二人の部屋。

魔法少女の産みの親は

 一限の授業は眠い。その授業が「おじいちゃん」の愛称で親しまれている国語教師による古文の授業ともなれば尚更だ。「おじいちゃん」が朗々と読み上げる、少し気を抜くと意味を汲み取れなくなってしまう今昔物語の一節。それはさながらロールプレイングゲームの睡眠呪文の様相を呈しており、最後列の今の席から見渡すクラスの風景の中でもゆらりゆらりと船を漕ぐように揺れる頭、完全に机に身体を突っ伏している奴、頭だけをかくんと前に倒してまるで首の無い死霊騎士のように見える学生服などが何人も量産されている。

 そんな中――ヴン。カバンの中で音がした。

 メールだろうか? けどこんな時間に俺にメールを送ってくる奴なんて……と思いながらクラスメイトの後頭部が並ぶ風景を眺めていると。

 妙な頭の動きを発見した。他でもない蒔崎だ。居眠りをしている風にこくんこくんと頭を揺らしているが、何というか……わざとらしい。まさかこいつ、居眠りをしてる振りをして俺にメールを送ってきたのか? 何で? 放課後になったらまたいつもの神社で会うのに?

 そんな疑問は、授業が終わってから開いたメールの本文を見ても解消されることは無かった。

『緊急会議 初瀬も一緒に昼休み、屋上にて』

 睡魔との激しい戦いを乗り越えて授業を終え、スマホを取り出して確認したメールの内容がたったこれだけだったのだから。


「待遇の改善を要求する!」

 オープンスペースでありながら、昼間も放課後もあまり人の集まらない校舎屋上。開口一番の蒔崎の台詞は、これまた理解の及ばないものだった。

「せやから何なんよ、その待遇て。うちはチカちゃんのこと、そんなに扱き使うたりしてるつもりはないけどなあ」

「だからそういうことじゃないの! ソイツのことよソイツの!」

 初瀬の反応に苛立ちをさらに昂ぶらせ、俺に向かって何度も指をさす。

「コイツと一緒になってからアタシの学生生活がヤバいの! もう毎日ネタにされてんだから! クラスでもちょっと目が合っただけで見つめ合ってるとか言われるし帰り際には一緒に帰るんじゃないのとか散々いじられるし! どうにかしてこの状況を改善したい!」

 したい! とか言ったところでどうにもならんだろ。他人の口ふさぐのなんて無理ゲーにもほどがあるぞ。俺がこいつと一緒にいるのはこいつが危機にさらした俺の命を守るためで、その点はどうやっても避けようがないわけだ。その上で噂をどうにかするには……

「……思いついた!」

 言い出しっぺが唐突に叫ぶ。なんでだろう、ダメな予感しかしない。

「要はアタシがこいつと一緒にいることに、付き合ってる以外の必然性があればいいわけよね?」

「まあそれは確かにそうだけどさ」

 ニヤリ、と勝ち誇った笑みを浮かべる蒔崎。

「部活をやります!」

 唐突な宣言に三毛猫はきょとん顔。俺は苦笑いを浮かべた。

「何よその訳のわかんない顔は!? 合理的でしょ? アンタとアタシは同じ部活、だから一緒にいるの。そんな付き合ってるとかいう間柄じゃないの。分かった?」

「言いたいことはまあ分からんでも無いけど……それが通ると思ってんのか?」

「何言ってんのよ通らないわけないじゃん!」

 いかん、こいつテンパり過ぎて自分の状況を見失ってるな? 忠告のひとつもしてやろうかと思う反面、これから予想される状況に多少夢を見ないわけでもない。自分自身どうするかも決めかねている中、どう答えたものか悩んでいると。

「チカちゃん、そのブカツ……とかいうもんは簡単に出来る物なん?」

 恐らく部活の意味すら理解していないであろう神の眷属様からシビアな突っ込みが入り、思いつきで叫んだ主催者は、うっ、と言葉を詰まらせる。実際、同級生の一部にはそろそろ部活を「引退」している連中も現れている。そんな中で新しい部活を始めるなんていうのはどうにも無理のある話だが……。

 はぁ、とため息をついてから、三毛猫が言葉を継いだ。

「まあ、うちの伝で何とかならんでもないとは思うけど……その前にちょっと人捜しして貰おか」


 神の眷属のつて、とはどうも現実感が乏しいが、聞いてみれば最近見かけた女の子が話を聞いてくれるかも知れないということだった。どういうつてなのか、そもそも霊的な存在と人のつてって何なのか、よく分からないまま。放課後に時間を取り、俺達は人捜しを始めた。

 場所は学校の構内、探すのは「白い服の女の子」。

 そんなものどう探せば良いんだ。この学校に学生は五百人以上、女子が半分と考えても二百五十人は対象がいることになる。どうやって調べれば良いのか見当もつかない。

 改めて初瀬に聞き取りを実施すると――


・女の子の服装は、蒔崎を含む大勢いる他の女の子とは感じが違う。

・髪型も体系も違う。

・年齢も違う。


 最後の回答に二人して脱力した。

 確かに数百年以上を生きる初瀬にとって、高々数十年しか生きていない人間の女性なんてみんな「女の子」に過ぎないんだろう。けどそれならそうと最初から言って欲しかった。それさえ聞いていれば学内で学生以外の女性、つまり女性の教員か職員に絞られていたのに。

 服の形などを細かに聞いているうちに、その服が白衣であることがほぼ判明。うちの学校で白衣を着ている教師の一人は理科教師だが、「去年胆石を患って入院した男性理科教師、通称熊五郎」は性別の問題で除外出来るとして残るはただ一人。

 「最初の日」に俺が蒔崎によって担ぎ込まれた、保健室の北里藍先生だ。


 初瀬を抱え上げた蒔崎とともに保健室に向かう。ドアを開けるため手をかけようとすると――カラリ、とドアが開いた。

「どうした? 怪我か、熱か? 仮病だったら回れ右して帰るんだ」

 男らしく突き放した口調が特徴の先生だが、高身長かつ大人の魅力満点の容姿から繰り出されるその言葉は、昨年新卒でこの学校に赴任した直後から多くの男子生徒を虜にしている。確か俺達のクラスにも「一日一度はアイちゃん先生に罵倒されないと死んでしまう」とか言っていた男子がいた気がする。それも何人か。

「えーっと、あのですね……」

 この猫が先生を捜しています、なんて言って話が通じるわけがない。なんと伝えるべきか悩んでいるうちに、先生からの追い打ちが入って来る。

「話せる用事が無いのか? だから言っているだろう、仮病だったら帰れ…と……」

 視線で俺達二人の顔をなぞり、そのまま蒔崎の抱えている三毛猫に視線を下ろした瞬間に言葉を途切れさせ――


 ピシャリ。先生は無言でドアを閉じた。

「……何、今の反応」

「いや、俺に聞かれても何のことやら……あの、先生?」

 ゴンゴンと保健室のドアをノックし、開けようと試みる。が、開かない。何を思ったのか北里先生はドアが開かないようガッチリと裏からドアを押さえているらしい。

「あの先生!? ドア開かないんですけど!?」

「いやーすまない。学校ではあまり話していないんだが、実は私は猫アレルギーでね。猫と同じ部屋にいるとクシャミが止まらなくなって仕事どころでは無くなるんだ。あー辛い辛い、へっぷし、へっぷし」

 とてつもなくわざとらしい言い訳をドア越しに言い放つ先生。クシャミだってどう聞いても自分で喋っているだけだ。

「あ、あのですね。説明がややこしいんですけど、多分この猫はアレルギーとか大丈夫ですよ。とにかく開けて下さい」

「いやあそれは無理な相談だ。例え万が一にアレルギーを起こさない猫がいたとしてもだな、猫と同じ部屋にいるという事実が心理的に影響を及ぼして身体にアレルギー反応が出る可能性があるんだよ。君、プラシーボ効果ってのは聞いたことはないかな?」

「聞いたことはありますが先生がそう言うのとは別種の感情を抱いている気がします」

 説得を試みながらも必死でドアを開けようとしているが、そのドアはびくともしない。初瀬を抱いている蒔崎も手を出したいらしくうずうずしている。そんな中、これまで黙していたその人(?)が、口を開いた。


「アイちゃん、教師とかいうもんはそんな態度で成り立つ仕事なんかえ? ええご身分やなあ」


 一般人の前で猫が喋るなんてのは、自分の秘密を暴露して危険にさらす行為に他ならない。何考えてんだこいつ!? 蒔崎が猫の身体を必死で隠そうと身体を丸め、俺が声を潜ませて説教をしようとしたところで――

 再びカラリ、と保健室のドアが開いた。

 二度目に姿を現わした先生の顔は青ざめ、唇の端は震えている。保健室周辺の廊下を見回して他の人影が無いことを確認した上で、ビクついた声を絞り出した。

「なあ君達、ひとつ聞きたいんだが、その猫は……まさかとは思うんだが、喋ったりとか……しないよな?」

「あの、えーっと……」

 予想外の先生の怯えように、どう答えたもんかと悩んでいると。

 また、三毛猫が口を開いた。

「『ディープブルー・クリスタル・アロー』。」

「お前ら、『三人とも』中に入れ!」

 俺達二人は先生に襟首を掴まれ、初瀬もろとも保健室に引きずり込まれた。


 OA椅子に腰掛け足を組んでデスクに肩ひじを突く北里先生の姿は、何人もの学生達を夢中にさせるくらい絵になっている……はずなんだが。極限にまで憔悴している表情込みでその姿を眺めると、まるで世を儚んですぐにでも傍らのカッターナイフで手首を切ってしまいそうなほどに絶望的な姿に見えてしまう。

「それで……お前達は、どこまで知っている?」

「……どこまで……って?」

 曖昧すぎる問いに答えようがなく、言葉に窮する俺達。

「だから、私が何をやったか、だ。そこの駄猫から何処まで聞いているのかと問うているんだ」

 駄猫と呼ばれた猫様は、ベッドの上でふわぁ、と大あくびをついている。

「いや、俺達もその猫に北里先生を捜せって言われただけなんですけど……」

「そうか……何も知らないのか、それは何よりだ」

 少し血色を取り戻した先生に。

「そう、この子らは何も知らんで。自分の変身のポーズを誰が作った、とかもな」

「…………っ」

 追い打ちをかける猫がいた。先生が椅子からズルズルと床に滑り落ちていく。

「先生、しっかり-!」

「おい、初瀬そこどけ! 先生寝かせるから!」


「済まなかったな、二人とも」

 床に倒れ込もうとしていた先生を二人がかりで何とか抱え上げ、ベッドに寝かせてひと息つき、ようやく先生が口を開いた。

「しかし、自分で全てを断ち切ったつもりでも……過去はどうやっても自分について回るもんだな」

「えっと、まだ話が見えないんだけど……」

「君は?」

「三年の蒔崎です」

「そうか、事情を知っていると言うことは君が……今の魔法少女、というわけか」

「祓え巫女です」

「……」

「祓え巫女です」

 彼女は「魔法少女」という呼称は受け付けないらしい。そんな頑なな態度にため息を漏らす先生。

「君も……あの姿に苦労しているんだな」

「君も、ってことは……先生も蒔崎みたいに?」

「ああ。中学の頃だったか……そこの初瀬に誘われて、な。魔法少女生活は大変だったよ」

「へぇ……先生も」

 微笑む蒔崎に釣られるようにハハハ、と懐かしそうな苦笑を浮かべる北里先生に、猫がひと言漏らした。


「何言うてんのん、忘れてしもうたん? 魔法少女の服装も今のうちの姿も全部あんたが決めたんやないの、アイちゃん」


 過去の魔法少女・北里先生の顔が蒼白し、

 現在の魔法少女・蒔崎チカの顔が紅潮した。

「い、いやいやいやいや。初瀬? そういうことはもうちょっとオブラートに包んでだな、少しずつ伝わるように……」

「オブラートとかいうのんが何か知らんけど、中途半端に伝えるくらいやったら最初から全部言うてしまう方が良心的やろ?」

「なるほど先生がこの衣装を作ったんですね? それで自分も苦労したみたいな言い方をしたわけですね? 代々続く祓え巫女の苦労なんて気にも留めないで?」

 まるで無垢な子供のように初瀬に秘密をざくざくと漏らされ、怒りに燃え上がる蒔崎に恐れおののいてベッドから這い出ようとする先生。しかしその白衣の奥襟を蒔崎がガッチリ掴んで引き戻す。

「どうしたんですか先生? 職務放棄ですか?」

「い、いやそんなことは……

 そ、そうだ蒔崎君! 証拠が無いぞ!」

 急に思い立ったように、北里先生が反論を始めた。

「はぁ? もうほとんど自白したも同然じゃないですか」

「いやいや、そんなことはないぞ。犯人に仕立て上げられようとしたことで気が動転して逃げようとしてしまったのだ。よくよく考えればそんな必要も無かった、普通に反論すれば良かったんだ」

 やれやれ、とハンカチで汗を拭う先生に向かって、またも猫がひと言ぽつり。


「『ディープブルー・クリスタル・アロー』。」

 落ち着きを取り戻していた先生の顔が、再び強張る。

「そういやあの技ってほとんど真っ白な光が飛んでいくよなあ。どこがディープブルーなんだろ?」

 俺がふと、先日から頭にあった疑問を口にした。何故か先生の表情が混乱し、まるで笑っているような顔で冷や汗をダラダラと流している。

「なあ武井君。うちは英語は苦手やねんけど、『ディープブルー』ってどういう意味か知ってるか?」

「ディープブルー? まあくっきりした青とか深い青とか、そんな感じかな」

 唐突な問いに何となく答えてみる。

「日本語では他にどんな言い換えがあると思う?」

「言い換えって言ってもそうだな、紺色とか?」

「他に言うとしたら、藍……色……?」

 俺と蒔崎は目を合わせ、そしてゆっくりと先生の方に目をやった。


 全校の男子に絶大な人気を誇る、美人女教師。クールな保健室の先生。通称「アイちゃん先生」。

 フルネーム・北里『藍』先生は、青ざめた顔どころか、既に土気色の顔をしていた。


「そもそも『アイちゃん先生』という呼び名も好きでは無いんだ……こいつに呼ばれていたことを思い出させるのでな」

 俺の制止もやむなく、蒔崎が襟を掴んでガックンガックンと振り回しながら怒りの台詞を数分間に渡ってぶちまけたために改めてベッドに寝込んでいる北里先生がぽつりぽつりと言葉を発し始めた。ちなみにその額に置かれた濡れタオルは俺が用意した。感情が昂ぶっている蒔崎に任せるわけにはいかない。

「で、先生は何であんなデザイン作ったんですか」

「…………」

 俺の質問に答えることなく、先生はずぶずぶと布団の中に潜り込んでいく。どうやら答える気は一切無いらしい。蒔崎も怒りの形相を崩すことなく先生の繭と化した布団を見つめているが、先生に殴りかからなかったことだけは誉めておこう。

「やれやれやね。ほな、うちから話したげてもええよね?」

「…………」

 ため息をつきながらも、初瀬は先生の沈黙を是と認識し、言葉を続けた。

「うちはその前の祓え巫女の年季明けで、戦うてもらえる子がおらんでなあ。次に霊力の持ってそうな子を探しててんけど、その時巡り合うたんがアイちゃんやったんよ。初めて会うたんは公園やったかな。この子、何にもおらん宙に向かってなんか話しかけとったなあ」

『ふもーーーーーーーー!!!』

 ベッドの上の繭の中から動物の鳴き声のような悲鳴が聞こえてくるが、それで話を止めるような三毛猫ではない。

「ちょっと夢見がちなだけでまだ霊視が開く状態やなかったけど、霊力の見込みはあったから声かけて手伝うて貰うたん。けどよう考えたら、急に声かけて疑問持たれんかったんは後にも先にもこの子だけやったなあ。

 手伝うて貰うには一応何か願いごとを聞いてあげることになるんやけど、この子の場合は……魔法少女になることやったわ。どうやって叶えたもんか悩んだわ」

 さっきまで抗議するかのようにモゾモゾと動きながら謎の声を上げていた繭が、ぴたりと動きを止めた。これは敗北を受け入れたと言うことだろうか。

「取り敢えずしばらくは御幣ごへいとか呪文じゅもん祝詞のりとの類の使い方を仕込んでたんやけど、そのうちにアイちゃん急に怒り出さはってなあ。『こんなの魔法少女じゃない!』とか言うて。色々話してるうちに『そしたら私が魔法少女になって禍つ神まがつかみを祓えばいいのよ!』て叫んで、ひと晩で今の魔法少女の格好描かはったんよ」


 その時、ぶぉん!と掛け布団がはね飛ばされた。

「殺せ! さあ殺せ! もう私に恐れるものなど何も無いぞ! ああそうさ、私がすべて悪いんだ! お前がプリティーサファイアに変身してバッチリポーズを付けないといけないのもそこの眷属が三毛猫なのもすべて私のせいだ! 私が元中二病患者のプリティーサファイアこと北里藍だ! 殺さば殺せ! あっはははは!」

 ベッドの上で大の字になって悶えながら、自嘲というには派手すぎる高笑いを上げる北里先生。

 先生、もういいよ。涙拭けよ。

 隣の蒔崎も、さっきまでの溜飲を下げて哀れみの視線を送っていた。


「みっともない姿を見せてしまったな、すまない」

「いえ、みっともない姿というか……みっともない半生記を聞かせてもらいました」

「あ、今の格好写真に撮っとけば良かったかな。クラスの男子に高く売れたかも」

 ようやく落ち着きを取り戻した先生に対して追い打ちをかける俺達に一瞬ひるんだものの、すぐにいつもの突き放した雰囲気と口調を取り戻す。

「しかし生きているととんでもないことに巡り合うもんだな」

「とんでもないことというのは中二病だった自分の過去を晒されることですか?」

「……君は良い性格をしているな、男子よ」

「武井、よかったねー。アイちゃん先生に誉められたよー」

「わーい俺ほめられたー」

「……君ら、良いコンビだな」

 苦言を呈したつもりが目の前でふざけ始めた俺達に苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべる先生。初瀬が横から割って入った。

「ほらほら、遊んでる場合かいな。あんたら今日の目的忘れたんか? 今日はアイちゃんにお願いに来たんと違うんかいな」

 そう言われてみればそうだった。学内で人気の先生にまさかの黒歴史があったと知って、少しはしゃぎすぎてしまったようだ。


「えーっと、今日は先生にお願いがあって来たんです」

 蒔崎が改めて、姿勢を正す。

「ふん? 内容によっては聞かないこともないが」

 北里先生はいつの間にか教師の威厳を取り戻し、若干威圧気味に蒔崎の言葉を待っている。すぅ、とひと息深呼吸し、蒔崎が願いを口にした。

「祓え巫女の活動拠点として、部活を設立したいんです。顧問になって下さい」

 真剣な表情。先生は、ふむ、と思考を巡らせている。

「それはつまり、この三毛猫と日々を共にする生活を学校で送る、ということか。そしてそこに私も部活の顧問として立ち会えと」

「そういう事になりますね」

 俺も言葉を添える。

「それは祓え巫女という存在について理解がある私が適任である、そういう理由だな? 君達と付き合うにしろ、あるいは学校に対して情報を隠蔽するにしろ」

「ええ」

「そうか」

 先生は、俺達の方にぐいっ、と顔を近付ける。

「承った……とでも言うと思ったか?」

「え、そんな……どうして!?」

 どうして、じゃねえよ。今までの流れで気付けよ。自分のことも顧みてさ。

「どうして、じゃないだろう。確かに君達は拠点が無く、大変な思いをしているんだろう。喋る猫を連れているだけならともかく、理由は知らんが男連れでしかも時々魔法少女になって化物と戦わなければならない。その苦労は私も経験者として十分理解出来る」

 ひと息つき、だが、と先生は言葉を連ねる。

「――誰が好き好んで己のトラウマと年がら年中付き合おうと思う?」

 その鈍く怒りに燃えた視線は俺達ではなく、その背後のデスクで俺のスマホを弄って遊んでいる初瀬に向けられていた。

「確かに自分のやらかしたことだ、責任を感じない訳じゃあ無い。だがな、女子よ。君が今現在魔法少女として戦っている事実を――十年後に聞かされたとしたら? それも毎日一緒にいる連中が、自分の過去の秘密を握っているとしたら? そんな毎日はいわゆる針のムシロという奴だ。断じて受け入れられんな。今すぐにでも切り捨てたい縁だよ」

 その言葉と迫り来る真実に、蒔崎の顔が若干青ざめている。そりゃそうだ、彼女は現在魔法少女でいることすら受け入れ切れていない。ましてやその秘密を将来にわたって握られたとしたら。北里先生の心の叫びは、そのまま蒔崎の不安と重なるわけだ。

 だが、それでも自分の願いは押し通したい。彼女はそう願っている。……まあ、そのための仕込みがあると言えばあるんだが、少し気が引けるのも事実だ……。


「いやはや、ほんま人と人とのやりとりは観察してたら飽きることが無いわぁ」

 初瀬が呑気な台詞を吐く。俺のスマホを弄りながら。

「観察ってお前、ほんとに俺らの話聞いてんのか? っていうか俺のスマホ勝手に弄るなよ」

 棒読みになりそうなのを必死で取り繕いながら、猫への怒りを垣間見せる。

「いやいや、しかしこのインターネットいうんか? これは大したもんやねえ。今まで触る機会無かったけど、人と人とのやりとりがこんな風に出来るようになっとるとはなあ」

 肉球で器用に画面を操り、フリック入力で文字入力して検索までかけているようだ。俺が霊力修行をやっているうちにこいつはこいつでスマホの使用法をマスターしたらしい。

「触るのも良いけど、爪出して画面に傷付けんなよ」

「わかっとるて、やいやい言いな」

 楽しげにスマホを操って千変万化する画面と文字情報を楽しむ初瀬を、北里先生は訝かしげに見つめている。どうやら先生の気を引くことは出来たようだ。

「ほら、武井君。これなんか面白いなあ。ここの中学の名前が入ってるで。『音楽の女教師が化粧臭くて辛い』『アラフォー毒男の二年社会科教師、街コンでまたも敗北(八度目)』いやあ、やっぱり人間は面白いわぁ」

「ちょっと待て、お前それうちの中学の裏サイトじゃねえの!?」

 慌てて画面を覗き込む。マジでうちの学校の裏サイトじゃねえか。俺だって見たの初めてだよ、何だよこの猫の検索スキルの高さは。

「待て初瀬、私は一応教師としてそういう類を見つけた場合、学校に報告する必要があるんだが。私の目の前でそんなものを堂々と覗くな」

「アイちゃんこそ待ちぃな。こういう投げ文とか、便所の落書き?みたいなもんはちょっとくらい見逃してやらんと息抜きにならんもんやで。ほな、うちもひとネタ書いてみよか」

 すらすらと両の前足で画面を縦横無尽に撫でつけ、ものの数秒で狙ったものを書き上げる。そして。

「ほい、送信――」

「――ちょっと待てぇっ!?」

 嫌な予感がしたんだろう。北里先生は初音の前に置かれたスマホを奪い取る。

「お、お前一体何を書き込もうと――」

 その手の中の画面上には。


『アイちゃん(元魔法少女)。中学時代にお友達だった精霊とは再会出来たんでしょうか。』


「ぬおおおおおおおおおおお!!!」

 先生は怒りに叫び声を上げながらも、震える手で誤操作して書き込んでしまわないように慎重に、俺のスマホを操作してブラウザを閉じ、大きくため息をついた。

「き、貴様……次やったら……」

「あ、うちがやらかしてしまう前提で、ええのん?」

 怒りに紅潮した先生の顔が、みるみる青ざめていく。

「うちはいつでも書き込めるけど、アイちゃん、あんたはうちのこと止められるんやろか。なあ?」

 にいっ、と口の端を上げる猫の顔に、先生は敗北を認めたようだ。

「…………部活申請、するか」

 今日初めて見たはずの先生の泣き顔は、もう見飽きてしまった。

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