第9話

 目を開けると、リズの顔が飛び込んできた。近い、とても近い。息遣いさえも感じられるほど接近している。

「近いぞ……」

「もっと近いほうがいい?」

「いいから離れてくれよ……」

 痛む身体を起こすと、それに伴ってリズも離れていく。

 周囲を覆う白いカーテン。身体にかけられた布団。ここは病院なんだろうなと、そう思った。

「お前一人か?」

 ふるふると、リズは首を横に振る。顔立ちも振る舞いも大人びているのに、こういうった仕草はとても子供っぽくて可愛い。

「こっち」

 そう言って、彼女はカーテンを全開にした。

「あ、それダウトだわ」

「かー! なんでバレるわけ!? お前なに!? なんで俺のことわかるの!? 結婚しよう!?」

「お断りよクソ野郎。ケツ洗って出なおせ」

 トランプで遊んでいた。しかも、霞先輩を入れた七人でだ。

「空いてるベッドで不謹慎すぎるだろ……」

「おう、起きたのか語。調子はどうだ?」

 カードを目一杯持った京介が、白い歯を見せてきた。

「おかげさんでなんとかなってるよクソ野郎」

「その呼称やめろよ!」

「どうせクソ野郎なんだからいいじゃない。それより、もう面会時間も終わりみたいね。スレイプニルてっしゅうー」

 望未の掛け声で、皆が病室から出て行った。俺が起きるまで病室にいたくせに、起きても「大丈夫か?」の一言もないとか。一人くらい声かけてくれてもいいだろうに。

「今日は私も帰る。また、明日来る」

「明日も学校だろ? 無理すんなって」

「私はいつでも、どこでも、どんなときでも、語と一緒にいたいから。アナタの顔を見ていたいから。できるだけ近くにいる」

「お、おう。わかった」

 真顔でそんなことを言うものだから、思わず顔を逸らしてしまった。

 無表情だが顔立ちは整ってるし、澄んだ瞳に射抜かれるとどうしたらいいかわからなくなってしまう。

 次の瞬間、ふわりと香る花の匂いと共に、左頬に柔らかい感触がした。

「ばいばい、語」

 リズはそのまま出て行った。が、俺はそれどころじゃない。

「今の、唇か?」

 鼓動が早くなっていく。顔も熱いし、なんだってんだよアイツは。

 普段は感じないのだが、ふとしたときに女性らしさを感じる。それに、こういうことをナチュラルにやるんだから困る。

 こんなモンスターと毎日同じベッドで寝ているのだと思うと、顔から火が出そうになった。

 あれから担当の看護師さんがきて、今日一日は検査入院だと言われた。リズは明日も来ると言っていたが、お見舞いに来る頃には帰宅しているんじゃないかと思った。

 起きた時間が遅かったせいか、食事をして風呂に入れば消灯時間になってしまった。というか病院に風呂なんてあるんだな。

「寝ろと言われてもだな」

 オブジェクトを壊した覚えもあるし、霞先輩もいたし、たぶん勝ったのだろう。が、あれからずっと寝ていたのだとしたら、軽く四時間は寝ていたということ。

 目が冴えて仕方がない。

 財布と携帯はあるし、ちょっと夜風にでも当たってこよう。

 病室には俺一人だったが、一応忍び足で廊下に出た。

 怖かった。

「いやあ、ホラー映画とかはそこそこ好きだけど、実際体験すると違うな」

 なんで病室内に戻ってきてしまったのだろう。

 もう一度、意を決して廊下へ。非常口への順路を照らす灯りが、妙に物々しい雰囲気を出していた。こんなに弱い光を点在させるとか絶対おかしいだろ。

 自販機を探し、いざ探索開始。そういう場合、看護師さんが警邏をしているはずだ。気をつけて行動しないと。

 少しすれば目も慣れて、無事に自販機も見つけられた。しかし、おちおちジュースも飲んでいられない。なぜならば――。

「ヤバイ、病室に戻るの怖い」

 本当は「うおおおおお! 怖いよおおおおおおおおお!」と言って走り出したいくらいだ。

 しかしここは病院、駆け抜けるわけにもいかない。しかし怖い。

 遠くで人の気配がする。これは看護師さんのものではなさそうだ。人の殺気や気配に日常的に触れているせいか、なんとなくそんな気がした。特にこんな状況だ、五感が鋭敏になっている。

 背筋が凍った。

 歯を食いしばった。

 正直、俺の思考は初等部まで遡ってしまったとさえ錯覚した。現在高等部三年なので、六年くらい前まで精神年齢が後退している計算だ。

 一歩足を踏み出せば近づいてくる。一歩、また一歩と、空気から伝わる感覚が、恐怖心をどんどんと煽っていくようだ。

 ダメだ、もう我慢できない。

 大きく一歩踏み出して、体重を目一杯乗せた。言わずともがな、病院なのに走ってしまったのだ。

 静かに、けれどできるだけ速く。こういうのには慣れている。

 主に、京介と更衣室を覗いたときなんかに使っていたからだ。

 息が切れる頃、一度立ち止まった。

「ここはどこだ」

 この年になって迷子とかもうね。しかも看護師さんとはまったく出会わない。運がいいのか悪いのか。

 戻る道を模索している最中、光が漏れている部屋を見つけた。いけないよなと思いつつ、ドアに張り付いて中を見た。

 一人佇む男性と、ベッドに横たわる少女。少女には数本のチューブがついていて、病気なのだろうと推測できた。

「入ってきたらどう?」

 気づかれているのか。いや、そんなはずはない。潜伏用の呼吸法とスニーキングはじいちゃん仕込み。それが簡単に破られるなんてありえない。

 まあ、俺の腕がへっぽこだと言えばそれまで。

「この子はしばらく目を覚まさないから大丈夫だ。さあ、入ってきたまえ」

 これも未熟さ故かと、ゆっくりとドアを開けて中に入った。

 男性は振り向き、俺と目を合わせた。

 俺はこいつを知っている。学校ではあまりにも有名だからだ。

「気配の消し方が雑だね。もうちょっと上手くやらなきゃ」

「悪かったな、出来損ないで」

「そんなことはない。一応、キミのことは評価しているんだ。鳴神語くん」

「なんで俺の名前を?」

「我らがリーダーご指名だからね。遅れたけど、私の名前は霊法院断真だ。よろしく」

 こいつが総合順位一位の霊法院断真れいほういんたつま。文武両道才色兼備、親の事業さえも任されていて、外見も学年トップの完璧超人。

 そういえば上級生に敬語じゃないけど、相手が気にしてないからいいだろう。

「病人のお見舞いか?」

「そんなところだね。知り合いの妹でね、うちで預かってるんだ」

 一度視線を少女に移したのだが、嫌な気持ちが胸を侵食していく。

「俺、その人によく似た人を知ってるんだが?」

「キミが知っている人の妹だよ」

 長くか細い髪の毛は、色素が薄く光を透過しているようだ。肌が白く、身体も小さい。ずっと入院していた。そう考えるのが妥当なんだが――。

「なんでレイナの妹がここにいるんだよ」

「俺が口利きをしてこの病院に入院させてあげてるんだ。身よりもないからね」

「さすが、霊法院家の御曹司ってとこか」

「学費だって霊法院が支払っている。医療費も含めれば、学生が払える額ではないね」

「もしかして、レイナが転校したのもアンタが原因か?」

「勘がいいね。その通りだよ」

 沸々と、負の感情が湧き上がってきた。しかし、こんなところで手をだすわけにはいかない。というか、この人には敵わない。俺の本能が、怒りという気持ちを制御した。

「理由は聞かせてもらえるよな?」

「もとよりそのつもりで招いた。そうだな、どこから話そうか」

 アゴに指を当て、考え事をしている様子だ。そうしながらも口は笑っていて、性格が悪そうだなと思わされる。

「まず、彼女の才を見出したのは中等部のときからだ。別段強いというわけではなかったが、野生というのかな、戦闘において勘が妙に鋭かった。才能の片鱗というのを感じたよ。それからずっと見ていた。だからウィルオウィスプのことも知っている。それに彼女の両親がすでにおらず、病弱な妹と二人暮らしというのも発覚した」

「つけ込んだのか」

「前々から援助はしていたんだが、三年になってから持ちかけた。学費も医療費も払い続ける代わり、俺が求める強さを手に入れろと。世界でも最高水準の医療技術を持つ霊法院に入院できるんだ、彼女も光栄だろう」

「脅した、の間違いだろ? どうせ断ったら全て奪うつもりだった」

「どう解釈してもらっても構わないよ。イエスともノーのも言わない。結果的に彼女がそれを受け入れたという事実があるのだからね。それで続きなんだが、二年経って帰ってきた彼女は強くなっていた。私が求めていたものに近い彼女に、私はこう言ったんだ」

 断真先輩はニヤリと、汚く笑った。

「私とコミュニティを組み、そして勝ち続けろ。負けた場合は医療費も学費も断ち切るとね」

「てめぇ……」

「マイナは元々病弱で入院していたんだ。しかし両親と死別し、貯金を切り崩す毎日。貯金が底を尽きるかどうかというところで、私は援助を持ちかけた。何年も世話になっていたんだ、断れるわけがない」

「最初から狙ってたのかよ」

「そういうわけじゃない。最初は親切心だったんだけど、ちょっと気持ちが変わってね。それにしてもあのときはいい顔だったよ。悔しそうで、苦しそうだった。別に他のコミュニティでもいいんだけど、上位のコミュニティのリーダーは私のことが嫌っている。特に生徒会長の天宮凛香は私を毛嫌いしている。本当なら彼女も屈服させたいところだけど、それはまた次の機会かな。ま、なににせよ彼女はもう私の物ということさ」

「そんなことを言うために病室に入れたのか」

「違うよ。キミと取り引きがしたい」

「取り引き? 俺はなにも持ってないが?」

「取り引き相手はキミだが、キミの所持品をやりとりするわけじゃない。レイナと、マイナだ」

「またそうやって勝手に――」

「今のままで行くと、レイナは一生私の奴隷だ。就職先だって、私の口利きでどうとでもなる。捨てるも拾うも私次第。それに、今までかかった学費と医療費などは高額すぎて、そう簡単になんとかなるわけではない。入院し続ければマイナの病気はそのうち治るが、膨れ上がった医療費は、一般人に払えるものではないんだよ」

 給料が安いところに就職させて、無理矢理一生縛るつもりか。

「だからね、もしもキミたちが勝ったら、学費も医療費もタダにしてあげよう」

「自分でなに言ってるかわかってるのか?」

「当たり前さ。ただしこの取り引きにはルールがある。今の話がレイナの耳に入った場合、取り引きは無効にさせてもらおう」

「レイナは供給を絶たれまいと全力で向かってくる。しかしレイナが勝てば一生奴隷。それを打破するのが俺の役割だと」

「葛藤し、悩み、苦悩する。学校生活に大切な要素だと、私は考えるんだ。青春の醍醐味だとは思わないか?」

「ホント、マジでヤな野郎だな、アンタ。凛香先輩にも嫌われるわけだ」

「それは性格だから仕方ないんだよ。で、やるの? やらないの?」

「やらないわけにはいかないだろう。それがアンタの狙いだとしても、な」

「いい返事だ。スレイプニルのメンバーには言ってもいいよ。まあコミュニティの外に漏れなければいい。レイナには二十四時間体勢で監視を敷いているから、くれぐれも気をつけるように」

「後悔させてやる」

「楽しみにしておくよ」

 興味を失ったかのように、断真先輩は俺に背を向けた。用事が終わったのだ、俺も病室を出よう。

 帰り道の暗がりの廊下は、怖いというよりも虚しさの方が大きかった。自分の無力さを痛感したからだ。

 俺はなにも知らなかった。レイナがどれだけの思考を巡らせてこういう結論に達したのか。両親がいないのも妹が病気なのも知っていたが、それがここまで重荷になっていたことまでは知らなかった。

 俺は「捨てられた」と、自分勝手に思い込んで、ふてくされて被害者面だった。

 恥ずかしさと、虚しさが同時に襲いかかってくる。

「語?」

 角から、リズが姿を現した。

「お前、なんでここに?」

「やっぱり一緒にいたいから。許可をもらってきたの」

 一枚の紙を俺に差し出す。近くにあった自販機でそれを見れば、宿泊許可証と書いてある。名前は、鳴神傑。

「またじいちゃんの名前を勝手に……」

「傑には許可を取った。だから大丈夫」

 リズは身を寄せ、俺の腕に抱きついてきた。表情は変わらないが、なんだか不安を感じているのだということはわかった。これも、同棲による成果だろうか。

「レイナのために勝つの?」

「聞いてたのか」

「語を探してるときに、聞こえてきた」

 才能もあるし、なによりもじんちゃんの愛弟子だ。気配の消し方だって俺よりもずっと上手いのも当然か。断真先輩が気づいていたかは謎だが……。

「レイナのため、か。それもあるかな」

「それ以外の理由が?」

「アイツがムカつく。人を物みたいに扱うアイツを、俺は許せない。相手がレイナであろうがなかろうが、俺がアイツを殴りたいんだ」

 ぐっと拳を握りこむ。この拳で、アイツの鼻っ柱を殴ってへし折ってやりたい。

 しかし今の俺では、勝つことも殴ることもできはしない。それがまた不甲斐なくて、奥歯をきつく噛み締めた。

「語は、一人じゃない」

 リズの方を見た。

 下方からの視線が絡みつく。俺の目を一直線に見つめる澄んだ瞳。最初はガラス玉みたいだなと思ったが、今はまったく違う。彼女の瞳は純粋で、そして温かい。

「ああ、そうだな。全員で、ぶっ飛ばしてやろうぜ」

 できるかぎりの笑顔で応えてやる。

 不意に、リズが笑ったようにも見えた。

「うん、大丈夫」

 リズの頭を撫で、俺は誓う。絶対に勝ってやるんだと。レイナとマイナを自由にして、俺の中にあるわだかまりを全部ぶった切ってやるんだ。

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