【031】「オレは『女好きの』イーワンだ」
「フッ――!」
息を吐き、銀棍を振り抜く。『
だから、イーワンの一撃を耐え、体制を立て直し即座に反撃するこの戦士たちもまた尋常な存在ではなかった。理由はその武装だ。
イーワンに殺到する鍋太郎に使役される戦士たち――召喚兵とでも呼ぶべきそれは皆、手に取る武器も身を守る防具も千差万別。しかし、それは一見して高性能かつ高価な
イーワンの銀棍、
当たり前だ。
召喚された兵、その全てが『元
当然ながらゲームを始めたばかりの無力なプレイヤーの
現実ならば『人』に値札をつけることなど不可能だと言われただろう。
しかしAWOはゲームだ。『レベル』や『ステータス』によってその
結果として鍋太郎が扱う金融――銀行を始めとする融資を頼ることになる。もちろん返済が見込めないような貸し方はそうそうしないが、何事にも不慮の事態というものはある。相場の値崩れや収入を見込んでいたはずの
そうして返済が出来なくなったプレイヤーは鍋太郎に『借金のカタ』としてアカウントそのものを徴収される。徴収されたアカウントはプレイヤー本人にさえ、ログインすることが出来なくなる。魂を抜けたその
現実の肉体が肉で出来た生命維持装置以上の価値がなくなり、アカウントは作ろうと思えばいくらでも作れる。それこそAWO以外のゲームでだって『生きていくこと』は出来るのだから。
鍋太郎が操るのは、そんな軽薄な命の骸たちだ。マネーゲームの敗者たちを積み上げ、鍋太郎は蹂躙を従える。
そんな高レベルプレイヤー――平均してレベル1000前後のプレイヤーたちのアカウントに、鍋太郎はその財力に物を言わせて高品質の
シラタキ商会という一個の化け物――それが積年のうちに蓄えた金の鱗のような高価な武具たちを纏い、鍋太郎の武力となる。
今、イーワンを攻め立てる召喚兵たちは高価な武具に身を包み、膨大な数でイーワンを押し潰そうとしている。これこそが鍋太郎の振るう最大にして、最強の武力。
加えて厄介なのが――
「b-3、右に回り込め。d-12は魔術詠唱開始。j-8は負傷者の回収、および回復魔術の起動。f-3の詠唱が17秒後に終わる。c-11はそれに合わせて切り込め」
――鍋太郎のこの指揮能力だ。
イーワンはその指揮を耳で拾いながらも何ら邪魔する手立てが無い。四方八方から迫る攻撃はまともに受ければイーワンでさえ危ない。元よりイーワンの防御力は実はさほど高くない。まともな金属鎧は肘まで覆う腕甲、そして膝まで覆う脚甲のみ。純粋な防御力だけで言えば、全身を甲冑で固めた重戦士の方がよほど高い。イーワンのその守りは『パリング』によるダメージの無効化にある。その為、動きを阻害し、パリングの成功率が下がるような重装備をイーワンは好まない。
結果として守りの薄くなった死角、パリング後の隙を鍋太郎は苛烈に責め立てる。無論、イーワンは攻め手を経験から読み、対応する。
本来、大人数での戦闘では指揮官、あるいは参謀と言われるようなポジションが必要になる。しかしそういった能力を持つ人間の育成、あるいは資質を見極め抜擢するのは難しい。実績もない人間に一軍を任せることなど出来るはずがないからだ。
故に
各自の士気、戦闘に参加しているそれぞれの現状、得意としている戦法、今現在求められている戦術――求められる情報は多彩かつ多岐に渡り、それは膨大だ。
それらの伝達にかかる
しかし鍋太郎の場合は違う。一見して軍を率いているようにして、その実態は鍋太郎という幹から伸びる無数の枝葉が召喚兵だ。
召喚兵たちにここの感情はなく得た情報、必要な情報を鍋太郎と共有する。召喚したものとの感覚の共有など召喚師としては基本中の基本だ。異常なのは膨大な数に上るであろう召喚兵たちの感覚を共有しつつ、その膨大な情報量から有用な情報を識別する鍋太郎の審美眼だ。
召喚した全員が全員の感覚共有を常時行っているわけではないだろうが、その取捨選択も含め判断するのは鍋太郎だ。最も得となる選択肢を嗅ぎ取るのは鍋太郎の最も得意とするところ。そして鍋太郎がこの手勢を使ったことがあるのは一度や二度ではない。
本来なら得難い経験である大規模な戦闘における指揮経験を鍋太郎はそれこそ債権取り立てという形で幾度となく実行している。この男に潰されたギルドは両手の指ではとてもではないが足りないほどだ。
サーバーランク第七位であるジョシュアは唯一、建国したプレイヤーとして『国興し』と呼ばれることも多いが、実はこの名には対になる二つ名が存在する。
それが『国堕とし』鍋太郎。
鍋太郎の商売相手はプレイヤーに限らない。その手は国にすら及び、まんまとというべきか、鍋太郎の悪辣な手腕によりある国に至っては今のタータマソ鉱山と同じく財政破綻まで追い詰められた。
どうせ焼野原のようになるのならと、国王は『踏み倒すこと』を選択した。極論すれば鍋太郎を討ち、シラタキ商会を瓦解させれば借金は『なかったことになる』――愚かにもそう考えた国やギルドは少なくない。
その末路は総じて悲惨だ。
その
それも戦闘に秀でていない
最も――『召軍師』である鍋太郎にとってはそれが最も効率が良かったのだろう。損が少なく、得が多い――たったそれだけの理由で鍋太郎は国ひとつ潰してみせた。
故に――『国堕とし』
こと攻城戦において鍋太郎の右に出るものはいない。
だってそうだろう。文字通りの一挙一動で即座に軍を呼び出し、その兵が一兵残らず全て高価な
それはもはや軍団といっていいのかも定かではない。召喚術によって使役される兵には当然だが食事は必要ない。武具の摩耗に関しても大商会を束ねる鍋太郎にとってはいくらでも融通の利く事柄だ。すなわち兵站という概念から切り離された軍事力――それがどれほど強力かなど論ずるまでもない。
軍というものは個を隊に、隊を軍に束ねたものだ。鍋太郎のそれは『軍』と言いながらその実態はどこまでも鍋太郎という個人の延長に過ぎない。
無限にさえ錯覚する一騎当千の兵たち。それが兵站という軍につけられるはずの首輪から放たれ、最高指揮官の思うがまま、文字通り手足のように蠢く軍団など相手する側としては悪夢以外の何物でもなかった。
それは鍋太郎の口元に煌びやかに光る金歯と本質的には同じだ。相手を威圧し、萎縮させて商談を有利に進ませるための牙だ。そしてその牙は決して伊達ではない。はったりではなく、歴然とした脅威として存在するからこそ恐ろしいのだ。
「――180秒」
最初の攻勢から18人目。二刀使いのエルフの腕を折り、返り討ちにした直後、飛来する巨大な火炎弾を視界の端で捉えたところで、ちょうど『
途端、イーワンの視界が等速に戻る。羽のように軽かった手足が水に沈んだように重みを取り戻す。
本来ならば動きが一拍遅れかねないその脱力をイーワンは完全に把握している。魔術による
ハイラの福音の性能は非常に高く、目立ったデメリットもない非常に強力なスキルだ。しかしだからこそ、その効果時間は180秒と短く、
しかしイーワンのような
鍋太郎の足止め。
それこそが今、イーワンが求めるもの。勝ち取るべきものだ。
「
次の
ハイラの福音に比べ、効果は小さいが効果時間は圧倒的に長い。ひとまずはこれでしのげるはずだ。
スキルを使用する一呼吸の間に迫った巨大な火炎弾。おそらくは
「<エレ=フェガリ=ウーフ>」
口の中で小さく詠唱を呟き、迫る火炎弾にイーワンは背を向けた。火炎弾とは正反対のそこにはまさにイーワンの背を切り裂こうと武器を振り被る召喚兵。本命はこちらだ。
魔術で注意を集め、その背後を素早く切り裂く。相手は数で勝っているのだ。不意を打たない理由がない。
召喚兵は左手にジャンビーヤと呼ばれる反りのある両刃のナイフを持ち、その刃先はぬらりと濡れている。おそらくは毒だ。この召喚兵は元は
並の毒であればイーワンは容易く無力化する。しかし相手は鍋太郎の召喚兵だ。そんな安っぽい毒は使っていないだろう。
イーワンのステータスを考えればある程度の毒は
しかしそれは叶わない。
「
銀棍を振るい、召喚兵のナイフの軌道を変える。金属がすれ合う澄んだ音が戦場に響き、毒を塗られたナイフは宙を切る。
そして、『それ』をきっかけにして魔術が起動する。
イーワンを焼き尽くそうと飛来した火炎弾は、突如としてそこに現れた銀の城塞によって阻まれる。単純な防御魔術だが、単純故に攻撃魔術に対する防御としてはその効果は上位に位置する。
本来なら
イーワンももちろん触媒を持っている。
「
ナイフの一撃を空振り、上半身が脱力した召喚兵の肩へ銀棍を振り下ろす。手首が燕のように翻り、両肩の関節が砕け、召喚兵の腕から力が抜けた。ナイフを手放した召喚兵を蹴り飛ばす。
AWOの魔術やスキルはその発動に『キーワード』の詠唱を発声――あるいは身体的な動作である『ジェスチャー』が必要になる。
高火力広範囲を求める魔術師の多くがその場に足を止め、長々とした詠唱を行うのはその仕様が原因だ。鍋太郎もどちらかと言えばこのタイプ。イーワンは違う。
「連続詠唱――<クーストースの責務>」
『ジェスチャー』ならすでに済ませている。
先ほど使った『カステロの紋章』の残滓を集め、即座に新たな魔術を発動。
起動させたのは魔術は足止めの為の
これで少しは時間が稼げるだろう。攻められる方向が絞れるだけで、対応する労力はずいぶんと変わる。
イーワンが銀棍を使うのは理由がある。
もちろん棍という武器の使い勝手の良さ、汎用性の高さもあるが、それとは別にもうひとつ。
棍は打撃武器だ。威力を高められるよう、八角に角ばってはいるが矛先はついておらず、一見してただの
それが重要なのだ。矛先が無いのは、あっては困るからだ。
棍の扱う武術は主に『棒術』や『杖術』に分類される。
「
イーワンの正面に不用意に立った召喚兵を瞬く間に同時に放たれた突きが、五条の銀閃となり貫く。鎧の隙間、関節部、兜のスリットを的確に突き、倒す。
そして銀棍――魔術触媒を振るったことにより、魔術の発動に必要な『ジャスチャー』が満たされる。
「連続詠唱――<カサーノトラの妄執>」
銀棍に魔力が通い、魔術触媒としての機能が発揮される。青白い鬼火とも雷光とも似つかぬおぼろげな光が手足を包む腕甲と脚甲を覆った。
不吉ながらも目を捉えて離さないこれも自己
イーワンの足元に影が落ちる。顔を上げれば、その目に映ったのは直径50メートルはあろうかという巨大な氷塊だ。どう見ても避けられない。パリングして弾こうにも大き過ぎる。
魔術でありながらこれほど単純な攻撃も珍しい。圧倒的な質量を、重力に従わせ落とす。
どうしようもない。だがどうしようもないからといってあり得ないという道理はない。
「『ぺしゃんこ』だ」
鍋太郎の声が聞こえた気がした。
ただ、ただ巨大な氷塊が、落ちてくる。
「なめるんじゃねぇぞ、鍋太郎ォ!」
イーワンが獣のように
喉の渇きでも、腹を満たす食欲でもない。気が付けば寝ていた休息としての眠りでもなければ、女を抱きたいという性欲でもない。
ファイを守りたい。
その為に。
それ以上に。
イーワンの男として意地が、己が獣性を自覚する。勝利を渇望する。
――負けたくない。
「
地面が砕けるほどの踏み込みから放たれたのは神速の突き。
矛先のないはずの銀棍が氷塊を
イーワンの本気の一撃。
「オレは『女好きのイーワン』だ。女に見栄張った以上、負けられないんだよッ!」
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