第参話 巣立ちの町
旅人が辿り着いたその町では
子供は十三歳を迎えるその日の朝に
街を出て一生を終えるか
街に残って一生を終えるかを
決めなければならないのでした
『町を出て また戻ってきた人はいるの?』
旅人は尋ねました
旅人の隣で
膝の上に丸まった ふわふわ毛並の子猫を撫でながら
少女は首を縦に振りました
『帰ってきた人はみんな
町を出なければよかったというよ』
『そうか』
旅人は静かに微笑みました
『けれど戻ってこなかった人にとっては
辿り着いた場所がきっと
すてきなんだね』
少女はうなずきました
『同じことを
町に残っている大人達もそう言うわ』
『そうか』
旅人は目を閉じて
しばらくなにか
考え事をしているようでした
少女が旅人のほっぺたをつつくと
旅人は目を開けて
にっこりと笑いました
『帰ってこられる場所があるのは
とても幸せなことだね
けれど
とても残酷だね』
少女は困ったように笑っただけでした
『君はそれで どうするつもりなの?』
旅人は尋ねました
少女は悲しそうに俯きました
『私は残るわ 旅人さん』
『そうか』
旅人はそれ以上 何も言いませんでした
そのかわり そっと
少女の頭を撫でてやりました
『旅人さんは幸せ?』
その少年は尋ねました
少年の頬はばら色で
瞳に好奇心を浮かべていました
旅人はしばらく考えました
『そうだね 不幸だと思ったことはないよ』
『そっか』
少年は嬉しそうに笑いました
『旅人さんは
いつも旅してるから 旅人さんなの?』
旅人は また少し考えました
『そうだね 旅をしているから
旅人なんだよ』
『そっかあ』
少年は 本当に嬉しそうでした
旅人は優しく微笑んで
少年に尋ねました
『君はおとなになるとき
どっちを選ぶの』
少年は 明るい笑顔で答えました
『僕はこの町に残るよ 旅人さん
旅人さんが旅人さんであるように
ここにいるから 僕だもの』
少年の瞳は
凛と輝いていました
『そうか』
旅人はにっこりと笑いました
旅人が出会ったその少女は
お嫁さんになるのが夢だと言いました
『それじゃあ君はここに残るの?』
旅人は微笑みながら尋ねました
少女はにっこりとして言いました
『いいえ 私は町を出るわ 旅人さん』
旅人がきょとんとして首をかしげると
少女はおさげをほどき
つややかな栗色の髪をふわりと広げて
おひさまを見あげました
『だってもっと世界には
いろんな人がいるかもしれない
もっとすてきな人がいるかもしれない
お嫁さんだって
もっといろんな人に出会えるかもしれない
もっといろんな家庭を見られるかもしれない
いろんな人に出会って
いろんなこといっぱい知って
幸せだったって笑って言える
おばあちゃんになりたいの』
少女の横顔は
まるで一枚の絵のように
きれいなものでした
『そうか』
旅人もおひさまを見あげました
その少年は
はた目にも苛々しているように
見えました
『君はどうするの?』
旅人は静かに尋ねました
『パパもママも ここに残れと言うよ』
少年はしきりに指をいじりながら言いました
『いろんな可能性があるかもしれないのに!
いろんな世界が待ってるかもしれないのに!』
旅人は哀しげに微笑みました
少年が旅人を
半ばにらみつけたように
半ば何かを待っているかのように
じっと見つめるので
旅人は静かに言いました
『僕は
旅人であることに 満足しているよ
自分で
選んだ道だからね』
『だよね!』
少年は 初めてにっこりと笑いました
『僕も旅人さんのようになるんだ』
『そうか』
旅人は さびしそうに笑いました
『戻ってくる場所があるのは
幸せなことだね ぼうや』
『僕は絶対 出戻ったりなんかしないよ!』
少年は怒ったように言いました
最後に出会ったのは
双子の子供たちでした
お兄さんは赤毛の巻き毛で
妹は綿毛のような亜麻色の髪でした
『君たちはどうするの?』
『私は残るのよ 旅人さん』
妹はやわらかな微笑みを浮かべました
お兄さんは何も言わず足元を見つめながら
さびしそうに笑っていました
その日の夜 旅人は
町を出ることにしました
スクーターの点検をしていると
赤毛を仔馬のしっぱのように
左右に揺らしながら
双子の兄の方が 駆けよってきました
『旅人さん 旅人さん
旅はこわいですか
つらくないですか
楽しいことも ありますか
後悔は ありませんか』
少年が泣きそうなのをこらえているのが
あまりに痛ましく
旅人は少年をおんぶして
しばらく夜の散歩に出かけました
『君は町を出るんだね』
旅人が言うと
少年はただ 鼻をぐすっとならしました
『それともここに残りたいの?
残れないの?』
『妹が』
少年は小さな声で
ゆっくりと言葉をつむぎました
『ここに残ると決めた友だちが
みんな ぼくにたくしているんだ
幸せになりますようにって
ぼくは
町を出るよ 旅人さん
でも
けれども
本当は
どうしたいのか わからないんだ』
『そうか』
旅人は 静かに言いました
『こわいけれど
かなしいけれど
さみしくはない
不幸だとも思わない
つらいけれど
後悔ばかりだけれど
旅をしていることを
後悔はしていない
楽しいと思ったこともないけれど
僕はこれで
満足しているよ』
旅人はそう言って 少年に笑いかけました
『そっか』
少年は小さな声で言いました
旅人はひとりごとのように言いました
『僕の知っている町のことわざに
井の中の蛙大海を知らずって
いうものがあるけれど
僕は
蛙は海のしょっぱい塩水なんか知らなくたって
十分幸せなんじゃないかとも思うんだけど
蛙が海を見てみたいなら
見に行けばいいと思うし
井戸の中から出てしまうと
やっぱり井戸の中の方が
居心地がよかったと思うのか
それとも こんなにもせまくて暗くて
こわいところだったのかと思うのか
どっちも好きだと思うのか
蛙しだいだね』
ふふ と笑って少年は
そっと旅人の背中で泣きました
『そう考えると
楽しいね』
『そうかい?』
『うん』
少年は笑いました
『そうか』
旅人も 優しく微笑み返しました
明け方 旅人は
町を後にしました
淡い絵の具がにじんだ空に
その日誕生日を迎える六人の
子供達の幸せを
しっかりとお願いしました
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