第弐話 教会の町

 旅人が辿り着いたその町では

 ちょうど結婚式の最中でした

 町中でお祝いをしていました

 新郎新婦は

 とても幸せそうに

 白くて丸い馬車の中に

 乗りこみました


 また次の日も

 そのまた次の日も

 毎日誰かの結婚式が行われているのでした


 また 空にはひんぱんに

 コウノトリが

 飛んできていました


『幸せな町なんですね』

 旅人は微笑みました

『ええ そうですとも!』

 町の人達は答えました


 町を発つ日の朝

 旅人は一人の娘さんに出会いました

『おはよう お嬢さん

 きれいなドレスだね』

『おはよう 旅人さん

 今日はね もうすぐ結婚式だから忙しいのよ』

 娘さんは せっせと白いドレスの裾に

 刺繍をほどこしていました

 旅人はそっと娘さんの隣にすわって

 しばらくその作業を

 眺めていることにしました


 不思議なことに娘さんは

 小さなビオラの刺繍を

 完成させてはほどき

 また完成させてはほどきを

 半ばとりつかれたように

 くりかえしていました


『お嬢さんお嬢さん

 作った刺繍が気に入らないの?』

『いいえ旅人さん

 刺繍はできあがるたび完璧よ』

 旅人はしばらく目の前の小川をぼんやり見つめました

 小さなちょうちょがほろほろと飛びまわり

 小鳥がささやかに鳴いています

 小川のほとりには白い花が咲いて

 優しい風が吹いていました


 旅人は再び微笑みます

『どうしていつも作り直しているの?』

『こわいからよ』

 娘さんはきゅっと口を引き結びました


 今日結婚するというその娘さんは

 自分の着るそのドレスが

 できあがってしまうことが

 恐ろしいのだと言いました


『こわいの

 こわいの


 この町では

 毎日結婚する人達がいるように

 駄目になる夫婦も

 たくさんいるのよ』


 娘さんはようやく手を動かすのを

 やめました

 その頬を

 幾筋もの涙が

 つたいました

 旅人は

 娘さんの頭をそっと

 なでてあげました


『きれいな髪だね

 こんなかわいらしい娘さんだもの

 きっとうまくいくよ』

 旅人は言いました

 娘さんは旅人をきっと睨みました

 そしてまた

 涙を流すのです


『まだ足りないのに

 どうして

 あたりまえに結婚して

 あたりまえに妻になって

 あたりまえに母親になって

 あたりまえに終わらなければ いけないの


 うまくいく保証だってないのに』


『どうして足りないの?』

 旅人は聞きました

 娘さんの横顔は

 目はぱっちりとまんまるで

 頬は薔薇のように赤くて

 唇はもぎたての林檎のようにかわいらしく

 まるでまだ幼い

 女の子のようでした


『わからないの』

 娘さんは答えました

『でもねえ まだ走り足りないの

 ほら ねえ 見て

 あそこの小川

 あっちの野原

 はだしで走り回って

 ドレスなんかぐちゃぐちゃにして

 どろだらけになって

 おひさまの光いっぱいあびて

 やりたいことはまだ

 たっくさんあるのに


 それあきらめて

 ひきかえにして

 大人になっても

 幸せになれなかったら

 悲しいわ


 嫉妬するわ

 わたしが産むかもしれない

 子供たちには

 まだそんな未来が

 いっぱいあるのに』


 旅人は尋ねました

『君のだんなさんになる人は

 君のその気持ちを

 わかってくれる人?』

『話したことなんてないわ』

 娘さんはとげとげしく言いました

『話せるわけないわ


 それだけで

 もう十分に答えよ』


 娘さんの中で

 怒りがこみあげてくるのと同時に

 何かが生まれてきているのを

 旅人は見つけました


 娘さんは また刺繍をはじめました

 今度は それができあがっても

 ほどき直したり しませんでした


 旅人はそっと立ち上がり

 側に生えていた白い花を一輪

 娘さんの髪にさしてあげました


『さようなら お嬢さん

 お幸せに』

『さようなら 旅人さん

 あなたにも』


 旅人がスクーターを押しながら

 町の出口へ歩いていると

 一人の若者に 出会いました

 若者は教会の前で

 ただ立ちつくしていました


『こんにちは お兄さん

 どうしたの』

『こんにちは 旅人さん

 今日今から 結婚式なんだ』

 若者はにかっと笑いました

 その日だまりのような笑顔には

 まだどこか愛らしい

 少年のあどけなさが

 残っていました

『あなたはその

 娘さんが 好き?』

 旅人が尋ねると

 若者はりんごのように頬を染め

 照れたように笑いました

『大切な人だと

 思っているよ』

 旅人も笑いました

『うまくいくといいね

 きっと幸せになれるね』

 そうだといいなあ と

 若者は微笑みました

 そしておもむろに言いました

『旅人さんは

 薔薇の花を見たことあるかい』

 旅人はにっこりと笑いました

 若者も とてもとても柔らかな笑みを浮かべました

『薔薇は自分でいっぱいとげを持って

 身を かたくなに守って

 人を寄せつけないんだ

 でも薔薇は咲いてもきれいだけど

 蕾の時もとってもきれいなんだ

 だから

 見ていて飽きない

 そばにいられるだけで

 すっごく嬉しいんだ

 憧れるんだ』

 旅人は言いました

『痛くても けがしても

 ちゃあんと手にとって 包みこんであげてね

 ちゃあんと水はあげてね 蕾もきれいだけど

 薔薇は咲いても きれいだから』

『ありがとう旅人さん


 さようなら 気をつけて』

 若者はにっこり笑っていいました

『ありがとうお兄さん


 さようなら お幸せに』


 去り際に旅人は思い出したように

 優しく笑って 振り返って言いました

『さっき薔薇の蕾が

 花開く瞬間を

 初めて見たんですよ』

 若者はきょとんとして

 すぐにまた照れたように笑いながら

 頭を掻いて 言いました

『ちぇっ 僕も 見たかったよ

 まったく』


 旅人がスクーターを走らせていると

 鐘の音を

 風が微かに 運んできてくれました

 旅人は 少しだけ悲しそうに微笑んで

 呟きました

『ほんとにちゃんと

 しっかり抱きしめて

 包みこんでやるんだよ


 僕は


 後悔したから』


 旅人は 帽子を深く

 かぶり直しました



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