(5)
横手さんの騒動があった翌日。朝早くに、戸を叩く音で起こされた。
どんどんどん!
誰だよう。まだ六時じゃん。
「ふわぃ。どなたですかぁ」
よろよろと戸を開ける。そこには昨日のおばさんが、ばつの悪そうな顔をして立っていた。
「ああ、朝早くにごめんね。206号の横手です。昨日すっかり迷惑かけちまって、済みません」
仲根さんから、僕が横手さんや荷物を二階に運んだってことを聞かされたのかもしれない。すっごい恐縮してる。
「いえ、それはいいんですけど、階段からこけた時に頭とか打ちませんでしたか?」
「ああ、丈夫なだけが取り柄だからね。それは心配ないです。はあっはっはあ」
豪快に笑い飛ばした。陽気なおばさんだ。
「先週、ここに引っ越して来た弓長です。よろしくお願いします」
「ああ、横手です。お菓子もありがとね。仕事でここにいないことの方が多いけど、よろしく」
にこっと笑った横手さんは、すぐに部屋に戻ろうとした。慌てて呼び止める。
「あ、あの横手さん」
「はい?」
僕は一度部屋に戻って、座卓の上に置いてあったあの写真を持って行く。
「この写真をご存じありませんか?」
写真を手に取った横手さんが、それをじーっと見つめる。僕にはその視線が、一般の人のじゃなくて、プロのカメラマンのもののように思えた。
「いや、見たことないね。どこにあったの?」
「僕がここに入った時に、壁に貼ってあったんですよ。大家さんも気付かなかったみたいで」
「ふうん。三ツ矢さんが残していった?」
「そうなんですかね。でも、なんでこれだけ一枚ぽつんと貼ってったのかが気になって」
「他には写真はなかったのかい?」
「ええ、それだけです」
「ふうん」
横手さんが、ビニールケースから写真を出してその裏表を調べてる。
「なるほど。セピアは加工だね。もともとはカラー写真かな。そこそこ時間は経ってるけど、そんなに何十年も前のものじゃないな。せいぜい十年とかそんなものだね」
僕の予想をぴったり裏付けてくれた。
「ここにおられた三ツ矢さんの子供の頃でしょうかね」
「さあ」
写真をもとのようにケースに納めた横手さんが、ちょっと突き放した口調で答えた。
「それは、本人に聞かないと分かんないね」
まあ、そうだよなあ。
「捨てないの? 誰が持ち主でも、要らないから置いてったんだと思うよ」
「そうなんですけど……。どうも、この表情が気になって」
「気になって、どうすんの?」
横手さんの突っ込みは、ダイレクトで厳しい。ちょっとどぎまぎする。
「う……」
「まあ、いいけどさ。過去の写真には、過去にしか意味がないこともあんの。それに触るってことは、いいことばっかじゃないよね」
……。うん。確かにその通りだ。
でも、僕は。それでも僕は。この写真に写っているのは誰かを。そして、彼女が今どうしているのかを。どうしても知りたくなっている。理由は……分からない。
「あの、ここでは横手さんが一番長く住まれてるんですよね」
「そうだよ。七年になるね」
「僕の部屋に前にいた三ツ矢さんて言うのは、どんな方なんですか?」
写真の手がかりを一番持っていそうなのは三ツ矢さんだ。どんな人だったのか、ある程度の材料が欲しい。
「ああ、無愛想な女だよ。ここにはほんのちょっとしかいなかったけど、一度も挨拶を交わしたことはないね」
げ。
「わたしだけでなくて、ここの住民みんなそう思ってると思うよ。今みたいに普通に話出来たことは一度もないね」
うーん……。相当な曲者なんだろうか?
「なに、三ツ矢さんが気になるの?」
「いえ、それはどうでもいいんですけど。この写真の情報を持ってるのは、やっぱり三ツ矢さんなのかなあと」
「どうでもいいか。はははっ」
横手さんが、皮肉っぽく笑った。
「あんたも。相当変わってんね」
「え?」
「幼女趣味ってことじゃないんだろ?」
「僕にはロリコンのけはありません」
「そんじゃ、なんでその写真をそんなに気にすんの?」
「う……」
「まあ、だいたい見当は付くけどさ。シンクロしてるんだろ」
僕が黙っているのを見て、横手さんが追い打ちをかけた。
「こんな写真にシンパシー感じてるようじゃ、そのうち首吊るよ」
むっとした僕を無視して。そう言い残した横手さんが、すたすたと歩き去った。
◇ ◇ ◇
僕の手元にある、たった一枚の写真。まるで、失ったものの代わりにそれを与えられたかのよう。でも、それは今はただの写真だ。僕だけでなくて誰にとっても意味のない、一枚の古いスナップ写真。
横手さんの警告は、外れてない。僕がこの写真に惹かれるのは、この子の絶望と諦めの表情。そして……それが今は解消してるかもしれないっていう、何の根拠もない願望ゆえ、だ。
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