第十話 大博打
(1)
結局。あの写真は、僕の手元に残った。
僕のあの言葉は、たみの決断を促すものじゃない。たみの悩みの解決策を僕が示せないのは最初から分かってたこと。僕には、たみに引け目を感じさせない、追いつめないってことだけしか出来なかったんだ。
ただ、たみは僕と同じハンデを抱えてる。一人でがんばろうとするあまり、経験豊かな年長者のアドバイスをもらえてない。たみは、養親と対決するか逃げるかしか選択肢がないって思い込んでるふしがある。一葉館にいる間に大家さんが相談に乗ってくれれば一番良かったんだろうけど、大家さんは相手が相手だけにトラブルには関わり合いたくないって考えたんだろう。それは……責められない。変則的な入居を認めてくれただけでも、たみには幸運だったのかもしれない。
ファミレスでたみと別れたあと。僕は、遅い時間だったけど横手さんを訪ねた。
「夜分遅くすみません。ちょっとご相談が」
「なんかあったの? カネは貸さんよ」
よっぽど僕がしょぼくれて見えたのかもしれない。とほほ。
「いえ、例の写真の件なんですが……」
「ふん? まあ、入って」
「はい」
部屋の隅では、もう園部さんが寝袋で寝息を立てて寝ていた。
「今日三ツ矢さんにお会いして、この写真にまつわる話を聞いてきました」
「やっぱり、いわく付きかい」
「はい」
「あれは、本人かい?」
「そうです。親に見捨てられて、養親のところへ引き取られる。その日に撮られたそうです」
横手さんが、写真を手にしてそれをじっと見ている。
「なるほど」
「三ツ矢さんが一葉館におられた短い間。彼女は養親の間のトラブルに巻き込まれて、ここに避難してたんだそうです」
「ふうん」
「だから、極端に無愛想だったんですよ。誰も彼もが敵に見えてる状態だったんじゃないかな」
「で、それとあたしがどう関係するわけ?」
直球の突っ込み。でも、それは予想済みだ。僕は、もう引き下がるわけには行かない。関わる覚悟を決めた以上、僕には僕の出来ることを全力で模索するしかない。
「アドバイスが欲しいんです」
「アドバイス?」
「僕は何の経験もない若造です。親とトラブってるくらいですから、彼女の悩みを解決できるようなヒントなんか何も持ってません。何か……策が欲しいんです」
「梅ちゃんのお悩み相談とは違うってわけかい?」
「違います。三ツ矢さんはこれまで自力でがんばって生き方を切り拓いてきてます。ぐだぐだの僕とは違う。ただ、経験が足りないってとこは僕と同じなんです」
「ふうん」
「彼女が今思い詰めてる二択の選択肢以外に、何かあるかもしれない。そういうヒントが欲しいんです」
横手さんが、僕をじっと見る。
「で、あんたはそれをどうするんだい?」
ぐっと……詰まる。
「あんたは何も持ってないよね? それで、彼女にどう関わるんだい?」
厳しい。どこまでも手厳しい横手さんの指摘。でも。
「僕は、もうすでに関わってます。ここで逃げたら、僕はおしまいです。何が出来るか正直分かりません。でも、僕はもう動かないと」
僕は、横手さんが座卓に置いた写真を取り上げて。じっと見つめた。
「この写真に出会った意味が……ありません」
にいっと。横手さんが笑った。
「やるじゃん。ひっきー」
立ち上がった横手さんが、部屋を出た。
「ちょっと待ってな。小野ちゃんを呼んでくる」
そう、言い残して。
◇ ◇ ◇
深夜。僕と横手さんと小野さんとで、話をする。今度は酒抜きだ。
たみのプライベートに踏み込むことになるけど、それをしないとアドバイスはもらえない。僕がこの写真を辿ってたみにつながったことは二人とも知ってるんだし、今さら一部分だけ隠したって始まらない。もしそれで何かトラブルになったら、それこそ僕が責任を持って背負おう。どんな手段を使っても。
でも、僕は小野さんと横手さんにずいぶん助けてもらってる。その知恵を、きっと! きっと分けてもらえるはずだ。僕はさっきファミレスでたみから聞いた話を、残らず二人に伝えた。
聞き終えた小野さんが、深い溜息をついた。
「はあっ。きたねえとこばっか見て育ってきたんだ。しんどかったろうなあ」
横手さんが、ぼそっと釘を刺した。
「だから、今みたいないい店が当たるんだよ。悪いことばっかじゃないさ」
「それもそうか」
「それに、ぐちゃぐちゃに耐え切ってきたんだ。芯が強いね。大したもんだよ」
横手さんは、その後しばらくじっと考え込んでいた。
「ちと……あたしの本来のヤマとは違うけどな。ケンカを売るか」
「はあっ!?」
小野さんがのけぞる。
「誰に、だ?」
「三ツ矢のクソ夫婦にだよ。あの二人の間がぐちゃぐちゃだってのは、まだおおっぴらになってないんだろ?」
あ……。
小野さんがにやっと笑った。
「なるほどね。俺には思いつかねえな。さすが横ちゃんだ」
「ほめたって何も出ないよ。それに、このヤマはあたしにもリスクが大きい。あたしだって生活かかってんだ。リスク下げないとうかつに突っ込めない」
「そら、そうだ」
横手さんは、僕の方を向いてきつい口調で言った。
「弓長さん。あんた、三ツ矢さんをうちに引っ張ってきな。肝心なところで三ツ矢さんの腰が砕けたら、あたしら枕を並べて討ち死にだ。ぷぅもいるから、絶対にそれは避けないとなんない。本人の覚悟を確かめて、その上できちんと打ち合わせをしたい」
「はい」
僕は頷くしかなかった。
「あたしだけだと暴発する怖れがある。小野ちゃん、済まんけどブレーキ頼むわ」
「おう」
小野さんはにこっと笑って、自分の頭をぽんと叩いた。
「なんとかなるさ。世の中、そんなもんだ」
◇ ◇ ◇
たみは、同じアパートの住人だったにも関わらず横手さん、小野さんとはほとんど面識がない。僕が翌朝たみのところに電話してこの話を振った時、たみはひどく警戒した。自分が今勤めている店の情報が二人を通じて外に漏れたら、ママやゆかりさんに迷惑がかかる。そういう懸念が強かった。
僕だってまだ充分信用されてるわけじゃないんだ。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。僕は、大家さんを引っ張り出した。大家さんの口から、二人があのアパートの重鎮であること。しっかりした人物であることを説明してもらって、たみを説得した。たみは迷ったと思う。でも、たみには今頼りになる味方が誰もいない。
僕は必死だった。僕じゃ味方にはなれても、頼りにはならない。今日どうやって食おうか考えてるようなオトコじゃ、なんの足しにもならない。僕が唯一出来るのは、解決につながる糸口を探してたみに繋げること。僕はそう言って、たみを口説き落とした。
その日の夜。仕事が引けてから、たみに一葉館に来てもらった。僕の部屋じゃ寒すぎるんで、横手さんの部屋に集まって面通しをした。おずおずと入ってきたたみは、横手さんと小野さんを見て、ばつが悪そうに頭を下げた。
「あの……すみません。ここに居た時は失礼ばかりで」
「ああ、ほんとにそうだね」
遠慮のない横手さんの一撃。でも、横手さんは笑ってた。
「でも、しんどい時はそんなもんさ。他に何も目に入らないんだよ。気にすんな」
たみの肩をぽんと叩いて、着席を促した。
「ぷぅ、お茶煎れてくれ。あんたも一緒に考えな」
そうか。横手さんは。どんなことも、園部さんの肥やしにするつもりなんだろう。いろんな経験をすること。それは大事。でも経験だけじゃだめで、それを自分の頭ん中でどうこなして次に繋げるか。自分のことだけじゃなく、自分を取り巻くいろんな人や出来事とどう折り合っていくか。園部さんだけじゃない。これは、僕にとっても貴重な経験を積む機会なんだ。
「さて」
湯飲みを持った横手さんが切り出した。
「最初に言っとく。こいつぁ大博打だ。外れることもある。外れたらハネが大きい。それだけは覚悟してくれ」
みんなを見回す。
「だから、あんたをここに呼んだんだ。この作戦。カギはあんただ。何があっても堪えて、踏ん張って欲しい。それを約束してもらえないと協力できん」
そう言って、横手さんがたみの顔をぐっと見つめた。たみが張り詰めた表情で答える。
「もう……あたしには打つ手がないんです。堪えるしかありません」
「うん。分かった」
頷いた横手さんの切り出した計画。それは、想像を絶するものだった。
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