【023】「詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
「もう大丈夫だよ。ありがとうね。あぁ、お代は払うから軽く酒をもらえるかい?」
「分かりました。お持ちいたします」
ファイの付き添いをしていた丁稚に酒の手配を整えると、ファイはベッドから降り、グッと背伸びして体の凝りをほぐす。
人間に比べれば幼く見えても、ファイはドワーフだ。
金額が金額とはいえ、腰を抜かしたということを思い出すと羞恥心が顔を出す。
ドワーフとして金属の目利きには自信がある。当然、あの魔刀が尋常ならざる業物であることは分かっていたし、高値で売りつける算段もしていたが、まさかあれほどの値がつくとは。
確かに魔刀ソローヤは然るべき者が使えば、恐ろしい戦力を発揮する。なにせ武器も防具もまとめて文字通り一刀両断にする代物だ。まともに相手すれば、武器を切り捨て、相手を防具ごとなます切りにすることすら容易い。イーワンのような規格外でもない限り、まさに相手にもならないだろう。こんなものを相手によくもまぁ生き残れた者だと自分の幸運に感心する。
そんな性能を考えてもみれば納得のいく値付けではあるのだが、それとこれとは話が別だ。
あんな金額、一介の行商人の手には有り余る金だ。それこそ適当な街で市民権を買い、大通りに立派な店を構えることだってできるだろう。
どうにも現実感が湧かない。
そんなことを考えるうちに丁稚が酒を持って、部屋に戻ってきた。
「どうぞ。ドワーフならば強い酒の方がよいかと思いまして」
「おや、気が利くじゃないか。お代はいくらだい?」
「銀貨3枚です」
少々、高い値ではあるが、いいだろう。何せ金貨2万枚を手に入れようかという話の後だ。倹約は商人にとって美徳だが、だからといってケチは嫌われる。
早かれ遅かれ、ファイが大金を手にしたという話は広まるであろうことを考えればここでケチなことを言う方が明らかに損だ。
下男から酒を受けとり、財布から無造作に銀貨を4枚取り出し手渡す。1枚は丁稚へのチップだ。普通ならば銅貨で十分だが、気前良くしていて損はないだろう。
受け取った酒のコルクを抜き、ぐいっと煽る。行儀は悪いが、目を覚ましたい時にはこれが利く。
火が付きそうな強い酒だ。喉をするりと通り、胃の奥がカァっと熱を帯びる感覚が気持ちいい。鼻を抜けるライ麦の香りは香ばしく、なるほど。いい酒だ。銀貨3枚も納得できる味だ。
旨い酒を呑むと気が良くなるのはドワーフの悪いクセだ。人間が呑めば、数杯で目を回すようなキツい酒をファイは思うがままに喉を鳴らして呑む。中身が半分ほどに軽くなった頃合いで、ぷはっとファイは一息つく。
「うわぁ……ドワーフの方って本当にお強いんですね」
「ま、これぐらいわね。それにしてもいい酒だ、良い目利きしてるよ。アンタ」
「いえいえ、僕にはそのお酒は強過ぎまして……お気に召しましたか?」
「あぁ、気に入った。これなら樽で飲みたいくらいだ」
嘘偽りない本音である。ドワーフであるファイにとっては酒はなければ困る嗜好品だ。鍛冶場からは身を引いたが、だからこそ酒でも飲んで身体に火を入れなければ活力が湧いてこない。
良かったと笑う丁稚は実に純朴そうだが、ここまで見越してファイに高くつく火酒を持ってきたのなら将来はきっとやり手の商人に成長するだろう。
火酒は蒸留を重ね、その濃度を高くしていく。その名の通り、火がつくほどの濃度になるまでには繰り返し、酒を焼くことが必要だ。当然、薪などの燃料は大量に消費するし、酒だって蒸留を繰り返す度に水を飛ばすのだから目減りしていく。手間がかかり、出来上がる量は少ない火酒は高級品だ。味や香りのいいものはそこからさらに数年、十数年と寝かせてやる必要があるのだから、なおのこと。
しかしドワーフは酒に目がない。それはファイだって同じ事。
辛い酒は飲めば飲むほど喉が渇く。喉が渇けば酒が欲しくなる。最初、人間の社会に紛れた時は過度な飲酒は禁じられないにしても、眉を顰められると聞いてファイはそれが弱いからだと思ったが違う。いい酒はクセになり、身を滅ぼすからだ。
大ざっぱなドワーフと違い、人間の作る酒は多種多様だ。蒸留酒だけでもサトウキビ、大麦、ライ麦、
機会があればぜひ呑んでみたいものだ。
「ふぅ、世話をかけたね。あー、イーワンか鍋太郎さん……商会長はどこにいるか分かるかい?」
「お二人でしたら、商会長の部屋で昼食を共にすると聞いております。また、イーワン様から『ファイちゃんが起きたら知らせるように』とも言伝を預かってます。ご案内しましょうか?」
「あのバカ……ちゃんづけすんなって何度言わせる気だい……」
これぽっちの酒ではファイは酔わないはずだが、イーワンのあの無駄に整った顔を思い出すと頭が痛くなる思いだ。
今回の
これでファイの身体が目当て、というのならあの女好きな言動も不気味とも言える無欲さも分かるのだがそういう様子は今のところ、無い。
女好きなのは自称しているクセに、ファイに手を出そうとしているわけでもない。この幼女然とした身体が好みに合わないのかと、気を利かせてユーズを任せてみれば抱くどころか寝過ごして見逃す始末だ。
あの呆れた女好きがユーズを無理やり抱くと思っていたわけではないが、手も出そうとしないのはファイも女ながらに呆れたものだ。
腕か顔かは分からないがユーズはイーワンに気があったろうに。昨夜の戦いを見ても感じたが、イーワンはどこかおかしい。視点がズレているというか、何かがちぐはぐなのだ。言動とその性根がどうにも一致しない。
ファイも人里で商売を始めてしばらくになるが、あのような男は初めてだ。
「そういえばなんでアイツ、商会長と知り合いなんだ……?」
シラタキ商会は大陸どころか、世界に名を轟かせる大商会。
シラタキ商会の息のかかっていない市場を探す方が難しい。あの小さなカルハ村でさえ、ファイという行商人を通して干渉している。ファイが仕入れたカルハ村の木工や薬草はシラタキ商会に卸すし、カルハ村へ運ばれる塩や金はシラタキ商会から仕入れたものだ。
大商会たるその手は長く、おまけに不透明だ。どこまでその手が伸びているのか分からない。恐ろしいとファイは心から思う。人間は非力だが、ドワーフよりも強かだ。それはドワーフの腕力や冶金の腕前とは異質な権力や生産力といった形で表れている。
一振りの剣を打つならば確実にドワーフが質で上回るだろう。10本でも腕のいいドワーフならば勝るだろう。だが百本ならば鉱山中のドワーフを総動員すればなんとかなるかもしれない。だが千本ならばどうだ。万本ならば勝ち目はない。
それを容易く可能とするのがシラタキ商会という化け物だった。その首魁たる鍋太郎は例えるなら一国の王にも等しい。鍋太郎が操る金の流れは膨大で、強大。その影響力で言えば王でさえ霞みかねない。王権は国境で区切られているが、金と人は国境で区切られていないのだ。なれば財力というのは
そんな鍋太郎は当然ながら常人にとっては
ファイは縁があり、鍋太郎とは面識があるのだがイーワンに関しては全くの謎である。イーワンはその武芸こそ卓越しているが、
そのクセに武芸に関しては戦神の如き冴えを見せ、魔刀ソローヤの性質を看破し、その値札さえあの鍋太郎相手にピタリと言い当てる始末である。
これほど奇妙な人物もそうはいない。
挙句、鍋太郎とは親しげな様子さえ見せている。鍋太郎の方もイーワンの事は知己であるような物言いであったのだ。わけが分からない。
「まぁ、直接聞けばいいか。アタシが直接、顔を出すよ。商会長のところまで案内してくれるかい?」
「はい、承りました。では、こちらへどうぞ」
ファイは丁稚に案内され、商会の中を歩く。
外観こそ悪趣味だが、商会の内装に関してはこれが同じ建物かと疑いたくもなるほど品が良い。
ファイは絵画などの目利きはできないが、要所に飾られる陶器や壁を飾る武具の類は一目見れば価値が分かった。どれもが良い物を揃えてある。初めてここを通る者はあの外観から想像していたものを裏切られ、面食らうだろう。鍋太郎は悪趣味だが目利きが出来ないわけでは決してないのだ。それを言葉にせずとも見せつける、そういう役割が調度品からは感じられた。
しかし、それも商談用の話だ。
「こちらです。では僕はこれで」
「あぁ、ありがとうね」
辿り着いたのは鍋太郎の私室である。
ファイも来たのは一度だけだが忘れることはないだろう。商談以外に、というより鍋太郎個人の金儲けに使われる部屋だけあって、私室はそれはもう、ひどいものだった。何せドアノッカーが純金の鍋太郎の顔で出来ているのだ。初めて見た時は気が遠くなった。なまじ質のいい金を使っているのが、ドワーフとしては腹が立つ次第である。満面の笑みを浮かべるこれを仕立て上げた彫金師はどれほど金を積まれ、仕事をする気になるのだろうか。想像するほど空恐ろしいが、鍋太郎のことだ金に物を言わせたのだろう。常日頃から金さえあれば何でもできると豪語する男だ。
エルフとドワーフはあまりに性質が反対なこともあり、衝突や対立が耐えないのだが流石にこれにはファイでさえ同情する。鍋太郎がドワーフだったら殺意さえ覚えると思う。
正直、気味が悪いので触れたくないのだが、仮にも商会長の私室である。ノックせずに入るというわけにもいくまい。
一介の行商人であるファイにとっては本来、頭を垂れて
悪趣味を鋳造したようなドアノッカーに手を伸ばしかけた時、中から不意に声が聞こえた。
「あん? まだ話してなかったか? 俺様がクーメルに来た理由は『タータマソ鉱山』を潰す為だぞ」
それを聞いた瞬間、ファイはドアを蹴破らんばかりの勢いで、中へと踏み入った。
「それはどういうことだい……! 詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
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