をかけることができないってこと。
「「あっ」」
衣川さんとトイレで鉢合わせをした。
そこで、ごめんと言って謝りすぐに戻れば許されたかもしれない。
ただ、化物と戦闘したことによる疲労と、多少の出血による貧血の為そのままの勢いで倒れこんでしまった。
落ち着け!冷静になれ。今の状況を良く考えてみろ。
便座の上に衣川さん。それに圧し掛かるよう倒れこむ俺。
自首するしかねえ。
一気に尿意と眠気が消える。
そっと横目で衣川さんを見るも、その長い髪の毛で顔を拝むことはできない。
急いで離れるが、時すでに遅しという言葉が頭の中でくるくる巡る。
「あ……あの……」
どうしよう。多分これ死亡フラグ立ったよな?
衣川さんの顔は段々と赤くなった。一応彼女赤鬼ね。
「そうだった。貴様はそういうやつだった」
お互い一気に血の気が引いた。俺はやってしまったという後悔ゆえに。衣川さん怒りを通り越したがゆえに。
「初めてあったとき鬼畜なやつだと思っていたが、どうやらそれだけでは足りなかったようだ……そこを動くな」
衣川さんは爪を伸ばし、少し動かせば俺の喉を掻き切れる様手を伸ばす。
「一応弁明しますけど、見ていないです」
これはあながち嘘ではなく、実際俺は眠かったので目を閉じかけていた。している所も大切な所も見ていない。
「嘘を吐くなこの詐欺師め!」
詐欺師か。よく言われる。
俺は誠実に過ごしているはずなのになんでなんだおうな。
「少しはいいやつだと思っていたが、やっぱりお前はどうしようもないクズ野郎だ!」
衣川さんから突き飛ばされ尻餅をつく。
そんな俺をしり目に彼女はただ言葉を吐き捨てた。
「先日は私に非があった、今回は不問にする――――が、もう二度と私に話しかけるな」
彼女は走って家から出ていき、乱暴に扉を閉めた。
「…………はあ」
ため息。今回は完全に自分の落ち度なため、全ての暴言は甘んじて受け入れるが、二度と話しかけるなと言われるのは、心にくるな。
「俺も、仲良くなれると思っていたんだけどな」
やっぱ男女間での友情は存在しないというのはこういうことなんだろう。
大体男同士でやってしまって困る事なんてない。
だが男女だと些細なすれ違いが大きな事故を呼ぶ。
「悲しいな。悲しいな」
俺は彼女が用意してくれた二人分の朝食を眺めながら呟く。
こんな気分でこんな量でも、最後までおいしかった。
「おおー。いっくんじゃない」
庭を掃除しながら話しかけたのは、大家さんの
おっとりとした物言いが特徴で、年齢は先月三十路を越えたらしいのだが、全くそうには見えない。
もしも母さんがああでなければ俺は信じることは出来なかっただろう。
それにしても俺の周りに年齢詐欺の女性が多すぎなのは気のせいではあるまい。
「聞いてよ、いっくん。今朝起きたら誰かが粗大ゴミを家の前に置いてたんだよ。酷いよね」
土と金属の塊を箒で端に寄せる。
因みに、『いっくん』とは一樹の『い』である。念のためな。
「そうですね」
昨日(正確に言うと今日の深夜)、残骸の処理に困ったので放置していた。
大家さんが力業で金属の塊をひっくり返す。
一体どこにあんたそんな力があるんだよ。
「んー。これ何かな?」
見せてきたのは便箋のされた手紙だった。
「あ、それ。俺が昨日貰ったラブレターです」
自分でも眉一つ動かさないでなんてとんでも無い嘘をついたのだろうか。
「えー。いっくんも隅に置けないなー」
大家さん精神年齢が低いから相手にする必要はない。
俺は手紙を抜き取ると速やかに学校に向かった。
また俺の下駄箱には画鋲が入っていた。
だが今度は文字通り桁が違う。何と二千個以上!
しかしこの画鋲弱点があり、昨日持ち帰って実際に使ってみたのは良いものの大体十二時間で消えるのだ。
だからこの画鋲の寿命もあと十二時間だと思うと、可哀相になってくる。
俺は画鋲を掴む。確かにどれも全く同じだ。
「どうしたんですか先輩」
呼ばれた気がした。
「この画鋲供養すること出来ないかなって」
何だかこの画鋲に親近感が湧くのだ。
「正気……ですか?」
素で引かれた。
「正気だけど、って何で俺普通に画鋲と会話してるんだ?やっべえ。遂に画鋲と会話できるほど俺のギフトは末期なのか!?」
「末期なのは先輩の頭です!!」
右スネを蹴られた痛みが走る。おかしいな画鋲は刺すだけで、蹴ることはしないはず。
「はあ。ホント先輩は人間ですか」
「あれ?画鋲に人間かどうか疑われたぞ」
「好い加減気づけ!このクソ昼行灯」
何で俺が画鋲相手に罵倒されなきゃいけないんだ。
「折角火葬してやろうと思ったが、そんなこと言うなら水に濡らして錆らしてから捨ててやる」
「どうしましょう。茉子、こんな話の通じない人間にあったことは初めてです」
「失礼なこと言うな。ちゃんと俺は最初から気付いていた」
そんな失礼なこと言わないで欲しい。
「じゃあ先輩は気付いて敢えて茉子を無視していたんですか?」
「あたぼうよ。ちゃんと『好い加減気づけ!このクソ昼行灯!』から聞いていたよ」
「結構後じゃないですか!」
今話しているのは髪の色が朱色の背の低い女の子だ。
髪の色を見れば能力者であり俺のクラスではない。年上か年下かと聞かれたら断然後者を選択する。
先輩呼ばわりしているから、それだけで後輩だって分かるんだがな。
「それにしても初対面のくせにずいぶん馴れ馴れしいけど、もしかして俺達どっかであったことある?」
「いえ。先輩と茉子は初対面です」
ずいぶん馴れ馴れしい人間がいたものだ。
こいつは礼儀を知らないな、罪深いぞ。
「じゃ何で話しかけた?」
俺別に初対面から話しかけられるような面白い容姿してない。
宝瀬先輩は……ギフト絡みだからノーカウントな。
「先輩が画鋲入れられて悔しそうな表情を期待してたのですが、予想の遥か先を行き残念を通り越して病院を進める所でした」
「酷いなお前。俺の優しさを一体どこに非難される要因があるんだ」
「人と物を一緒にしないで下さい」
「昔の人がいっていた。人をカボチャのように思えってな」
「それは緊張したときであって、下駄箱に画鋲を入れられた時の話ではありません!」
と好い加減だべっていると埒があかないので真面目に話そう。
「と言うのは九厘冗談だが……」
「結構本気じゃないですか」
話の腰を折らないでほしい。
真剣に話をするときに茶化すなんて人として最低な野郎だ。
こいつは女だがな。
「一年だよね?名前は?」
「一年十組所属の
ああ。そういや衣川さんが言っていたな。
画鋲の犯人はこいつか。
「何でこんな事をした。相手が俺じゃなかったら問題になっていたぞ」
ようやく本題に入る。
最近の若いもんには話を始めるのにも時間がかかるな。
なお、俺は16歳児。
「そうですよ。忘れてました。この男は……茉子からお姉さまの初めてを奪ったんですから」
ん?何やら微量だが殺気が。
「せんぱーい。少々お聞きしたいことが」
「ん?まさかもう学校の授業に着いていけなくなったの?だったら俺にではなく先生方にだな…………」
いくら偏差値72と言っても教えられる科目には限りがある。
「いえ。先輩の私生活のことです。正確に言うと先輩とお姉…衣川早苗先輩との関係ですが」
「衣川さんがどうかしたの?」
「単刀直入に聞きます」
「何を?」
「お姉さ……衣川先輩とどこまで事が進みましたか」
「話の意味が分からん。どこまでとは?」
「本気で言ってるんですか。それ」
「ああ。悪いが本当に理解できん」
「では質問を変えます。昨日と今日先輩は衣川先輩と何をしましたか」
その質問なら答えられる。
答えてやる義理はないが、答えないのも面倒だから仕方ないな。
「一緒に飯食って、一緒に夜中話し込んで、同じトイレに入っただけだが」
その後攻撃されたことは省かせてもらったが間違えていないはず。
「………」
「どうした天谷?お前が答えろって言ったから答えたんだからせめて感想か礼をだな……」
股間を蹴られかける。
俺は慌ててガード。
「いきなり蹴るな!お前男の急所がどれだけやばいか知ってるのか。これだから女ってやつは!!」
「……うるさいですね。ごみが、蛆が。茉子のお姉さまを傷つけるだけ傷つけてそんな態度、許されると思ってるんですか!」
そうか。そういうことか。
俺としたことが察しが悪すぎた。
「お前同性愛者なんだな」
つまりこの天谷という後輩は衣川さんのことが好きなのだ。
そういや衣川さんは女にもてるって誰かが言ってたよな。
つまりこいつ視点だと俺は好きな人を寝取ったクズ男になるわけだ。
いやいや待て。別俺と衣川さんは付き合っているわけでも、下手をすれば友達ですらない訳で。
これがお付き合いしているのなら、正当な怒りだがそんなこと一言も言っていない。
「別俺が謝る必要性皆無だな。だから俺は謝らない」
「別に茉子は先輩方が付き合うかどうかの話をしているわけではありません。お姉さまにこれ以上悪い虫、いいえこの場合は泥が付かないようにしているだけです」
「いいか天谷。いくらなんでも俺が後輩に優しいからって泥扱いは良くないと思うな」
「構いません。だって先輩男じゃないですか」
はあ。こいつフェミニストか。道理で頭悪そうだって思った。
人の話を聞けない奴は、いつだって能無しなんだよな。
「いいか一年。別俺はお前が同性愛者だろうがフェミニストだろうが今の所は批判するつもりはないが、自分の意見を他人に押しつけるだけは良くないと思うな」
「あんたがそれをいいますか。もういいです。これは酷い」
何で酷い呼ばわりされるんだ。
「先輩、二度と会わないことを祈っています」
初対面の後輩にぼろくそ言われたためかショックで寝込む。
というのは勿論嘘で、理由として寝不足があげられる。
貫徹で戦えば、一度は朝の一件で冴えた頭もすぐに沈んでしまう。
「よくもまあおいそれと私の前で寝ることが出来るな」
後ろの席の衣川さんがもう慣れっこな殺気を放つ。
「zzz」
だが寝る。本当に眠くて辛い。
「よくもまああたしの授業で寝ることが出来るな」
古典担当の高嶺先生が、俺にチョークを投げた。
俺はそれを教科書で弾き返し、偶然誰かに当たる。
位置的にたぶん仲野だが、確認するくらいなら眠りに着く。
「○○○~~~!!」
うるさい。何かを言っているのだが、全く頭に入らない。無視無視。
あれ?何で天井が見える?確か机に伏せていたはず。
少し遅れて痛みを感じた。どうやら仲野は俺を蹴り倒したようだ。
おかげで目が覚めた。ありがとう仲野。この感謝の気持ちはお礼として返さないと。
「おい仲野。おれの仲間に手を出すとはいい度胸じゃねえか」
きゃー時雨君かっこいー。
おっと、俺も逆の立場だったら間違いなくこういうだろうから、自画自賛になるなこれは。
やばい、眠くてテンションが変なことになってる。
「うっせえ黙れカス。下等種共は引っ込んでろ」
俺は反射的に仲野の頭に回し蹴りを入れていた。
怒ったのは事実だが、どのみちこうなっていたと思うから早いか遅いかの違い。後悔はない。
「うるさい、黙ってろ三下」
その一言しか言う気はなかった。
俺は倒れた机を元に戻し、そしてまた眠ろうとするが、頭に血が上っているためか眠れない。
「この人外があああああ」
仲野は落ちていたシャープペンシルを掴み、俺の下に突進する。
この時点で洒落になっていないが、武器を使って攻撃するなんてあからさまな過失を見逃すわけには行かない。
腕を巻き込むように左のクロス。
「がぁああ」
仲野は再び自分の机まで飛んでいった。
「やめなさい!」
「高嶺先生。分かっていると思いますが、ギフトなんて使っていないですよ」
ギフトを使うなんてとんでもない。
仲野ごとき素手で倒せる。
「これ以上は教師として見過ごすわけにはいかない!もしもまだ喧嘩をするというのならあたしはギフトを使わせて貰う」
俺としては蹴ったのは蹴られたことの仕返しで、殴ったのは正当防衛だから怒られるようなことをしていないつもりでいる。だが先生がそう言うのなら仕方のないことかもしれない。
が、ここで御開きにしてはいけない。
仲野の上に馬乗りする。
「悪いことをしたらごめんなさいだろ。お前が謝るまで殴るのを止めない」
「誰がお前らみたいなやつに謝るか。俺は気持ち悪い連中がだいきら――――ぐへええぅっ!!!」
右ストレート。
「何かもう吹っ切れた。歯を食いしばれ」
右左右左。左左。右右。左右。
「―――
殴りたりないのに、壁に叩き付けられた。
「そこを動くな。あたしはお前がもっと冷静な奴と思っていたが評価を改める必要がでてきたな」
すでに生徒の大半は教室から出て、残っているのは俺と仲野を除けば、時雨と衣川さんと……ん?
彼女だけは慌てていない。ただテキパキとクラスメイトの脱出を指示していた。
まあ、いまはいいや、きっと彼女窮地になると覚醒とか成長とかするんだろう。優先順位はこっち。
「何となくですけど、重力ですか」
「そうだ。あたしのギフトは重力を支配する。今嘉神だけ重力の向きを変えさせて貰った」
なかなか恐ろしいギフトだ。このクラスの担任を任されたことも納得がいく。
でもね先生。それは俺が来るまでの話、悪いけどそんなんじゃ俺は抑えられない。
「重力で、俺を支配できないんだよ」
力は元に戻り、宙を浮いていた足は床にしっかりと着く。
「なんだと……!!!」
残念ですが、そういうギフトなんですよ。
「何をやっているみんな!こいつを止めろ!!!」
衣川さんが周りを集めて俺を止めようとするが、多くが教室から出ていったため人がいない。
「くされビッチが!てめえ何か呼んでねえんだよ!」
……ふーん。
「仲野、三秒だ。三秒以内に俺を蹴ったことと時雨を殴ったことと衣川さんを侮辱したことを謝れ。でないと、俺が俺を制御できない」
「だからぁああ!何で俺がお前なんか化け物に頭を下げなきゃ――――」
三秒。
さっきまでは手加減をしておいた。少なくとも後遺症は残らないようにしていた。
もう駄目。お前は言っちゃいけないことを言った。
「仲野。これから俺がお前にするのはただの虐待だ。子供が虫を潰すような、少年が子犬をいじめるような、大人が子供を虐待するような本来なら吐き気を催す悪だ。だからこそ、先に謝っておく。ごめんなさい」
勇気と無謀は全く違うことを、こいつに教える。そして二度と歯向かうなんて気力を起きないようにしてやる。
「っぐあ。ぶっ」
肝臓を殴る。そして肺。
「
だからそういうギフトなんだってと、頭の中で一度言った内容を繰り返す。
「だったら!」
先生は机や椅子を俺に飛ばし、攻撃する。
「くっ……」
これは防げない。よく分かっているな。流石は先生。
「いい加減にしろっていっているだろ! わかんねえのか」
勢いづいた高嶺先生。机と椅子で俺を押し固める。
使いたくないが仕方ない。冬物の制服だ。顔と手以外鬼してもばれないだろう。
「うおおおおお」
重力が何倍になった机を持ち上げ、誰もいない所に投げとばした。
「やっぱすげえなこのギフト」
ものに出来ているのは20%くらいなのに、こうも簡単に重力のかかった物質を吹き飛ばした。
その様子を見た仲野は、匍匐前進でこの場から逃げようとしたが足を踏みつけ逃がさないように力を込める。
「く……来るなこの化け物!!!」
「じゃあ謝れ。三秒たったが、元親友のよしみとして、もう一度だけ機会をやる。俺を蹴ったことと時雨を殴ったことと何より衣川さんを侮辱したことを謝れ」
「…………誰が謝るか」
何だろうな。強い意志って。ここまで自分の身を滅ぼすものなのかな。
「人間は自分以下の生物に頭を下げない!」
そこまで言うのなら、俺が今までずっと言いたかったことを言おう。
そしてお別れだ。
「じゃあ聞くが仲野。お前今まで、金と誕生日の早さ以外で俺に勝ったことあるか」
勉強も運動も身長も強さも正しさもあの二つ以外はみんな俺の方が上だ。
「違うんだ嘉神。俺も親友だったよしみで教えてやる。能力者は、生まれた瞬間から下等なんだ」
そうか。
「そうか」
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