【030】「この俺様を出し抜いてみせな」

「なんだよ、オイオイオイオイ! ドワーフ諸君総出でお出迎えかァ!? なんだよ、殊勝な態度じゃねェか! 結構結構、金を借りてる奴は貸してくれてる奴に感謝しなくちゃあな」


 勝手なことをペラペラと喋りながら、鍋太郎は歩み出る。一歩、二歩。その度に波が引くようにイーワンたちを取り囲んでいたドワーフたちが後ずさる。

 なぜなら鍋太郎の周囲の大気がまるで陽炎のように歪むほど魔力が滲み出しているからだ。規格外の魔力はそのままに一挙一足で、即座に戦闘に移ることを可能とする臨戦態勢を表している。

 鍋太郎の足取りは軽いが、それを阻む者がいた。イーワンが転がした門番のひとりだ。砕けた指を庇いながら、門番は這ったまま鍋太郎の足を掴む。痛みで興奮状態であるためか、鍋太郎が見せつけるように垂れ流す魔力に気付いた様子がない。


「失せろ……俗物が……! ここはお前のような――「短縮詠唱ショートカット


 軽蔑と拒絶の言葉を言い終わる前に、鍋太郎は料理でも注文するような口調で暴力を振り下ろす。簡略化された魔方陣が門番の頭上に浮かび上がり、そこから死神の如き大鎌が現れ、振り下ろされる。


召喚サモン――<めーぷるしろっぷ>」

「させないぜ」


 振り下ろされれば容易く首を落とすであろう大鎌に下にイーワンは潜り込み、銀棍を使ってその一撃を『パリング』する。力を受け流され、大鎌の矛先が地面を抉り取った。

 硬い岩で出来た地面を容易く貫くその大鎌はそれだけで並外れた大業物だということを示している。離れた位置から飛び込んできて、あまつさえ一度は斧を向けた相手を身を挺して庇ってみせたイーワンにドワーフは驚きを隠せない様子だった。


「き、貴様……なぜわしを庇うのだ!」

「勘違いするなよ、お前がここで殺されたらファイちゃんが悲しむ」


 男相手にフラグを建てても嬉しくもなんともない。ただ鍋太郎の性格を考えればここでいきなり仕掛けてくるのは予想できたことだ。あの男はそういう場の空気の取り方が上手い。

 瞬間移動テレポートを使ってのいきなりの登場。警告も無しの先制攻撃。そのどれもが空気を自分の元に引き込むための策略だ。鍋太郎は享楽的で、拝金主義者ではあるが、その行動原理には必ず損益がある。

 現に鍋太郎はイーワンへと追撃を放たない。この場面でイーワンを追撃しても、イーワンを討ち取ることが出来ないのは明白だからだ。召喚陣から現れた大鎌はその全貌を表し、死神のごとき青い肌を持つ魔族の少女はすでに全身の召喚を終えている。だが鍋太郎の傍に控える魔族の少女は無機質な瞳でイーワンを俯瞰しながら、大鎌を構え直す。

 その立ち位置は盾役タンクであるイーワンなら分かる。あの体重の預け方はいつでも鍋太郎を庇える状態を保っているのだ。イーワンが仮に鍋太郎に対して、攻撃を仕掛けてもこの少女は身を挺して庇うだろうことは明白だ。


「ちゃん付けすんな、イーワン。……大丈夫かい?」

「ま、これぐらいならね。ほら、弟を連れてとっとと向こうへ行け」


 魔族の少女からは目を離さず、左手で門番を引き起こす。戸惑いながらも門番は斧を捨て、無事な腕で弟を担ぎ上げてタンザたちの元へと退いた。


「……」


 その様子を鍋太郎はぞっとするような無表情で見送る。その視線の先にいるのはファイである。

 しばし鍋太郎はファイを、そして後ろにいるドワーフたちを無感情な目で俯瞰した。


「ファイ、テメェ何のつもりか知らねぇが俺様相手に抵抗する意味は当然、分かってんだろうな……?」


 その言葉には脅しや恫喝は一切込められていない。どこまでも平坦な声に込められたそれはただの確認だ。

 だからこそ鍋太郎はそこに感情を込めない。相手がファイだから――いや、例え相手が誰であろうと鍋太郎は変わらない。

 徹底した利益の秤でのみ、この男は行動する。その秤に歪みはなく、だからこそ鍋太郎は強い。


「当然、承知しているさ。師匠、アンタのやり口もアンタの主義もね。だからこそ、だ」

「なんだと?」

「アタシがここにいるのは、この鉱山のドワーフとしてじゃない。タンザの娘としてでもない。ここにいるのは、シラタキ商会のちっぽけな商人のファイさ。……分かるかい? 分かるだろう? 師匠、アンタを出し抜くのさ」


 ファイは真っ直ぐに胸を張り、鍋太郎に向かって宣言する。それは間違うことなき宣戦布告。

 鍋太郎はその言葉にあんぐりと口が開く。


「……クハッ」


 顎が外れんばかりに大きく開かれたその口から漏れ出たのは、かすれたような笑いだった。


「クハハはハッ、ハハははハはははハハハッ!!」


 気が狂ったかのように鍋太郎は笑う。大いに嗤う。

 目に涙をにじませ、背骨が弓なりになるほどにのけぞって、天を仰ぎながら鍋太郎は心底愉快そうに笑う。


「クハッ、マジか。マジかよ、ウケるぜ! クハハハッ……ダメだ、腹いてぇ、笑い死ぬ!」


 何度かむせて、せき込みながらも鍋太郎は笑うのをやめない。その金歯をちらつかせながら大いに笑い、ようやく落ち着いた。


「なるほど、なるほど……テメェは俺様の商品を横からかっさらおうと、そういうつもりなんだな?」

「流石、話が早いね。そのつもりだよ」

「もちろん、俺様がそれを『はい、そうですか。お先にどうぞ』と譲ってくれるたァ思っちゃいねェよな?

「それももちろん」


 一歩も退かぬファイの物言いにますます鍋太郎はその笑みを深める。その笑みは狩猟者のそれだ。鍋太郎は上機嫌だった。それなりに付き合いのあるイーワンでさえ、こんなに楽しそうな鍋太郎は初めて見る。しかしそれは凶兆だ。

 あの悪趣味の鍋太郎が喜ぶ事態がロクなことであるはずがない。


「やっぱ俺様の見る目は確かだったなァ……クハッ、ウチの商会でも俺様に歯向かおうなんて骨のある奴はそういないぜ。言ったろ、ファイ。俺様はテメェを高く買ってんだ」

「相場よりもかい?」

「あぁ、相場よりも、だ。いいぜ、気に入った。やってみろよ、ファイ。商会長ギルドマスターとして、この鍋太郎様が直々に許可してやろうじゃないか」


 ニィっと歯を剥いて鍋太郎は嘲笑う。それは鍋太郎が本気になった証だ。

 サーバーランク第五位『財』の称号を持つバケモノが紛れも無く、ちっぽけな一商人であるファイを敵として認めた。

 世界を股にかける大商会の長たる鍋太郎にとって『商人』として敵と認めるということは最大級の賛辞だ。しかしそれは一切の手加減や油断といった隙がなくなったことを同時に意味する。


「この俺様を出し抜いてみせな、クソ弟子」


 その瞬間。

 明らかに空気が変わった――仕掛けてくる。


債権執行さいけんしっこう――債権者さいけんしゃ鍋太郎をこうとして、債務者さいむしゃおつに対して第七条に記載された契約にもとづき、これより召喚を執行する」


 完全詠唱。

 鍋太郎が詠み上げる術式により、鍋太郎の召喚魔術がその能力を十全に発揮する。普段は利便性を重視し、簡略化された短縮詠唱ショートカットとはその出力は文字通り段違いとなる。詠唱を一字一句違えず、詠み上げる鍋太郎の顔にもはや笑みはない。

 鍋太郎にとって笑みは商人としての武装だ。相手に顔色を読ませない為の過剰なまでカモフラージュ。それを消し去った鍋太郎は1人のプレイヤーだ。


「ファイちゃん! ここから全員下げろ! 時間ならいくらでもこのオレが稼いでやる!」

「ちゃん付けするんじゃないよ!」


 悪態をつきながらもファイはイーワンの言葉に従い、ドワーフたちを坑道の奥へと下がるようへ促す。その喧騒を振り返らず耳だけで察知しながら、イーワンは不思議と力が湧いてくることを感じた。

 ファイのお決まりの文句を聞き、心が落ち着くのを感じる。最初こそからかい半分で続けていたやり取りはいつの間にかイーワンにとって、とても大事なものになっていた。この気持ちを何と例えればいいのだろう。どう表現すればいいのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながらイーワンは腰を落とし、銀棍を構える。大きく足を開き、呼吸を整えていく。

 イーワンはサーバーランク第十位、鍋太郎はサーバーランク第五位。イーワンと鍋太郎では、鍋太郎の方が格上だ。

 今までとは違い、油断も手加減も出来るわけがない。


短縮詠唱ショートカット――<オル=ガハトゥス=ハオマ>」


 一呼吸のうちに体内に渦巻く魔力を練り上げ、イーワンも遅れて魔術を発動させる。使うのはイーワンの扱える魔術の中でも五指に入る最上オル級魔術。

 本来なら詠唱が必要なそれをイーワンは短縮する。すでにファイたちへの警告で一手遅れているのだ。

 現に


人権接収じんけんせっしゅう――大隊召喚だいたいしょうかん黄金色こがねいろの亡者たち」


 鍋太郎の周囲へ魔方陣が浮かび上がる。それは先ほど魔族の少女が召喚されたものと同一のものだ。

 問題はその数だ。

 鍋太郎の周囲にそれが数百、ともすれば千にさえ届きそうな数が浮かび上がる。あまりにも膨大な、常軌を逸したその物量。鍋太郎の金色を帯びた魔力によって、周囲一帯の景色が黄金へと染め上げられた。

 その魔方陣全てから武器の切っ先が現れ、続いてそれを握る担い手たちが召喚されていく。


 召喚師はその使役する召喚獣により様々な呼称が用いられる。バッドステータスを与えることを得意とする忌獣きじゅうを使役するなら忌獣きじゅう使い。希少な幻獣の類であればそれがそのまま召喚師を指す呼称になることもある。

 鍋太郎は後者だ。

 しかし、ほかの召喚師とは一線を画す。サーバーランク第五位に名を連ねる召喚師が尋常な存在であるはずがないのだ。

 本来、召喚師は召喚獣を術式により召喚するクラス。鍋太郎は違う。鍋太郎が使役するのは『元人間』だ。


「潰せ」


 鍋太郎が指を鳴らすと同時に手に各々の武器を携え、召喚者たちが一斉にイーワンへと殺到する。

 その凶刃がイーワンへと届く寸前、一呼吸遅れてイーワンの魔術もまた起動する。


祝福ギフト:ハイラの福音ふくいん


 魔術が起動したことにより、イーワンの周囲の空気がどろりと粘着質なものに変わったような気がした。途端、世界が遅れた。

 自分の首、肩、腿――あらゆる急所を狙い、迫る3本の刃の刃紋さえ今のイーワンには見て取れた。『祝福ギフト:ハイラの福音ふくいん』によりイーワンのステータスは約27.4%上乗せされている。ATKアタックDEFディフェンスといった基本的なステータスはもちろん、第六感さえこの魔術は強化する。3割近い上昇率はイーワンほどのハイレベルプレイヤーになれば膨大な自己強化バフとなる。

 あまりに強化された知覚感覚によって間延びしたように感じる世界でイーワンは銀棍を振るう。一瞬にして迫る凶刃はその向きを変え、空を切る。

 ハイラの福音ふくいんの効果は当然、イーワンの最も得意とするDEXデクスタリティにも及ぶ。世界が塗り替わるほど研ぎ澄まされた知覚とイーワンの特化したDEXデクスタリティが合わさればありとあらゆる攻撃をパリングすることが可能となる。

 すかさずにイーワンは体制を崩した敵に銀棍の一撃を食らわせる。手首を返し、円を描きながら2人を薙ぎ払う。手加減無しの一撃だ。銀棍を通してあばら骨が折れる感触が伝わる。残る1人は膝蹴りを鼻筋へと叩き込む。足を覆う脚甲の膝が鋭利な角となって、顔面を蹴り砕く。

 エフェクトではなくなった血しぶきをまき散らしながら、3人が地面に倒れる前に消えた。それを見届ける前に新たな殺意がイーワンへと迫る。肩口を抉ろうとする槍の穂先を逸らし、腿の骨を砕こうとする大槌を受け流す。胴を狙って投げ放たれた手刀で叩き落とす。

 自己強化バフの効果によって希釈きしゃくされた時間の中ですらイーワンは一瞬の油断さえも許されない。


 1対1での戦闘に限ればイーワンを傷つけることが出来るものなど、サーバー上に10人もいない。

 そのうちの1人が鍋太郎であり、その戦い方は実にシンプルだ。古今東西、現実でもゲームでも常に有効な、それでいて抗いがたいシンプルな強さの象徴。

 その力は『物量』と呼ぶ。


「<角砂糖>、<ささくれ>、<ルリルリ>、<さまーふぇすた>、<テレキャスター>、<天津風>、<WOLF>、<義務レット>――」


 鍋太郎の召喚は止まない。パリングしても、避けても、反撃してもその攻撃の手が止まることはない。斬撃、刺突、打撃。無数の攻撃がイーワンを絶えず襲い続ける。

 時に味方を巻き込むことさえ厭わず炎の弾や水の刃といった多種多様な魔術が遠距離から叩き込まれる。その全てをイーワンは銀棍を使い、時には敵の身体を盾に使い、自らの生存を勝ち取っていく。

 しかしそれは薄氷の上を歩くような危うさの上に成り立っている。緊張のほつれがそのまま死に直結するような煉獄の景色がそこにあった。


 鍋太郎が召喚するのは人間、エルフ、ドワーフ、ドラコニアン――とその種族は多岐に渡る。普通、何かしらの一種族に特化することが多い召喚師において、この節操のなさは異常と言っていい。

 だが一見、無秩序に見える鍋太郎の召喚にも法則性があることをイーワンは知っている。AWOにおいて、鍋太郎の名はその戦い方と共に広く認知されているからだ。

 金融において、担保とされるのはその人物にとって価値あるものに限られる。本来ならば金品や不動産が該当するが、AWOはゲームである。それらよりももっと価値のあるもの、本来は決して許されるはずのないものでさえ、取引の天秤に乗ることが許されている。


 鍋太郎が使役するのは『元人間』――負債の返済を行えず差し押さえられた『アカウント』たち。

 AWOという世界において、人権を含む全ての権利を差し押さえられた無数のアカウントを鍋太郎は使役する。

 本来はあり得ない複数アカウントの同時行使。それを召喚魔術と奪い取ったアカウントによって実現させたサーバー唯一の債権執行者。

 魔術ひとつで、軍勢を召喚し、奴隷の如く使役する鍋太郎の戦闘能力は畏怖いふ唾棄だきを込めて、こう呼ばれるのだ――『召軍師しょうぐんし』鍋太郎。


 イーワンはこれからたった1人で鍋太郎の軍勢へ挑まなければならない。

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