【001】「女の子の味方だよ」

 白銀の脚甲を装備した足に肉を蹴り付けた感触が伝わり、耳に小さく森林狼の悲鳴を捉えた。


――間に合った。


 イーワンが最初に感じたのは安堵だった。

 悲鳴を聞きつけて、森を一直線に突っ切るとそこにいたのは1人の少女と痩せこけた森林狼。

 イーワンの視界に1人と1頭が入った時は「今、まさに間一髪」と言っていいタイミングだった。

 とりあえず、考える前に森林狼を蹴り飛ばしたが問題は無いだろう。

 駆けつけた勢いそのままに放った蹴りは見事に森林狼の頭を捉え、顎の骨を砕いた手ごたえをしっかりと感じた。イーワンのステータスは高い。森林狼程度なら一撃で仕留めて当然だという自負がある。

 獣、とはいえ生き物を暴力的に蹴りつける感覚はそう気持ちの良いモノではなかったが、イーワンにとってはそれよりも目の前の少女の方が圧倒的に優先度が上だった。


「キミ、大丈夫?」


 少女は悲鳴を上げようとした顔のまま、固まり唖然としていた。

 無理もない、少女は今まさに死ぬかもしれないという場面だったのだ。

 イーワンは膝をついて、少女に手を差し伸べた。

 女の子を見捨てておくなど、あり得なかった。


 少女はぱちくりと大きくまばたきをして、イーワンの手を見て、顔を見た。

 大きな目がくりくりとしていて、実にかわいい。

 派手さは無いが素朴な顔立ちをしており、ぷっくりとした頬はもちもちとしているのがよく分かる。

 小麦色の髪はゆるやかなウェーブを描いて肩の辺りまで伸びていて、毛先には小さなリボンが結ばれていた。

 汗に濡れた額と荒げた息が、背徳感をそそるがグッと我慢。


「怪我、ないかな?」


 内心を悟られぬように、できるだけ落ち着いた声音でもう一度、少女に尋ねる。

 するとようやく少女は我に返ったようで。


「う、うん。たすけて、くれたの……?」と言葉を返す。


 やや舌足らずの幼い発音。かわいい。

 イーワンの好みは広い。これぐらいの年頃なら全然、守備範囲内だ。


「そうだよ。大丈夫?」


 恐る恐るといった様子で伸ばされた小さな手をそっと迎え、少女を起こしてあげる。

 決してがっついてはいけない。ロリは優しく、そっと愛でるものだ。


「あっ! お、オオカミ! オオカミは!?」

「んー、たぶん大丈夫だと思うけど」


 立ち上がり、ようやく状況を思い出したのか少女は慌てるが、イーワンは落ち着いたものだ。

 顎に指を添え、周囲を見渡せば森林狼が吹き飛んだ先の茂みが大きく凹んでいる。


「ちょっと待っててね」


 手で少女を抑え、イーワンは1人で茂みへと近づく。

 そんなイーワンを少女は、はらはらと心配そうに見つめる。


 覗き込んだ茂みの中で森林狼はすでに息絶えていた。

 半分開いた目に光はなく、毛皮で分かりづらいが顔の輪郭が大きく歪み、首もおかしな角度に曲がっている。

 出血はさほどではないが、この様子だと死因は頸椎骨折、だろうか。

 森林狼の特徴的な黒緑の毛皮は薄汚れ、腹にはあばら骨が浮いていた。

 おそらく、もう何日も獲物にありつけていなかったのだろう。


 こうして死体を見ていると自分が生き物を殺したという実感がじわりと心に湧き上がってきた。

 しかし森林狼の事情はともかく、とりあえずこれで少女の安全は保障できた。

 もっとも、イーワンが傍にいる時点でほとんどの自体は脅威にはなり得ないのだが。


――死体が消える様子はないな。


 AWOでは倒したモンスターは一定時間が経過するとアイテムを残し、消滅する。当然、死体は残らずに対応した金銭やドロップアイテムだけが手元に残る。そうでなくてはダンジョンの中など死体の山になってしまうだろうから当然だろう。

 ここが『ゲームの中』だとしたら、そろそろ森林狼の死体は消えるはずであり、そもそもこのように『リアルな死体』は仕様に存在しない。

 目の前の死体に消える様子がないという事は、少なくても『ゲームそのもの』ではないのかもしれない。

 しかし、とりあえず当面の危機は去ったはずだ。周囲に気配も感じ取れない。


「うん、もう大丈夫だよ。ええっと……」


 少女を安心させる為に、沈みかけたテンションを引き上げて明るい声音で応えてみせる。

 少女の元に駆け寄って、名前を呼ぼうとしてまだ名前を聞いていない事に気付いた。


「オレはイーワン。キミの名前は?」

「ビビ。……イーワン、おにいちゃん?」


 ビビは今一つ、イーワンの性別に確信が持てないのか、小首を傾げ疑問形でそう尋ねた。

 そう言われて初めて、一人称が『イーワン』の頃に使っていた『オレ』だったことに気付く。

 そういえば、この口調も『イーワン』のモノだ。特に違和感が無く、むしろこれが自然体だったようにさえ感じる。

 一瞬、肯定するべきか、それとも否定するべきか悩んだが、結局。


「うん、イーワンお兄ちゃんだ。ビビちゃん、どこか痛いところはない?」


『男』として名乗った。

 今の自分は『イーワン』だ。本名は思い出せないし、この身体で女を名乗るのも後々マズそうだ。

 幼気な少女に変態と蔑まれるのも、それはそれでと思わなくもないがさすがに面倒の方が多いだろう。そもそも変態ではない。


 それに『お兄ちゃん』という響きは、いい。実にいい。

 実に王道で、ロリの素晴らしさを改めて再確認させてくれる。


「ちょっと、すりむいた……」


 そう言ってビビが見せた膝小僧には確かに擦り傷があり、血が滲んでいる。

 おそらく転んだ拍子に擦りむいたのだろう。


「ん、ちょっと見せてね」


 傷は大して深くもなく、子供の頃なら誰もが経験するだろう、という程度のモノだ。

 しかし、見て何もしないというのも気分が悪い。

 これぐらいなら最下アラ級魔術で十分だろう。

 使い方は不思議と頭に思い浮かんでくる。

 AWOにおいて、魔術やスキルの多くは身体的な動作である『ジェスチャー』と『キーワード』となる呪文詠唱を発声する必要がある。

 かなりの自由度も利き、高レベルになってくるとこれらを組み合わせることで無数の省略やアレンジも出来るようになるが、今は基本に忠実に行う。


「<アラ=イーシグ>」


『アラ=イーシグ』は魔術の中では最下級に属する『アラ級』の回復魔術。

 ジェスチャーは治療したい患部を指差すこと。

『キーワード』は呪文名だけのシングルアクションでいい。


 ビビの傷口に伸ばした指先に白い光が灯り、傷口を包み込む。

 一呼吸ほどで光が薄れ、完全に消えると傷はさっぱり消えて跡形もなくなっていた。


 多少、不安はあったが魔術も問題無く使えるようだ。

 先程、森を全速力で駆けたが速度はもちろん、息切れもしていない。

 高レベルに相応しい身体能力、ということなのだろう。

 魔術を使ったが気だるさのようなものは感じなかった。現状では魔術を使う為に必要な魔力がどういう影響を及ぼすかは分かっていないので、確かなことが言えないのがもどかしい。

 ゲーム中のステータスを思い出してみれば、アラ級なら1万回唱えても余裕があるはずだから、当然と言えば当然である。


「どう? 痛くない?」


「イーワンおにいちゃん、まほーつかい?」


 ぽかんとした表情でビビは尋ねる。

 ぺたぺたと傷のあった膝小僧を確かめるのが、とてもかわいらしい。

 本当にロリは正義だ。幼女万歳。


「んー、魔術も使えるけど魔術師じゃないかな」


 イーワンの分類は戦士である。魔術もいくつかは使えるが、あくまでサブであり同レベル帯の本職とは大きな差がある。

 特にイーワンのランク――ランカークラスにはもっとインチキ臭いのが山ほどいたりする。具体的には二位の『指』とか五位の『財』とかがヤバい。八位の『神』は例外としても、上には上がいる。

 並のプレイヤーならステータスでゴリ押しもできるが、同格の専門職には到底勝ち目はない。


「お兄ちゃんはね」


 もっとも、そんな連中と肩を並べているイーワンもまた尋常な存在ではないのだが。


「女の子の味方だよ」


 ――◆――


「じゃあ、おにいちゃんは『まいご』なの?」

「んー、そうなるかなぁ」


 足元の枯れ枝を拾いながら、ビビの問いに気の抜けた返事を返す。

 落ち着いたビビを家まで送って帰ろうか、と提案したのだが「薪拾いに来たから拾ってから帰る」とのこと。

 死にかけたというのにファンタジーの住人はたくましい。

 ならばと当然ながら手伝いを買って出た次第だ。もちろん、ビビが背負っていた籠はイーワンが担いでいる。


 ようやく頭が落ち着いてきて、イーワンは現状を思い出した。即ち自分が今どこにいるか分かっていない、という事である。

 それをビビに打ち明けたところ、先のセリフに繋がるわけだ。返す言葉もない。


「ま、多少見当はついたんだけどね」

「けんとう?」

「はは、ビビちゃんにはちょっと難しい言い回しだったかな?」


 そう言うとビビはぷくぷくの頬を膨らませて、むくれてしまった。

 どうやら背伸びしたいお年頃のお姫様には子供扱いはお気に召さなかったらしい。


――そんなところもかわいいんだけど。


 手掛かりは、ついさっき倒した森林狼。

 森林狼はゲームの頃にはかなり知名度の高いモンスターだった。

 というのもこの森林狼、初心者の壁として有名なモンスターなのだ。


 この森林狼はゲームのスタート地点である『リュシーナ地方』に広く分布している。

 リュシーナ地方は平地が多く、気候も温暖な暮らしやすい地方なのだが、森が多く深い場所に入り込むと森林狼に出くわすのだ。

 森林狼は基本的に群れで行動する為、正面から戦う初心者はまず返り討ちに遭う。

 リュシーナ地方から他の地方に行く為には森を超える必要があり、森を超える為にはこの森林狼を攻略する必要がある、というわけだ。

 ゲームに慣れるように調整された初心者用チュートリアルのモンスターと違い、森林狼は『工夫』が必要になるモンスターだ。


 群れに見つからないようにするのか、それとも誘き寄せて各個撃破するのか、罠や状態異常を使うのか、それとも単純に正面から突破するのか。

 各々のプレイスタイルを確立するきっかけにもなる最初の関門、それが森林狼なのだ。

 森林狼を倒せるようになれば、初心者卒業といってもいいだろう。その後も中級者卒業ぐらいまではこの森林狼はどれだけ余力を持って倒せるかによって自分の成長を実感できるということもあり、初心者から中級者まで色々な意味でお世話になるモンスターである。

 そんな事情もあり、攻略サイトなどでは『狼先生』などと慕われていたりもするある種の象徴的な敵、それが森林狼だ。AWO関連のエロ画像を探していて、狼先生の雑コラを踏まされるのはある種の様式美でさえある。

 当然、イーワンもお世話になっており、森林狼が出たという事はリュシーナ地方でほぼ間違いない。

 初心者の頃ならいざ知らず、今ならイーワンが苦戦するような敵はこの地方には皆無と言っていいだろう。


「ビビちゃん、この辺りはリュシーナ地方のどの辺か分かる?」

「りゅしーな? ビビがすんでるのはカルハむらだよ」

「カルハ村、かぁ……うーん、聞いたことないなぁ」


 AWOは非常に広大な世界観を持つVRMMOであり、その世界は現実世界の3倍にもなるという。

 攻略サイトは日夜、更新が続けているが膨大過ぎるデータ量の全てを網羅しているわけではないし、イーワンが力を入れているのは戦闘だ。

 ハッキリ言って細かいマップなどは専門外。

 リュシューナ地方だけでプレイヤーの拠点になる場所は200以上あるとなれば完全にお手上げである。知り合いの『本』なら知っているかもしれないが、連絡が取れていればそもそも迷子になってはなっていない。


「ビビのおうちにくる? おとうさんなら、わかるかも」


 他の案なんてものはないし、とりあえず人里に行けば大きな街への道も分かるだろう。

 それに、女の子の誘いを断るなんてことはイーワンにとってはあり得なかった。


――◆――


 カルハ村は小さな村だった。

 森を抜けてすぐの場所にあり、小さな畑があちらこちらに点在している。

 ビビは森林狼から逃げるうちに道に迷ったと言っていたが、数分ほど歩いただけで「こっち!」と元気よく先導し始めると拍子抜けにするほどすぐだった。

 ファンタジーの住人はたくましい、としみじみ実感させられる。


「おとうさーん!」

「ビビ? どうした、ずいぶんと早かったじゃないか」


 道中、握っていた手を離してビビが走り出した先には椅子に座り、何やら木をノミで削っていた男に駆け出す。

 男は手元の木材から顔を上げ、立ち上がると飛びついてきたビビを受け止めた。

 どうやら彼がビビの父親らしい。

 四角い顔に大きな手。顎には硬そうな髭が生えているいかにも職人、といった風情の男。


「あのね、おとうさん。イーワンおにいちゃんがオオカミからたすけてくれたの」

「オオカミ!? 一体何があったんだっ!」


 ビビのざっくりとした説明に父親は目を見開いて驚く。

 人の親として当然の反応だ。ましてやあんなにかわいいビビが可愛くない筈がない。

 ビビがイーワンを指差すと父親はようやく気付き、頭を下げた。


「どうやらビビが大変お世話になったようで……」

「いや、困ってる女の子を助けるのは当然だから」

「出来れば、詳しいお話を聞かせていただきたいのですが」

「こちらこそ、色々と話をしたいところだったんだ」


 ではこちらへ、とイーワンはビビの家へと足を踏み入れた。

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