(4)

「はあ……」


 もう溜息しか出てこない。


「おまえさ。そのまま今みたいな生き方してったら、俺みたいになるぜ」


 女の子がきょとんとした顔で僕を見た。また怒鳴られると思って身構えてたんだろう。


「部屋ん中見てみろよ」


 僕にどう取り入るかしか考えてなかった女の子は、部屋の様子なんか見る余裕はなかったんだと思う。おずおずと室内を見回した。


「なんも……ないね」

「だろ? 俺はここには住んでるけど、生活はホームレスとなんも変わんないんだよ」

「どういうことさ?」

「25にもなって定職なし。コンビニのバイトでぎりっぎりの生活費もらって、それでも食えないからコンビニの売れ残りが俺のエサだ。メシ屋の残飯漁るのとなんも変わんねーよ」


 僕は弁当を掲げて見せる。


「こいつをあんたに食わせたら、俺は食うもんが何もないってことさ。こっち来てみろよ」


 俺の開けた古い冷蔵庫の中を見て。女の子が絶句した。


「なんもないじゃん」

「だから言ったじゃないか。俺にはそんな余裕なんかないって」

「冗談じゃなかったんか」


 女の子があからさまにがっかりした顔をした。住み着く場所としては最低のところに食いついちゃった。それが分かったからだろう。


「分かったら出てってくれ」


 でも、セラミックヒーターの前に座り込んだ女の子は動かない。


「腹減って……動けない」


 ああ。ここの住民、一斉にあんたから手を引いちまったからね。そうなるわな。僕はその子の前を横切って、部屋の隅に置いてあったビニール袋の中から柿を二個取り出した。


「なんだ、食うもんあるじゃん」


 目ざとくそれを見つけた女の子が、猫なで声を出す。


「あんたが来るちょっと前に、小野さんにもらったんだよ。俺にとっては貴重な食料なんだ。あんたにはやりたくない」


 僕はさっきシンクの中に放った包丁を持って、柿の皮を剥いた。切れない包丁で、皮がぶつぶつ切れる。コンビニ弁当の蓋に剥いた柿を乗せて、座卓に乗せた。


「皿もないのかよ」

「見りゃ分かるだろ」


 女の子が、がつがつと音のしそうな勢いで柿を食べた。それを見て、思わず口から言葉がこぼれ出る。


「あんた……猫だな」

「あん?」


 口の周りをべたべたにした顔で、僕の方を振り向いた。腹が減れば誰かに媚びてそれをもらう。もらえるまで、まとわりつく。でも、欲しいのはエサだ。心じゃない。いつも飢えてる。空っぽの心を抱えて、うろついてる。でも、誰もそれを満たせない。


 僕はポケットに入ってたポケットティッシュを放った。


「口拭けよ」

「他にお菓子かなんかないのかよ」

「ないね。出てってくれ」

「あの部屋寒い」

「布団に潜り込んでればいいだろ?」

「退屈だもん」

「そんなことは知らねーよ」

「あんたさ、テレビもなんも持ってないの?」

「見りゃ分かるだろ。いいから出てってくれ」


 僕のところはエサも何ももらえないサイテーの場所。それでも、もっと何もない寒い部屋に一人で帰るのはいやだ。そう考えたのか、女の子の腰は上がらなかった。僕は困る。ここに居座られるのは絶対に困る。ここは僕の縄張りだ。他の猫に侵入されると、僕が出て行かなければならなくなる。


 こんこん。僕が、どうやってこの子を強制排除しようかって考えてる間に、またドアがノックされた。小野さんかな?


「はい?」

「ああ、横手です」


 なんだろ? 僕はうんざりした気分でドアを開けた。


「ああ、ごめんね。さっき下から大声がするって品田さんから相談されてね。ここは安普請だから音は筒抜けなんだよ」


 そう言った横手さんが僕の肩越しに部屋を覗き込んで、女の子を見つけた。


「やっぱりか。入り込んできたんだろ?」

「ええ、たまんないですよ。出てけって言ったんですけど、あの通りで」

「ふん」


 僕に何も言わずにずかずかと部屋に上がり込んだ横手さんが、女の子に声を掛けた。


「なあ、あんた」


 そっぽを向く女の子。


「あたしらは、最初っからあんたを警察に引き渡すつもりでいる。あたしらがあんたの面倒を見る義理なんかどこにもないからね。どうせ警察は何もしてくれんだろう。あんたをただ放り出すだけだ。一応親がいるんだしな。また残飯とオトコを漁って暮らしゃあいいさ。それが嫌なら働くんだね」


 女の子はそっぽ向いたまま何も言わない。それを横目で見ながら、横手さんが僕に聞く。


「弓長さん、晩飯は食わしたの?」

「いえ。僕の食べる分しかありませんから。僕もかつかつなんです」


 横手さんが僕の冷蔵庫を開けて、女の子と同じ反応を示した。


「まあ、こりゃあなんともさっぱりした冷蔵庫だねえ」

「僕のバイト代じゃ、ここの家賃払うのだけでも精いっぱいですよ。人の面倒なんか見てられないです」

「なんだ、あんたフリーターか」


 きつい言い方だったけど、それにはバカにしたニュアンスは入っていなかった。冷蔵庫を閉めた横手さんが、僕の顔をまじまじと見る。


「あんたも。随分崖っぷちの生き方してるんだね」


 崖っぷち……かあ。


「そうかもしれないです。自業自得って言われればそれまでですけど。そうなっちゃったんで」

「そうなった?」

「ええ。両親が借金残してどろんしちゃったんで、家から何から全部取り上げられちゃったんですよ」

「ふうん。それまでは家付きのフリーターやってたってことかい」

「そうですね」

「いいご身分だね」


 返す言葉がない。横手さんが、俯いた僕の肩をぱんと叩いた。


「まあ。そんなのもきっかけさ。少なくとも、あんたは何とかしようとしてるってことだろ?」

「そう……なんですかね」

「ちゃんと働いてるからね」


 うんうんと頷く横手さん。それから、また女の子の横に行って声を掛けた。


「あんたがここに居座ろうとしたら、あたしらは警察を呼ばないとなんない。あんたは不法侵入者だからね。それが嫌ならあたしの部屋においで。飯は食わしちゃる」


 さっと振り向いた女の子に向かって、今度はすごい形相で怒鳴った。


「ただしっ! 絶対にタダ飯は食わさないよ! 働かざる者食うべからずだ。あたしんとこのメシは高いよ。カネがないなら体で払ってもらう」


 一瞬喜んだ女の子が、今度はひどい落胆の表情を見せた。どこまでも楽に、自分の好きなように生きたい。そんなのを望んでも、もうそれは絶対に実現しないのに。まだ、そういうチャンスがあるって夢想してる。まるで……僕みたいじゃないか。


 この前は女の子を引っ叩いた横手さんだったけど、今度は言葉だけだった。


「あたしは明日から撮影で家を空ける。あんたが自力でメシを食いたいならついてきな。撮影助手でこき使う。それが嫌なら、勝手にここを出てくか、警察が来るまでじっとしてればいい」


 そう言い残して、横手さんは女の子の襟首を掴んで僕の部屋から引きずり出した。女の子は、それに大きな抵抗はしなかった。僕は部屋の鍵を閉めて。閉めた扉に倒れ込んだ。


「勘弁してくれ……」


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