第四話 猫

(1)

 思わぬところから三ツ矢さんの所在が分かった。だけど分かったからと言って、すぐに突撃するわけにもいかない。小野さんに言われたみたいに、とことん愛想のない人にいきなり微妙なことを聞きに行っても相手にされないだけ。お互いに全く面識がないんだし。


 チラシを見る限り、どうしようもなく曲者って感じではない。まあ、ぶすくれてるのがチラシに載っちゃったらお客さんが来ないだろうけど。でも、三ツ矢さんの笑っている表情は、店長さんともう一人の人の笑顔に比べると薄いっていうか……。笑うことに慣れてないって感じに見える。


 これは苦戦しそうだなと、直感する。僕だって大家さんのとこで失敗したみたいに、微妙なやり取りはうまく出来てないんだし。会いに行く前に偵察を入れたいけど、働いてる場所が美容室だと僕はただの怪しい男だ。さすがに腰が引ける。それでも、場所だけは確認しておこう。


 そんなことを考えながら、僕はコンビニの品出しに精を出していた。


「ちょ、ちょっとぉ!」


 僕のすぐ横で大きな声がして、びっくりして顔を上げる。あ、僕が言われたんじゃなかったのね。


 あちこちにじゃらじゃらとアクセをぶら下げた、いかにも今風の女子高生が、目を吊り上げて店長を睨んでる。でも、店長の顔の方がずっとコワい。


「いい加減にしろよ!」


 すぐに分かる。万引きだ。ここは学生の出入りが多いから、万引き被害が後を絶たない。僕らも見つけ次第、本人を拘束して親と警察を呼ぶことにしてる。万引きは犯罪だし、ヘタすれば学校を止めざるを得なくなるかもしれないのに、手を染めるやつが後を絶たない。困ったもんだ。


「あたしがやったっていう証拠でもあんのかよっ!」


 店長が、黙って店内の監視カメラを指差す。目をぎらぎらさせて店長を睨み付けてた女の子が、途端に黙った。


「トシ、警察に電話入れてくれ」

「はい」


 あーあ。何やってんだか。


「親は?」


 店長がその子に確認する。


「いねえよ」

「嘘つくなっ!」


 店長が大声を出したけど、その子は黙っちゃった。僕が警察に電話してなんぼもしないうちに、お巡りさんが二人店にやってきた。


「またおまえか」


 呆れた様子で、お巡りさんと店長が事務室に消えた。店内にいた同じくらいの年格好の学生が、さっきのてん末をじっと見ていた。俺なら見つからないようにもっとうまくやるのに、とか。ばっかじゃねーの、とか。そういう憐れみ、蔑みの気配が、ひそひそ声と一緒にじわっと漂う。僕は、そんな刺々しい気配が嫌で首を左右に振る。


「ふう……」


 万引き騒動で、すっかり気が削がれてしまった。三ツ矢さんの働いている美容室の下見は、別の日にしよう。


◇ ◇ ◇


 勤務時間が終わった。いつものように、賞味期限切れの弁当をもらって上がることにする。


「店長、お疲れさまでした。上がります」

「おう、また明日な」

「そういや、さっき万引きした子はどうなったんですか?」


 店長が吐き捨てる。


「知らないよ! ったく。親には連絡取れないし、学校に通報しようと思ったら、学校には行ってないっていうし。説教だけじゃ効果ないんだけどな。かなわんわ」

「え? 学校行ってないって……。制服着てましたよね?」

「とっくにそこは退学になってるらしい。ぷーだ」


 じゃあ、なんで制服なんだろう? 首を傾げた僕に、店長がぼそっと言った。


「まだそこいらへんうろうろしてるかもしれん。構うなよ」


◇ ◇ ◇


「ううー、寒い」


 バイトが終わって、すっかり暗くなった裏通りをとぼとぼと歩く。コンビニで働いてる時は制服があるし、店の中は空調が入ってるからいいんだけど、外を出歩いてる間がしんどい。


 僕は着るものにほとんど興味がなかったから、衣服が極端に少ない。荷物が少ないのはいいんだけど、コートもジャンパーもないってのは真冬にはすっごい堪える。でも今のバイトの給料じゃ、家賃と光熱費を払ったらもうほとんど余裕がない。


 店長から絶え間なく鳴らされている警鐘。


『きちんと仕事を探せ』


 でも、コンビニの売れ残り弁当が命綱になってるって現状から、僕はずっと目を逸らし続けている。もう……それじゃ立ち行かないってことを知りながら。


 寒い……。楽園なんかどこにもない。最初っからない。でも、ないってことをまだ認められない。何を依怙地になってるのかと思いながら。それでも、僕はあるはずのない楽園をぼんやり夢想してる。バカみたいだ。寒風に縮み上がりながら、アパートの鍵を開けようとしてはっと気付いた。僕の後ろに誰かいる。


「ん?」

「入れてくれよ」


 な、なんだあ!? げっ、さっきの万引き女だ。


「ちょ、なんで付いてきたんだよっ!」

「ダチんとこ、おん出された」


 僕と同じで、この寒いのにコートもジャケットもなしの夏用制服だ。よく見ると、相当薄汚れている。一張羅か? 年格好は女子高生だけど、中身は浮浪者じゃないのか? もしかして。

 さっき万引きする時持ってた布バッグは、ぺしゃんこだ。それ以外に何か持ってるっていう感じじゃない。


「ふざけんなっ! とっとと親んとこに帰れっ!」


 怒鳴りつける。


「家に入れてもらえねーよ。それに、帰ったらぶっ殺される」


 鼻水をすすり上げながら、女の子が答える。


「あんたが、そういうことしたからだろ? 自業自得じゃないか」


 あからさまに不満を示す表情になった。でもここでぶち切れたら、もう行くところがない。そういう切羽詰まった思いが、不満をむりやりねじ伏せたんだろう。唇を噛んで。それから、背中を向けた僕にもう一度同じセリフを言った。


「入れてくれよ。頼むから」


 勘弁してくれ。僕は自分のことだけで精いっぱいだ。ろくでもない万引き娘の面倒なんか見てる余裕はない。僕が突き放そうとして振り返ったところで……その子はくずおれた。


「うわわ!」


 さすがに慌てる。額に手をやると、明らかに発熱してる。


「なんで僕のところに厄介事を持って来るかなあ……」


 別れ際の店長の警告。こういうことか。僕も頭痛がしてきた。さっさと部屋に入ろう。僕は部屋の鍵を開けると、少しすえた体臭がするその子を抱え上げて部屋に入った。やれやれ……。


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