【012】「オレはキミを」

 AWOに存在する装備アイテムには全て『耐久度』が設定されている。耐久度は武器や防具によって違い、素材が硬度に優れた金属などなら高く設定されており、武器の『丈夫さ』を示しているパラメーターだ。

 耐久度はその装備の継戦能力を示しており、敵の攻撃を受け止めたり、敵への攻撃を行うことで減少していく。普通に攻撃する分にはさほど気になるパラメーターじゃないが、大規模戦闘レイドボス攻略など長期戦になると不安材料として挙げられることもある。

 しかし、そんな地味なパラメーターである『耐久度』だが、これが0になると装備が破壊されるという致命的な事態が発生することになる。こうなると装備を作り直す必要があり、ちょっと笑えない出費になる。

 その為、ある程度減ったら鍛冶系のスキルを持つキャラクターに依頼して修理してもらう必要があるのだが――低レベルのうちは気にするほどではないのだが、これが高レベル、特にイーワンのような廃人ハイエンド級の装備品になると目玉が飛び出るような金額になってしまう。

 レベルに見合った装備品になればその修理費も高額になる。レアリティに見合った性能を持つ廃人ハイエンド級はちょっとやそっと雑に扱ったところで耐久度が減ることはないが、例外はある。

 それが目の前にある魔刀『ソローヤ』である。


「おっと」


 イーワンは的確に首元を狙い、迫るソローヤの刃を最低限の動きでかわす。『魔刀賊』の名乗りの通りユーズの太刀筋は淀みなく、鋭い。

 が、イーワンにとってはさほど脅威ではない。イーワンの高レベルに由来するAGIアジリティは本職の回避盾――回避を主体する盾役タンク――ほどではないにしろ、かなり高い。ゲーム時代ならレベルに6000以上は開きがあるであろうユーズの太刀筋を見切ることはイーワンにとっては容易い。

 ユーズの動きは無駄がない。

 ひとつひとつの挙動が次の動作に繋がっていて、流れるように斬撃を繋いでいく。そのどれもが急所、あるいは手足の腱のような詰みに繋がる部位を的確に狙っている。


「防戦一方じゃないの!? どう! 私の剣技の味は!」

「んー……と思うよ?」

「あはッ! 生意気!」


 ユーズの剣は鋭さを増していく。より早く、より鋭利に。夜の空気をソローヤの薄い刃が切り裂くが、それはイーワンに決して届くことはない。


――魔刀『ソローヤ』


 イーワンの銀棍『白銀八角』と同様、最高級の素材を使い、超一級の刀匠スキルを持つキャラクターによって作成された廃人ハイエンド級装備のひとつだ。

 廃人ハイエンド級の装備の多くは持ち主のプレイスタイルによってさまざまな特殊能力が付与されている。イーワンのようなランカープレイヤーになれば、そのレベルは膨大になる為、そのステータスも相応のものとなる。

 単純な装備としての能力は大前提としてさらに長所を伸ばす、あるいは短所をカバーする為に特殊能力を付与するのがベターだ。


 この魔刀『ソローヤ』に付与された特殊効果は『接触した装備の耐久度を大幅に削る』である。

 類似する効果は珍しくもない能力ではあるがソローヤの場合は廃人ハイエンド級に相応しく異常なほどの性能の高さを誇る。並以下の装備品ならば一度、打ち合うだけで耐久度を0にされ、文字通り両断されかねない。

 スキルの多くは該当するカテゴリの武器を装備していなければならない為に『武器が破壊される』ということは、主力武器を封じられると同時に主だった戦法が行えなくなる、ということでもある。

 例にイーワンを挙げるなら、イーワンの武器である棍を失うとパリングの成功率がガクッと下がってしまう。盾役タンクとしては致命的だ。

 これでも僧技による素手格闘系のスキルを使えるイーワンはまだ戦える方だが、これが剣士の類だと能動的アクティブに使えるスキルはほぼ無くなると言っていい。

 問題は武器がなくなるとソローヤによる攻撃を受け止めることができなくなり、攻撃をもろに受けてしまうことだ。当然、防具の耐久度もゴッソリと削られるし、やはり生半可な装備は真っ二つだ。

 防具が壊れれば当然、ダメージは軽減できない。防御力を盾や金属鎧に頼る盾役タンクならばそれは致命的な隙になり得る。盾役タンクが倒れれば戦線は崩壊するのは明白だ。


 すなわち『ソローヤ』の特性、特殊能力は『』に特化している。


「……むかつく」


 不意にユーズの斬撃が止む。イーワンは半歩下がり、間合いを取るがユーズもまた詰めてこないようとはしない。

 スタミナ切れ、というわけではないだろう。息が上がっている、というほどではない。むしろほどほどに身体が温まってきて『エンジンがかかってきた』とでも言うべきか。現にユーズの動きはだんだんとその冴えを増していた。


「むかつく」


 ユーズは手元を見て、イーワンを見て、それからもう一度手元を――正しくその手に握る魔刀『ソローヤ』の刀身を見た。

 そして吐き捨てるように呟く。


「むかつくわね……ボウヤ、手抜いてるでしょ?」


 先程までは殺し合いを楽しむような雰囲気は消え失せ、剣士としての顔をユーズは見せる。

 バツが悪いが、しかし。


「だってオレ、女と戦うのって趣味じゃないんだよね」


 仕掛けてくる気配を感じられず、イーワンは視線を外して頬をポリポリと掻く。読み通りユーズはそんなイーワンの隙をつこうとはしなかった。

 イーワンのその言葉に偽りはない。

 ほかの盗賊たちと違い、イーワンが反撃しないのはユーズが女性だからに他ならない。


「ふざけているのかしら? それとも挑発?」

「いやいや、本気でさ。気が進まないのはもちろんだし、やる気も無いんだって」


 イーワンが強くなったのは女を守る為だ。イーワンが戦うのは女を守る為だ。

 女相手に戦うのは本末転倒だし、そもそもそんな気はさらさらありはしない。やる気が出ないのも当然の帰結である。

 しかし、そんな本心をそのままにイーワンが口にした途端、一瞬、場の空気が凍った気がした。


「……あれ? なんかオレ、まずいこと言った?」

「イーワン、アンタねぇ……」


 ファイは頭を抱え、ユーズは呆れたように息を吐く。

 その弛緩した空気を切り裂くようにユーズが魔刀ソローヤを振るう。冷たい宵闇の中で刃の軌跡がはしる。


「本気で来なさい。手を抜かれて死ぬのはごめんだわ。私の剣を、私の生を侮辱する気?」


 イーワンに向けられたその言葉には、その瞳には疑いようのない怒りが宿っていた。

 その言葉と瞳に込められた力にイーワンは思わず半歩、意識せずに下がっていた。

 気圧けおされたのだ。


 はっきり言って、ユーズにイーワンが負ける要素など存在しない。イーワンのステータスを考えれば、わざとでもない限りユーズの攻撃はかすりさえしないだろう。仮に当たったとしても、イーワンのHPは盾役タンクとしての役割を果たす為に可能な限り、高めてあり100万ミリオン近い。仮にイーワンが無抵抗でいたとしても、ユーズが廃人ハイエンド級装備であるソローヤを使っていることを考えても、イーワンのHPを削り切る頃には夜が明けてしまうだろう。

 一方でイーワンの攻撃はそれこそ武器を使わない素手であっても容易くユーズの命を奪うことができるはずだ。森林狼しんりんろう白晶犀はくしょうさい、そして他の盗賊たちとの戦闘でそれは確信している。

 確かにユーズは他の盗賊たちとは一線を画す剣士だ。それは太刀筋を見れば分かる。それこそユーズにかかれば他の盗賊たちなど鎧袖一触がいしゅういっしょくにできるだろう。それなりに戦えるだろう魔書術師ブックキャスターのファイもこの間合いなら、抵抗も出来ないほどの手練れだ。


 だが、逆に言えばイーワンにとってユーズは『』だ。

 そして、イーワンは『』の相手に一瞬だが確かに圧倒されたのだ。

 思わず唾を呑んだ。身体が竦んだ。圧倒されたのはその力じゃない。その『意志』だ。


「ボウヤの『手加減それ』は私に対する気遣いでもなんでもない。ただの、侮辱よ」


――息苦しい。


 まるで、呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。

 イーワンにとってこの『世界AWO』はどうしようもなく『ゲーム』でしかない。――いや、ゲームでしかなかった。

 ゲームと同じスキル。ゲームと同じ法則ルール。ゲームと同じ身体――女ではない、男の身体。

 身体の重心やふとした時に感じる視点の高さ。揺れる銀髪が、大きな掌が。その全てがあまりにもイーワンにとって『ゲーム』の象徴だった。

███』があまりに慣れ親しんだ『イーワン』だったから。


 ビビの笑顔を向けられて、カルハ村の怯えを感じて、ファイの決意を聞き入り。それでもなおイーワンは『現実』を直視できずにいた。イーワンは未だ認めていなかったのだと、突き付けられた――これはゲームではない。これは『』だと。


 イーワンは強い。だが、だ。

 この世界AWOで、ユーズは生きている。

 ビビも、マーシュも、ファイも。この世界せかいで生きているという当たり前のことをイーワンは直視しなかった。しようとしなかった。

 イーワンはこの世界で生きているつもりがなかった。

 チュートリアルはなかったし、ヘルプもシステムアラートもなかった。この世界で生きることを、この身体であることをイーワンが望んだわけでも、選んだわけでもない。

 イーワンはこの世界で生きるつもりがなかった。生きているつもりがなかった。

 どうしようもなく、それこそ言い訳のしようがないほどに『真剣さ』が足りていなかった。


「しっかりしろッ! イーワンッ!」


 突然の叱咤に、意識が内面から現実と回帰した。

 思わず振り向けば、それはもう激怒といった風体のファイがその紅玉の瞳でイーワンを射抜くように睨みつけている。眼前の脅威であるはずのユーズが見えていないのは明白だった。


「ふぁ……ファイちゃん……?」

「なに、ボケーっとしてんだい! アタシはアンタのことなんか、これっぽっちも知らないけどね」


 すぅっと大きく息を吸い、ギリリと音が聞こえそうなほどにファイは奥歯を噛み締める。その幼く本来可愛らしいと形容されるような顔を憤懣たるやと歪め、イーワンは直感する――怒られる。


「シャンとしな! 前を見ろ! アタシを守る、アンタはそう言った! アンタは女に嘘をつくようなヤツじゃあないだろうッ!?」


 直感は当たった。思わず耳を塞ぎたくなるほど大声量で、ファイは思うがままに怒鳴りつける。

 ただ、それはイーワンが思ったよりも真っ直ぐに、惑いなくイーワンの心を射抜く。


「ご、ごめん……ファイちゃん」

「はァ?」


 火に油を注いだような、もっと端的に言うならば地雷を踏んだ感覚。

 案の定、というか腰に手を当て、ふざけるなと言わんばかりに眉をひそめ、顔を歪める。ちょっとイーワンでさえビビるようなその顔におののくのに関わず、ピッとユーズをその短い指で指し示す。


「謝る相手が違うだろう? ほれ、ちゃんと向く!」

「……え? でも、ユーズは盗賊だよ?」


 ファイの言葉にイーワンは思わず聞き返してしまう。


「あん? アンタは相手によって謝るかどうか決めるのかい?」

「そ、そんな事ないって!?」


 ファイの言葉は道理である。悪いと思ったら謝るべきだし、それに相手は関係ない。


「ユーズ、その……ごめん。手抜いてとかそういうのじゃなくてさ。オレ、なんていうか説明し辛いんだけど、色んなことあって、自分が分からなくなってた」

「……それで?」


 ユーズは律儀にもイーワンの言葉を待つ。


「ユーズのことをバカにしていたわけじゃないんだけど、ごめん」


 ユーズに向かって頭を下げる。

 戦闘中に行う真似ではないが、なんだかそうしたくなった。


「ふぅ……まったく、興が削がれるったらないわ。……それで? 下らない茶番はこれで終わり? 今度こそ本気で殺してくれるのかしら?」


 やれやれ、といった風情でユーズはため息と共に、ソローヤを構え直す。行き場を失った殺意を持て余すようにソローヤの刃先はふらふらと揺れている。

 明らかに誘っているのは見て取れた。それでも、イーワンは誘いに乗らない。

 謝ったことで少し、視界がクリアになった気がした。ファイのおかげだ。


「それはできない」


 だからイーワンはハッキリと声にした。

『自分』の意志を確認したその時、初めてイーワンは地面を感じた。自分が地面に立っていること。自分が息をしていること。自分がこの世界で生きていること。

 ようやく実感した。

 どうしようもなく、経緯はどうあれ今の『自分』はこのエンシェント・ワード・オンラインの世界で生きている。ファイやユーズたちと同じ世界に生きている。


――これは『ゲーム』じゃない。けど、それでも。


「オレは女を守るために強くなった。それだけは確かだ。これは……なんて言ったらいいかな。譲れない、曲げちゃいけないモノだと思う」


███』は『イーワン』じゃなかったけれど、今は違う。まずはそれを受け入れよう。

███』の大切なものがなんだったのかは思い出せないけれど『イーワン』の大切なモノは覚えている。

 これはきっと大切なモノだ。手放しちゃいけないモノだ。


「もう手は抜かないよ、ユーズ。オレはキミを傷つけずに倒す。オレはそれが出来るようになる為に強くなったんだ」


 確かめるように、イーワンは言葉を紡ぐ。

 忘れていたモノをなぞるように。目を逸らしていたモノを見つめるように。

 イーワンは自分を言葉にする。


「だからここから先は本気でやるよ。キミを傷つけない為に本気でやる」


 構えようとしなかった銀棍をイーワンは構える。軽く腰を落とし、斜に構えたイーワンの最も慣れ親しんだ構え。

 その感覚が今は心地いい。それはそのままに『███』がAWOに費やした時間を実感させてくれる。


――あぁ。


 少なくても『███』にとって『イーワン』は大切なモノだった。かけがえのないモノだった。それを確信できる。

 防具の重みが。武器の握りが。高揚する心が。『███』の過ごした長い長い時間を雄弁に語ってくれた。


「だからさ、ユーズ」


 決意を、言葉に。


「オレにキミを殺させる気でかかって来い。オレはキミを殺さない」

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