(2)
大家さんが帰って、部屋にはまた静寂が戻った。僕は座卓の前に座って、冷めてしまったコーヒーを飲みながら、古い写真を見つめる。
僕は、写真は嫌いじゃない。カメラの目を通して取り出された世界を見るのも嫌じゃない。もっとも僕はカメラなんて持ってないし、自分で積極的に写真を撮ろうと思ったこともない。でも、携帯のカメラ機能は時々使ってる。それは、印象に残った何かを画として残そうと言うのとは違う。単純な、記録としての画像。
でも、今僕が目にしているのは、女の子の単なるポートレートじゃないような気がする。そこには、何かが封じ込められているような感じがする。それが何かは……分からないけど。その分からないことが、どうにも気持ち悪い。
写真は、今風のプリンターで打ち出したようなものとは違って、ちゃんと印画紙に焼いてある。ただ、セピアっぽい感じは色が褪せたからじゃなくて、最初からそういう効果を出すように焼かれてる……そんな風に見える。
写真は、見た目ほど古くないんじゃないかな。写真は反ってるけど、光が当たってなかった裏側の白さが時代をそんなに感じさせないから。もちろん、新しいってわけでもないんだろうけど、せいぜい経ってても十年とかそのくらいか。
僕は、なんでこの写真がこんなに気になるんだろう? 冷めたコーヒーを飲みながら、写真を手にして考えているうちに、ふっと思い当たる。この写真の子の持ってる雰囲気。それがとても奇妙だからだ。
笑顔はない。泣いたり、怒られてすねたりと言う風でもない。何かを探してるとか、そういう感じでもない。表情が静かすぎる。撮影者に目を向けたり、ポーズを取ったりする気配がない。だからといって、カメラの目から逃れようとしている感じでもない。きれいな服装をしていても、その中身が虚ろな感じ。
そう。他に見るところがない、見るものがないから下を向いてる。静かな絶望にさえ見えるような姿勢。
僕は写真を座卓の上に置いて、窓の外を見つめた。
「ふう。バイトに行かなきゃ」
◇ ◇ ◇
コンビニのバイトを終えて帰宅すると、大家さんからの差し入れらしいでっかい紙袋がドアノブに下げてあった。たぶん、カーテンだろう。
ぱち。部屋の灯りを点けて、カーテンを窓に吊るす。外の闇の寒々しさがカーテンで遮断されて、部屋の中が暖かく感じる。包まれ感が出る。今までも一人暮らしのようなものだったけど、いつも近くに人の気配はあった。僕と隣人との間には大きな隔たりがあったけど、だからと言って敵視されたり、迫害されたりしていたわけでもなかった。僕は人のぬくもりみたいなものを、ただ同然でもらい続けていたと言えるかもしれない。
それは……もうない。暖める熱を持ってるのは自分だけだ。灯りやカーテンでそれを小さく小さく囲って、なんとか自分を冷えきらないようにしてる。その姿は、とても滑稽なんだろう。
「小野さんとこに、挨拶に行かなきゃ」
僕は菓子折りを持って、ゆっくり立ち上がった。
◇ ◇ ◇
こんこん。102号室の扉をノックする。中からテレビの音が響いて来るから、部屋におられるんだろう。
「うーい」
「あの、105号室に越して来た弓長ですー。ご挨拶に参りましたー」
ぎいっ。僕の部屋のと同じ軋み音がして、ドアが開いた。う。酒臭い。
「ああ、よろしくなー。俺は小野です」
うん。紛れもなく、おっさん。ちょうど僕の父と同じくらいの年だろうか。その姿がなんとなく父とだぶってやりきれない。
「ちなみに、あんたは行ける口かい?」
にやっと笑った小野さんに聞かれる。杯をあおるようなジェスチャー。
「うー、そんなに強くないです。自宅飲みはしないですね」
「なんだ、つまらん」
小野さんはそう言って、がっかりした顔をした。あ、そうだ。
「あの……」
「ん?」
「小野さんは、この写真を見たことあります?」
僕は、あのセピア色の写真を見せる。受け取って、少し目を遠ざけるようにして見る小野さん。
「いやあ、初めて見たなあ。どした?」
「僕の部屋に貼り残してあったんですよ。これ一枚だけ。なんとなく気になってて」
「ふうん」
しばらくじっとその写真に見入っていた小野さんが、僕にそれを返すと同時に聞いた。
「捨てねえのか?」
「大家さんにも捨てていいって言われたんですけど、なんか……ねえ」
「ああ、分かるよ」
その言葉は意外だった。
「え?」
「俺にも小さなぼんずがいたからよ。こういう写真が撮れちまうってなあ、アレだ。変だよな。俺も気になる」
うん。僕と同じ感覚。
「どう見たって、楽しくなさそうじゃねえか。きれいなべべ来て写真に撮られるってのによ」
「ええ。なんか全然子供のポートレートらしくないって言うか」
「子供もそうだけど、こんな写真、撮る方も撮る方だ」
あっ!
「俺ならすぐに消すな。こんな出来損ないって」
うん。確かにそうだ。
「そいつを撮って部屋に貼り残すってのは、なんだかなって感じはするね」
「そうなんですよねえ」
「まあ、そいつはいいけどよ。酒持って遊びに来てくれ。夜は暇でかなん」
わはは。陽気そうな人だ。さっき子供がいるって言ってたから、単身赴任かなにかなのかな。
「そうですね。これからお世話になります」
「ははは。ここには俺しか野郎がいなかったから、ちょっとほっとしたわ」
僕もです。
「じゃあ、失礼します」
「おう」
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