第二頁 血

 保護した二人の少女と、ハダリーはもう少し時間を過ごすことにした。二人の手を引いて、甲板の上をのしのしと歩く。梯子のような階段を上って、そこでハダリーは少女たちから手を離した。ミヒオが肩に担いでいた籠から、収穫した宝石たちを床にぶちまける。そこでまず、アビルがびくりと肩を跳ねさせた。対する妹の方は、太陽の光に輝く宝石の塊をまじまじと見つめるだけで、どうやらこの姉妹は妹の方が肝は座っているらしい。幼さゆえかもしれないが。

 あとから合流したもう一人の船員と一緒に、ハダリーとミヒオは床に散らばった宝石を仕分けし始めた。他の十九人の船員たちは、ハダリーたち三人が投げ捨てた宝石の実を削って潰して、瓶詰にするのだ。いわゆる、ジャムのようなもので、船員たちにとっては貴重な食料源だったりもする。

 ハダリーと二人の船員は、たくさんの宝石が敷き詰められた床に胡坐をかいて座り込んだ。そんな彼らを見下ろして、二人の少女は所在無げに立っていた。

「あの……」

 黙々と進む海賊三人の作業。沈黙に耐えられなくなったのか、少女の姉の方――アビルが、恐る恐る声を振り絞った。ハダリーはその声に、片眉だけを上げて反応した。

「私、たち、何か手伝わなくて――」

「ああ、いいのいいの。あんたらはむしろ何もすんな」

 突き放したようでいて、優しい声音でハダリーは言った。アビルは眉間にぎゅっと皺を寄せた。何故、とでも尋ねるかのように。ハダリーは短刀の縁でかつんかつんと宝石を叩きながら呟いた。

「あんたら、血の通った人間だろ。下手にこれに触って感染が悪化しちゃよくないからな」

「っつって、俺も血の通った方の人間なんっすけどね~」

 ミヒオが明るい声でそう言って笑い、宝石を三つ、ぶん、と放り投げた。船の下の方で待機していた船員の誰かが、それを受け取って潰していく。

「仕方ないだろ、人手足りてねえし」

 ハダリーがぼそっと呟く。

「ま、それだけ信頼して頂けてるってことっすかねー」

「そうそう。そういうこと」

「軽いなぁ~」

 ミヒオが笑う。アビルは視線を感じて、ハダリーの隣を見つめた。濃紺のフードを被った青年が、フードの隙間からアビルたちをじっと見ていた。暗い眼差しと、耳に光る青い宝石の煌めきが、なんだか怖いとアビルは思った。妹のジルビは何か思うところがあったのか、臆せず彼に駆け寄った。そういう行動力とか、勇気とか、この妹にはそう言うものが備わっていて、すごいと思うのだ。アビルは目を伏せて、青年とジルビから視線を逸らした。自分には、到底できない。

 ジルビが、青年の足元に散らばる宝石を踏みそうになったところで、ハダリーが焦ったような声を出した。

「あ、お前宝石にあんまり近寄るなって――ああもういいか」

 ハダリーは頭をがりがりと掻いた。アビルは妹が、フードで顔を隠したもう一人の船員に話しかけているのを横目で見ながら、ハダリーに向き直った。潮風が、一つに結ったアビルの長い髪の毛を棚引かせる。

「ずっと気になっていたのだけれど、血の通った人間、って何?」

「言葉通りの意味だよ」

 ハダリーは、短刀を赤い宝石にずぶりと刺した。刃を抜き取り、熟れた果実のように潰れたそれを船の下の方へ投げる。

「あんたらは隔離された集落かなにかの民族だからかな。その辺知らねえんだろうな。この世界はさ、もうみんな生き物全部花に寄生されちまって、血管にちゃんと血が流れてる人間なんてめったにいねえんだよ。俺が見ただけでも、ミヒオとあんたら二人だけだなあ」

 ハダリーは「お、これはいいやつだ」と呟きながら淡い青の宝石を太陽の光に透かした。

「……それじゃあ、他の人達の血管には、何が流れているというの?」

 アビルは訝しげに眉根を寄せて、唸った。

「花っすよ」

 ミヒオは無機質な声で言って、手に持っていた緑色の宝石を左手で軽く宙に投げ、掴み直してから籠の中に入れた。

「花?」

「そう、花っす。花びら。すごい速さで体中を巡ってるんっすよ。だからね、首の血管切るでしょ。そしたら血飛沫じゃなくて、花吹雪が舞うんすよ。アビルさんも見たでしょ? あの人食い鮫とおんなじ。あ、血飛沫見たことあります?」

 ミヒオは青い目をきらりと輝かせて、アビルを見あげた。

 アビルはごくりと喉を鳴らした。拳を握りしめて、小さく体を震わせた。

「それくらい……知っている。私の家族も友達も、みんな血まみれにされたのだから」

「それが、この砂海上では珍しいことなんだなあ」

 ハダリーは宝石を三つ串刺しにした短刀の柄を人差し指だけで支えてくるくると回した。

「他に質問は?」

「そんな……ことを言われたって……急には頭がまとまらないのよ」

「そうっすよね~」

 ミヒオがアビルの傍に来て、船の縁に頬杖をついた。太陽の光でキラキラと瞬くミヒオの黒髪をじっと見つめながら、アビルはますます眉間の皺を深くした。

「アビルさんたち、で、結局どこから来たんすか? どこの国があったとこ? どこの大陸?」

「し、らない……」

 アビルは俯いた。

「国とか、大陸とか、そんなもの知らなかった。私達の村は私達の村しかなくて、山の下には怖い人がいるって……でも、本当にその通りだった。まさか殺されるなんて思ってなくて――」

「まあ、赤道近くよりは極寄りかね? 二人とも色素薄いし。スラヴとかアングロサクソン系かな」

「あんぐろ……?」

 ハダリーの言葉にアビルは首を傾げた。ハダリーは立ち上がって、串刺しにした六つの宝石を振り落とす様にぶん、と短刀を振った。潰れたような形で六つの宝石が放物線を描き、落ちていく。

「んじゃ、オレからも質問だけどさ、赤毛のお嬢さん」

 ハダリーは小さな溜息を洩らしながら、服の袖で刃についた汁を拭った。白いシャツに色とりどりの水彩絵の具のような染みが広がっていく。混じりあったところは濃い茶色になっていた。

「あんた、言葉は何語喋ってたの? 人里から隔離された場所で生きてきたんなら、本当は英語とかも知らないんじゃねえ?」

「えい、ご?」

「そうそう。あんたらは多分ね、独自の言語を話してんだなあ」

 ハダリーは自分の指で口角をぎゅっとつり上げた。ハダリーの白い歯が覗いて、真っ赤な舌も見える。アビルは思わず反射的にきゅっと瞼を閉じて開いた。まるで、熟れた柘榴のような舌だとアビルは思った。

「でもあんたらはオレ達と違和感なく話せてる。それ、不思議に思わなかった? 思う暇もなかったか。急なことでびっくりしたもんなあ」

「なにを……」

 戸惑いを顔に浮かべるアビルに、ハダリーはぐっと顔を寄せてにっと笑った。

「オレの一番最初の質問、覚えてる?」

 アビルは瞬きをした。頭の中で、にやりと笑ったハダリーの顔が浮かんでくる――その顔が逆光に照らされて怖かったのをアビルは思い出して、俯いた。

 ――『お名前は? 言葉、わかる?』

「名前と……言葉がわかるか、と言ったわ。あなたは」

「そう。それでな、あんたらがどういう状態にあるのか図ろうとしたんだ。もし言葉が通じないなら、オレらと会話できないような二人だったら、そのまま見殺しにするつもりだった」

「な、なんで……!」

 アビルは顔をさっと青くして両腕で肩を抱いた。ハダリーは素知らぬ顔で、人差し指と中指で短刀を水平にくるくると回していた。

「あ、あんなところもう嫌よ! わ、私達、どれだけ心細かったか……貴方たちが現れて、怖くて、でも、助かるかもしれないって、嬉しくて――」

「あんたらがさ、血の通った人間だってことはすぐ分かったんだよ。だってあんたの顔真っ青だったし、妹――何だっけ? ジビル? ジルビ?」

「ジルビ」

 ハダリーの後ろの方で、もう一人の船員の掠れた声が聞こえた。声と形容していいのかもわからない、風のうねった音のようなものだ。アビルはその声の主を見て、息を飲んだ。ジルビはいつの間にそんなに懐いたのか、フードをかぶったままの男の腕に抱き抱えられていたのだった。

「ああ、そうそうジルビね」

 ハダリーは鼻の下を指で擦った。

「そのジルビは真っ赤な顔してた。ちゃんと赤い血液が流れてる人間じゃねえと染まらない肌の色だよ、それはな。しかもあんたら肌が白いからわかりやすかったなあ。腕見たら、青い血管が浮きあがってやがる」

 ハダリーはくすりと笑って細い指でアビルの腕を撫でた。アビルはびくりと肩を揺らした。金色に染まったハダリーの爪は、きらりと瞬いた。宝石のように。

「もしも言葉が通じなかったら、あんたらがまだ花に寄生されてねえってことだ。あんたらが本当に、正真正銘の人間様ってことさ。だったらそのまま、死なせてやるのが幸せってもんだろう? 人間様の尊厳を保ったまま、死んだ方がいい。オレはそう思う」

「何を……言っているの?」

「オレ達みんな、花に寄生されてる。本当は、共通言語なんかひとっつもしゃべっちゃいねえ。それなのにオレ達の会話が成り立つのは、オレらの身体の髄にまで根を張った花がな、オレらの脳に錯覚を起こさせてるからさぁ。自動翻訳機って言うのかな。あー……だからさ、わかりやすく言うとな」

 ハダリーはアビルから顔を離して、へらりと笑った。

「花に寄生されていないんなら、オレらと言葉が通じるはずがないんだ」

 アビルは何も言えないまま、ぎこちなく首を回して、隣で船の壁に寄りかかるミヒオを見た。ミヒオは静かに笑った。

「ん? 俺も寄生されてるっすよ? ただまあ、俺はまだ花が体の中で咲いてないんす。船長が助けてくれたから……」

 ミヒオは不意にアビルの手をとって、何かを握らせた。アビルが手を広げると、それはアビルの目によく似た淡い緑色の二つの宝石だった。耳に留める金具までついている。

「それ、はめとくといいっすよ。花の中枢は特に脳に寄生してるみたいで、脳に近いところに宝石ぶら下げてるとね、花の成長が抑制されるんすよ。俺も、ずっとそうして血が通ったままでいられてる」

「ジルビの方に……これは」

 アビルは回らない頭で辛うじて、震える声でそう言った。

「二人分用意するに決まってんだろうがよ」

 ハダリーは鼻で嗤った。フードを被った船員はジルビを腕から下ろして、宝石の詰まった籠を抱えて階段を下りていく。ジルビはぱたぱたと足音を立てながら姉の元へ駆け寄ってきた。「おー転ぶなよー。その宝石意外と脆いからな、床とかにぶつけたらすぐ割れっからなー」とハダリーがぼそりと呟いて、自分も階段の下に消えた。

 ジルビは鮮やかな赤紫色の小さな宝石を、既に耳たぶにぶら下げていた。「お姉さん」とジルビの唇が動く。

「さっきのお兄さんから宝石もらった」

「そう」

 アビルは妹をぎゅっと抱きしめた。アビルの頭の中で、言葉にならない想いが渦を巻く。アビルはジルビの顔を自分の腹部に押さえつけて、自分はぎゅっと目と口を閉じて、やがてぼろぼろと涙を流した。ミヒオはその間、何も言わずに隣にいて、潮風に耳を澄ましていた。ミヒオはアビルの細い腕を見つめた。赤いかさぶたが幾つもついた肌。この姉妹がどれだけ怖い思いをして、あの人食い鮫の腹の中で息を潜めていたのか、ミヒオには想像しかできない。それでもその気持ちは、ハダリーに見つけてもらった――船の倉庫で縛られ閉じ込められていた時代の自分のそれと、案外似たようなものなんじゃないか、なんて勝手に想像した。

 ミヒオはハダリーが率いる海賊のことを、家族だと思っている。けれどアビルとジルビに出会って、胸の内に別の気持ちが沸き上がっていることも自覚していた。自分の半身を見つけたような心地。本当の家族を見つけたかのような――肌の色も、髪や眼の色も全然違うのに。

「二人のことは、俺が絶対守るっすからね!」

 ミヒオはにっと笑った。唇の下から八重歯が覗く。アビルは瞬きをした。赤い睫毛の先で、小さな雫が弾ける。

「二人の、人間としての尊厳は俺が守るっす! 命に代えても!」

 アビルの眉尻が下がる。ミヒオは太陽のように輝く笑顔を浮かべていた。

 そんな二人を見あげて、ジルビが少しだけ悲しげに目を細めたことに、二人は気づかない。


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