【032】「……どうすればいい」

 門まで引いたファイの耳に無数の闘争の音が響く。

 振り向かずともイーワンが鍋太郎の軍勢を相手にして、一歩も退かぬことが分かるような激しい戦闘の音だ。金属の打ち合う澄んだ音が鉱山に響く。

 鉄を鍛える際のそれとは違うその音は美しい。美しいが故にファイは、ドワーフは理解する。

 そこで振るわれる武器の上等さを理解出来てしまう。ドワーフならば金属を叩いた音でその性質を推し量ることが可能だ。その鉄にどれだけの不純物が混じっているのか。どれほどしなやかで、どれだけ硬いのか。ドワーフは石の声を聴くことが出来ると言われるのは、この耳の良さが元になっている。

 だからこそ、ファイたちドワーフにとって聞こえ来るこの剣檄けんげきの音色は喝采かっさいだ。冶金やきんの技の限りを尽くし、蒸留酒のように純な金属たちを、どれほど愛し磨けばこれほどまでに武器が歓喜の声をあげるのか。

 最初は憎々しげにイーワンと鍋太郎を睨みつけていたドワーフたちの目はあっという間にその舞い踊る武具たちに魅せられた。


「……分かるよ」


 気が付けばポツリとファイは呟いていた。それを父親であるタンザが拾い上げ、問い返す。


「山を捨てたお前がか?」

「分かるさ。ありゃドワーフにとっちゃ山ほどの金貨よりも価値がある。……アンタらのことだ。金貨が嫌いなのは鋳造ちゅうぞうだからだろう?」


 溶かした金属を鋳型いがたに流し込み、冷やして目的の形に加工する技術を『鋳造』と呼ぶ。量産に優れ、品質を均一に整えることができる鋳造は貨幣の製造に好んで使われる。

 硬貨の大きさや意匠が変われば、それは品質のブレとなり価値の変動に繋がるからだ。一枚の金貨はそれを取り扱うどこの店で『一枚の金貨』として扱うことができるからこそ価値を持つ。

 それは金貨そのものを見ただけでは分からない『信用』という価値だ。


 鋳造は鍛錬した金属に比べれば、粘りもなく脆い。同じ重さの剣であってもその違いは如実に出る。同じ腕前の者が打ち合えば、勝敗を決するのは武具の差になる。命を預けるものに直結するからこそ、ドワーフは鍛冶の腕を誇るのだ。


 だからこそドワーフは金貨の在り様を受け入れようとしない。

 鋳造が鍛錬した金属より勝るなど、ドワーフにとっては尊厳を踏み躙られることに等しい。

 ドワーフにとって鉄を打つのは祈りだ。炉の炎に身を焦がしながら、金鎚を振り下ろし、鉄を打つ。硬く、強く、しなやかであれ。そう祈って自らの魂を鍛えるよう鎚を振るうのだ。

 打ちあがった金属はそのままにその者の在り様を示すとドワーフは信仰している。金床に求めるのは己が在り方だ。

 硬く在れ。強く在れ。

 ドワーフはそう祈り、鉄を打つ。


「アンタらは……いや。アタシたちは怯えているのさ。臆病なんだよ、ドワーフは。まったく……どうしようもない」

「……なんだと?」


 だからこそ金貨などという鋳造で造られたものに自らの鍛えた武具を買われることをドワーフはひどく嫌う。自らが打ったものを人に譲るということは、それは相手に自分の魂を預けるということだからだ。

 それを金貨というものは値をつけてしまう。鍛えた武具を金貨で買われてしまえば、それは自分の魂に値段をつけることになる。


「アタシたちドワーフは『お前はこれだけの価値だ』、そう認めるのが怖いんだよ。一度値段をつければそれは覆らない。それが怖いんだ」

「俺たちの打った鉄は誇りと共にある。それを人間が、勝手な値段をつけて売る。そんなことが認められるわけがないだろう」


 タンザが渋面を作り、唾棄するように吐き捨てる。


――これだ。


 これがドワーフの価値観。本来なら共感を覚えて然るべき、その価値観にファイは嫌悪感さえ抱いていることに気付いた。それは確かに一度は信じたものだった。尊んでいたものだった。けれどもファイは気付いた。その歪さに、その脆弱さに。

 大海を知った蛙のように、ファイは山を出て、世界を知った。ほんの数年、見聞き出来たことは『世界』という言葉を使うにはあまりに大仰過ぎるかもしれない。

 しかし、それは決してドワーフの小さな坑道の奥で掘り出せるものではなかった。たった3年で、それをファイはそれこそ嫌と言うほど突き付けられたのだ。世界の片鱗でさえ、それだ。5年先、10年先、どうなっているかなんて見当もつかない。


「もっとも強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。生き残れるのは変われる者だけだ……まったくその通りだと思わないかい?」


 ふとファイはイーワンの言葉を思い出す。

 ドワーフに本当に必要なものは変化だ。


「誇りをピカピカに磨き上げて、目を背けるのはやめな。鉄はいつかは錆びるもんだ。子は育つし、親は老いる。今のアンタのようにね」


 変わらぬものなどなにひとつとしてあり得ない。

 金貨だってその価値は日々変わり続けている。遠くの土地での戦乱や豊穣により金貨の価値は変わる。元より国が変わればそこに刻まれる横顔も変わるものだ。は文字通り景気が悪い。貨幣の価値はその貨幣が持つ信用によって変わる。

 端的に言ってしまえば貨幣を発行する胴元がどれだけ信用できるか、ということだ。戦争で負ければ国ごと消えることだってあるのだ。そうなればその国の貨幣は大暴落することになる。

 そして戦上手な国が強い国とは限らない。

 貿易、治安、芸術。その全てが国の信用、ひいては国力を示す要素だ。武力や軍事力は重要ではあるが、あくまでその一要素に過ぎない。

 国という巨大な資産は一口に語るにはあまりに多様すぎる。それを保つためには努力が必要だ。

 タータマソ鉱山はひとつの自治体としてその努力を怠った。


「……何が言いたい?」

「アンタらが『怠け者』だってことさ」


 風を切る音と共に頬に熱が走った。

 遅れて頬に赤い血潮が垂れる。タンザが振り抜いた金槌が薄く皮膚を引き裂いたのだ。


「もう一度、言ってみろ」


 タンザは低く、唸るようにそう言った。その手に握られているのは鉄を鍛える金槌だ。熱く赤熱した鉄塊を叩き鍛え上げる金槌は重く、硬い。如何に骨の丈夫さには自信のあるドワーフだって、これで殴られれば骨は砕ける。

 しかしファイは怯まない。


「何度だって言ってやるよ。アンタらは怠け者だ。恥知らずだッ! アンタらと同じ血がアタシにも流れてると思うと情けなくって、涙が出るね!」


 胸の奥で、魂の炉が猛り狂っている。

 躊躇うな、叫べ。


「勝手な値段をつけるな? バカも休み休み言うんだね、手前テメェがそんな大層な口を利ける立場かい? ハッ、面の顔もここまで厚いと感心するねェ……金貨が卑しい? 食わせてもらっている立場でよくもそんなことが言えるもんだ。『厚顔無恥』って言葉はきっとアンタらみたいな連中を指して言うんだね」


「お前……実の親に向かって、なんてこと言うんだ!」


――食いついた。


「実の親だァ……? アタシはもう娘じゃないんじゃなかったのかい?」


 そう切り返せば、タンザはグッと息を詰まらせた。

 浅い。結局のところ、どうしようもなく浅はかなのだ。


「誇りに値段がつけられない? 違うんだよ、値段をつけるしかないんだよ。金だ、金なんだよ! ドワーフの誇りを相手に、世の中のどうしようもないクソ野郎どもに認めさせようと思ったら、金しかないんだよ!」

「金、金、金と……そんなに金が大事かッ!」

「大事に決まってるだろうがッ!」


 この期に及んで、そんなこともまだ分かっていないのか。いや、分かろうとしたくないのか。


「明日食う飯を買う為に必要なのはなんだい? 金だ! 生きていくためには金が必要なんだよ、そのぐらい、いい加減認めな! 生きていくために必要な金は大事に決まってる。それは生きている万人が認める価値観だ」


 生きていれば腹が減る。飯が必要になる。当然の道理だ。人間だろうと、エルフだろうと、ドワーフだろうとそれは変わらない。

 そして飯を買う為には金が必要だ。金がないなら残飯を漁るか、飢えて死ぬしかない。


「金はどう誤魔化そうが、いくら取り繕おうが必要なんだ。生きていく為に必要な金だからこそ、価値がある。そりゃあね、ドワーフの金属製品はいいモンだ。『アンタら』が誇りと持ち上げたがる気持ちも分かるし、それに値する代物だろう。でも、それをどうやって認めさせるんだい?」

「そんなもの戦士が見れば分かる。ドワーフの剣も、鎧も戦場で命を預ける価値がある」

「戦士が見れば、ね。じゃあ戦士以外にはどうするんだい?」


 ファイの問いにタンザは答えらない。いや、答えられない。なぜならばドワーフは今まで自分たちが認めた戦士しか相手にしてこなかったからだ。

 鍋太郎を始めとした貿易に訪れた商人たちでさえ『誇りを金貨で扱う下賤な輩』と内心見下していたのだろう。

 その侮りは今まさに文字通り莫大な『負債ツケ』として、その身を滅ぼそうとしている。


「畑を耕す農民には? パンを焼く職人には? 病を癒す薬師には? アンタらが後生大事に抱えてきた『誇り』の価値をどう説明するんだい?」

「それは……」

「それは『金』だよ。それが金なんだよ。畑から取れる野菜は金で買える。焼いたパンは金で買える。病を治す薬草は金で買える。金は違う価値観を繋ぐ鎖だ。違う世界、この小さな山じゃない別の世界で、別の理に生きる連中にも通用する『価値観』だ。山の外で、違う生き方をしているヤツに自分たちの本当に大切なモノを認めさせたいなら、それは金以外にないんだよ」


 つけられた値札に書かれた金貨の枚数がその価値を示す。

 それは生きるのに必要な金貨の枚数だ。文字通り、身を削って始めて得られる共通の価値観だ。

 金があれば肉が買える。パンが買える。水が買える。それだけの価値を金貨は保障する。肉よりも水よりも高い値札で売れたのならば、それは明日の一食よりも価値のあると買い手が認めたことに他ならない。


「だが……それは……!」

「勘違いするんじゃないよ、『大鍛冶主殿おおかじぬしどの』? これがアンタらだけの価値観だと思うな」


 苦し紛れに反論しようとするタンザの言葉をファイは許さない。


「アンタらが飲み食いした飯や酒だって元は商会が買ったもんだ。アンタらがそれを払わないってのは、それを作った連中への侮辱だよ」


 ファイは知っている。

 山を出て、知っている。麦を育てる農夫たちの姿を知っている。酒を造る職人たちがどんな言葉を話すかを知っている。彼らにも守りたいと願い、飯を食わせて養わなくてはいけない家族がいることを知っている。

 炉の熱はなくても、彼らが息をして笑って生きていることを知っている。

 いったい、彼らの何がドワーフと違うのだろう。今のファイにはわからない。


「商会が払った金で、連中は次の朝を迎えられる。子供たちに飯を食わせてやれる。それが金の力だ。それなのに、アンタらと来たらどうだい? 金は嫌いだ、の一点張り。自分たちだけで飯も満足に用意できないのに、だ」


 ドワーフの食料自給率は悪い。手足が短く、大飯ぐらいのドワーフにとって農耕や狩猟は苦手分野だ。いくら土に愛されたドワーフと言えど、石を食って生きられるわけでもなし。


「本当に金の力を借りたくないのなら、差し伸べられた最初の手は振り払うべきだったんだよ」


 そこに握られていた干し肉も蒸留酒も金の力で作られて、金の流れに乗って運ばれてきたものだったからだ


「でも、そうはならなかった。そうしなかった。最初がどうであれ、今はもうドワーフたちも金の流れに乗ったんだ。そうして生きていくことを選んだんだ。……自覚があろうとなかろうとそれは変わらないし、変えられない」


 もう、ドワーフは人間なしでは生きていけない。

 肉の味も、パンの味も、酒の味も覚えてしまった。満たされるということをドワーフは知った。もう戻れはしない。


「アタシら商人は時々、神様の見えざる手ってヤツを感じる時がある。誰も彼もが自分のことしか考えてないのに、気が付けば示し合わせたように帳尻がピッタリと合うってことが商人の世界ではよくあるんだよ。アンタらがしようとしているのは、それと真逆さ。金を嫌って、そのくせその金で運ばれた飯は食う。自分で考えようとしない。自分で価値を作ろうとしない。そんな連中のどこに誇りがあるんだい?」


 だから変えようとした。

 だから山を出た。

 何かを変えなくちゃいけないと思って、それを知るためにファイは故郷を捨てた。

 何を変えればいいかは分かったが、これはファイが教えれば済むという話ではない。


「自分の価値を認めさせたいなら、その為に変われ。価値を証明してみせろ。それが金だ。それが出来ないのなら、アンタらはただ運ばれてくる餌を食って、鉄を打つだけの家畜に成り下がる」


 鍋太郎はそれが目的なのだろう。

 考えずに済む事。それはどれほど楽な生き方だろうか。しかしそれはただ言われた通りに鉄を打ち、ただ運ばれてきた食事を食う、そんな家畜の生き方だ。

 飼葉を食わせ、卵を産む鶏と酒を呑ませて、鉄を打つドワーフにどれほどの違いがある?

 せいぜいが言葉を話す程度だ。言葉を話したところで、金勘定という会話ができないのならそれは鶏の鳴き声と大差はない。

 それが悪いとは思わない。そういう生き方が世界を支えているのもまた真理だ。それを自分の意思で選び取ったのなら、誰に恥じることもない生き方だとファイは思う。


 ファイは、ほんの少しだけ躊躇った。

 時間にすれば刹那ほどもないが、それでも確かに躊躇った。

 ドワーフとしての自分と、商人としての自分。


「……アタシは違う。アンタら、ドワーフとは違う。アタシは商人だ。金の価値を認め、金の価値を恐れ、金の価値を信じるただの商人だ。だから、これはドワーフとしての『ファイ・タータマソ』じゃない。『行商人ファイ』としての言葉だ」


 ファイは決断した。

 この時、ファイは明確にドワーフであることを捨てた。ドワーフである以前に金の価値を認め、金の価値を信仰する商人であることをファイは選ぶ。

 ドワーフとしての生き方と決別し、ファイは商人としての生き方を選択した。他ならぬ、誰でもない自らの意志で、自らの生き方を選び取る。

 ここが分水嶺だ。


「アンタたちはこのままでいいのかいっ! 情けなくはないのかい!? 変わりたいと、見返してやろうと思わないのかいっ! アンタらに本当に、本当にドワーフの誇りってヤツが心の中に燻っているんなら、変わるしかないんだよ! 連中が認める金貨で勝ち取って、見返してやるしかないんだ! それだけが連中に誇りを認めさせる唯一の方法だ! このままで……本当にこのまま『家畜』のままでいいのかいっ!? 恵まれるまま、それで満足かい!?」


 いつの間にか、ドワーフの全てがファイを見ていた。誰もがファイの言葉に呑まれていた。


「違うだろう! そんなんじゃあ……そんなじゃあなかったはずだろうがッ! アンタらが守りたかったモノは値札がついた程度でくすむものじゃあなかったァはずだ!」


 信じたかったモノ。守りたかったモノ。

 それはもう手遅れだった。

 黙して鉄を打つ誇り高いドワーフはもう、いない。

 だが、ドワーフは生きている。今のドワーフは生きている。選ばなくてはいけない。矜持を取り戻したいのなら、尊厳を勝ち取りたいのなら選ばなくてはいけない。

 ならば。ならば今のドワーフ――


「……どうすればいい」


 タンザは静かにファイに問う。

 それに対するファイの答えはひとつしかない。


「自分で決めな」


 自分で選ぶしかない。

 自分の生き方は自分で選ぶしかない。


「アンタが選ぶんだ。アンタらが後生大事に抱え込んできた由緒正しきドワーフの誇りか、この山を捨てて金に取りつかれたこの行商人の手を取るか。自分で選ぶんだよ」


 自らの持ち得る全て賭けて、選んだ選択を誇りと呼ぶ。

 タンザの答えは――

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