我等が得たる隠れ家は

 北里先生の調べによると、都合良く凍結状態の部活があったらしい。何でもはるか昔に「郷土史研究部」なる部活が存在したが、当時顧問を務めていた先生が転出したか退職したかでいなくなってしまい、元々部員も当時の卒業生だけだったこともあってそのまま休部となっていたそうだ。俺達の『部活』は新たに登録するにしても設立理由や部の目的をきちんと報告することが困難だったため、休部を復活させるというのが上策との判断だった。

「全く、大変だったぞ。『君は郷土史に興味があったのですね』とか教頭に聞かれてな。『ええ、下手の横好きですが資料漁りが趣味で。生徒を巻き込んでしまいました』などと言い訳したりな」

「お疲れ様です。想定問答くらいなら俺らで相手したのに」

 幸いにも部室は北里先生の城である保健室のすぐ隣、社会科準備室。要するに社会科関連の物置だが、その部屋の隅に申し訳程度に置かれた会議机が俺達の部活エリアである。淀んだ空気の入れ換えのためにカラリと窓を細く開ける。

「あぁ、案外ええ部屋やないの」

 その細く開けた窓の隙間から、するりと物言う三毛猫が滑り込んできた。

「日差しもちょうどええし、昼寝にぴったりやね」

「昼寝も良いが、あまり出入りの時にひと目につかないようにしろよ? 用務員やこいつら以外の学生に見つかると追い回されるぞ」

「その辺は重々承知や。そこの武井君にも一遍追い立てられとるし」

 嫌みっぽく俺の方に顔を向けるが、そんなことは知ったことじゃない。まだまだ猫になり切れず、人間くさい動きを消し去れない初瀬が悪い。

「そう言えば、もう一人の部員はどうした? 武井お前、蒔崎と同じクラスなんだろ」

「そんなこと言われてもねえ。俺が教室で話しかけるの、あいつは嫌がるんですよ。下らない噂を助長するとかで」

「下らない噂……何だそれは」

 答えようとした俺のすぐ後ろで、ガラリとドアが開いた。問題の彼女のご登場である。が、どうやらご機嫌斜めのご様子だ。

 ご気分の優れない彼女はツカツカと空席に歩み寄り、通学カバンを机に叩きつけるように置いてどっかりと椅子に座り込む。そしてようやく。

「思ってたのと違うーーー!!!」

 心の叫びをぶちまけた。


 毎度のごとく友人に弄られていたところへ、新たなネタが追加されたらしい。曰く――

 ――彼氏と二人きりの時間を過ごすために、校内に自室を設けた。

「何でよ!? 部活があるから仕方なく一緒に歩いてるってことで言い訳が立つはずだったのに! 何で『付き合ってるから』ってことが前提になってんのよ!?」

 北里先生は呆気に取られている。初瀬は後足で耳の後ろを掻いている。俺は大あくびをついている。

「なあ初瀬。もしかしてこの蒔崎という女子は、……馬鹿なのか?」

「せやねえ。いっつもっちゅうわけやないけど、時々そんな感じやね」

 散々な言いようである。まあ俺もちょっと思ってたけど。

「特にテンション上がってる時は考えが浅いよな、蒔崎は」

「何でアンタが言うのよアンタが!」

 本当に分かってないのか、こいつは。自分のやらかしたこととその結果を。

「あのなあ蒔崎。何で部活があったら言い訳になるか分かってるか?」

「当たり前じゃない。一緒にいることの原因っていうか、理由になるからに決まってるし」

 ふむ、そのあたりが分かってないわけではないようだ。

「じゃあさ、その理由を捏造っていうか後付けで作ってまで一緒にいる……これが周りからどんな風に見られるか分かってんの?」

 ぽかんと口を半開きにして数秒。彼女の顔が、みるみる赤く染まっていった。

「あ……あ……アンタ、最初から気付いてたんじゃないのーーー!?」

 気付いてないわけがないだろうが。という答えは火に油を注ぐだけなので控えておく。

「ちょっと待ってちょっと待って……んじゃアタシ、アンタとの仲を認めちゃったようなもんじゃん!? 何で止めなかった!?」

 ノーコメントで失礼します。そう心の中でつぶやきながら、自分の通学カバンから英語の宿題として配布されたプリントを引っ張り出す。

「無視してんなよ! ちくしょーーー!!」

 突っ伏してバンバンと机に掌を叩きつけさらには足をばたつかせ、蒔崎は悔しさを全身で表現する。下手に口出しするとまた彼女の機嫌を損ねることになりそうなので、俺は素知らぬ振りで宿題をこなす。


「お前ら、本当に付き合ってないのか? 私はてっきり二人の愛の巣にするために部活の場を欲しがっていたんだと思っていたが」

「本当にそう思ったんなら何で止めなかったんですか!?」

 さすがに宿題の手を止めて突っ込みを入れる。この教師は一体何を期待してたんだ。

「考えてもみろ。魔法少女スタイルを恥ずかしがって原因である私に怒り狂う一方で、武井はそのことを知っているんだろう? 少なくとも秘密を共有する仲、普通に考えれば恋人同士というのが一番腑に落ちる関係性なんだがな」

 机の上でじたばたともがいていた蒔崎がぴたりと動きを止め、直後唐突にその身を跳ね上げた。

「先生、一体何言い出すんですか!?」

「いやあ、何というか……この部屋は隣が保健室だからベッドもあるし体温計も」

 机を乗り越えて教師に飛びかかろうとする女子中学生を必死で制止するのは、どうやら俺の役割らしい。


「さて、こんな所で油を売っている場合ではないな。そろそろ仕事に戻るとしよう。運動部の部活で怪我人が出ていてはいけない」

「うちもちょっと町内の見回りに言って来よか。ここんとこアイちゃんの顔見に来てたから、ちょっと精霊の見落としがあるかも知れんし。ほな祓えのときには声かけるよってな」

「あ、ちょっと待ちなさいよ……!」

 わざとらしく理由を付けて部屋を去る二人……いや、一人と一匹。狭い資料室とは言え、二人きりで取り残される俺達。蒔崎はやり場のない怒りを俺に向け、彼女の腕を掴んで抑えている俺を振り払った。

「……で、あんたは何やってんのよ」

「見て分かるだろ? 今日出た英語の宿題だよ。溜め込んだらろくなことにならないから今のうちに済ませるんだ。蒔崎は良いのか?」

「…………アタシもやる。他にやることないし、今から帰っても見たいテレビやってないし」

 不満そうに嫌そうに、カバンからペンケースとプリントをずるずると引きずり出し、渋々問題に取りかかった。


『何で止めなかった!?』

 さっきの蒔崎の台詞に答えるなら……

『そばにいたいから』

 その一言に尽きるだろうか。

 男女問わず憧れる、校内のアイドル。そんな彼女を、俺は少し後ろの席から「単なるクラスメイトの一人」「人間観察の対象の一人」として見ていた。

 けど、何のことはない。俺だってそんな「憧れる男女」の一人に過ぎないのだ。

 誰とでも屈託なく語り合う社交性、明るさ、優しさ、何よりその姿に憧れて。けど、そのまぶしさに引け目を感じて、諦めて。そんな自分に折り合いを付けるために、彼女を「観察対象の一人」にしてしまっているだけなのだ。

 ところが。ひょんなことから、彼女とこんなに近い距離で、二人きりで話せる関係になった。

 二人きりの時の彼女は、教室で観察する彼女とはまるで違って、それでいて同じだった。

 元気で、自己主張が強くて、落ち着きがなくて。

 けど一方で、初心者の俺を密かに気遣ってくれて。

 怒り、不機嫌、泣き顔、したり顔。多分学校では人に見せない天真爛漫と。

 俺の肩に置いた手、俺の手をそっと握った細い指。隠そうとしても隠しきれない慈愛と。

 そんな彼女に、今までの憧れとは比べものにならないくらい心を動かされている。

 今、この瞬間も。

 過度な期待をするつもりはない。けど、少しくらいは夢を見ていたい。

 卒業までの十ヶ月そこそこ。いや、受験の準備なんかを考えたら半年程度かも知れない。それでも、多分俺しか知らない彼女の様々な表情を、出来ることなら俺だけのものにしていたい。――こんなことを口にしたら、彼女には気味悪がられてぶん殴られるだろうが。


 こつん。不意に、シャーペンの後ろで額を小突かれた。

「何ボケッとしてんのよ」

「……ああ、何でもない。んで、何だよ」

「ここ。教えて」

 彼女の指差すプリントの問題を覗き込む。

「……お前さ、これさっき習ったばっかりの熟語じゃねえか」

「え、マジ?」

 ガサガサとカバンからノートを引っ張り出す蒔崎。彼女のことだ、ノートを取り忘れているかも知れない。念のため俺の方でもノートを準備しておく。


 こんな日常を与えて貰った天の采配に感謝しつつ。

 こんな日常がいつか終わることに思い至り。

 トクン、トクンと、鼓動が少し速くなった。

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