(4)

 小野さんの部屋には何度か行ってるけど、さっきの梅田さんの修羅場はともかく、一葉館の女性の部屋に入るのは初めてだ。部屋の様子は、僕が予想していたのとそれほどずれていない。とても物が少なくて機能的だ。部屋を過剰に装飾するもの、緊張した空気を和ませるようなほのぼの系、ファンシー系の小物や道具は一切ない。その手のものが害悪であるかのように、かちりとしたものだけで部屋が構成されていた。


 部屋の隅で、寝袋に体を半分突っ込んで写真集を読んでいるのは園部さんだ。特に雰囲気が変わったってことはない。相変わらず、少し膨れっ面でつまんなそうにしている。


「ぷぅ、茶ぁ入れてくれ。四人分」

「はい」


 お? 語尾を伸ばしてだらしなく返事するかと思ったんだけど、園部さんはささっと寝袋を出て、やかんをコンロに乗せてお湯を沸かし始めた。カップとティーパックを出して、てきぱきと準備する。なんだ、やれば出来るんじゃん。


「まあ、そこに座んなよ。梅ちゃん」


 横手さんが、小さなガラステーブルの前を指差した。意気消沈した梅田さんが、ぽとりと落っこちるように座った。


 横手さんは、僕には指差しだけで座る場所を指定した。扉に近いところ。梅田さんが逃げ出そうとしたら阻止しろっていうことなんだろう。僕らが配置に付いたのを確認してすぐ、横手さんが説教を始めた。


「まあ、何があったかだいたい分かるよ。篠田さんに切られたんだろ?」


 篠田さんていうのが、梅田さんが手伝ってるマンガ家さんなんだろうか? 横手さんは、そのあとじっと梅田さんの返事を待った。俯いて黙りこくっていた梅田さんが、ぐすぐすと泣きながら頷いた。


「やっぱね。そんなこったろうとは思ったけどさ」


 がりがりと頭を掻いた横手さんが、冷静に問い質した。


「梅ちゃん。篠田さんとのコンビは十年だろ?」

「うん」

「飽きたんだよ」


 梅田さんがきっと顔を上げた。唇をわななかせて、横手さんを睨む。でも、横手さんは知らん振りだ。


「なあ、梅ちゃん。篠田さんはデビューが遅かった。少女誌で描くには、もともととうが立ってたんだよ。十年はよくがんばった方だと思う。でも絵柄もシナリオも、自力でその年齢層にアピールすんのは辛くなってきたんだよ。それはあんたの方がよく知ってるじゃないか」


 唇を噛んで俯く梅田さん。


「あんたは、それをセンセに言わんかっただろ? 自分の食い扶持がなくなるのが怖くて。違うか?」


 返事はない。


「篠田さんも焦ってんだよ。このまま少女誌に執着するか。それとも思い切って別の年齢層の雑誌に移るか。あの人は、完全に独立して作品売れるほど芸のある人じゃないからね。ブレークスルーが欲しい。そういう時に、自分の周囲を変えてみるってのは真っ先に思いつくことさ。それがあんただったってだけだよ」


 ぶるぶる震えながら、梅田さんが言葉を搾り出す。


「じゃあ、わたしは……なんだったんですか?」


 横手さんの返事は激烈だった。


「篠田さんの寄生虫さ」


 だん! ガラステーブルを叩いた梅田さんが、血相を変えて部屋を出ようとする。でも、僕がドアの真ん前にいるから出られない。僕に向かって、血相を変えて叫んだ。


「そこどいてよっ!」


 梅田さんの背後から、横手さんが追い討ちをかける。


「逃げんのかい?」

「く……」

「死ぬ勇気もないくせして、猿芝居打ちやがって」


 横手さんが大声で怒鳴った。


「ガキがっ!」


 悔しいんだろう。ぶるぶると震えながら。それでも、その場にぺたんとしゃがみこんだ梅田さん。


「なあ、梅ちゃん。ここにいんのは、あんたも含めてみんなガキなんだよ。ぷぅは甘ったれのガキ、弓長さんは引きこもりのガキ、そしてあんたは世間知らずのガキだ」


 う……き、きつい。


「だけどね。ぷぅはまだ若い。経験積みゃあ、ちゃんとオトナになるだろう。弓長さんは今行動を起こしてる。あたしに言わせりゃまだまだ生温いけど、それでもがんばってる。だけど、あんたのはたちが悪いんだよ。もうとっくに三十越してんのに、うだつの上がんないアシをだらだら続けて。篠田さんどこの話じゃないよ。そのトシで、あんたのセンスが通用するニッチがどこにあるっ!」


 梅田さんが、青ざめた顔をそむけた。


「あんたを腐らしてんのは、その無関心だよ。マンガ読むのは猿じゃない、人だ。部屋ぁ飛び出して人ン中飛び込んで、読者にアピールする材料を必死にかき集めないとなんないのにさ。その努力をなーんもしないで、部屋でうだうだと自分のちっちゃな世界にこもって。そんなんじゃ、大勢に読んでもらえるもんなんか描けるわきゃないだろ」


 横手さんの指摘には、一切容赦っていうものがなかった。


「篠田さんが遅咲きなのに十年やってこれたのは、ものすごく貪欲だからだよ。あんたはその姿勢を盗んでこなきゃならんかった。でも頭ぁなんにも使わんで、のんべんだらりと手だけ動かして、十年まるまる無駄にして。叶わん夢だきゃ見続けてる」

「……うう」


 何一つ反論出来ない梅田さんの墓穴に、横手さんが容赦なく土を被せていく。


「篠田さんは、そんな寄生虫のあんたを飼い切れなくなったのさ。あんたから取り出せるものはもうとっくになくなってんだよ。このままだと、出来の悪いアシにずっとギャラを払い続けないとなんない。そんなのはゴメンだってね」


 横手さんは、これでもかと鉄槌を振り下ろし続ける。そして、ほとんど折れそうになっていた梅田さんにとどめの一撃を加えた。


「いいか。プライドってのはね。それで身を立てた人が言うこと、使うもんなんだよ。半端もんの寄生虫には、プライドは邪魔なだけさ。そんなもともとないもんを前提にしてちゃ生きてけない。それをよーく考えるんだね」


 横手さんは立ち上がると、しゃがみ込んでいた梅田さんの襟首を掴んで外に引きずり出した。


「後で、あんたの治療にかかった医療費を請求する。カネがなけりゃ、ものでもカラダでも売って、それぇ作ってくれ」


 ばたん! ドアが閉まって。梅田さんの姿は僕の前から……消えた。一切手加減なしの激しい糾弾。僕が口を挟む余地なんか、一ミリもなかった。


◇ ◇ ◇


 いくら狂言だったと言っても、さっきのは自殺未遂を起こした人にかける言葉だとは思えない。


「あのう」


 三人で黙って冷めたお茶をすすっていたけど、どうしても腑に落ちなくて横手さんに聞いた。


「なんだい?」

「梅田さんに、あそこまできつく言っちゃって大丈夫なんですか? 今度は本気でやりそうな……」

「はっはっはあ!」


 横手さんが、あざ笑った。


「そんな根性があるなら、とっくに本業の方がものになってるよ」


 そんなものなのか……。横手さんが、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「プライドってのは、本当に邪魔なんだよ」

「そうなんですか」

「梅ちゃんは、親兄弟に大見得切って家を飛び出してる。それがうまく行ってりゃ何も言うこたないさ。でも、さっきもぶちかましたけど、あんなヤワな取り組みでだらだら過ごしてたら出る芽も出ない。トシもトシだし、とっとと諦めて他の生き方探した方がいいんだ。自分でも分かってんのさ。もうだめだってことはね。そろそろ自分で幕を下ろさなきゃならない。その決心を、くだらんプライドが邪魔してる。板挟み、さ」


 うーん……。


「あの、梅田さん、なんであんな騒ぎを起こしたんですかね?」

「ふん?」


 呆れたような顔で、横手さんが吐き捨てた。


「梅ちゃんは、誰かに引き止めて欲しかったのさ。あんたは才能がある。まだ諦めるな、そう言って欲しかったのさ。自分じゃ人に絶対そんなこと言わないくせに、欲しがることだけはする。優しさだけを欲しがる。搾取しようとする。まさに寄生虫さ」


 横手さんは、園部さんの額にぴっと指を当てた。


「ぷぅのぐだぐだは、中途半端に親から放り出されて方向見失っただけだよ。まだプライドとか、なんにもない。自分自身を支える心棒が出来てないから、本能的に寄っかかるとこを探しただけだ。でも、梅ちゃんはとてつもない勘違いをしたまま生きてきた。そのツケが今全部出てる」

「勘違い?」

「そう。梅ちゃんはこれまで誰にもキツいことを言われたことがないんだろ。言われてないのか、言われても聞き流したのか、それは知らんよ。でも。あいつは、自分が本当は周囲から認められてる、見守られてるって幻想にどっぷり浸かったままだ」


 幻想か。それすら思い浮かべることが出来ない僕は、梅田さん以下じゃないか。がっくり来る。


「見守られてる? バカ言うない。単に無視されてきただけさ。誰も梅ちゃんなんか見てないのに、それに気付かない。いや、それを認めない。自分に都合のいいゲンジツしか受け入れてない。だから、今日それが破綻したんだよ」


 ふうっと大きな息を吐いて、横手さんが立ち上がった。


「中途半端に壊れると、悪あがきでまたがらくたを積もうとするんだよ。だから徹底的に壊したのさ。甘い幻想ってやつをね」


◇ ◇ ◇


 ひどく虚しい気持ちでベッドに転がる。


 僕は閉じこもって生きてきたから、元々優しさってのを期待したことがなかった。でも、それを欲しくないと思ったことはない。だからこそ、今。小野さんや横手さん、そして店長が、僕を心配して関わってくれることがとても嬉しい。そんな優しさが欲しいからこそ、まだへたくそだけど自分と外をつなぐ橋をかけようとしてじたばたしてる。


 梅田さんは僕と逆だ。掛かっていると思っていた橋が本当はなかったってことに、愕然としてるんだろう。信じられずに幻の橋を渡ろうとして、谷底に落っこちた。大ケガをして。通行人になんてバカなやつだって嘲られて。でも、生きるなら。生きなければならないなら。自力で橋をかけて、向こうに行かないとならない。


 僕はベッドから下りて、座卓の上のあの写真を手に取る。僕の目の前で交差するいろいろな人生。僕はそれを見てるだけじゃなくて、そこに向かって歩き出さないとならないんだろう。


 大家さんが僕に言い残して行ったこと。三ツ矢さんの生き方に関わる勇気。僕はその勇気を……振り絞れるだろうか?


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