第八話 綾

(1)

 仕事がきつくなってきた。クリスマスだけでなくて、年末年始に関係するものもどっと入ってきて、じっとしている暇がない。


 こらえ性のないこれまでの僕なら、さっさと辞めて他のもっと楽なバイトを探しただろう。だけど、僕が崖っぷちにいるっていう状況は何も変わってない。バイトとは言えここを失ったら、僕は明日からすぐ路頭に迷うはめになる。貯えなんかほとんどないんだ。四の五の言わずにこなし切るしかない。


「ふう……」


 今日は、売れ残りがあって弁当を確保できた。それだけでも、どこかほっとする。コンビニの袋をぶら下げたまま部屋の鍵を開けようとしたら、小野さんの部屋のドアがばたんと開いた。


「おう、弓長さん、お疲れさん。これからメシかい?」

「あ、はい。店が混んでてなかなか抜けられなくて、遅くなりました」

「ははは。時給制なんだろ? 働ける時間が長けりゃ、手取りも増える。いいことじゃねえか」

「ええ、そうっすね」

「メシぃ食い終わったら、俺のとこで一杯やらんかい?」


 たぶん。梅田さんのことや、あの写真のことで探りが入るだろう。付き合おう。


「嬉しいです。後で行きます」

「おう。待ってる」


◇ ◇ ◇


「大家さんから聞いたよ。やっぱ訳ありだったな。あの写真」

「はい。でも、まだ何も分かってないです。あれが三ツ矢さんの持ってた写真だってことしか分かりません。写っているのが三ツ矢さん本人かどうかさえ、まだ……」

「そうだよな」


 ビニールケースに入ってる写真を手に取ってじっと見ていた小野さんが、それをぽんと座卓の上に戻した。


「行くんだろ?」

「行きます」

「まあ、がんばれ」


 小野さんは、それしか言わなかった。


「梅ちゃんは復活したんか?」

「さあ。少なくとも、あれから僕は見かけてないです。もっとも、それまでも見かけたことはなかったので」

「横ちゃんが、確認に行ってるんじゃないのか?」

「どうでしょう? それも分かんないです。横手さんが、部屋で梅田さんに落とした爆弾は強烈でしたから」

「横ちゃんもきついからなあ」


 お湯割りを口に含みながら、小野さんが苦笑する。


 どんどん! ドアが強めにノックされた。


「だれだあ?」


 のそっと立ち上がった小野さんが、ドアの鍵を外して開ける。


「なんだなんだ、野郎二人で辛気くさく飲んでて」


 毒づいたのは横手さんだった。後ろにこそっと園部さんが立ってる。


「余計なお世話だ。一人飲みはつまんねえからな」

「ギャラが入った。うちで延長戦やらんかい?」

「ほ?」


 小野さんがびっくりした顔をする。


「飲まねえあんたにしちゃあ、珍しい提案だな」

「まあ、たまにはいいだろ?」

「そりゃあ、俺は賑やかなのは嬉しいけどよ。ああ、弓長さん、どうする?」


 僕が断れるはずがない。部屋に戻ったら、また眠るまで修行のような時間を過ごさないとならないから。


「いいんですか?」

「どうせ飲むなら賑やかにやろうよ」

「じゃあ、行きます」


◇ ◇ ◇


「おおー!」


 横手さんの部屋に入った小野さんがはしゃぐ。


「手料理なんざ久しぶりだよ。こたえらんねえな」


 うん。それは僕もそうだ。


「あたしも久しぶりに作ったからね。味は保証しないよ」


 小野さんの部屋から持ち込んだ座卓も足して、料理と飲み物が所狭しと並べられた。部屋の中が人いきれで満たされる。


「さて、やるかい」


 横手さんが、そう言って缶ビールのプルタグを起こした。それを紙コップに入れて、僕と小野さんに寄越した。自分は缶からそのまま飲むらしい。


「ぷぅはジュースだよ。未成年だからね」

「うん」


 園部さんが、気味悪いくらい大人しい。この前も思ったんだけど、ここに来た時のどうしようもない崩れようがウソのようだ。


 乾杯もなにもない。小野さんは席に着くなり料理をぱくついてるし、ビールも手

酌でどんどん飲む。


「うーん、うまいなあ」

「そうかい?」


 横手さんが嬉しそうにしてる。僕にとっても、本当に久しぶりの手料理だ。僕が大学に行くようになってから、親は僕の食事を作ってくれなくなった。その頃から、僕は外食するかコンビニで何か買って食べるっていう暮らしをずっと続けてる。こういう、食卓を囲むっていう経験がほとんどない。

 ああ、おいしいなあ。料理だけでなくて、人のいるところでご飯を食べる、そうい

うクウキが。園部さんも、おいしそうにぱくぱく食べている。その様子が、思いきりこどもっぽく見える。


 缶ビールは最初の二本だけで、その後はウイスキーが出て来た。


「ロックでいいだろ?」

「俺は飲めりゃなんでもいいよ」

「ったく、のんべが」

「そう言うない」

「弓長さんは?」

「あ、僕もなんでもいいです」

「おっけ」


 紙コップを片付けた横手さんが、ステンレスのマグカップにがらんがらんと氷を放り込んで、ざばっとウイスキーを注いだ。


「ほれ」

「おう。さんきゅ」

「ありがとうございます」


 自分の分を持った横手さんが、それを座卓の上に乗せて、空いた皿をシンクに下げた。


「ぷぅ。頼む」


 黙って立ち上がった園部さんが、それをささっと洗う。……なるほど。

 薗部さんが食器を片付けている間に、冷蔵庫を開けた横手さんが何かを出して座卓の上に乗せた。ケーキ?


「昨日、ぷぅを連れて警察に行った。親はもうぷぅを放り出してる。どっちもどっちって感じだけどさ。もう連中はあてにできない。今親元に戻しても、同じことを繰り返すだけさ。だから、正式にあたしが身元を引受けることにした」


 う、うわ……。


「だけどね。あたしは自分の生活で手一杯だよ。親じゃないんだ。ぷぅにとっちゃ、あたしは知らないおばさんでしかない。親がやれるようなものは、あたしはやれない」


 横手さんが、園部さんをきっと睨んだ。


「あたしが出来るのは、助走を手伝うことだけさ。もう鳥羽さんには話をしてある。今はあたしの部屋にいるけど、ぷぅが働くようになったらこの部屋から出す。それまでに、生活するってことを叩きこまなきゃならない。炊事、洗濯、掃除。家計管理。そして、なんか楽しいことを探すってこと」

「え?」

「なあ、弓長さん。随分ぷぅが大人しくなったって思ってるだろ?」

「ええ、どうしたのかなーと」

「ぷぅには楽しいこと以外は口に出すなって言ってある」


 あっ!


「だからずっと黙ってんだよ」


 そ……か。


「辛い、悲しい、おもしろくない、かったるい、やってらんない、ばかばかしい。そういうことしか言えないと、ほんとに自分がそうなっちまう。自分が口に出したことで、人の評価が決まるからね。今楽しいことがないなら、これから探すしかない。それが見つかるまでは黙っとれって、そう言ったのさ」


 まるで、僕そのものだ。楽しいことが何もないから、何も言わない。いや、言えることがない。


「横ちゃん、それは分かんだけどよ。このケーキはなんだ?」

「ああ、昨日警察でぷぅの身上書見て気ぃ付いたんだよ。昨日はぷぅの誕生日だったんだ。十七歳」

「へえー」

「あたしらのトシになりゃあ、別に一つトシ食ったからって嬉しいことはなんもないけどさ。ぷぅの年頃は、一年の重みが違う。あたしらにはこなせないことも、その一年の間にこなせちゃうんだよ。それがぷぅくらいの年頃の子の特権さ。そいつはきちんと祝わないとならない。ようがんばったってね」


 横手さんは、園部さんの背中をぽんと叩いた。


「まあ、あんたにはしんどい一年だったかも知れん。でも、あんたはとりあえず乗り切った。弓長さんにはきちんとお礼を言うんだね。もし弓長さんがくだらんオトコだったら、今頃あんたはあの世だ。自分が幸運を掴めたってことに、きちんと感謝するように。いいね!」


 小野さんが突然歌い出した。


「はっぴばーすでーつーゆー、はっぴばーすでーつーゆー」


 僕も唱和する。


「はっぴばーすでー、でぃあふーかー」

「はっぴばーすでーつーゆー」


 呆然とケーキを見つめてた園部さんの顔がくしゃくしゃに崩れて、大声でわんわん泣き出した。そうか……。小野さんと僕を呼んだわけ。こういうことだったのか。


「祝われて泣くやつがあるかい! さあ、食べよう」


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