<記録>

一頁目(下書)

 ハダリーは僕にやたら日記をつけろというのだが、僕はなにしろ僕という個をたとえそれが文字上であれ残すことが嫌いなものだから、今までに日記は書いたことがなかった。

 だから、今もこうしてどうやって書けばいいのか悩む。

 僕を出さない日記とは何だろうか。日記は自分の目で見た景色と自分の内面を書き下すものだろうから、僕が僕を出したくなくてもそれはどうしても現れてしまうもので……と、僕は何を書いているんだろうか。すでに五行も書いてしまった。

 ハダリーは一体何を考えているんだろうか。僕が声をろくに出せなくなったから、鬱憤がたまっているとでも思っているのか。それとも単純に、僕が何を思っているか知りたくてたまらないのだろうか。今となっては伝えるすべのない僕の気持ちを。馬鹿なやつ。僕がいるからあいつはやたらと苦しんでいるんだろうに。馬鹿なやつだとしか思わない。僕には生憎家族なんてものは生まれた時からなかったので、そういう情だとか固執がよくわからない。僕が今ハダリーの傍にいてやっているのも、別に目的もないし、ハダリーがあれこれ指示を出してくれるのは楽だからだ。大体僕は元々ハダリーを利用したことしかない。優しくされたとハダリーは言うけれど、僕は単に自分で食料調達が面倒になったから、こき使える下っ端がほしかっただけだ。だからハダリーを手懷けただけ。それなのに未だに僕に罪悪感を持つハダリー。ああなんて可哀相。残念ながら彼の可哀相さ加減は物言わぬ僕しか知りようがないわけで、ああ本当に憐れだね。どうでもいいが。

 僕が何を考えてるか知ったところで、傷つくのはお前だろうに。それに、日記に書く他のことなんてハダリーも見知った出来事じゃないか。今更……なんだ、それじゃあこれは記録ってことか? 記録ならでも日記って言わないよな。僕は結局何を書けばいいんだ?


 ああ、やめやめ。面倒くさい。思ったより長々どうでもいいことを考えて書き連ねてしまった。破って一から書きなおそう。しかし案外、こうして文字にすると普段漠然とした気持ちは取り留めもなく書き起こせるものなんだな。知らなかった。もしかしてハダリーはこれが読みたいんだろうか。でも、読み返してみてもこれ、気持ち悪いけど。これが読みたいんだとしたら趣味悪すぎ。ああ、やめやめ。やり直し。



五頁目(下書)

 正直何度目かになるかわからないが、今日こそこの七面倒くさい日記とやらを始めてみようと思う。というのも、なかなかに面白い出来事があったからだ。思えばミヒオを助けた折から書いておけば、僕の筆力もそれなりに上達していたのかもしれない。日記の出だしが破られたページってのは見栄えが悪いけど仕方がない。このページも破るつもりだしどうでもいいか。

 今日、鮫腹の中で二人の女の子を拾った。血の通った人間達だ。遠い隔離された村の出身のようだが、花に感染した鮫の中で生き延びていたから、まあ彼女たちも感染はしているのだろう。言葉も通じるわけだし。

 ハダリーが意外にも焦っていたのには笑いそうになった。そういえばこの船、女っ気なかったもんな。可愛い女の子を目の前にすると妙につっけんどんになるくせは抜けてないらしかった。はは、格好悪い。ウケる。

 ただ見てて意外なことに、ハダリーと歳の近そうな方の女――姉のアビルとか言う女は、ミヒオと気が合うみたいだ。で、ちんちくりんの妹の方がハダリーに臆せず色々話しかける。ガキに振り回されるハダリーってのは見てて面白くて、僕はこの日記にこの二人の女に振り回されるハダリーを書いてやろうと思ったわけで。

 ただそうなると、僕のこのしつけのなっていない見苦しい感想がこの日記に沁みつくわけだからそれも避けたい。そこで僕は思いついた。ああ、ハダリーの観察記録つければいいんじゃね? 極力僕の主観は入れないようにしてさ。それだと後でハダリーに読ませても反応が楽しみだ。客観的に見るとお前こんな風に見えてるんだぜって、晒してやろう。

 この頁は破るけれど、この日記も楽しくなりそうだ。せいぜい僕に滑稽で面白い姿見せてくれよハダリー。声は出なくても、笑ってやるくらいはしてやるよ。一応、友達だしな。



六頁目(推敲)

 これは、砂の海の海賊、パパラチア号の船長ハダリーと、その海賊たちの記録である。

 一、この記録は、毎日続けるものとする。

 一、この記録は、船長ハダリーのための記録である。

 一、この記録に、記録者の主観は残さない。残した場合、二重線で消すあるいは頁を破るものとする。

 一、この記録は、定められた記録者以外のものが記録してはならないものとする。


 世界がかつての大戦により滅び、母なる海が砂海と化してから十数年。暦など意味はなく、我々海賊も、日付などは気にしていない。だが、今日この日は、パパラチア号が大海に海賊を野放しにした記念すべき二百回目の水曜日である。よってこの記録では、この二百回目の水曜日を第一日と定め、以降第二日目、第三日目、というように記録していく。


 今日の記録の前に、パパラチア号の成り立ちについて簡単に記録しておこう。パパラチア号は、海が砂と化して後、宝石狩りを始めとした金品強奪を目的に、スラム街の青少年がかつて海にのさばったとされる海賊の名を借りて船を出したものである。我々海賊は、砂海に漂う船より上記宝石を狙う。ここでいう宝石とは、過去の人々には馴染みは無かろうが、土より掘り起こした鉱石を磨き、宝飾としたものではない。それは人々の体内で生成される果実である。我々海賊は、人間の身体に熟れる果実を狙うものである。その理由は、ここに記さずとも誰かが残しているに違いない。人間という種が招いた罪の記録など。


 パパラチア号――パパラチアとは鉱石である宝石の楽園スリランカで採掘された宝石のことである。真っ赤な色はインド洋の朝焼けとも称されたようであるが、このインド大陸は既に砂海の一部と化しているため、この宝石は二度と世界にその姿を現すことはないであろう。

 パパラチアとは蓮の花という意味である。我々海賊は、蓮の花の異名を持ち、血のように赤いこの宝石に、失われた人間の尊厳と穏やかな死を望むものである。故にこの船の名はパパラチア号であり、パパラチア号に乗る海賊は皆その掟のもと海を渡る。


 さて、この第一日、我々海賊は稀有なものを砂上に拾った。二人の女である。夕焼け空のように鮮やかなオレンジ色の髪を持つ二人の女は、隔離された村の出である。二人は花鮫の腹で生き延びていた。一人は十六から十八歳……我が船員ミヒオリズと同年齢か。もう一人は十二歳程度に見えたが、後に十四歳であることが本人の証言により確定した。姉の方をアビル、妹の方をジルビという。三姉妹であったようだが長女は死したようである。肌は白くそばかすが広がっている。目の色は姉がグリーン、妹はヘーゼルである。彼女たちは驚くことに、人類に花の種が埋められてから数年経つというに、その真実を知らなかった。船長が拙い言葉で彼女たちに説明を下した。ミヒオリズの希望もあり、しばらくこのパパラチア号で保護する方針である。海賊の仲間入りを果たした姉妹には、姉にグリーン、妹にパープルの宝石を与えた。


二日目 

 姉のアビルはミヒオリズといることが多い。船上で唯一の血の通った人間であることと、生来の気さくな性質からミヒオリズといるほうが落ち着くのかもしれない。今日はミヒオリズがアビルに食糧庫の場所などを教えてやっていた。また、血の通った者同士での食事の在り方など。

 対して妹のジルビは好奇心が旺盛なのか、ミヒオリズや姉の傍よりも船長の傍をうろうろとしては率直な質問をぶつけている。船長はその度に狼狽えている様子で、なかなかしばらくは見なかった景色である。恐らくは、姉よりも妹の方がこの世界に対する知識を着々と身に着けているのではないだろうか。案外頭の良い子供かもしれない。要領がいいというべきか。

 姉妹の寝所はミヒオリズと同室とした。


三日目 

 ジルビは他の船員にも話しかけようと試みていた。しかし会話が成り立つはずもない。彼らは花に寄生され症状が進行しきっている。己の名前さえ思い出せない木偶の坊である。しかし彼らは素直である。ジルビが笑い声を立てると素直に笑い、ジルビが躍ると真似して踊ろうとする。船長が慌ててジルビを彼らから引き離したが、案外ジルビの明るさは、彼ら手遅れな者たちにも伝わっているのかもしれない。記録者である私は、彼ら十九人の人形が、あのように人間らしく笑い踊るのを初めて見た。船長は血の通ったものの血を赤く保つことに躍起になっている節があるが、彼ら人形のことを考えると、何とも言えない心地になるものである。次は我が身であるのだし。今日はアビルとミヒオリズの様子は見られなかったが、食料庫で食料の残の計算をしていたとのことである。残量からして、三人分の食料はないとミヒオリズは判断したらしい。近々、花鮫ではない鮫を求めて狩りをすることになった。


四日目 

 鮫が現れた。鮫肉の採取はミヒオリズとアビルが行うことになった。よく働く女である。一方ジルビは口は回るが働かない女である。奇しくも今日は砂上に旅客船が現れ、忙しい一日となった。【蝶羽人】も乗船していた。我々船員が、他の乗客にとどめを刺し、宝を強奪する中、船長は【蝶羽人】の始末に集中していた。ジルビのことはすっかり忘れていたが、彼女の機転で船長は確かに【蝶羽人】をしとめた。その亡骸は海に落ちていった。その後ジルビは船長に付きまとい、宝石以外の宝探しに参加した。その間もジルビの矢継ぎ早な質問は続き、船長の目に焦りが浮かんでいた。どうもこの船長は、ジルビという少女にかなり振り回されていると見える。ミヒオリズとアビルは無事鮫肉と卵を採取したとのことである。ジルビはやはり幼さゆえか、姉の無事を確認し涙腺が緩んだようであった。ミヒオリズが恐らくは鮫の骨でけがをしていたが、アビルが手当てをした。血の通った人間がミヒオリズだけでなかったことに感謝したい。船長は何かかき乱される思いがあったのか、船長室に籠ったきりその日は一度も部屋から姿を見せなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る