第二話 写真

(1)

 何かコレクションがあるわけでも、家具にこだわりがあるわけでもない。運送屋さんがびっくりするほど、僕の荷物は少なかった。荷解きも、小一時間も掛からないで終わってしまった。


 小さな折り畳み座卓の足を出して立て、お湯を湧かしてインスタントコーヒーを入れる。それをふうふう吹いて飲みながら、もう一度部屋を見回す。あまりがらんどうの印象が変わったわけじゃない。それでも、ベッドやクローゼットや生活用品が点在することで、一応それっぽい部屋にはなった。


 一葉館の家賃が安いと言っても、稼ぎがちょぼちょぼの僕にとってはずっしり重い負担だ。店長の突っ込みはいなしたけど、まじめに就職を考えないといけないんだろう。気が重い。


 昨日、大家さんから聞いた限りでは、一階の六室の中で入居者がいるのは僕のところの105号室と一室置いた手前側の102号だけらしい。102号室には、小野さんというおじちゃんが住んでるそうだ。後で挨拶に行こう。


 二階の六室は全て埋まってて、全員女性らしい。立て付けの悪い古家じゃ一階は物騒だからって、女性には嫌われたんだろう。みんな仕事を持ってるみたいだから、夜にしか挨拶に行けない。でも夜にいきなり女性の部屋を訪ねるのは、さすがに気が引ける。ドアノブのところに、挨拶状と菓子折りを入れたショッパーをかけてそれで済ますことにする。


 それと、一つ気になっていることがある。そろそろ大家さんが顔を出す時間だから、その時に確かめようか……。


 とんとん。扉をノックする音が聞こえた。大家さんが来たな。


「はあい」


 ドアを開けると、大家さんがひょいと首を突っ込んで部屋を見回した。


「あらあ、ものが少ないわねえ」

「ははは」

「おやつなしで、お茶だけ?」


 目敏めざとく座卓の上のマグカップを見つけた大家さんに、突っ込まれる。


「まだ何も買い出ししてないので」

「あら、そうなの」


 大家さんはきょろきょろと室内を見回して、チェックを続けた。


「カーテンは?」

「うーん、ちょっと引っ越しでお金を使っちゃったので、しばらく我慢しようかと」

「それは不用心よ。うちの古いのがあるから、当分それで間に合わせなさい」

「ありがとうございますー」


 ありがたや。おっと、忘れないうちに聞かないとな。


「あの、大家さん」

「なんですか?」

「あの壁のところのコルクボード、他の部屋にもあるんですか?」


 大家さんが苦笑する。


「ごめんね。あれねー、前の住人が壁に糊で直付けしちゃったのよ。だいぶ苦情言ったんだけど、そのままになっちゃってね。あれ剥がすとなると壁紙全面張り直しになって、家賃に跳ね返っちゃうから」


 うーん。そうか。


「それと、この写真がピン止めしてあったんですが」


 そう。僕が気になっていたのはコルクボードではなくて、その写真の方だった。五、六歳くらいの女の子が一人だけで写っている。背景はどこかの公園だろうか。女の子の周囲にはいくつか木の影が落ちてる。ちょっとクラシックな感じのフリルの付いたワンピースを着て、小さなつばの麦わら帽を被ってる。それを両手で押さえて、顔は少し俯き加減。泣くでも、笑うでも、おすましでも、真剣っていうのでもない。ちょっと独特の表情。


 写真を手に取った大家さんが、首を傾げた。


「三ツ矢さんが忘れてったのかしら」

「前の方ですか?」

「そう」

「若い方なんですか?」

「あなたと同じくらいね。美容師さん。条件のいいとこが見つかったからって九月にここを出られたの」

「それまで長く住んでおられたんですか?」

「いやあ、三か月も住んでないわ」


 うーむ。


「じゃあその方のじゃなくて、その前の人のなんですかねえ」

「どうでしょうね。わたしもちょっと気付かなかったから」


 確かにベージュ系の壁にコルクボード、それに画鋲でセピア色に変色した写真じゃ、まるで保護色だ。


「要らないなら、弓長さんの方で捨てといてください」

「はい。でも、こうやって一枚だけ残されるとなんか気味悪いですね」

「そうよねえ。ちゃんと始末してって欲しいなー」


 大家さんが、そう言ってぷっと頬を膨らませた。


 片付いた僕の部屋を見て安心したのか、今度カーテン持ってくるわね、と言い残して大家さんは帰って行った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る