<記録 二>
ハダリーがいなくなった。蝶人に攫われたジルビを追いかけて、自分まで捕まってやんの。マジウケる。何がウケるって、ハダリーが何やかんや言ってたわりにあのガキにしっかり情を移して見捨てられなかったことが超ウケる。僕だったらしなかったなあ。腹いてえ。僕、もうこの記録つける必要なくなったんじゃないかな。ハダリーがいないなら、これ書く意味ないね。僕は船を取り仕切る気がないし、そもそも声でないし、一々筆談するのもかったるいし、首から石を掘り取って、声を取り戻す気もない。
今のところ、結局ミヒオが一人でどうにかしようとしている。でもミヒオには残念ながら、ハダリーのような冷徹さも、あいつら十九人の海賊に対する情もないんだよな。あいつ、自分さえ良ければいいじゃん。自分を助けたからハダリーに懐いてるだけで、僕にも気を遣ってるだけでしょ。見え見え。結構ドライだってこと僕知ってる。だから当然、うまくいかない。いくわけねえな。他のやつらと全然うまくいかねえけど、赤毛の姉の方がそれをまるで恋人のように傍で支えている。ミヒオにとっては心強いだろうし、僕から見れば超うっとうしい。鮫腹の中で何かあったらしいけれど、僕、妹の方はそこまでないけど姉の方はちょっと気に入らないかもしれない。
ジルビ――あのガキんちょが僕に宝石をくれといいに来たとき、本当はいつものように素直に好きなだけ渡してやることはできたわけで。ハダリーは基本的に僕がすることには何も言わないからな。僕は気が向くまま大体はハダリーの言うようにやるけれど、ハダリーはおれの自由行動を尊重しているし。むしろ、僕が声をつぶし、表情を消してまるで屍のようにふるまえばふるまうほど、あの男は不安にさいなまれるのである。僕に何度も何度も、海が青く見えていないかと聞いてくる。おれが声をつぶしたのは、それに対して一々応えるのが面倒だったからだ。いつものように心無い言葉を吐いて、それを聞いたハダリーが顔を歪ませながら無理やりひきつった笑い顔を作るのを見るのが、心底吐き気がするくらい不快だったからである。おれが、青の区別くらいつくわ、と半ば衝動的に、より取り見取りの青い宝石をつぶした液で髪を染めたら、その後はあまり「青い海は見えないか」と聞いてこなくなった。おれの気持ちがちゃんとハダリーに伝わったのかどうかはいまいちわからないが、まあどうでもいい。興味は特にない。
とにかく、ハダリーはおれに対して過保護である。もとはおれが庇護してやる立場だったのに、あの日からずっと、あいつはおれに過保護だ。それが心底うっとうしくて、しゃべるのも受け答えするのもかったるかった。だからおれは声をつぶした。ハダリーが、日記を書けと、せめてそれでおれの心を知ろうとする浅はかで可哀想な言い訳も、おれは鼻で笑って聞いてやらなかった。目の前で頁を破ったりしてな。でも、最近は、ハダリーの事を少しは哀れだなって思って、ちゃんと書いてやるかって思ってたのにな。書き始めたら船を捨てるって何事だ。めんどうくせえ。この記録にかけた時間と労力返せ。めんどうくせえ。
まあ、つってもハダリーの望んだ【おれらしい】記録なんて書くつもりはこれっぽっちもなかったわけだし、もともと遊び感覚だったんだよなあ。暇つぶし。まことに暇。
でも、ハダリーいなくなっちまったな。どうしようか。しばらくは、どうせ誰も見ないし、ハダリーの事を書くこともできないし、おれらしい日記というのを書いてもいいのかもしれない。言って、結局愚痴だけど。おれ、しゃべるとめんどうくせえとか愚痴しか出て来ないから嫌なんだよな。傷つけるつもりないのに、聞いた相手が勝手に傷ついてんの。いや、勝手に聞いたのそっちだろっていうね。だからしゃべりたくもないし、おれみたいなクズの考えを後世に残したくもないし、筆談もかったるいわけで。でも、しばらくは、いいかな。やってみようかな。
見られる日が来たら、破って捨てるけれど。
ああ、そう。おれが翌朝したことと言ったら、アビル――赤毛の姉の方にごろごろたくさんの宝石を投げつけて寄越したことだったかな。あれがあのガキが一人で思いついたことじゃないことくらい、この女の入れ知恵だってことくらいわかるに決まってんだろ。宝石が必要だったのはジルビじゃない。アビルだ。そうだろ。だからおれあの時すげえ不快だったんだ。ジルビに渡したくなかった。宝石の事嫌ってて、怖いとか言いながら、わざわざくれと頼みに来たジルビが、なんだかハダリーに似ていた。それがすごく滑稽で、超笑えた。だからおれ、あいつには渡さなかったんだ。ハダリーに聞けばいいって思って。ハダリーにそれそのまま話してほしいなって思っちまった。だってそうしたら、ちょっとはうっとうしさが減る気がすんだろ、ハダリーの。ハダリーに気付かせてやってよ、ってさ。それ、お前だけじゃないって。ほら、お前のレプリカみたいなちびがいるぞ、お前があのちびに当たりが強いのって単なる同族嫌悪だろって、ハダリーに教えてやりたかった。なんかあの時だけ、おれ超わくわくしてた。ハダリーがどんな反応するか超楽しみだなって。
でも、ハダリー行っちまったなあ。どうするつもりなんだ、あれ。砂の海の上で、花弁ちらかしてくたばるのかなあ。でもそれでもいいなあ。ハダリーはおれから離れたところでくたばればいいよ。
そのほうがいい。
おれ、多分昔のハダリーに戻ってほしいんだ。めんどうくせえから。まことにうっとうしいから。
おれなんかに罪悪感をもつ前の、馬鹿で頭空っぽのハダリーにさ。ああ、そうか。おれ、そうだったのか。
海に、花でも手向けてやったがいいのかな。でもそれって血だな。笑えねえな。どうすっかな。もう少し様子見て、それでも帰ってこなかったら――まあ、戻ってこられないだろうけど、よほどのことがない限り。
ハダリーが花を散らした海に、身を投げるのって悪くないな。おれの体にもたくさん花は咲いてるだろ。鮫に食われたら、あのガキんちょと同じだけどね。
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