(2)

 厄介な猫を拾っちゃったなあ。それが僕の正直な感想だった。


 とりあえず、こういうのはすぐオープンにしとかなきゃならない。まず大家さんに連絡。大家さんは慌ててすっ飛んで来た。この子が元気なら、僕の軽卒な行動がこの前の失点に上乗せされてレッドカードが出たかも知れない。でも、この子は高熱出して潰れてる。僕は何度もこの子とは面識がないって言ったし、その子の格好も異様だったから、大家さんは緊急事態ということで納得してくれたらしい。


 このアパートでは重鎮の小野さんと横手さんに、対策を相談した。まず、警察で身元をきちんと確認してもらうこと。それと明らかに未成年なんだから、保護者の責任をちゃんと問うこと。そうアドバイスされた。さっき万引きのことで店にお巡りさんが来てたから、店長を通して身元を確認した。身元はすぐに分かった。


 園部そのべ風香ふうか。十六歳。


 親との交渉は、僕じゃなくて横手さんがやってくれた。横手さんが、やれやれという感じで携帯を耳から離した。


「よくある話だけどさ。親子で最悪のぶつかり合いしてるみたいね。結構いいとこの娘らしいけど、高校入ってから家飛び出しちまって、一度も家に戻ってない。親も二度と家の敷居またがすつもりはないってさ。娘の持ち物全部処分して、家に顔出したらぶっ殺すって言ってる。物騒なことだね」


 ああ、戸口でこの子が言ってたのは誇張じゃなかったってことか。


 僕は思う。家で居場所がないこの子が、高校に長く通えたわけはないだろう。友達のところにいた? 入ったばかりの高校でそんな友達なんか作れたか? 自分がそうだったから分かる。そんなんあり得ない。この子が自分の居場所を確保するのに、どんな手段を使ってきたのか。考えたくもない。

 僕と親との関係は、お互いに無視だった。でも、この子の場合は敵対だ。もっと状況は厳しいんだろう。僕はやるせなくなる。


 救急に運ぶほどの病状じゃない。そう言った横手さんは、解熱するまで面倒を見て、その後は警察と相談だと結論付けた。大家さんも、人道的に見てそれは仕方ないと同意。これで、おおまかな対応の仕方が決まった。でも、とりあえず誰かが身の周りの世話をしないとならない。このアパートの住人は、僕を含めて全員昼間は仕事をしてる。誰かが付きっきりというわけにはいかない。僕が付いていられればいいけど、僕はオトコだし、バイトの稼ぎが今より一円でも減ると生活が成り立たなくなる。困ってしまった。

 学生コンビが、一晩くらいなら面倒看てあげてもいいよって言ってくれたけど、自室に上げるのは絶対にイヤって。それはそうだ。万引きの前科があるこの子に部屋を荒らされた日には、目も当てられないから。


 みんなでうんうん考えた末、大家さんが決断した。


「仕方ないわね。一階の部屋が空いてるから、そこにレンタルベッドを入れて二、三日しのぎましょ。保浦さん、品田さん、申し訳ないけど、ちょっと面倒見てもらえる?」

「しょうがないっすねー」


 保浦さんが、渋々って感じで頷いた。


 なんでまた、この年末の忙しい時にこんな厄介な猫を呼び込むかなあ。そういう非難めいた視線が僕に突き刺さる。でもこれに関しては、僕から彼女へのアプローチはゼロだったんだから、僕には責任の取りようがない。


 僕らがそんな相談をしている間、その子は熱にうなされて苦しそうにあえいでいた。


 師走の寒空の下をさまよっていた、がりがりに尖って、でもどこまでも寂しがりやの猫が一匹。一葉館に転がり込んで来た。


◇ ◇ ◇


 なんだかんだ言って。うんうん苦しそうにうなっている女の子を悪し様に言うほどきつい人は、一葉館にはいなかった。信用はしてないけど、だからと言って邪魔者扱いもしない。ちゃんと交代で世話をした。

 女の子の健康状態は思ったよりも悪かったようで、熱が引くのに三日かかった。その間は、自力で立ち歩くことすらできない状態だった。三日目の午後くらいからやっと体調が戻り始め、しっかりと食事が出来るようになった。


 でも、猫はどこまでも猫だった。どういう世話をされていても、ありがとうの一言もない。自分が受けている恩に感謝するって言う姿勢がこれっぽっちもない。そのことに、僕も大家さんも含めてみんなが呆れ果てた。


 熱が下がって動けるようになったところで、大家さんが冷ややかな声で女の子に言った。


「風邪が治ってよかったね。じゃあ、ここを出てってね」


 それは言葉だけ聞けば冷酷なように聞こえるけど、女の子の態度を見てた僕らはその気持ちを共有した。ただ一人……横手さんを除いて。


「まあ、そう慌てなさんな」


 横手さんが、その子に声を掛ける。


「あんた、どこにも行くとこないんだろ?」

「そだよ」


 つらっと答える。


「また誰か、ダチを探すさ」

「はっ! ダチじゃなくて、オトコだろが。ばあか」


 横手さんが、馬鹿にする。


「あんたみたいな薄汚いやつを拾ってくれるオトコなんかいないよ。よっぽどのバカ以外はね」


 ぎっと横手さんを睨む女の子。


「まあ、あんたがどんな生き方しようが、あたしの知ったこっちゃないけどさ。あたしくらいのばばあになるまで、体売って食ってくのかい?」


 僕が懸念してたことを、横手さんがずばりと突き付ける。言い返したいけど言い返せないって感じで、女の子が唇を噛む。


「弓長さんが拾ってくれなきゃ、今頃あんたは凍死してあの世だよ。同じ目に遭いたいなら、あたしゃ何も言わない。あんたの生き方だ。あたしが指図するもんじゃないからね」


 俯いた女の子をぎろっと睨みつけて、横手さんが突き放す。


「あんたの命だ。好きに使ったらいい」


 女の子が何か言い返そうときっと顔を上げたところに、横手さんのビンタが命中した。


 びしゃっ! 女の子が、膝を折った。


「あんたは、生きるって苦労を何もしてない。ゴキブリみたいに拾い食いしてるだけだ。それがオトコでも万引きでも同じことさ。もらって食ってくことしか考えてない。世の中そんな都合よくいくもんか。ばあか。とっとと飢え死にしちまえ」


 横手さんがせせら笑った。悔しさで顔を歪めた女の子が、次の瞬間顔色を変えた。僕らも思わず息を飲む。


 羽織っていたジャケットを脱いで、タンクトップ一枚の姿になった横手さん。露出している肌のあちこちに、ひどい傷がある。


「あたしはカメラマンでね。この前まで仕事でアフリカに行ってたんだよ。どんぱちやってるとこで写真を撮るのがあたしの仕事さ。危険を承知で前に出ないと、欲しい画は撮れない。これっぽっちの傷で、メシ食える画が撮れるなら安いもんさ」


 う……わ。


 横手さんが、女の子の胸ぐらを掴んだ。


「あんたにそんな勇気はないだろ。チキンが」


 それから思いきり突き飛ばした。壁際までふっ飛ぶ、女の子。


 どん!


「戦場で爆死するのも、そこの階段の下で凍死するのも、くたばるのは同じさ。同じなら、ちったあマシなくたばり方をしなよ。そうだろ?」


 ジャケットを羽織った横手さんが、くるりと背を向けて自分の部屋に帰って行った。僕らも、何も言わずに引き上げる。大家さんも、黙って帰って行った。


 女の子を一人。……部屋に残して。


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