【002】「オレには出来ないから」
「自己紹介が遅れました。私はビビの父親のマーシュです。この村で木工職人をやっています」
やや丸みを帯びた身体をさらに丸め、丁寧におじぎをしながらビビの父親――マーシュはそう名乗った。
その名乗りの通り、家の中には大小様々な木工品が並び、小さいモノは食器から大きいモノになると馬車に取り付ける車輪まで置いてあった。細やかな細工が施されたそれは素人目にもよく出来ていた。腕のいい職人なのだろう。
ちなみにビビは森林狼に襲われたのはやはり怖かったのか、帰ってから父親であるマーシュにピッタリとくっついている。
愛らしく和む仕草ではあるが森の中を歩く間、ずっと手を繋いでいた身としては少し寂しい。
「おにいちゃんがオオカミをやっつけてくれたの!」
「偶然、ビビちゃんが森林狼に襲われているところに出くわしてね。それを助けたんだ」
「森林狼だって!?」
森林狼、と聞いてマーシュは飛び上るほど驚いた。
そして、その丸い身体からは想像できないほどに俊敏な動作で、ビビの無事を確かめようと身体をまさぐっていく。
ビビはくすぐったそうに顔をしかめるが、されるがままだ。
非常に羨ましい。
「ビビ、大丈夫なのかっ!? 怪我はっ!? どこか痛い所はっ!?」
「だいじょうぶー」
「逃げている時に転んで膝を少し擦りむいた程度だよ。それもオレが治しておいた」
「よかった……」
ビビの笑顔とイーワンの言葉で安心したマーシュはへなへなとへたり込んでしまった。愛娘が森林狼に襲われたと聞いて、心穏やかではいられなかったのだろう。
マーシュは森林狼を知っていたようだし、無理もない。
森林狼は初心者の壁だ。それはつまり、ゲームの中のキャラクターでも初心者は相当数、犠牲になっているという事だ。
ゲームに慣れ初め、つい欲や好奇心に負けて森の奥へと不用心にも足を踏み入れてしまい、森林狼に囲まれて死亡、というのは攻略サイトの初心者指南のページに書かれるほど「あるある」ネタなのだ。
ハッキリ言ってイーワンを含め、AWOで一度も森林狼に殺されたことがないというプレイヤーは極々少数だ。イーワンだって初心者の頃は散々煮え湯を呑まされた相手である。「狼先生」は伊達ではないのだ。
ビビのような武器も持てない少女が勝つのは、ほぼ不可能だと言っていい。
「娘が危ないところを助けていただき本当にありがとうございました。この子に何かあったら死んだ妻に顔向けが出来ません」
「いや、当然のことだ。女の子を見捨てるなんて、オレには出来ないから」
イーワンにとっては至極当然な、しかしそれで当然と受け止めるにはあまりに高潔な言葉にマーシュは思わず呆気にとられたようだった。
イーワンがただの女好きだというのは知らぬが仏である。世の中、知らない方が良い事もある。せっかく上がった株を自分から下げない程度にはイーワンも理性的だった。
特に気負った様子も無く、平然とイーワンがその言葉を言い放ったことを好意的に解釈したのか、申し訳なさそうな顔でマーシュはこちらを窺いながら謝罪の言葉を続ける。
「申し訳ない……娘を助けてもらったというのに、あなたが満足するようなお礼は私にはとても出せそうには……」
「……お礼?」
先の言葉は本当にイーワンにとっては当然の、当たり前の行為である。
例え助けるなと言われてもイーワンは聞く耳すら持たずに助けるだろうという確信すらあった。
それだけにマーシュの言葉の意味を理解出来ず、思わず思考が止まってしまった。
落ち着いて考えてみれば、家に招かれる前のイーワンの「話がしたい」という言葉を謝礼についてだと勘違いしているのだと分かった。
マーシュの視線は机の上におかれたイーワンの手――正確には白銀の腕甲に注がれている。ゲーム時代でも莫大な価値を持った装備であった。その輝きはこの世界においても、やはり素晴らしく一点の曇りもない。
こんなものを持っている人間が満足するほどの謝礼など村の木工職人に過ぎないマーシュが払えるわけがない。
「あぁ、違う違う。お金とかそういうものを要求しに来たんじゃないんだ」
「というと……?」
イーワンの言葉に怪訝な表情を浮かべ、マーシュは問いかける。
ここまで話していて自分が未だに頭巾を身に着けていることを思い出した。表情が読めないのもマーシュの不安を煽っているのだろう。
異常なことが続いていたせいで、装備をつい当たり前のように受け入れていた。
「失礼」
頭巾を外し、髪を軽くほぐす。常人離れした銀髪は抵抗なく指を滑り、クセひとつない髪が流れるのを感じる。
露わになったイーワンの顔を見て、マーシュとビビの口がぽかんと開く。
はっきり言おう。
イーワンの顔はとてつもない美形である。
切れ長の瞳。すっと通った鼻筋。バランスの取れたその造形はある映画スターをモデルにして、キャラクターメイクに膨大な時間をかけて作り上げたそれはまさに「女を虜にする顔」である。
それもこれも、全ては女性にモテるためだ。
ゲームのキャラクターは基本的に美形が多い。当然ではあるが、わざわざブサイクでプレイしたいと思う人間はほとんどいない。
VRMMOではキャラクターはまさに自分の分身であり、ゲームを続ける限り長く付き合っていくことになるものだ。
稀に自分とは大きく違うゴツいオッサンや絵本に出てきそうなお婆さんをキャラクターに設定する人間もいるが、かなりの少数派だ。
必然的に大多数の人間は美化したキャラクターでプレイするし、結果としてはゲームの中では美男美女が勢揃いする。
イーワンはその中でも頭一つ飛び抜けた容姿をしていた。かけた時間と手間は膨大であったが、それだけの価値はあると自負している。
「自己紹介が遅れたな。オレはイーワン。話をしたいって言うのは、お礼とかじゃなくて単純にここがどこか、というのと道を尋ねたいんだ」
「イーワンさん、ですか。変わった名前ですね。道を聞きたいというと――」
「――ッ!?」
マーシュが『変わった名前』と言った瞬間、とてつもない頭痛がイーワンを襲った。
いきなりの事でイーワンはバランスを崩し、床に転がる。
「イーワンさん!?」
頭蓋骨を万力で締められているような激痛。剥きだしの神経をやすりで削られているようだ。脳細胞が焼け付き、視界が歪む。脳が軋むあまりの激痛に悲鳴すら出ない。
しかし、その激痛はすぐに嘘のように消えた。
――い、今のは、いったい……?
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫かい……?」
心配そうにイーワンを覗き込むビビに癒されながら、マーシュの手を借りてふらつきながらも立ち上がる。
あまりにいきなりで驚き、激痛だったのも確かだが一瞬で痛みは消え失せ、名残すらない。
のた打ち回ったイーワン自身でさえ錯覚かと思うほどに何の違和感も残っていない。
「……大丈夫、だ。すまない、いきなり取り乱して……」
「い、いや……それはいいんだが……本当に大丈夫かい?」
「おにいちゃん、どこかいたいの……?」
その大きな瞳に涙をうっすらと浮かべ、外套の裾を握るビビを安心させるようにイーワンは微笑み、頭を撫でてやる。
その様子を見て、ようやくマーシュも浮かせていた腰を下ろし、椅子に座り直した。
「もう、大丈夫。オレの名前……『イーワン』は故郷の言葉で、生まれた日にちなんでつけ――られた名前なんだ」
「そうなのか。この辺りでは聞きなれない、変わった響きだと思ったけど、故郷は遠いのかな?」
ちなんでつけた、と言いかけてイーワンは言い直した。普通、自分の名前は自分で名付けない。
『イーワン』は『私の誕生日』が11月11日生まれだったのが由来だ。
そしてこれは、
――思い出せなかった『私の記憶』だ。
「……あぁ、とても」
帰れるか分からないほどに遠い、とは言わなかった。帰りたいかどうかすら、わからなかった。
失っていた『私の誕生日』を思い出せたきっかけはマーシュの「変わった名前」という言葉だろう。
だとすると先ほどの頭痛は『私の記憶』を思い出したのが原因か。
『イーワン』の名前の由来はゲームの頃からよく聞かれた質問だ。だいたいその適当な由来を聞くと、皆呆れた反応を返すが。それも含め印象深い記憶、ではある。
なにかきっかけがあれば『私の記憶』を思い出す事ができる、のかもしれない。
確証はない。ほかの手掛かりもなかった。
「おにいちゃん、どうしたの? まだいたい?」
「ん? ああ、ごめん。ちょっと考え事」
気が付けば考え込んでしまっていた。とりあえず、記憶を取り戻すことについては後で考えればいい。
今はマーシュから得られる情報だ。
「うーん、どこから話せばいいのかオレにもまだ分からないんだよな……」
正直、何をどう説明すればいいのか、分からない。
ここがAWOの世界、というのはほぼ間違いない。ただ「ゲーム」なのか、それとも『異世界』なのか。イーワンの中で答えはまだ出ていない。
それに。
イーワン自身も混乱が抜けきったわけでは、決してなかった。
性別の変化。常識の違う別世界。失った『私』――その全てがまだ戸惑いとして、現実感のない違和感としてイーワンの中に存在する。
ビビの窮地という『差し迫った危機』が単純に優先順位をすり替え、現実逃避しているに過ぎない。
「マーシュさんは『プレイヤー』か?」
「ぷれいやー……? いや、私は木工職人だよ。
「……そうだよな、すまない。変な事聞いちゃって」
返ってきた答えはNPCの
AWOのNPCは非常に高性能である。
ゲームのNPC――ノンプレイヤーキャラクター――は決められた台詞しか喋れず、せいぜいが「この問いには、こう答える」程度の反応があればいい方――だったのは旧世代までのゲームの話だ。
ゲームのスペックが
どんなにリアルな風景があり、どんなに自由な行動がとれても、そこに住む住民が決められたことにしか応えられない
元々多人数で同時に行うネットゲーム自体がそういったNPCではなく、人間相手ならではのよりリアルなコミュニケーションを武器として発展したのは間違いないが、だからといってNPCの進化を求める声が無かったわけではなかった。進化したゲームにユーザーは適応した『進化した住民』を求めた。
それはVR技術のブレイクスルーよりも先に訪れた『人工知能の自律学習』の開発といった形で実現した。
それまでSF作品の中でしか、見られなかった自分で学び、成長する人の心を持った
開発当初はゲームのNPCを含めた人工知能の人権活動、なんてものも起きたらしいが、結局は小説や映画の「
下手をすればそのゲームだけじゃなく、会社ごと潰れかねないので成人指定されていないゲームでの『そういった行為』は御法度である。アカウント凍結で済めば温情と言われるほどだ。
――やっぱり、マーシュさんは『ゲームプレイヤー』じゃない。
この人工知能の進化によってNPCのクオリティは格段に進化した。
時にプレイヤーの友となり、敵となる。ゲームによっては恋人にすることだって出来る。
決められた会話だけではなく、こちらの一挙一動によって反応が変わる、まさに『生きている』かのようなNPCたちが次々と生まれた。
このAWOのNPCもかなりのクオリティを誇り「プレイヤーだと思って話していたらNPCだった」という笑い話は絶えないし、その逆も少なくない。
先程の問い――「あなたはプレイヤーか?」――は相手をゲームをプレイしている『
NPCには『プレイヤー』という言葉の意味を理解する事が出来ない。マーシュのように『役者』や『選手』というような別の意味と勘違いするように設定されている。
ほとんどのプレイヤーはこの質問をされればネタバラシする事を楽しみとしており、ゲームを円滑にする上のマナーでもある。
元々、森林狼の名前が出た時の反応やビビという『娘』が存在する事からプレイヤーである可能性はほとんど無かったが、これでまず間違いないと思っていいだろう。
性行為のできないプレイヤーに娘は生まれようがない。
しかしマーシュが『ゲームのまま行動』の行動をしたことで、イーワンの違和感はさらに大きくなる。
ゲームそのものの世界にしてはおかしい。しかし一方でイーワンのステータスヤマーシュの言動などゲームそのままの部分も多い。
まるでゲームだった頃のAWOに無理やり世界のルールを押し付けたような違和感があった。
「マーシュさん、この村はどこにあるんだ?」
「このカルハ村はドラグハイヴ帝国の田舎だよ。帝都から見れば南西だね」
マーシュはこともなげに、そう答えた。
しかし、イーワンは違う。あまりに予想外の答えが返ってきたせいで、思考が停止する。
「……は?」
――今、なんて言った? ドラグハイヴ帝国?
「す、すまない。もう一度、言ってもらっていいか? ドラグハイヴ帝国?」
「あぁ。このカルハ村はドラグハイヴ帝国の南西にある田舎だよ」
ドラグハイヴ帝国。
イーワンはこの国の名前に聞き覚えがあった。しかし、だからこそイーワンの違和感は肥大化していく。
『ドラグハイヴ帝国』は確かにAWOの頃からある国家だ。ゲーム内でもかなりの勢力を持った存在であり、イーワンとて何らかの形で関わった事は一度や二度ではない。
問題は、この『ドラグハイヴ帝国』がAWOのプレイヤーたちが『建国』という目的で集まった組織――ギルドであるという事だ。
趣味や攻略を目的に集まるプレイヤーたちの組織である。
「えっと、その……今のギルマス、じゃなかった。現皇帝の名前は?」
「確か、ジョシュア・タラティランネム・レイ・ドラグハイヴ皇帝だったかな」
――間違いない。
ドラグハイヴ帝国の現皇帝『ジョシュア』は正体はプレイヤーだ。
サーバーランク第七位
AWOの中でも筋金入りのロールプレイヤーのみで構成された一大勢力のひとつ。ゲーム内で労力と情熱をもって、武力と財力をかき集め、領地と領民を手に入れて『実際に建国した』唯一無二のギルド、ドラグハイヴ帝国のギルドマスターである。
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