【024】「抵抗するなら叩き潰す」

 イーワンがその言葉の聞き直そうと口を開こうとした矢先、乱暴にドアが開かれた。そこにいるのはまさに渦中の人物であろうファイだった。

 赤銅色しゃくどういろの髪は逆立ち、その童顔には今にもはちきれんばかりの青筋が立っている。

 普段であれば炉の火のような活気に満ちた瞳は、今は燃え盛る煉獄の如き怒りで荒れ狂っているのが見て取れた。


「それはどういうことだい……! 詳しく聞かせてもらおうじゃないか」


 怒りを理性で必死に押し殺した声だった。

 そんなファイの怒りを真正面から受け止め、鍋太郎は平然とした様子で椅子へともたれ掛る。


「立ち聞きとは趣味が良くないな、ファイ。席がなくても聞きたいなら金を払うべきだぜ?」

「やめろ。アタシが気が長い方じゃないのはアンタもよく知っているだろう、


 鍋太郎の茶化すような言葉に対し、ファイの言葉は怒気に震えていた。

 しかしイーワンはそれよりも気になる一言がある。


「……師匠?」

「あぁ、テメェは知らないか。コイツに金勘定のイロハを叩き込んだのは俺様だ。不出来な弟子で、チャチな行商ばっかりやってるがな。まぁ、顔を売るには悪くない。見ての通り、オツムの出来は悪くないが火が付きやすいのが玉にきずだな」


――鍋太郎がファイの師匠? 商売のイロハを叩き込んだ?


「話を逸らすんじゃないよ。さっきの話、どういうことだい。タータマソ鉱山を潰すだって?」

「言葉のままだ。テメェの大事な大事な鉱山は俺様が潰す。それだけだが?」


 その言葉は文字通りに火に油を注いだ。

 ファイの怒気が膨れ上がり、それは魔力へと変わる。腰のホルダーから自身の魔術触媒である鉄書てつしょを手に取り、怒りのままに呪文を吐き出す。


「燃えろ! 焼けろ! 紅蓮はここに! <アラ=ケナラス>!!」


 魔力が鉄書を奔り、そこに刻まれた古代文字エンシェントワードに魔力が通う。術式に従い、炎弾が鉄書から放たれ、鍋太郎に向かう。

 しかし、紅蓮の炎は鍋太郎へは届かない。魔力によって編まれた熱気は鍋太郎の眼前にまで迫りながら、そこに壁でもあるかのように霧散する。

 鍋太郎の身に纏う『おごそかなるミアプラキドゥス』の効果だ。このローブはレベル4000以下程度の魔術師の魔術をほぼ無条件で無効化する。

 ファイ程度の魔術が届くはずもない。

 眉ひとつ動かさず、鍋太郎は口を開く。


「――短縮詠唱ショートカット


 静かなその言葉だけでイーワンは鍋太郎が何をする気を察し、全身が総毛立つのを感じた。

 思考が戦闘用のそれに切り替わる。ファイとの距離はおおよそ3歩。全力でイーワンはそれを詰めた。


召喚サモン――<原村256はらむらニゴロ>」


 ファイの眼前に複雑な魔方陣が浮かび上がる。巨大なそれは一見するだけで大気が歪むほどの魔力が込められていた。

 それを読み取ることさえ間も無く、虚空から巨大な剣を持つ腕が伸び、振り下ろされる。その太刀筋は恐ろしく早く、鋭い。

 だがイーワンが見切ぬほどではない。

 咄嗟にファイを自分の背に庇い、魔方陣から現れた剣士との間に割って入る。その手にはすでに銀棍が握られている。


「シッ――!」


 部屋に金属と金属がぶつかり合う音が響く。

 イーワンが剣士の振り下ろしをパリングしたのだ。間髪入れずに二の太刀がイーワンの首を狙って迫るが、それも弾く。ファイを気遣う間もなく弾かれた剣が空を踊り、息を吐く間も与えず矢継ぎ早にイーワンを攻め立てる。上段、下段、刺突。時には蹴りさえも織り交ぜる殺意の一手だ。

 その全てをイーワンは手のうちの銀棍を巧みに操ることで、捌き切る。銀棍と剣がかち合う度に部屋に金属同士が戦場に不釣り合いな澄んだ音を奏でた。

 そう、音が出ているのだ。あのユーズを相手取った時には音さえ出さず、受け流していたイーワンが音を出して、明確に弾くほどにこの召喚陣から現れた剣士の力量は達している。しかしイーワンはその上を行く。

 弾かれ、僅かに重心が後ろへと流れた剣を今度こそ受け流す。剣士の身体はあるべき手ごたえを失い、その身は剣の重さに引き摺られるようにして前へと泳ぐ。その隙をイーワンは見逃さない。


僧技そうぎ落雷肘らくらいちゅう


 白雷を纏った肘が剣士の顎を砕いた。常人ならば気を失うどころか、致命傷にすら繋がりかねない一撃を受けながらも剣士は身を引き、鍋太郎の元へ戻る。


「腕は鈍ってねェようだな、イーワン」


 剣士の目に生気はない。にも関わらずその手に握る剣は今なお青眼に構えられたままだ。握られた剣は分厚く、重い。上質な金属を鍛えたであろうそれはソローヤには及ばずとも高品質のものである。見れば肩当や着込む鎖帷子にも付与エンチャントが施されてある。


「……何のつもりだ、鍋太郎」

「見てたろ。正当防衛だ。……まぁ、テメェ相手が守るのは分かってたからな。この程度に遅れを取るようならお前の値札を見直さないといけないと思って試しただけさ」


 ガチンと鍋太郎はその悪趣味な金歯を噛み合せ、音を立てる。すると傍らに控えていた剣士は霧散し、消える。

 剣士が消えたことを確認し、イーワンはようやく銀棍の構えを解いた。思わず背で押しのける形になったファイへと向き直る。


「大丈夫? 怪我はないか、ファイちゃん」


 返事はなかった。代わりに今にも次の魔術を放ちそうなほどに、手元の鉄書を握る手は力が込められたままだ。ドワーフの恵まれた筋力がそうするのか、震えるほどに力の込められた指先をイーワンは跪いて、一本ずつほぐしてやる。


「大丈夫だから。落ち着こう。……オレがついてる。オレは女の子の味方だから」


 そう、出来るだけ落ち着いた声音でファイに語りかける。


「……ちゃん付けするな。イーワンのバカ」


 それだけを小さく呟くとファイは鉄書を手放した。ドスンと重い音を立てて、床に落ちたそれをイーワンが拾い上げる。ファイに持たせるのはやはり気が引けた。


「説明しろよ、鍋太郎。変に煽るのは無しだ」

「……わーったよ。まぁ、座れや」


 睨みつけられても鍋太郎は肩を竦め、それをさらりとかわす。しかし召喚を取りやめたということは矛を収めたということだろう。

 それに鍋太郎の言う通り、先に仕掛けたのはファイだ。正当防衛、というのも嘘ではない。明らかに過剰防衛ではあったが、それもイーワンが庇うと見越してのことだろう。

 イーワンはファイの手を引き、鍋太郎の向かいへと腰を下ろした。どさくさ紛れにファイの手を握ったが、抵抗はされなかった。それどころかかすかに握り返してきてくれた。

 繋いだ手はそのままにイーワンは鍋太郎を睨みつける。

 イーワンの目の前で女に手をあげるなど、逆鱗に触れるに等しい。鍋太郎は当然分かってやったのだ。


「……やり過ぎだ」

「当然だろ。そうじゃなきゃコイツは話も聞かねェ」


 いくらイーワンが止めるだろうとはいえ、あの剣はファイを諌めるにはやり過ぎだ。止めに入ったのがイーワンでなければまとめて切り捨てられていてもおかしくない。それほどまでに強力な召喚だった。本来、イーワンとまともに戦うことができるような召喚獣は召喚が難しい。ちゃんとした下準備があるならばともかく、短縮詠唱ショートカットで召喚したものはその速度と引き換えに能力が落ちる。

 それを可能にするのが鍋太郎の召喚師としての特異さだ。この男もサーバーランク第五位に相応しいだけの実力を兼ね備えたトッププレイヤーのひとり。無論、あの程度が底ではない。文字通り、イーワンを試しただけなのだ。


「ま、いいや。知らない仲でもねェし、今のは水に流してやるよ」


 言外に『貸し』だと鍋太郎はそう言って、足を組み直した。

 それは紛れもない譲歩だ。本来なら無効化できるとはいえ、いきなり魔術を放ったファイなど門前払いにされてもおかしくない。

 それをしないのはイーワンに貸しを作りたかったのだろう。儲けるチャンスをこの男は見逃さない。


「タータマソ鉱山ってのはなんだ? ファイちゃんの姓もそうだったよな?」


 ファイのフルネームは『ファイ・タータマソ』――この怒りようを見ても無関係のはずがない。


「タータマソ鉱山はファイの故郷だ。コイツはこう見えて、結構いいトコのお嬢様なんだよ」


 鍋太郎が何でもないことのようにさらりとそんな事を言う。

 いくらか冷静さを取り戻したのか、ファイはゆっくりと吐き出すように鍋太郎の言葉を継ぐ。


「ドワーフの姓は生まれた坑道の名前から付けられるんだよ。タータマソは鉱山の名前になった通り、鉱山全体の中心になっている坑道だ。アタシが生まれた、ね」

「まぁ、基本的には親の坑道で生まれることがほとんどらしいから普通の姓名と大差はねェけどな」


 つまりは地名姓ということか。

 ゲームだった頃――いや、イーワンがAWOをただのゲームだと思っていた頃には気にも留めなかった設定だ。

 考えてもみればただのハンドルネームであるイーワンや鍋太郎には姓がない。親がいない以上、当然ではあるがそれが生きているものとして歪であることに今更、気付く。

 本来、命というのは脈々と継がれていくべきもののはずだった。


「それを潰すってどういうことだよ。……説明しろ、鍋太郎」

「単純な話だ。タンザ・タータマソは今までタータマソ鉱山のドワーフたちの代表として、タータマソ鉱山を管理してきた。それがついに財政破綻ざいせいはたんした。結果としてタンザ、ファイの父親は多額の借金を背負った。借金先はこの俺様で、クーメルに俺様が直々に足を運んだのは俺様が債権回収さいけんかいしゅうするためだ」


 普段の人を食うような口調からは想像も出来ないほど冷徹な声音で鍋太郎は淡々と告げた。その言葉を聞いたファイは褐色の肌の上からでも分かるほどに血の気が引いていく。

 鍋太郎が人をからかうのはそれが遊びの延長線にあるからだ。この男が遊びを捨てればそこには冷徹な金貨のみを勘定する機能のみが残る。

 繋いだイーワンの手にファイの指が食い込むのを感じ、遅れてその手が震えていることを感じた。震えているのだ。あの気丈な火のような苛烈さを持つファイが震えている。


「……借金の金額は?」


 その震えは声にまで現れる。普段は快活に張り上げられるそれとは違い、ファイのその声は見た目相応のひどくか弱い少女のものだ。

 イーワンはその声を聞き、無性に胸が痛くなる。自分の軽口に厳しいほどの野次を飛ばし、時には性根を叩き直すほどの叱咤を叩き付けた同じ女の声とは思えない。


「金貨が5万と飛んで8200枚だ。まぁ、銀貨以下の端数程度はまけてやってもいい」

「金貨5万8200枚……」


 呆然と呟くファイの声に、混じってイーワンは初めて心が折れる音を聞いた気がした。

 どうせなら自分の心なら良かったのにと思うが、それは叶わない。

 あれほど嗤う鍋太郎はにこりともしない。それがとてつもなく恐ろしかった。


「タータマソ鉱山は明日にでも俺様が全て買い取る。抵抗するなら叩き潰す。これは決定事項だ」


 

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