(4)

「あたしは、あの写真が誰かをここに連れてくることなんかないって思ってたから、何から話していいかよく分かんない。うーん……」


 考え込んでしまった。僕から助け舟を出そう。


「あの写真の女の子。たみさんなんですよね? いくつの時のですか?」

「たみ、でいいよ。話しずらいから、敬語抜きでタメで話そうよ」

「うん。分かった」


 向こうのオーダーに合わせるしかない。頭を切り替えよう。

 たみが何かに納得したように、うんと頷いた。


「そうだね。そっから話そうか」


 たみはテーブルの上の写真を拾い上げると、それをぽんと指で弾いた。


「これは、あたしが八歳の時の写真」


 十五年前、か。それにしても……。


「なんか、そうは見えないけど。五、六歳みたいな」

「そうだろねー」


 たみの口から皮肉っぽい笑いが漏れた。


「ふっ。あたしはね。親に売られたの」


 えっ!?


「あたしは父親を知らない。お袋にとってあたしは、どっかの男に孕まされちゃった要らない子さ。いやいや産んだのはいいけど、あたしの面倒なんかろくすっぽ見ない。自分は水商売で遊び歩きながら、あたしを部屋に閉じ込めてほったらかした。あたしは……何度か死にかけてる」


 そう言って俯いたたみの姿勢は、写真の女の子と全く変わらなかった。


「痩せてがりがり。栄養失調でろくに動けない。知能だって同じ年の子よりうんと遅れてたの。住んでたアパートの大家さんのお節介がなかったら、あたしはここにいなかった」


 な……んていうか。


「児童相談所と警察が入って、お袋とあたしを引き離した。このままじゃほんとに死んじゃうってね。施設にいる時にはそれまでよりましな暮らしだったけど、それでもあたしはがりがりさ。体だけでなくて、心もね。施設では、母親に養育姿勢なしって判断して、あたしを里親に預けるって方針にしたんだ。そこに三ツ矢夫婦が来たんだよ」

「里親?」

「いや。養子にしたいってね」


 うーん。それはおかしいな。


「あの……」

「うん?」

「たみのさ、気に障ったら悪いんだけど。僕は、不登校の時に無理矢理支援学級みたいなところに入れられたことがあって。そこの子たちとちょっとだけ話したことがあるんだ」

「うん」

「いろんな子が来るんだけど、中には孤児もいるんだよ。その子らが言うには、里親は見つかるけど、養子として子供を引き取りたいって人はほとんど赤ちゃんしか欲しがらないって」


 たみが頷く。


「そうさ。三ツ矢夫婦が欲しかったのは人形だもん。赤ちゃんは、成長してどういう容姿になるか分かんないでしょ? あたしは、そのおめがねに適ったってことなんでしょ」


 人形扱いか。それも、子供のたみにもすぐ分かるような露骨な態度で。ひどいな。


「お袋があたしを捨てる。拾うのはあたしを本気で愛してくれるかどうか分からない、知らないおじさん、おばさん。あたしがあの表情で写真に写るのは、分かるでしょ?」

「ああ」


 やっぱりそうだったのか。


「しかもね。あたしは施設の職員さんが呆れながら立ち話してるのを聞いちゃったんだ」

「何を?」

「三ツ矢夫婦がお袋のところに養子縁組の承諾もらいに行ったら、お袋はカネを要求した。あそこまで育てたのはあたしなんだから、それまでの養育費を出せってね。あの夫婦は、それを飲んだの」

「なっ!」

「あたしはあの夫婦に買われたんだよ。ものみたいにね」


 たみの目が吊り上がった。怒りでぶるぶる震えながら紙ナプキンを引き裂いて。でもその感情を静めるように、紙くずを丸めてぎゅっと握った。


「でも」

「うん」

「養親があたしに良くしてくれるんなら、それはあたしにとってラッキーなことかもしれないって。あたしはそう思い込もうとした。だって、本当にお袋はあたしに何もしてくれなかったからね」

「うん」

「だけどね」


 ふうっ。吐息とともに、悲しい言葉が転がり出た。


「それは何も変わらなかった。あの夫婦があたしに求めてたのは、行儀がよくてかわいい人形。それ以外は必要ない。あたしはペットと同じだよ。勉強もスポーツもマナーも厳しくしつけられたの。優しい言葉も笑顔も抱きしめられることも、何もなしに。あの夫婦はあたしを利用したんだ。かわいそうな生い立ちの子を引き取って、こんなに立派に育てましたって言いたくてね」


 本当にもの扱いじゃないか。気分が滅入ってきた。


「あたしは……あたしは、あそこから逃げ出したかった。でもどこにも逃げ出せる先はなかったの。堂々と家を出られるチャンスを待つしかない。あたしは我慢した。ずっと。ずっとね。よく壊れなかったと思う」


 たみの飲んでるジュースのコップが汗をかいて、その周りが濡れている。まるでたみの代わりに泣いているかのように。


「チャンスはね。五年前に来た。あたしはずっとそれを待ってた」

「どんなチャンス?」

「仕事を自分で決めるってこと。夫婦はあたしを大学に行かせて、家の事業を継がせるつもりだったんでしょ。でも、あたしはそれを拒否った。あたしはヘアスタイリストを目指したいって言ってね。そこがね、オトコとオンナの違うとこ。あたしがトシみたいにオトコだったら、あの夫婦は絶対に認めなかったでしょ」


 そうか。跡継ぎってことだもんな。


「でも、あたしはオンナ。あたしがどんなでも、出来のいい婿を取ればそれで済む。下手にゴネられるより泳がせとけ。夫婦はそう考えたんでしょ。あっさりあたしの言い分を認めたの。大学行かずに専門学校に行って。そこ出てから夫婦に大手のビューティサロンに押し込まれたの。あたしにとっては余計なお世話だけど、家の外には出られた。そこまではあたしの計画通りだったんだ。でもね」


 たみが、悲壮な顔をしたまましばらく黙り込んだ。


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