第四頁 狩り

「食糧を調達しないとやばいっすよねえ」

 海賊船パパラチア号が赤毛の姉妹を保護した数日後、不意にミヒオがそんなことをぼそりと零した。銘々の気に入った場所で食事をしていた船員たちが一気に振り返る。アビルはミヒオの隣で、立ったまま恥ずかしそうに何か魚類の肉の串焼きを頬張っていた。ジルビは、ハダリーと黒目の青年の間に座り込んでいた。ハダリーはジルビが自分に付きまとうことを鬱陶しがったが、黒目の青年が彼女をなんだかんだで気にかけるので、邪険に振り払うこともできないでいるようだった。

「ん? あれ? 俺変なこと言いました? ほら、血の通った人間が一気に三人に増えたじゃないっすか。だったら食糧庫の干し魚もすぐなくなっちまいますよ。今までは俺が消費できるくらいしか採ってませんでしたけど、彼女たちの分も踏まえて補給しといた方がいいかなあって」

「まあ、そうなるよな」

 ハダリーは爪に金色の染料を塗りながらなおざりに応えた。他の船員たちが、宝石の実を潰したジャムを食べている横で、ハダリーだけが何も食べず、爪の染色に精を出している。

 それが、船員たちの食べているジャムと同じ類の――宝石、花の実をすりつぶしたものだと言うことは、数日過ごすうちにジルビにもわかっていた。ハダリーと黒目の青年の髪を染めている染料もまた、同様である。

 黒目の青年の名前を、ジルビは未だに知らなかった。ハダリーは教えてくれないし、ミヒオは知らないと言う。ミヒオが知らないのなら他の十九人が知るはずもない。本人に聞いてみても、倉庫から取り出した七個のマスが四つ縦に並んだ古ぼけた紙の、左から三番目のマスを指さすだけだ。よくわからない。見かねたハダリーが一つだけ、「あーそれな、カレンダーってやつ。昔の文化の遺物。曜日曜日」と言った。本当に意味がわからない。そもそも、文字が読めない。

「でも、それについてはオレらは鮫をとっ捕まえるくらいしか協力できねえぞ。お前一人で三人分の肉、剥げんの?」

 ハダリーは壁にもたれてミヒオを見た。

「あの、手伝えることなら私も手伝う……」

 アビルがミヒオの袖を引く。

「え、でも」

 ミヒオは眉根を寄せた。女の子に力仕事なんてさせたくないのかもしれない。二人の様子を見ながらジルビは肩をすくめた。アビル姉さんはおっとりさんだけれど、村では畑仕事を進んでやるような女の子だった。体力には結構自信があるはずだ。

「おー、いいんじゃねえの。海賊の掟は【働かざる者食うべからず】ってな。ちょうどいいだろ、手伝わせろ」

「はーい……」

 ミヒオはどこか不満げにそう呟いた。仕事を得たアルビは幸せそうに微笑んだ。



 そして、姉が仕事をするとなると、妹も手伝わされる羽目になるのである。仕事は家族で連帯責任。村にいた時から身に染みた習慣である。ジルビは小さく溜息をついた。二人の姉ほど汚れ仕事が好きではないのは、末っ子の我儘かもしれない。

 その日も、砂の海には蠢く小さな丘が現れた。それは砂の海で息ができず苦しんで水面にあがる魚たちなのだと言う。小魚はほとんど鮫たちに喰らい尽くされ、この海に残っているのは大きな体力のある魚――鮫か鯨程度しか残っていないらしいのだけれど。

「小ぶりだから、鮫かな。おうおう、歯が凶暴なこって」

 甲板の縁に足をかけて、ハダリーがにやりと笑った。砂まみれになった魚は、象牙のような色の鋭い歯を見せて何度も砂をかみ砕いた。そこに一斉に矢じりを投げて、縄で身体を拘束する。鮫は暴れ回る。船が傾かないよう、誰かが舵を取り、残り全員で手の皮が擦り向けるまで縄を引く。もちろん、アビルとジルビもそこに加わっていた。アビルの目はキラキラと輝き、口元は楽しげに歪んで、瞬く汗が粒となって飛び散っている。ジルビはむすっとしたまま縄を引いた。こういう痛い仕事は好きではない。村でも、畑仕事よりは繕い物の方が好きだった。

 やがて動きの鈍くなった鮫に向かって、ミヒオが長くて重い槍を投げた。鮫はもう一度だけ鋭い歯を見せ、しばらく痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった。

「ミヒオはすげえなあ」

「慣れっすよ、慣れ」

 ハダリーの言葉に、ミヒオは得意げな笑みを浮かべた。そのまま背中にもう一本槍を掲げ、自ら砂の海へ――鮫の背中へ降りていく。

 ミヒオは、槍を鮫の口に串刺した。その姿は、ジルビにとっては姉の姿と重なった。ミヒオは鮫の咥内へと消える。その後に続いて、アビルが船から飛び降りた。船上にどよめきが走る。これにはハダリーも驚いているようだった。妹のジルビにとっては予想の範囲内だったのだけれど。

 しばらくして、ミヒオとアビルは鮫の口角からひょこ、っと顔を出した。ジルビは小さく溜息をついた。姉が楽しそうなのはよいことだ。

「当たりっす!」

 ミヒオが叫ぶ。

「どっちの意味でだよ?」

 ハダリーも叫ぶ。

「人食いじゃない方だったっす!」

「それオレらにとっては外れの方だから~。まあ適当に頑張りな」

「はーい。置いてかないでくださいね~」

 ミヒオはひらひらと手を振って、鮫の中に消えた。アビルの赤い髪もふわりと一度だけ揺れて、消えた。

「人食いじゃない方が、どうしてはずれなの?」

 ジルビはハダリーの横顔を見つめた。ハダリーは心底鬱陶しげな眼差しを寄越して、下唇で息を吐いた。

「人食いじゃねえってことはなあ、鮫の中に宝石はないっつうことだよ」

「そう……」

「ついでに言うとなあ。人食い鮫じゃねえ鮫の肉は、花に汚染されてないってことだ。つまり、お前ら血の通った人間の食べ物になるってことだよ。オレ達がもしその鮫の中に入ったら、万が一にでも肉を汚染してしまうかも知んねえだろ。少なくとも、ミヒオよりはオレらの方が花をたくさん抱えてっだろうからな。だから、肉の採集も、加工も、全部ミヒオの仕事なんだよ。ま、あんたの姉さんが今後は手伝ってくれるんなら、ミヒオも嬉しいかもなあ」

「……あなたたちが宝石の……その、花の果実を食べるのは、この間言ったのと同じ理由? それを食べると、体の中の花が、静かになるの?」

 ジルビは、ずっと気になっていたことを聞いてみた。ハダリーはちら、とジルビに視線を寄越して、頭をがりがりと掻いた。

「まあ、そういうこと」

「でも、ハダリーは食べてないよね。今まで一回も、食べてるの見たことない……この人も。隠れて食べてるの?」

 ジルビは、隣に佇む黒目の青年の袖を引いた。青年は、口元の布を引き上げた。

「ハダリーじゃなくて、船長。お前ほんと、なんつうか図々しいな。姉貴を見習えよ」

「生憎末っ子なのでわがままなの」

「そうかよ」

 ハダリーは深く溜息をついた。

「オレらは食べねえよ。確かに食べれば花の侵食はちったあ収まるな。でも、オレは食べたくない」

 ハダリーは、どこか虚空を睨みつけ、苦々しげにそう言った。

 ジルビは黒目の青年の顔を見あげた。青年は眉尻を下げていた。それ以上はだめだよとでも言うように首を振る。けれどジルビはむっと頬を膨らませて、再びハダリーに向き直った。

「じゃあ、食べる代わりに髪を染めてるの? ハダリー、爪も染めてるよね。それ、宝石を潰した果汁みたいなものだよね」

「せ、ん、ちょう」

 ハダリーは苛々したように言った。

「みんなの髪も、染めてあげればいいのに」

 ぽつりとジルビは呟いた。意識して呟いたその声は、意図せず震えた。ジルビの中には、打算があった。ハダリーたちの話を聞く度、怖くなるのだ。【人間としての尊厳】――その言葉が、呪いのようにさえ聞こえてくる。少なくとも、血の通った人間のままでいた方が、この船の上では価値があるのだ。だとすればジルビは、できるだけ自分の中にも眠っているという花の種を芽吹かせたくなかった。もちろん、姉のアビルの花も。

 だから、願わくば、あの宝石のジャムを食べさせてほしかった。それが無理だと言うのなら、せめて髪の毛を染めさせてほしい。人じゃない何かにはなりたくない――そんな焦燥が、ジルビの心を駆け巡る。

 ジルビの言葉にハダリーが苛ついているのはわかっていた。けれどジルビも必死だった。自分からどんどん食いつかなければ、この人はきっと何も語ってくれないと肌で感じている。そして、意外にも、聞けばいやいやながら答えてくれるということも。

「自分の髪を染めてほしいってんなら、やめとけよ。宝石の飾りをつけるので満足してろ」

 ハダリーはやはり、ジルビの心を見透かしたようにそう言って、鼻で笑った。

「いいか、あのジャムを食べるのも、髪を染めるのも、爪を塗るのも、人間の尊厳を泥で塗りつぶす行為だ。てめえにはそれがわからねえだけだ。オレらは仕方がないからそれをしてる。お前らはまだ手遅れじゃねえ。普通の人間らしく鮫の肉でも食って笑ってろ」

「鮫のお肉なんて普通食べたことなかったよ……」

「どうかな。広い世界だ。食べてたやつくらいいたんじゃねえの。知らねえけどな。魚なんだから食えるだろ。実際食えてるし」

 ハダリーはふん、ともう一度鼻を鳴らした。ジルビのつむじにふわりと温かさが覆いかぶさる。黒目の青年が、ジルビの頭を撫でていた。

 ハダリーは、甲板の縁に頬杖をついて、砂の渦巻き模様を作る鮫の背中をぼんやりと見つめている。ジルビも背伸びして、早速砂に埋もれつつある鮫の死体を見つめた。ハダリーが【外れ】と言ったように、事実この鮫は、ハダリーたちにとっては何の収穫もない外れの獲物だったのだろう。彼らが欲しているのは宝石だ。自身の身を守る宝石。自身をありったけ飾れる宝石。きっと、どれだけあっても不安なのだろうとジルビは思った。

「次、当たりだといいね」

「あ?」

「鮫」

 ジルビの言葉に、ハダリーはまた鼻を鳴らした。その時不意に、ボオオオウウウウ、という深い笛の音のような音が響いた。ハダリーがばっと顔を上げる。その顔は、喜色で輝いていた。

「おい、大当たりの獲物が来たぞ」

「え?」

 ジルビはぽかんとしてハダリーの顔を見あげた。大当たり……たくさんの宝石を抱えた魚かな? じゃあ鯨かな? でも、鯨って人を食べるのかなあ。

「いいか、お前賢いから、いいこと教えてやんよ」

 珍しく、ハダリーはジルビの頭に手を乗せ、くしゃくしゃと撫でまわした。

「人食い魚の肉から取れる宝石はなあ、腐るのがくそ早くてなあ、だからオレら、手っ取り早く人から奪いたいんだよなあ。海賊を名乗ってんのは、人の乗った船を襲ってるからだぜえ。そうでなきゃただの漁獲船だろうがよ」

 ハダリーは下唇を舌でぺろりと撫でた。

 ハダリーの手が離れていく。ジルビはしばらく呆然として、はっと我に返った。

「待って! 人!? あなたたちと同じ人が他にもいるの? 船に乗って?」

 ハダリーは舵を船員から奪って、ぐるりと旋回させた。縄で船体に繋がれた鮫の死体が上下に激しく揺れる。今頃中はひどいことになっているだろうなと、ジルビは姉に同情した。

「ねえ!」

 ぐらぐらと揺れる船に気持ち悪くなりながら、ジルビは梯子を上った。

「それなのに、その人たちから宝石を奪うの!?」

「あっはっはっはっは!」

 ハダリーが狂ったように笑いだした。ジルビは足元を滑らせて、船からふるい落とされそうになった。その身体を、黒目の青年が受け止めて抱きかかえる。ジルビは細い息を吐いて、咳込んだ。吐き気がする。

「あのなあ、お嬢ちゃん! オレはなあ!」

 砂の霧の中に、はためく白い帆が見える。相対する船の船首楼が、灰色の影となって滲んでくる。

「オレは……オレの部下が無事ならそれでいい。海賊ってなあ、そういうやつだろ」

 くすくすと笑うハダリーの声は、どこか力なく零れ落ちた。



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