(2)

「あの夫婦をここにおびき寄せる。そのためには、あんたがここに住んでるってことにしないとなんない」


 三ツ矢さんが首を傾げた。みんなも顔を見合わせる。どういうこと? 何が狙い?

 その表情を見て、横手さんがぷらぷらと手を振った。


「おいおい説明するさ。まず、養親に今の勤め先を覚られないようにしないとならん。だから、あんたは前の職場をやめてからずっとぷーたろで、今ここに住んでる。そういうことにする」


 は? まだ……意図が分からない。


「あたしが切り札にするのは、あの夫婦のスキャンダルだ。まだ表に出てないってことは、出したくない事情があるんだろう。見栄っ張りなんだろさ」


 たみが何度も頷く。


「ただ、ごたごたがいつか外に漏れるってことは想定してるはずだ。だからあいつらのスキャンダルだけで脅し入れるんじゃ弱いんだよ。下手すりゃ、暴露したネタ自体をあいつらに逆用される怖れがある。そうしたら、あたしは報道の仕事を干されちまう。とどめ刺すならもう一つ切り札が要るんだ」


 横手さんが、たみをぴっと指差す。


「あんたは、あのクソ夫婦にいじられ続けてる割には、まともに育ってる。信じられない話さ。普通はぐずぐずに崩れるんだよ。ぷぅや弓長さんみたいにね」


 い、いたいー。


「それだけ芯が強いんだろう。でもあんたがそれをあいつらに見せちまったから、連中がどこまでもつけあがるんだよ。意思の強いあんたさえ何とかして味方に引き込めば、絶対に裁判には負けない。あんたの分まで計算して多く分捕れる。そう考えたんだろさ」


 気丈なたみの姿勢が裏目? なんて、皮肉な……。


「だったら、それを逆手に取りゃあいい」


 え? まだ……分かんない。


「横手さん、具体的にはどういうことなんですか?」

「今説明する。慌てなさんな」


 横手さんがにやっと笑った。


「連中の揉め事の原因はお互いの不倫だ。裏返しゃ、男女の仲が絡みゃどんな聖人君子でもがたがたになるって、連中はそう考えてんだよ。でも、あんたに関してはその点は大丈夫だと思ってる」


 横手さんが、たみの鼻先に指を突きつけた。


「あんた、オトコを知らないだろ?」


 真っ赤になって俯く、たみ。


「自分たちは好き放題やってながら、あんたにはそっち方面をかっちかちに締め付けたんじゃないかい?」


 たみがすぐに頷いた。


「あんたは実子じゃない。金蔓の婿さん引っ張ってくるなら、人形としてのあんたにオトコ関係ででっかい傷があっちゃ困るんだ。あの夫婦にとって、あんたは作品だからな。あんたが家を離れてても、そこだけは監視がついてたはずさ」

「はい。それは、なんとなく」

「だろ? あんたも、自立心が強くて用心深い。簡単にはそこらのオトコに倒れかからない。あの夫婦は安心してたんだろう」


 横手さんが、ぴっとたみを指差す。


「でも、あんたは突然職場を辞めて、行方をくらました。あの夫婦にはその理由が見えてない。自分たちのせいだとはこれっぽっちも思ってないんだ。自分らが着せた恩の効果がまだ続いてると思ってる。だったら、連中が考えたくないような理由を見せつけてやりゃあいいってわけさ」


 うっすらと。横手さんの考える企みが見えてきた。だけど……。


「ねえ、横手さん。なんとなく作戦は読めたんですけど、それって相手がいないと」

「いるだろが」


 横手さんは、僕の頭を小突いた。


「あんただよ」


 げ!? げげげーっ!?


「もちろん振りで構わない。でも、あの夫婦に芝居だとバレないくらいには真剣にやってもらわんと困る」


 横手さんが、たみの方に向き直った。


「あたしは、あんたと弓長さんの絡みの場を設定する。そいつを連中に見せつける。あたしはそこを撮って、決定的な暴露ネタを確保する。そうすりゃ、今度はがっつり言えるからね。お堅いふりして本当は色狂いの一家。あんたらのスキャンダル、全部まとめてすっぱ抜いてやるよってね」


 すごい……けど。


「いや、僕はともかく。それじゃたみがかわいそう……」

「あほー」


 ぱん! 横手さんに頭を叩かれる。


「ほんとに暴露する必要はないんだよ。あの夫婦に、ええと、たみちゃんだっけ? たみちゃんがもう支えにならないってことを認識させりゃいいのさ」

「え?」

「あの夫婦。壊れた人形なんか欲しがらないよ。自分らの裁判に有利になる材料が欲しいだけだ。それに役に立たなきゃ放り出すだろ」


 なるほど。そういうことか。


「実際に、どうするんですか?」


 聞いてみる。


「こんなん、ずるずるやりたかないからね。勝負を急ごう。たみちゃん、悪いけど明日あさっては仕事休んで弓長さんの部屋に居てくれ。小野ちゃん、バカ夫婦へのたれ込みを頼む」

「おう」

「あの夫婦、お互いを出し抜いて一刻も早くたみちゃんを取り込もうとするだろう。すっ飛んで来るはずさ。その夫婦が別々でも、同時でもいい。弓長さんとこの崩れたたみちゃんを見せてやる。そこで。たみちゃんでなくて、弓長さんに汚れ役やってもらう」

「どういうことですか?」

「夫婦はその状態を見て、それを娘じゃなくて弓長さんのせいにするだろ。それが夫婦の最後の悪あがきだ。何かぎゃあぎゃあ喚くだろうから、ばしっと言ってくれ。こいつが行くとこもカネもないって言うから俺が拾って、食わせてるだけだ。家賃は体で払ってもらってるよ。文句あっか? ちゃんとそういう状況を見せて、ね」


 うわ……。


「あたしはカメラを持って待機する。あの夫婦がごちゃごちゃごねるようなら、現場撮ったふりしてプレッシャーをかける。まあ、弓長さんの演技の出来がよければ。あたしの出番はないと思うけどね」


 何をしないとならないのか、それは分かった。でも、横手さんのオーダーは冗談抜きにきつかった。


「たみちゃん。あんたには恥ずかしいことかも知れない。よく知らないオトコと絡みの場を見せるんだ。でも、そこに照れや羞恥心が入ったら、場数踏んでるあの夫婦に見抜かれる。死物狂いでやってくれ。弓長さん。あんたもそうだ。ひっきーのあんたにオンナと付き合った経験なんかないってことはすぐ分かるよ。ぷぅの時だってそうだったんだ」


 園部さんが、横目で僕を見てほくそ笑んだ。


「あたしぃ、こいつホモかインポかと思ったもん」


 ずず……ぅん。


「ま、そんなのはどうでもいい。でも本番には、そういうのをかけらも見せちゃいけない。女にだらしない、ちゃらちゃらした軽薄男にきっちりなり切ってくれ。いいかい? こんなん、練習なしでいきなり出来るわけない。明日一日二人でしっかり練習して。ほんとにエッチしろとまでは言わないよ。でも、裸で抱き合ってキスするくらいのところは見せらんないとインパクトがない」


 横手さんはそう言い終わってから、僕らを見回した。


「人生にはね、必ず何回か転機がある。あたしら、そこで博打を打たないとなんない。イヤでもね。あたしの場合、結婚と独立がそうだった。当たるかどうか分かんない博打なんか打ちたかないさ。でも、そうしないと変わらないもんだってあるんだよ。ぷぅも。梅ちゃんも。今博打を打ってる。弓長さんだってそうさ。だから、たみちゃんも自分の人生かけて博打を打って。それが当たれば……」


 横手さんは、たみの肩をがっと抱いた。


「あんたは総取りさ」


◇ ◇ ◇


 いくら人生を賭けた大博打って言っても、横手さんの作戦はたみにはきつすぎる。失うものがない僕のようなわけにはいかないんだ。僕は、たみが横手さんの策を飲めないんじゃないかと。渋るんじゃないかと思ってた。でも、たみは作戦を受け入れた。やると言った。言った以上、僕には拒否権はない。そこから一気にみんなばたばたと動き始めた。


 まず、舞台の設営。梅田さんが、僕の部屋のセットと僕らのメークをすることになった。コスプレの趣味があったらしい梅田さんは、気合いの乗りが半端じゃなかった。何もない殺風景な僕の部屋は、あっと言う間に小野さんのとこ以上の凄まじいごった部屋に変えられた。


 次にメイク。僕とたみの肩と腕、胸、背中にはインスタントタトゥーが貼られた。髪はぐちゃぐちゃに崩され、耳や鼻にチープな装身具がぶら下げられた。本当は唇ピアスとかへそピアスとかを通したかったらしい。それは丁重にお断りしたけど……。


 部屋のセッティングとメイクが済んだところで、僕らは部屋に呼ばれ、横手さんからみんなの前で服を脱げと言われた。二人ともちゅうちょしてもたもたしてたら、横手さんにきつい口調で言われた。


「照れや羞恥心は隠しても絶対に出る。それなら飽きるまで相手の裸を見て慣れるしかない。キスもそうだよ。愛情だなんだって言ってる場合じゃないんだ。握手やハグと同じさ。触れ合う手段の一つに過ぎない。そう割り切ってくれ。慣れるための近道は、見られることさ。あんた方二人しかいないとどうしても遠慮が入る。あたしらが手伝うから、慣れてくれ」


 総監督の横手さんは、カメラを持って僕の部屋に居座った。もちろん、園部さんを助手にして。そして、僕らにパンツ以外のものを身につけることを禁じた。僕らが風邪を引かないよう、他の部屋の暖房器具が僕の部屋に集められ、少し汗ばむくらいに暖められた。そしてまるでアダルトビデオの撮影をするかのように。僕らは横手さんに言われるがままに抱き合い、絡み合い、キスをし、ダーティートークを繰り返した。


 オトコの間を転々として暮らして来た園部さんには、実際に今回のような経験がある。そういう状況でオンナは、オトコは、どういう会話を交わすのか。どういうアクションをするのか。僕らは演技でそれを見せないとなんない。園部さんは、演技指導者兼助監督として僕らに事細かに注文をつけた。なんか、妙に張り切ってたけど。とほほ。


 横手さんは、僕らに向かって何百回、何千回とシャッターを切った。撮った画像を時々チェックして、横手さんが僕らを呼ぶ。僕らがそれを見て赤面しなくなるまで、何度も……何度も、何度も。


 夜の十時過ぎになって、やっと僕らはレンズの目から解放された。でも、本番はこれから。


 ……これからなんだよね。


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