第十四頁 碧眼の海賊は砂の海で宝石を
「おう、やけに心気くせえゾンビだな。あんたらここで何してんの。青い海の夢は見れてるかい?」
ハダリーは、まだ少しだけ赤い鼻を擦りながらずびっと音を立てて鼻を啜った。そんな飄々とした口上を呟いて、彼らのうち真ん中に座っていた一人にずいと顔を突き出す。
「ここは蝶野郎の住処ってわけかぁ? 何だあ、何人もいたんだな。通りでぶっ潰してもぶっ潰しても湧いてくるわけだ。まさに虫だな。虫けら。何の目的で、オレらの目の前に現れやがる。オレもオレの海賊たちもそろそろ肌から蜜がしみだしてくる頃なんでね、蝶までうつされたらたまったもんじゃねえんだよ。てめえら、なんか目的でもあんのか。堕ちるとこまで堕ちたゾンビ風情のくせによ」
皺だらけの肌中に、金色の染みを滲ませた初老の男は、ぎぎ、と音でも立ちそうなぎこちなさで濃い茶色の眼をハダリーに向けた。首も手も指も、それに合わせて僅かに揺れるけれど、まるで油の切れた蝶番のようで。
男の全身を何気なく眺めたジルビはふと、その男の両足が木でできていることに気づいた。義足だ。男はぎぎ、と再び瞳を揺らしてジルビを目に留めた。そして、僅かに目尻に皺を寄せた。ジルビははっとした。この優しい眼差しには、覚えがある。
「あなた、まさか、この間の――」
「あ?」
突然思い詰めたような声を出したジルビに、ハダリーは眉を潜めて振り返った。ハダリーはまだ、彼があの時の男だと気づいていない。否、そもそも沢山の蝶人を相手にしてきて、一人一人の特徴なんて覚えてすらいないのかもしれない。蝶に覆われた彼らを見分ける特徴はその目だけで。そしてここにいる三人の男たちは、全て濃い茶色の瞳をして、白髪交じりの黒い髪をしている。顔だちはよく似ているように見える。きっと同じ人種なのだとジルビはなんとなく思った。ミヒオやウェンズに似ているようで、似ていない。
「足……痛かった、のかな」
ジルビはそっと男の足元に駆けより、屈んだ。義足を撫でて目を伏せていると、ぎぎ、と身体を揺らして男はジルビの頭にどすん、と重い手を乗せた。ジルビはどきりとして飛び上がった。ハダリーがジルビの腕を引いて、自分の後ろに隠す。
「あんだよ」
ハダリーの声はどすが聞いていた。けれど男は、まるで喜んでいるかのように、高い声で奇妙な笑い声を零した。
「ア、ア、キレイナ、メヲシテイル、ネ、アナタ」
その言葉が、男から発せられたと理解するのに、少し時間がかかった。男はジルビを見ていた。慈しむような目で見ていた。まるで、村にいたおじいちゃんのような、温かさがあるような気がして。ジルビはいつの間にか泣いていた。自分が大好きだったあの老人たちも、みな殺されてしまったことをまた思い出してしまった。
「へえ。まだ喋れる程度には腐れてないか」
ハダリーは舌先で唇をなめた。
「よう、ご老体。死にぞこない。どうした? オレらをここに連れてきた蝶人、昨夜オレが殺しちゃったぞ。この女が目的だったのか? ここに連れてきてどうするつもりだったんだよ」
「オ、オ、オジョウサン、アナタ、アイラシイ。ワタシニモ、カゾクガイタ。イモウトト、マゴ。デモ、アナタニ、ヨウハナイ。ワレワレ、キミニ、ツゲタカッタ」
男はぎぎ、と瞳をハダリーに向けた。息苦しそうに、口を開けて喘ぐ男の鼻から、どろりと甘い香りのする液体が零れた。
「口じゃなくて鼻で息しなよ、おっさん。それとも、もう鼻も詰まったか」
ハハ、ハハ、と笑い声が重なる。振り返ると、成り行きを見守る他の二人の男たちも、笑っていた。まるで蛙の合唱のように、笑い声はしばらく続いて、船室の壁に反響した。
「キミ、カイゾク、ヤッテイル、ネエ。ナゼ、ワタシタチカラ、ホウセキヲカラヌ。キミハイツモ、ワレワレヲコロシ、ワレワレノホウセキ、ムダニスル。ナゼダ。ナゼダネ」
「聞きたかったことはそれかよ。それで、この埃くせえ船の屍にオレを呼んだってか? 人の屍風情が」
「ハハ。ハハ。ヒトノ、シカバネ。ソレハ、キミモ、チガイナイ」
男たちの嘲笑に、ハダリーは答えなかった。腰に手を当てて、彼らの次の声を待っている。やがて、かたかたと首を揺らして、彼らは唇だけを動かし一斉に同じ言葉をしゃべりだした。それはいよいよ気味が悪かった。ジルビは、胸がきゅうと締め付けられるのを感じた。その感情が、憐みだったのか、悲しさだったのか、それはジルビ自身にもわからなかった。ジルビはただ、ハダリーのマントの裾を握りしめた。
「ワレワレハ、キミノ、キミタチカイゾクノ、セメテカテニナリタイノダ」
「糧?」
ジルビは、一層ぐしゃぐしゃにハダリーの服を握って、小さな声で尋ねた。男たちは、柔らかく目を細めた。
「ワレワレハ、コノカラダニミチルハナノミヲ、カイゾクニウバワレタイ。キミタチガ、スコシデモナガクイキラレタラト」
「余計な世話だ」
ハダリーは彼らから目を逸らして、吐き捨てるように言った。
「それが、うざったくオレの船の行く先行く先に現れていた理由かよ。じゃあ、やっぱり、オレの船の周りにやたら獲物が集まってきたのは、偶然じゃなかったんだな? 全部お前らの掌の上で踊らされていたってわけか? 最後の死に場所を青い海に求めて、綺麗な航海に出た人間達を、悉くオレらに生贄として差し出したってわけか。お前らが誘導して? は、そりゃご苦労様なこった」
オレって、馬鹿だなあ。
ハダリーが、彼らに届かないだろう小さな声でそう呟いたのを、ジルビは聞いた。
ハダリーは前髪を掻き上げ、額に強く爪を立てて目を隠していた。
俯いたまま小さく震えるハダリーの手に、ジルビはそっと指を触れた。その指は一瞬そっと跳ねのけられ、やがておそるおそる縋る様に指先だけでもう一度触れられた。ジルビは、ハダリーの爪を親指で撫ぜた。そこには、金色の宝石と同じ色が塗られて、剥げかかっていた。
「あなたたちは……何者なの?」
小さく唸り続けたまま、動かないハダリーから目を話して、ジルビは彼らを見つめた。最初の男が、ぎこちなく首を傾けて、ジルビの目をじっとのぞきこんだ。
「ダドリー」
「え?」
「
「は、神様に顔向けできねえ大罪人、ってところか? 言うねえ、この老害。お前ら、何を知ってる。この世界の、何を知って、どうしてオレを選んだ。どうしてオレだけを選んで、お飾りの神様みたいなことをさせたんだ。オレはスラム街の孤児だ。略奪に勤しむただの海賊だ。賊なんだよ。生贄なんて高尚なもん、捧げられるような人間じゃねえ」
ハダリーは指の隙間から、ぎらぎらと青い瞳を光らせた。その色に見惚れるように、男たちは目を細め、ほう、と感嘆の吐息を漏らした。ジルビは背筋が泡立つのを感じた。同じくらい、泣きたくなった。
「キミノ、ナマエハ?」
男は目を細めて、ハダリーを慈しむように見つめた。その眼を、ハダリーは憎しみをぎらつかせた目で見つめ返す。けれどジルビには、やはり男たちは自分の祖父や村の爺たちと同じように思えた。愛があって、長い時を生きて、まだ世界を知らない子供たちを見守る。ただただ優しい――そこに何の悪意もない眼差しのよう。
「あ? ハダリーだよ。それがどうした。言っとくけど、姓なんかねえぞ。孤児だっつったろ」
「ダレガ、ツケタンダネ、ソノ、ナ」
「あ? んなの……そんな……」
ハダリーは唇を噛んで、何かに耐えるように震えた。ジルビは、ハダリーが今にも泣きそうに見えた。
「オレの、育て親だ。オレの親友の、母親だ」
「ソウカ。ヨイナダナ。ハダリー。コダイペルシアノコトバダナ。リソウ……ソレガ、キミノナノイミダ。リソウキョウニオモムク、サイゴノヒトリニフサワシイデハナイカ。イヤハヤ」
「だから、なんなんだよその
ハダリーは、右の眼からはらりと涙を一粒零した。その雫を、ジルビは思わず掌で受け止めた。ハダリーの涙は、ジルビの指と爪の間を伝って、床にこぼれて埃を濡らした。
「リソウキョウ、ユートピア。ワレワレジンルイガ、メザシタモノ……ソノモノデハナイカ。アオイウミヲウシナッタワレワレハ、ソノアオニオボレテシニユクコトヲエランダノダ。ソレガコウフクトシンジテ。ソレガ、ミズノホシニウマレ、イキツヅテキケタチテキセイメイタイノ、イクベキユートピアダト、ワレワレガシンジコマセタノダ」
男は、唇を震わせ、肌の色に近い薄い色の舌でぎこちなく唇を湿らせた。男の茶色の瞳に浮かぶ光は、左右に揺れて彷徨った。
「ユーラシアノハシニブラサガルチイサナハントウ。キタノハントウ。ワレワレハカツテ、ソノタミダッタ。ワレワレハ、セカイニカクヲオトシタ。カクバクダンダ。ワレワレハアメリカノコトバヲキカズ、ユーラシアヲテニイレテ、オゴッテイタ。ダガワレワレニノコッタノハ、ネズミノヨウニフエツヅケルニンゲント、サバクトカシタウミダケ。カツテ、ロシアノウチュウヒコウシ、ガガーリンハコウイッタ、『チキュウハアオカッタ』ト。ダガ、ソレヲワレワレガコワシタ。チキュウハ、チトホノオニモニタ、スナダラケノアカイホシヘトサマガワリシテシマッタ。ソレガドレダケ、ニンゲンヲ、オビヤカシタカ。ワレワレハナニモ、アオイセカイヲトリモドソウトシタノデハナイ。トリモドセナイコトハアキラカダッタ。ジキニホトンドノチテキセイメイタイハ、シニタエルノダロウ。イキテイケルモノカ。ニク、サカナ、ヤサイ、カジツ、ミズサエナクシタ、ワレワレガ。ワレワレハイカサレテイタノダ。コノホシノ、イノチノメグリニ。アオイホシニ。ウミニ」
男は粘り気のあるよだれをぼたりと床に垂らして、咳込んだ。その口から、濡れた花と葉が飛び出して、唾液と混じりあった。
「ワレワレハ、ツミホロボシノタメニ、ヒトニハナヲアタエタノダ。セメテヒトラシク、ハハナルウミニカエリ、ネムレルヨウニ」
「それがお前らの理屈か」
ハダリーは、濡れた頬を指先で拭って、静かに言った。
「知ってるぞ、お前らの国。お前らは罪滅ぼしのために、人類の幸福のために、……尊厳のために、花をばらまいたわけじゃない。お前らは、ただ世界を手に入れたかった。そうだろ。世界を手に入れて、自分たちの手で滅ぼしたかった。お前らの
ハダリーは唾を男の頬に吐いた。口を拭って、男を睨みつけたハダリーは、音もなく、煌めきもなく、ただひたすらに涙の筋を頬に走らせていた。
「でも、お前らの美はオレにとっちゃ醜くて気色悪くて仕方ねえや。価値観の違い、ってやつだな。ざーんねん。ユートピアの反対語って知ってっか? ディストピアだよ。オレは、ずっとそこで生きてんだ。この砂の世界で、賊やって、キラキラ光る宝石を憎んで欲しがって、醜い醜い生き方してきたんだ。お前らの船に乗るなんざ、金輪際勘弁だぜ。オレはお前らと同じ船には乗らない。同じ彼岸には行かねえよ。てめえ一人で蝶に吸われて死にな。お前らの宝石なんざ、食う価値もねえんだ」
ハダリーは、不意にその場から立ち去った。取り残されたジルビは、おろおろとして立ち尽くした。男たちはジルビを、優しい眼差しで見つめていた。ジルビはまた泣いた。今度ははらはらと、真珠のような涙の粒を零して声も無く泣いた。ジルビには到底、彼らを恨めそうにはなかったのである。またそんなに長い時間を生きていない。そしてまだ、本当の絶望を知らなかった。
やがて、ハダリーの靴音が再び鳴り響いた。ハダリーはその右手に、未だワインの香り豊かな雫を滴らせる割れた瓶を握っていた。
「さよなら、老害。お前らのユートピア。遺言はまだ何かあるか?」
無造作に拭った涙の跡。それが渇いてぐしゃぐしゃになった顔で、ハダリーは笑ってそう言った。
「キミノヒトミハ、ワレワレガウシナッタ、ウミノイロダッタ」
男は、優しい声でそう応えた。ハダリーは目を見開いた。ジルビは唇を噛んだ。
「ワレワレガホロボシタ、アオイメノニンゲンタチノ、イキノコリダッタ。ダカラ、」
だから、と男達は声を揃えて、目を細めた。愛しさを湛えた眼差しを、ハダリーに惜しみなく注いでくる。甘い甘い声色で。
「ワレワレハ、コレカラモキミニホウセキヲトドケルセキムガアルノダ」
勝てない、とジルビは本能的にそう思った。
この人たちには、自分たちは勝てないのだと。それは、酒の匂いに酔った時の感覚にも似ていた。頭がおかしくなりそうだ。男たちの声は、どこまでも甘い響きでジルビの鼓膜を震わせた。ジルビは、両手を伸ばした。ハダリーの耳を塞いであげたかった。けれど、背の低いジルビには、到底ハダリーの頭に手は届かない。
「アオイメノコドモヨ。カイゾクヨ」
ダドリーは、一つ一つの音を噛みしめるように、言葉を吐いた。
「サモナクバ、キミタチハイキテハイケマイ?」
「遺言は聞いたぜ。一応な」
瞬間、ハダリーは瓶を勢いよく振り下ろした。男の顔が、風船が潰れるようにひしゃげ、花びらを噴き出して崩れていく。ハダリーは他の二人も割れた瓶でぐさぐさと串刺しにした。辺りに花吹雪が満ちる。ワインの芳香。花の香り。蜜の香り。葉の生臭さ。人間の身体の、生臭さ。
花弁の煙幕の下で、ジルビはハダリーの姿を見失った。手で花びらを払っても払っても、花びらは絶えずジルビを苛んだ。鋭利な音が響く。ハダリーは、瓶だけでは飽き足らず、海賊刀までも取り出したようだった。もうその人たちは、生きていられない。やめて、……やめて。そう願ったジルビの爪先で、何かが潰れた。床に散らばっていた、蝶の蛹だった。ジルビは唸り声を漏らして、蹲った。降り積もる。降り積もる。ジルビの身体に、まだ生きた蝶に、動かぬ蛹たちに、花弁は降り積もっていく。
やがて蝶は、花弁の重みに耐えきれず、動かなくなった。ハダリーは、荒い息を繰り返していた。やがて辺りに、まるで獣のような咆哮が響き渡った。ハダリーが叫んでいたのである。ジルビはただ泣きながら、その背中を花びら越しに見つめることしかできなかった。ジルビの周りの床で、ごろごろと音を立てて宝石が転がる。空から注ぐ光に照らされた果実は、キラキラと輝き続けた。誰も望まないのに、誰にも喜ばれないのに、キラキラ、キラキラと体中で輝いている。ハダリーは花びらが舞う世界の中をよろよろと歩いて、ジルビの腕を掴んだ。ハダリーの頬には、花弁の影が揺れていた。皮膚の下にも、薄い影が揺れていた。ハダリーは瞬きもせず、開ききった目でジルビを見つめた。ハダリーの手は震えていた。がたがたと、体全体が震えていた。ハダリーの身に着けた宝石たちがお互いを打ち鳴らすほどに、震えていた。
「……宝石、食おうぜ」
「ハダリー」
「船長」
「……船長。ねえ、ハダリー」
「食おうぜ。なあ、一緒に喰おうぜ。一緒に喰ってくれよ。オレ、これからも、あいつらを守らなきゃいけないんだ。たとえそれが、地獄のような場所でも、オレは」
ハダリーは、はは、と笑いながら涙をぼたぼたと零した。雫がジルビの頬にぶつかって、跳ねて、ジルビの顎を濡らした。耳も濡らした。首も濡らした。
「最初から人でなしだった」
ハダリーは擦れた声で言った。
「人でなしに祀られた、オレはただの人でなしの道化だった。でも、あいつらの言ったことは本当だ。宝石が無ければ、オレ達の未来はダドリーだ。こんな風に花弁まき散らして、死んでいくしかできないんだ。見えてくる青い海を、綺麗だなあ、綺麗だなあって喜びながら死んでいかなきゃいけねえんだ。どうしようもねえんだ」
「それは、今でもウェンズのため? ウェンズ一人を生かしたいから、あの人の人らしさを少しでも守りたいから、あなたはここでも宝石をあつめるの?」
ハダリーは喉を鳴らした。花びらは、ようやく勢いを止め、はらはらと床に落ちていく。ジルビとハダリーを遮るものは、もうほとんど残っていなかった。
「それは……ある」
ハダリーは、苦しげにつぶやいた。
「オレは、ウェンズのことを今でも助けたい。助けられるものなら、人でなしから人に戻したい。幸せになってほしい」
また、ハダリーの左目から涙が一滴零れた。
「でも、言ったろ、お前も言ったじゃん。生きたくなったかって。オレ、生きたいよ。こいつらみたいに、綺麗に死にたくないよ。オレは、汚らしく、路地裏で蠅にたかられて誰にも顧みられず死んでいきたいんだ。それがオレの、幸せだったんだ」
オレは、この汚い世界で、生きてきたんだ、がんばって――。
その言葉を聞いたら、もうたまらなかった。ジルビは、ハダリーの腰に抱きついた。口からは、食べるよ、という言葉が零れた。あとは二人で、かき集められるだけの宝石を拾った。帰り方は分からなかった。船の最奥まで漁って、埃まみれになって、沢山の屍を踏みつぶして、ようやく二人は小さな舟を見つけた。腐りかけた木の船だ。
「風もそこまで強くない」
ハダリーは砂めく空をぼんやりと見上げて、呟いた。
「これが本物の青い海なら、すぐに沈んでお陀仏だろうな。でも、オレら、ただ砂漠の表面を撫でて走ればいいんだ。だから、舟は腐ってるくらいで十分だ」
「船長にもお似合いだよ」
ジルビもそう言った。ハダリーはようやく、からからと笑った。
小さな舟は、砂の波を沿って、ゆらゆらと揺れながら少しずつ進んでいった。砂煙が睫毛にかかる。目を開けていられない。ハダリーは舟を漕ぎながら、赤い宝石を食べた。それが、ジルビが初めてみた、ハダリーの宝石を食べる姿だった。
ジルビも宝石に唇を当てた。手が震えた。無理すんな、と今度はハダリーはそう言って笑った。ジルビは泣いた。食べる、食べる、と言って何度も泣いた。けれど結局、ジルビは最後まで、宝石を噛み切ることができなかった。それでいいんだよ、だってお前、まだ海賊じゃねえもん、とハダリーは言って、もう一つ宝石を食べた。青葡萄色の宝石を食べた。
「お前は、オレの家族だもんな」
一緒に、ウェンズを幸せにするんだもんな。
ハダリーのその声が、砂風に溶ける。ジルビは膝に顔を埋めたまま、何度も頷いた。スカートは涙に濡れてびしょびしょだった。
ハダリーは、どこか憑き物の落ちたような顔で、青い空を見上げていた。
どうせ変わらない明日が始まる。パパラチア号に乗れば、ハダリーは海賊の頭に戻って、宝石を探す旅に出るだろう。ジルビは海賊たちの姿を目に焼き付けることしかできないのに違いない。そんな未来が無性に悲しい。
どれだけの時間、砂の海に揺られていただろうか。
不意に、ジルビの鼻頭に何かが貼りついた。風で飛んできたそれは、桃色の花びらだった。顔を上げると、ハダリーがぼうっとして自分の手を見つめていた。やべえ、いつの間にか切ってた――なんて、そんなことをハダリーはなんでもないことのように言った。ジルビは、目の奥がかっと熱い熱を持つのを感じた。
『私は思うの。この世界は陸をなくして、土をなくして、人は砂の海で船に乗って航海をするしか生きる手段がなかった。だから花が人の身体に咲くんじゃないかって』
姉さん。
『私達の故郷に、海賊を連れていく』
姉さん……!
砂の音は、アビルの少しだけ下手な子守唄にも似ていた。長姉の優しい声にも似ていた。
ジルビは、砂の混じった涙をまたぽろぽろと流しながら、指を胸の前で組んで、祈った。
お姉さん。アルビ姉さん。ルベル姉さん。お母さん、お父さん、ああ、私の生まれた家。私の故郷。
どうか私たちを、助けて。海賊たちをどうか助けて。この砂の世界から。
花舞う砂の世界から。
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