カンバセーションピース あとがき
カンバセーションピースをお読みいただき、ありがとうございます。心よりお礼申し上げます。
ぐだぐだの主人公が、ふとしたきっかけから自己再生への道を模索し始める。その構図は、以前上梓した『しっぽのいたずら』と基本的には一緒です。ただ、しっぽのいたずらでは、しっぽからの能動的な働きかけがあってそれを主人公がこなしていったんですが、この話でキーになった写真は何もしていません。
写真は写真に過ぎません。そこに写っているものが主人公に何かしてくれるわけじゃないんです。手紙のような明確なメッセージがあるわけでもなく、魅力的な写真でもありません。人生落第の崖っぷちにいるトシは、そのどうしようもない写真を自分の心を写す鏡のようにして見ていました。
でも、写真は何も変わらないのに、そこに映し出されるものは刻一刻変わっていくんです。それに合わせ、トシは虚像の向こうにある真実が何かを確かめようとして行動を起こしました。トシにとって、写真は鏡から窓になったんです。自分を写してそこに閉じこもるのではなく、人との接点を構築するための窓に。それは、たみの場合も同じですね。
最後に横手さんに促された写真の始末。あれは、鏡を割る儀式です。トシにもたみにももう鏡は要らない、いや鏡があっちゃいけないんです。だって、自分を写す相手は目の前にいるのですから。
キーになる写真以外にも、小野さんの家族写真、美容室のチラシの写真、フィナーレのクリパの集合写真、そして横手さんから今後標準にしなさいと言われたトシとたみのスナップ。いくつか写真が出てきました。読まれた方の心の中で、それぞれの写真が構成されたんじゃないかと思ってます。そして、それには一つとして同じものはないはず。絵画と違って、全く同じものをたくさん作れるのが写真です。でも、それを見た人の心中には同じものが残らない。印象も、意味も、その価値も。……不思議ですね。
もう一つ。タイトルに掲げたように、この話では家族の意味を問いました。家族は、たぶん夫婦よりも意味があいまいなんでしょう。同居していなくても家族は家族ですし、その逆もあります。家族で賑やかにクリスマスを楽しむ。それをする人、しない人。できる人、できない人。それぞれに。家族の意味を今一度自問していただければ……幸いです。
◇ ◇ ◇
以下は、与太話です。お暇な方だけご笑読ください。
このお話、最初に一度筆が止まって頓挫しています。それにはわけがあります。主人公はオトコで、写真をモチーフにして彼の再生を描く。ここまでは良かったんですが、クリスマスらしい恋バナにつなげようとすると、予定していた文量にはどうしても入りきりません。ちょっと欲張り過ぎました。
だって、ごく一般的な男女の出会いやラブストーリーじゃないんです。ひっきーと
コミュニケーション不全気味のトシと、生い立ちゆえに不器用で用心深いたみ。本来なら、互いの信頼を得て愛情を深めるのに普通のカップル以上の回り道があるはずです。でも、それをだらだら書いていたらクリスマスに間に合いません。そこで、二人の心理的な距離を一気に縮める手段として、横手さんに十章の博打の提案をしてもらいました。あれはわたしの趣味ではなくて、苦肉の策です。神様、仏様、横手さま。
でも、その反作用は大きいんですよ。トシは、まだ自分以外のことに目を向ける余裕がない。絡みはあっても、それはたみを助けるための演技だと割り切ってます。ほぼ草食系ですね。反対に、たみは一人になってしまった寂しさもあって、あの一夜以降トシへの傾斜を強めます。恋愛感情の距離感差。その軋轢がこれから二人の間に出て来るでしょう。そのあたりも含めて、これから書き継いで行ければと思っています。
このお話。これで終わりではありません。一葉館を舞台にしたシリーズとして、トシとたみの仲の醸成をゆっくり書き継いで行こうと思っています。
本話をお読みくださった方々には、改めてあつくお礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。
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