【011】「まったく……割に合わない仕事だ」

『邪教盗賊団』の頭領であるザガンはひどく神経質な男だ。

 おおよそ盗賊という職業には似合わない繊細な機微の持ち主である。

 荒くれ者揃いの盗賊たちに学はない。強い者が偉い、という獣じみた行動原理を持つ者が大半だ。

 だからこそ盗賊などという職に身をやつす。行きつく果ては仕事の最中に返り討ちに遭うか。もしくは業を煮やした領主たちに討伐隊を差し向けられ、まとめて切り捨てられるのが関の山だ。

 稀に裏社会に食い込み大物になる者がいないとまでは言わないが、そういう者は元々有能なだけに過ぎない。

 それ以外の多くはゴミのように屍を晒し、死んでいく。弔う者などいるはずもない。

 元が真っ当な世界からはみ出した者たちだ。真っ当な生き方ができないのは道理である。

 ザガン率いる邪教盗賊団はそんな中で例外的な存在だった。

 容赦はなく狡猾で緻密。

 弱い者の弱い部分を狙い、危険があれば同じ団員を切り捨ててでも自分は生き残る。ザガンはそうして生きてきた。

 だからこそ。


 こんな事態は予想外だった。


――◆――


「なんだ、このザマは……!」


 ザガンはその陰気な顔を苦虫でも噛み潰したように歪め、毒づいた。淀んだその瞳には、信じられない光景が映っていた。

 ザガンたち邪教盗賊団が獲物に見定めた行商人。その1人である銀髪のガキにザガンたちの奇襲は失敗した。

 それだけならともかく、隠れていたはずの弓兵は謎の鎖で引きずり出された。襲撃は誰がどう見ても失敗だ。


「ザガン、どうするのぉ?」


 隣に控えるユーズがザガンに尋ねる。その手には抜身の魔刀ソローヤが握られ、落ち着きなく刃先がゆらゆら揺れている。落ち着きがない証拠だ。

 ユーズは腕が立つが、それ以外は壊滅的。ザガンの護衛として、傍に付けているのは放し飼いにするにあまりに不安だからだ。今もザガンが抑えていなければ、嬉々としてあそこに飛び込んでいくだろう。

 ユーズは鬼札だが、そういう女だった。

 2人がいるのは部下たちが襲撃している場所よりもやや高い丘。距離はさほど離れてらず、戦いが一望できる。


「どうもこうもない。なんとかして逃げるぞ」


 楽な仕事のはずだった。

 護衛無しのガキが2人。行商の帰りだろう。護衛を連れていない以上、さほど高価な積荷は積んでいないだろうが、身入りとしては悪くないはずだった。

 それがどうした。


「アレは化け物だ。手に負える相手じゃない」


 最初の矢を弾いた時点で逃げるべきだった。決断を下すのが遅すぎた。

 銀髪のガキはあろうことか、この闇の中で放たれた矢を弾いたのだ。

 外したのなら仕方がない。団員たちの弓の腕の技量は高くない。外すこと自体は珍しくない。元より目的は矢で狙われているという恐怖を与えることだ。

 避けたのなら、まだ理解はできた。優れた戦士の動体視力と反応速度は驚嘆に値する。ザガンには無理だが、ユーズなら可能かもしれない。

 だが弾くのは異常だ。矢弾きそのものはともかく、不意打ちで、それもこの暗さでそれを行うなど常軌を逸している。狙う相手を間違えた。


「でも妙なスキルかけられているわよ?」

「……」


 ユーズが指摘したのはあの銀髪が棍を構えてから変わったこの空気のことだろう。

 銀髪のガキが何事かを呟いてから、背筋が凍りつくような恐怖を感じていた。何らかのスキルを使ったのは明らかだが、その正体は掴めない。

 理性では逃げなければ、と理解しているのに身体が交代するのを拒絶するのだ。生物として、あの銀髪に背を向ける事を本能が拒否していた。


「あの銀髪の注意を逸らす。首を刈ってこい、ユーズ」

「どうやってぇ?」

「アイツらがやられたタイミングに合わせて、奇襲を仕掛ける」


 あっさりと部下たちを捨て駒に使う判断をザガンは下す。事実、それは現状でもっとも有効な戦術ではあった。力の差は歴然としている。

 そもそもザガンは部下たちに何の執着も持っていない。邪教盗賊団の団員のうち、古参と言えるのはザガンとユーズだけだ。

 荒っぽい家業故に人死には絶えない。そんな『不運』が自分に回ってこないよう、ザガンはいつも慎重に立ち回ってきた。具体的には危険のある仕事は部下にやらせてきた。

 その結果として邪教盗賊団の入れ替わりはとても激しい。指揮を下すザガンと卓越した戦闘力を持つユーズ以外は1年と持たない。団員の大半が移動した先で見つけたチンピラ崩れだ。どこのコミュニティにもどうしようもないクズはというのは存在する。いなくなっても喜ばれこそすれ、惜しまれることはない人間は消耗品としてとても優秀だった。


「おそらく大した足止めにもならんがその隙に首を取って来い。猿ごと斬っていい」


 ザガンは『忌獣使きじゅうつかい』である。

 召喚師の一種であり、その醜悪さから忌み嫌われる忌獣きじゅうを使役する者をそう呼ぶ。

 ザガンは忌獣きじゅうの中でも疫病の運び手とされる異形の猿、歪涎猿わいぜんましらの使役を得意としていた。

 歪涎猿わいぜんましらは強力な魔物だ。その長くいびつに発達した腕力は並みの冒険者では相手にならない。絶えず口からこぼれる唾液には毒があり、傷口に入れば化膿し、四肢を腐り落とすまで悪化することも珍しくない。

 ザガンはそんな歪涎猿わいぜんましらを3体も同時に使役する事ができた。


「えぇ~……あの子、殺すの? かわいいのに」


「諦めろ。死んだら、元も子もないだろう」


 突き放すようなザガンの言葉。ユーズも分かっているのだろう。ゆらゆらと揺れる魔刀ソローヤが止まり、ユーズの気配が砥がれるように鋭いものに変わる。

 もっとも顔は不機嫌そうに歪んだままだが。


「もう持たないな。行くぞ」


 ちょうど弓を持たせた団員が何かに引っ張りあげられたように宙を舞った瞬間だった。

 得体の知れないスキルだ。

 ザガンが見ている前で、銀髪が神速の突きを繰り出す。闇夜に煌めく銀の輝きが線状となり、3人の部下を貫く。

 ザガンの動体視力では完全に同時だったようにしか見えなかった。


「まったく……割に合わない仕事だ」


 忌々しそうにそう吐き捨てながら、ザガンの手が宙を泳ぐ。その指先にはくら浅葱色あさぎいろの光が灯り、闇に次々と幾何学模様を描いていく。

 指から離れたその不気味な緑光はまるで意識を持つように空を這い、円陣を描いていく。まばたきほどの短時間でザガンの周囲にはいくつもの魔方陣が漂っていた。


歪涎猿わいぜんましら


 短い詠唱が終わり魔方陣が噛み合い、ここではないどこかへと空間が繋がる。どこへ繋がっているかはザガンも知らない。しかし、どこに繋げればいいかは知っている。

『魔術』とはそういうものだ。人知の及ばぬ、されど強大なそれを人は『魔術』と呼んだ。 


「行け」


 闇夜の中をザガンにだけ見える緑光がはしる。

 大仰な詠唱や仕草を好む魔術師は多いが、ザガンは拘らない。魔術の多くは複雑さを増すごとに威力も精度も上がる。

 ザガンが好むのはその逆。発動に最低限の力を使った魔術を使用する。無駄を嫌うのは性分だった。

 緑光と共にユーズは姿勢を低くし、走り出す。這うように低い疾走は人というよりも獣のようだ。


召喚サモン


 緑光が到達するとほぼ同時に魔方陣が銀髪のガキの近くに浮かび上がる。そこから手足が異常に長い異形の猿――歪涎猿わいぜんましらが現れる。

 白恥はくちの猿は凶暴だ。その毒が脳まで達しているからとも言われているが本当かどうかは知らないし、興味も無かった。

 ただ歪涎猿わいぜんましらの唾液には肉を腐らせる毒があり、その知能の低さから周囲にいるモノに無差別に襲い掛かるということだけは確かだ。

 本来、歪涎猿わいぜんましらはザガンよりも高位の術師が扱う忌獣きじゅうだ。魔物としてはそれほど程度は高くないが用途を『相手を殺す』という意味では非常に扱いやすい。問題は知性が低く、術師にも襲い掛かってくるということだ。

 高位の術師は自分に襲い掛からないように『束縛ギアスの首輪』というスキルを用いるらしいが、ザガンには使えない。だからこうしてある程度、距離があり自分が巻き込まれない状況で使う。

 歪涎猿わいぜんましらの周囲には銀髪のガキにやられた部下がいるが躊躇はない。どうせ持ち帰っても役に立たないからだ。ここで死んでくれたら口を封じる手間が省けていい。

 数瞬遅れて、追撃として放たれた緑光が銀髪のガキを取り囲む。その数、3つ。ザガンが1度に召喚できるギリギリの量だ。正直に言えばガキ1人を殺すには過剰過ぎるが、出し惜しみをして死ぬ気はザガンにはない。

 しかもそのうち2体は捨て駒だ。前後からの挟撃きょうげき、それも殺す事を目的としていない――相手の武器、闇を切り裂くようなあの銀棍を奪うことを目標に定めている――命令を仕込んである。本命は頭上の1匹、そしてザガンの手持ちの駒の中で最強の駒であるユーズだ。

 しかしザガンの想定はまたも容易く崩された。


「なっ……!?」


 思わずザガンは喉の奥から呻きが漏れる。召喚した歪涎猿わいぜんましらはザガンの命令に従い、銀棍に飛びついた。どんな戦士でも武器を失えば、その強さは保てない。そう思っての一手だ。

 しかし銀髪のガキは一瞬の躊躇いもなく、銀棍を手放した。


――戦闘中に、敵の目の前で、武器を手放す?


 疑問を抱く暇さえも与えられずに、ザガンの見つめる先で青白い火花が散った。視界を焼いた光から一瞬遅れて、異音がザガンの耳に届いた。肉と骨が砕ける音。それは落雷に良く似ていた。

 そして、それは続く。

 夜の闇に青白い閃光が尾を引き、舞う。まばたきほどのかすかな時間でザガンの召喚した2体の歪涎猿わいぜんましらがその命を散らす。

 そして残った1体に至ってはその召喚が終わる前に喉を掴まれた。


 奇襲が、完全に


 次の瞬間、轟音と共に闇が爆ぜた。

 驚きに目を見開いたザガンの網膜を閃光が焼く。宵闇になれた眼球に白い閃光が焼きつき、視界が一時的に奪われたのだ。そして大気を揺らした轟音に雷を連想し、背筋が凍りつくのを感じる。

 これは、恐怖だ。


「化け物が……ッ!」


 痛む目を無理やりに開きながら、ザガンが喉の奥から絞り出した声は震えていた。


――◆――


「イーワン、大丈夫かッ!?」


 一拍遅れ、ファイの悲鳴が闇に響いた。

 しかし、イーワンと女剣士はそちらを振り向かない。すでに場を支配する戦いの様相は一変している。

 ファイは戦況の変化についてゆくことが出来ていない。


「今のをかわすなんてゾクゾクしちゃう……!」

「ととっ……来るとは思ったけど容赦ないな」


 躊躇いなく首を刈りに来た一撃を最小の動きで見切り、数歩距離を取る。イーワンの獲物は長柄である。当然、間合いは広い。

 相手もそれが分かっているのか、無暗に飛び込んでくることはしなかった。


「ボウヤ、お姉さんとイイことして楽しまない?」

「うはっ、すげー美人」


 妖艶な笑みを浮かべる目の前の女剣士をイーワンは改めて観察する。

 切れ長の瞳は蠱惑的こわくてきに歪められ、大型の猫科動物のような危険な色気。黒く染められた革鎧はその肢体をきつく締め付け、胸や尻を淫猥いんわいに強調していた。

 闇に紛れるようなその姿は彼女の姿によく馴染んでおり、日の当たらぬ道を歩んできた日々を雄弁ゆうべんに主張している。

 危険な気配は隠そうともされず、殺気がイーワンの喉や心臓のような急所に向けられているのが露骨だ。間違いなく誘っているのだろう。

 そんなスリルにイーワンが顔をへらりと緩めていると、ふとその手に持っている曲刀に気がついた。

 青みを帯びた剃刀かみそりのように薄い曲刀。

 こういった『実践馴れ』していない戦士はつい、力みがちだ。緊張から筋肉は強張こわばり、柔軟性を失う。剣を握る手に不必要な力が入ってしまえばそれはそのまま太刀筋たちすじに直結する。いびつな力の込められ方をした攻撃を捌くのは容易いということをイーワンは経験から学んでいる。

 女剣士にはそういった緊張は見られない。柄を滑らない程度に軽く握り、イーワンの動きに合わせ、手首に余裕を持たせている。かすかに刃先が揺らいでいるのは誘いだろう。

 例えVRMMOであっても『初心者ルーキー』は『人の形をしたモノを斬る』ということに抵抗がある。この女剣士が相当に『』いるのは明らかだった。

 しかし、イーワンが興味を持ったのは女剣士の力量ではなく、彼女が持つその曲刀そのものだった。


「あれ? 『ソローヤ』?」


 見覚えのあるその曲刀の銘が思わず口をついて出た。その銘を聞いた女剣士は一瞬、驚きに目を見開く。


「ボウヤ、この魔刀のコト知っているの?」

「あー、うん。まぁね?」


 思わぬ再会にイーワンの顔は不機嫌そうに歪む。ソローヤにいい思い出はない。


――魔刀『ソローヤ』


 イーワンが知る魔法の武具マジックウェポンのうちのひとつ。

 切れ味に特化したその性能はイーワンから見ても、かなり上位の武器だ。異常な切れ味は生半可なランクの装備品を容易く切り裂いて見せるはずだ。その切れ味はイーワン自身、良く知っている。


「んー……困ったわねぇ……」


 女剣士は艶やかな唇に指を添える。そして残念そうに眉を下げてみせた。


「この刀について公言されると困っちゃうのよ。ほら、盗品だし? かわいい顔してるからせっかくだからたっぷりと交わって……と思ったけれど」


 女剣士の纏う気配が変わる。

  先程までの軽薄な空気が剣呑けんのんとした殺気を伴ったものへと変容する。


「殺すしかないわねぇ?」

「お、おい……イーワン、なんかヤバそうじゃないか……どうする?」


 ファイにもその気配は伝わったのか、不安そうに鉄書を構える。


「あぁ、大丈夫大丈夫。ファイちゃんは心配しないで、ちゃんとオレが守るからさ」

「ちゃんづけすんなって……ンなこと言ってる場合じゃないね。どう見てもヤバそうなんだけど……アンタのその自信はどこから来るんだい」


 イーワンが軽口で返すとファイはいくらか落ち着きを取り戻したようだった。しかし、イーワンのその気負わない言葉の裏にある余裕も相手に伝わったようで、周囲を取り巻く気配がチリリとわずかだが逆立つのを感じる。

 姿勢や構えのバランスを崩すほどのものではないが、心には小さな揺らぎが起こったようだ。そういった精神メンタルの隙は意外とデカい。


「ボウヤ、ずいぶんな言いぐさね? 『魔刀賊まとうぞく』のユーズって結構、評判だったと思うんだけど傷つくわぁ」

「ごめん、オレそういうの疎くてさ。よく知らないんだよね。そういや、オレも名乗ってなかったか」


 生憎と『魔刀賊』なんて二つ名に聞き覚えがなかった。AWOではその行動や実績に応じて“二つ名”を得ることができる。『二つ名』はそのキャラクターの象徴でもあり、それぞれに応じた恒常的なバフ効果がある。プレイヤーは大抵、初心者でも経験値に微量のボーナスがつく『未熟者ノービス』なり『初心者ルーキー』なり『二つ名』を使っている。当然『二つ名』を持つプレイヤーやNPCは持たないキャラクターよりも強い。

 そして聞き覚えのない珍しい『二つ名』は解放条件アンロックが難しいか、あるいはそもそも他に類を見ない固有の『二つ名』であることが多い。

 有り触れたシステマチックな『二つ名』ではない、そんな原義により近い『二つ名』を持つキャラクターは『ネームド』と呼ばれ、恐れられている。


「イーワン。こっちで通じるかは知らないけど『銀盾ぎんじゅんイーワン』だ。覚えておいてくれよ。女に覚えてもらえると名乗った甲斐がある」

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