初めて目にする禍つ神は

 ここ一週間続けて通っている、いつもと変わらぬ神社の境内。初瀬とともに、ぼんやりと待機。

 チチチチ、と雀か何かの鳴き声が聞こえてくる。木々の隙間から光が差す。ようやく自然体で精霊を視認出来るようになった俺の視界には、心地よい風に吹かれるようにゆらゆらと揺れる彼等が映っている。

 しかし、傍らに座っている三毛猫殿はどうやらご立腹の模様だ。

「全く、何であの子はこう時間を守れへんのかねえ」

「まあ色々あるんだよ、学校ってところは。猫には分かんねえだろうけど」

 特に義理があるわけでも無いが、一応人間代表として軽くフォローを入れておく……が。

「何言うてんの、うちは猫と違うよ?」

「…………お前こそ何言ってんの?」

 人と猫。きょとん、とした顔を互いに突き合わせる。

「……ああ、今のうちの姿かえ? これは何年か前にこの姿に変えられたんよ。それまでは一応人の形しとったんやで?」

 くいっ、と色っぽく前脚を繰りながらウィンクをしてみせる三毛猫。訳がわからない。

「まああの子が来るまでもう暫くかかるやろし、掻い摘まんで説明しとこか」

 するり、と身体をくねらせた初瀬は、空から落としたか地から引き出したかどこからともなく巻物を取り出し、神社の縁側にころりと広げて見せた。

「これは祓えの書。祓えのために必要な技やの武器やのを書き込むことで、祓え巫女がその力を使えるようになるっちゅうお宝や。例えば祝詞<ノリト>やとか御幣<ゴヘイ>とかな。そういうのを代々の祓え巫女が思いついた技術を書き記していったわけやね」

「祓え巫女ってのは初瀬が人間から適当にスカウトするんだよな? そんな人間がそういうのを思いついたりするってことか?」

「昔はそこら辺で普通に生活してる人の子の中にも多少はそういう心得がある子もおったからな。最近はめっきり減ってしもうたけど。ところが――ああ、ここやここや」

 猫はボールで遊ぶかのように巻物をころころと操り、草書や行書でびっしりと書き込まれた紙面の中から唐突に現代的な絵や文字が入っている箇所をピックアップする。そこにはあの日、俺が校舎脇の謎の空間で見た、蒔崎の服装……というか、衣装が描かれていた。

「何年前やったかなあ、この絵を祓え巫女の姿として描いた巫女の子がいるんよ。それ以来、祓え巫女はこの姿になる必要が出来てしもうたんやね」

「……何て言うか……ご愁傷様です」

「おおきにどうも。まあ変身せんでもそれ以前の呪文やらを使えんわけやないけど、将来的に祓えをやる子はともかく数ヶ月ほどの期間限定の祓え巫女にそこまでの霊的技術を仕込んでたら時間が足りんからね。結局この変身する姿に頼ってしまうわけや」

 なるほど。結果的に巫女である以上、あの姿に頼らざるを得ないってことか。

「っていうか、巫女にこんな衣装着せるって……そのときの巫女ってどういう発想してんだよ」

「何か知らんけど、この魔法少女とかいうモンに憧れてたんやて。ほんでこれを機会に私も魔法少女になる、言うてこんな衣装描かはった。……半年ほどしたら変身するたびに『嫌だー!』て絶叫するようになってしもうたけどなあ。あの子は手がかかった」

「……中二病が治ったんだな」

 まさに地獄だな。中二病真っ盛りの頃に作った衣装を治療後も毎回着ないといけないとか、どんな拷問だよ。


「ほんでその時、ついでにうちの姿もこの猫の格好にされてしもうたんよ。『魔法使いの眷属』とか言うて。せやからうちが猫の姿を取るようになったんはここ最近のことなんよ」

「……お前も色々大変なんだな」

 なんて話をしていると。

「アタシも大変なのよ!!」

 遅刻者が登場早々に声を荒げた。

「あー遅刻だーいけないんだー」

「チカ、あんた一体誰のせいでこれだけ待ちぼうけさせられて」

「うるさい! うるさいうるさい!!」

 弄るのは止めておこう。暴走スイッチが入りそうだ。っていうかもう入ってるっぽい。

「大体あいつら延々つまんない詮索してきてコイツが帰ろうとしたら『あれーチカ帰らないのー彼氏帰っちゃうよー』とか飽きもしないで毎日毎日こっちがブチ切れても次の日にはケロッとしておんなじように弄りまくって帰ろうとしたら引き留めるししばらく付き合おうと思ったら邪魔者扱いするし……」

 呼吸の隙もないような文句の羅列に突っ込みを入れる隙もない。仕方が無いので昨日までの修行をおさらいしておく。犬を呼ぶように精霊を招き寄せ、頭を撫でる。そこが頭なのかどうかはよく分からないが。

「さっきなんかどこでデートしてるの?とか聞いてくるし…………ってアンタ、何やってんの」

「何って……修行のおさらいだけど」

「触って……平気なの?」

「まあ、おかげさまで」

 何だろう、延々流れ出る友人達への愚痴が停まったと思ったらまた新たなマイナス思考が込み上げているみたいだ。

「アタシは……触れるようになるまでめっちゃ苦労したのに……。触ろうとしたらアイツら野良猫みたいに逃げるし、ようやく掴まえたと思ったら触った瞬間に静電気みたいなのがバシッ!って走るし……。アタシの今までの努力は何だったのよ……」

「まあ有り体に言うて、才能の差っていうもんやね」

 さらりと答える初瀬の言葉に、さらに顔に差す影を濃くする蒔崎。

「え、俺ってそんな才能あったの?」

 驚く俺に、澄ました顔の三毛猫はさも当然のごとく答えた。

「何言うてんの。最初に会うた日のこと覚えてるか? 神さんに石投げつけて気ぃ逸らして、この子のこと助けてくれたやないの。タダの石ころが神さんに当たったところで何の反応もせんとすり抜けるだけやから、あの石には武井君の霊力が籠められとったみたいやね。呪的刻印があるわけでもないただの石つぶてに霊力込めて投げるやなんて、少々の才能で出来ることと違うで」

 マジか。俺ってそんな秘められた才能があったのか。そうやって悦に入る間もなく。

「だからあのとき、変身してたアタシがそのすり抜けてきた石ころを食らったら痛かったってわけなのね?」

 さっきまでいじけていたクラスメイト女子が再び怒りの炎を燃やし始めたので、その辺りの話を広げるのはこの辺にしておこう。っていうか俺の霊力も恐怖で安定を失い、周りに集まってきていた精霊達も逃げ出してしまった。霊力の安定って大切なんだな。


 俺の修行が予想外に進んでいるとのことで、初瀬から新たな実地研修が言い渡された。

 すなわち、本格的な祓え。場合によっては人に危害を加えそうな禍つ神まがつかみを浄化する現場の体験だ。とは言え俺自身が祓えを行うわけではなく、祓えはあくまで祓え巫女、つまり蒔崎の仕事らしい。

「……絶対見るな、変身する途中も変身した服も」

 怒りの眼差しで俺に釘を刺す彼女の頭に初瀬が飛び乗り、先日のように肉球で顔をペチペチやりながらお説を始めた。

「あんたな、ええ加減覚悟せんとあかんで? 急ぎで変身せなあかん時になっても、わざわざ人払いするんか? その隙に神さんに逃げられたり襲われたりするかも知れんのやで? それだけのリスクを背負う意味はどっかにあるんか? え?」

「わ、分かったから初瀬! 止めてお願い! これ、けっこう心理的に効くの! お願い!」


 妙に色っぽい動きで歩く三毛猫、その後ろに俺、さらにその後ろに肉球攻撃でぐったりとした身体を引きずるように歩く蒔崎。この一行は今まで修行の場にしていた無人の神社を後にして、市街地とは逆の方向へゆっくりと足を進めた。

「あ、そう言えば」

 今まで確認していなかったことを思い出し、俺の背後を歩く蒔崎に問いかける。

「俺を自殺させようとしてた禍つ神まがつかみって、どうなったんだ? 屋上で俺から離れていったんだよな?」

 ――しばしの沈黙。振り返って彼女の顔を見ると、何言ってんだこいつ、とでも言いたげな怪訝な顔を向けている。前方の三毛猫を見てみれば、こちらはこちらでやれやれといった表情を見せていた。

「まあ仕方ないわなあ、霊力の扱いも知らんかった子に神さんの見分けとか付きようも無いし」

 何言ってんだこの猫。なんて思っていると、幾分元気を取り戻した蒔崎がひと言。

「あのね武井。あの日アタシが戦ってたドデカい奴、アレがアンタに憑いてた禍つ神まがつかみよ」

 ……え。

「ちょ、おま、あれ……」

 自殺の恐怖がぶり返してきた。あんな校舎ほどの身長のある化物が、俺に憑いてたっていうのか? 今目の前にいる蒔崎を、人形みたいに片手で掴んでたような奴が?

「まあ精霊には知性を成長させる連中と力ばっかり成長させる連中がおってな。禍つ神まがつかみで知性を持つ連中いうたら、そうやね……例えば人の寝込みを選んで夢に入り込んで、人が死なん程度に苦しめて精気を吸うとか。そんなような小賢しいことをやらかすようになるんよ。逆に力ばっかりの連中は、たまたま波長の合う連中を一気に取り込んで命を奪うところまで吸い尽くす」

「じゃ、じゃああいつもそんな風に俺を……?」

「せやね。自殺した身体から抜け出た魂を丸呑みっちゅう感じやろか」

 洒落になってねえ。

「まあ、ああいう大物はこないだみたいにここにいるエサで釣っておいて、後ろから攻撃するのが一番楽だと思うんだけど」

「お前が一番洒落にならねえよ!」

 蒔崎の奴、俺を弄ってるうちにあっさり調子取り戻してやがる。


「さあ、着いたで。まずは普通の視覚で向こうを見てみ」

 初瀬が足を止める。俺達もその後ろに並び、初瀬の視線の先に目をやる。……何も見えない、ただ鬱蒼と茂る雑木林が見えるだけのはずなのに。

 ――ぞわり。背筋に寒気が走る。

「分かるか? 神社におった精霊は見えんかったら何にも感じることは無いけどな、神さん、それもそこそこ力を付けとるモンは目に見えんでも何かしら人の感覚が反応するんや。特に禍つ神まがつかみは気に障るような反応を起こしやすい」

 そうか。寒気、悪寒。目まいや頭痛。要するに禍つ神まがつかみが「人の気に障った」結果ということか。

「ええか、これから見るもんは武井君に憑いてた神さんほどの力は無いけれど、それでもそこそこ人に障るくらいの神さんや。見えた瞬間に魂持って行かれるような感触になるかも知れんけど、気ぃ張ったら十分耐えられる、霊視の眼をゆっくり開くんやで」

 正直、さっきから寒気が止まらない。気持ちを落ち着けるようにゆっくりと目を閉じ、呼吸を整えて「霊感の眼」を開く。後はまぶたを開けば、目の前にいる禍つ神まがつかみの姿が見える――

 ――怖い。眼が開かない。

 目を開けば、俺は最後の一線を越えてしまうんじゃないだろうか。このまま目を開かずに帰れば、俺は今まで通りの日常を過ごせる、けれどここで目を開くことで二度と引き返せない悪霊との邂逅の日々を送ることになるんじゃ――そんな妄想と言い訳にまみれた言葉が、俺の足を踏み止まらせ、呼吸を乱す。そのとき。

 恐怖に握った拳を、ぬくもりが包み込んだ。

 蒔崎の手だ。

「ほら、怖がるな」

 掌の温かみが、背筋を駆け回っていた悪寒を和らげていくような気がする。

「万が一武井が襲われるようなことがあったら、アタシが助けてあげるから。巫女として」

 無意識のうちに固く握られていた拳が、ゆっくりと解けていく。

「魔法少女じゃないのか?」

「また殴られたいの? アンタってマゾだったんだね」

 軽口を叩く俺に、キツい突っ込みを入れてくる蒔崎。けれどその口調で、俺の気持ちを和らげようとしているのがよく分かる。

「どう? 行けそう?」

「おう、大丈夫そうだわ」

「それじゃゆっくり目を開けて」

 言われたとおり、ゆっくりと目を開く。

 徐々に視界がひらけ、さっきまで見えていた単なる雑木林の下草が、幹が、視界に差し込んでくる。――そして。

 一瞬視界に映り込んだ禍つ神まがつかみのあまりの恐怖に呼吸と霊気をを乱し、霊視を閉じてしまった。改めて霊感の目を開く。


 雑木林の木々に手をかけた巨人の姿。それは木々を目の粗い檻にされているかのようだ。

 恐らく立てば5メートルは下らないであろう緑がかった巨体に、さらに不釣り合いなほど巨大で異常に面長の頭が載っている。

 無数の皺が走る顔の頬はげっそりと痩け。鼻は削げ落ち。歯の無い口はあんぐりと開かれ。眼窩はぼっくりとくぼみ。当然と言うべきかその眼窩には眼球も無く、ただただ深い闇が垣間見えるだけだった。


 その姿の恐ろしさに、俺の手に添えられていた蒔崎の手を強く握る。

「安心しいや、武井君。あんたの霊体はもう八割方安定しとる。この程度の神さんに何ぞ持って行かれるようなことは無いわ。後は慣れやな、慣れ」

「気軽に言ってくれるなあ」

「実際そうだって。見えちゃったら後は慣れるしかないよ。アタシも最初は夢に出ちゃって寝汗とか酷かったけどねー」

「うわー蒔崎さんマジ男前ー。頼り甲斐あるわー」

「うっさいよ!」

 俺が冗談で返せるようになったのを見て取った彼女は俺の手をそっと離し、今度は所在なげに腕組みをして苛立ちを見せ始めた。

「やっぱ……やんなきゃダメ? っていうか初瀬、いつもだったらこんなに育っちゃう前に見つけてアタシに浄化させてんじゃないの?」

「まあまあ、チカの練習のためもあるんやから」

「……初瀬アンタ今までコイツ見過ごしてたな」

 彼女の中では未だに俺の前で変身することを受け入れ切れていないんだろう、初瀬を恨めしそうに横目で見ている。

「ほら、お仕事やねんからしっかりしぃや」

 ケツを叩くような初瀬の声に、のろのろと前に歩みを進め、巨人まで数メートルのところで足を止める。そして。


 す、と蒔崎が空に向かって手をかざす。すると、その周囲にダイヤモンドダストのようにきらめく、無数の細かな光……いや、結晶が宙を舞い始めた。

『……ヴォ……?』

 木々の向こうの巨人が、その細かな結晶に反応する。

「あいつにも見えるのか、この光」

「そらそうや。これは霊力の結晶体、このままチカの衣装に変換されるんよ。その一方でこれが霊力である以上、禍つ神まがつかみにとっては格好のエサやからな。自分に注意を向ける意味でもこれは有効なんやね」

 俺と、俺の質問にさらりと答える初瀬の目の前で。

 彼女が霧のごとき光に包まれる。

 輝く人型と化した彼女が、叫ぶ。

「クリスタルパワー……チャージ・オン!」

 その声に応えるように、無数の光の欠片がさらに、勢いを増して彼女の身体に収束する。

 パチン! パチン! 弾けるような音が響き、そのたびにブーツが、髪飾りが、袖が、スカートが、ワンピースのあらゆるパーツが、彼女のまとった光の塊を吹き飛ばすように出現する。そして。

 ヒュゥゥゥゥ! さらに光が彼女の胸元と手元に凝集し――ワンピースの胸元に大きな青い宝石を、そして手の中にいくつもの青い宝石で飾られた弓を、それぞれ生み出した。

「穢れは決して見逃さない! 魔法少女、プリティー・サファイア!」

 キィィィィィン! 甲高い金属音が響く中、蒔崎は決めポーズとともに名乗りを上げた。

 それは、俺があの日見たコスプレ姿そのものだった。

『……ヴォ……ヴォ?』

 ……そして、これが魔法少女プリティサファイアを目の当たりにした、禍つ神まがつかみのリアクションである。

「…………やっぱりヤだよこのポーズ……」

 心がパッキリと折れ、決めポーズのままで俺達の方に顔を向けて涙を流す魔法少女様である。

「拗ねてる場合と違うでー。しっかりしぃやー」

 こちらもどうもやる気の無さそうな指導役の三毛猫様。俺はと言えば、初めて目の前で見たクラスメイトの姿にどうリアクションを取って良いものか悩んでいる真っ最中である。


「あーーもう! 手っ取り早く片付けてやるわよ!」

 チャキッ、と音を立てながら左手で弓を構える。そう言えば弓だと思っていたその武器には弦が張られてないことに今更ながら気付いた。どうするつもりだ?などという疑問を挟むような隙などないままに。

 イィィン。弓の両端の一際大きな宝石が青白い光を放つ。その光がツル草のように形を成し、するすると伸びて互いに絡み合い、瞬く間に青白く光る弦が張られた。そして、さらに。

 キィィィィィン! 魔法少女の胸元の巨大な宝石が、さらに強い光を放つ。彼女が右手でそれに触れると、光はリボンのようにするりと宝石から抜け出し、右手から棚引いた。

 彼女が弦に指をかける。途端、その指から流れていた光は細く渦を巻き、真っ直ぐの棒に変化した。そして弓の中央あたり、取り付けられている中で最も大きな宝石を貫く。光を受けた宝石はこれまでで最も強く光り、既に真っ白の光にしか見えなくなった。


 キリキリと彼女が弓を引き絞る――そして。

「『ディープブルー・クリスタル・アロー』!!!」

 叫び声と共に弓から解き放たれたその光は、緑色の巨人がいたあたりを貫き、技の名前とは裏腹に真っ白な光で周囲を照らしながら消えていった。

 そして、周囲を埋め尽くすように広がった光が消えかけた瞬間……

『……ヴォウ!』

 巨人の腕が伸び、彼女の足を掴んで吊し上げた。


 蒔崎の放った光の矢が直撃こそしなかったものの己の耳を刮ぎ落としたせいで、件の巨人は彼女を完全に敵だと認識しているらしい。スピードこそ無いが、強引に彼女を捕らえて離さない。

 ヤバい。助けなきゃ。反射的に思った……のだが。

「キャーーーー!!」

 片足をつまみ上げられて巨人の手からぶら下げられている蒔崎が悲鳴を上げる……が、どうもその雰囲気が妙だ。命の危険を感じているというよりは遊園地で絶叫マシンに乗っている客のような、どことなく余裕が感じられるような、そんな叫び。見たところ彼女が心配しているのは自分の命や身の危険よりも、どちらかというと逆さづりになったせいでスカートが捲れてしまうのではというところらしく、必至でスカートを前後から手で押さえている。

「ほら、いつも言うてるやろ? 油断大敵や、て。慌てて狙いをちゃんと付けへんからこういうことになるんやで」

「そんな冷静に話してる場合かよ!? 明らかに拙いだろこの状況!」

 呆れ気味に彼女にお説教する初瀬を余所に、俺は彼女を助けに走った。


 とは言え、今の俺に出来ることは多分ほとんど無い。この一週間で俺は精霊や神を見ることが出来るようになった、それだけなのだ。

 ――いや、もうひとつ手段はある。

 周囲の地面に目をやる。ここは舗装道路とは言え山がちで人通りも少ない。当然のごとく転がっているそれらを幾つか拾い上げた。

 俺にとっての「最初の日」の再現だ。あのときは投げた石が禍つ神まがつかみの身体を突き抜けて行った。今度も同じ事が出来れば、せめてあいつの逃げ出す隙くらいは作れるか……。力を込めて石を握り込み、ひと息に振りかぶる。

 その瞬間、その手に妙な重みが加わった。まるで握った石が唐突に数倍重くなったような感触。けどそんなことに疑問を持っている暇はない。そのまま――投げる。

 パァァァン! パァン! パパァァン!!

 前回とはまるで違う現象。で爆竹を鳴らしたような、いくつもの破裂音が響く。

「やったか!?」

「そんなわけないやろ!」

 俺の言葉に絶妙のタイミングで三毛猫の突っ込みが入った。

 その突っ込みを裏打ちするように、破裂音と薄煙が消えた向こうから……巨人の眼窩が――目玉は存在しないはずなのに、それでも確かに――俺をにらみ付けている。

「あかんな。武井君、逃げや」

「……お……おう」

 初瀬の提案にそう応えてはみたものの、恐怖のせいか足が震えて動けない。それでも必死で逃げようと足を進めようとして……転倒した。

 尻餅をついたまま震えている俺に、巨人がゆっくりと手を伸ばし、人形のように掴もうとした、まさにその時。


「『ディープブルー・クリスタル・アロー』!」

 蒔崎の声が響く。直後、巨人の胸が青白く輝いたかと思うと。

『ギァァァァァァ……』

 光はその胸を貫き、巨人の身体をぐずぐずと崩壊させ。

 ほんの数秒で、背中から光の矢で射貫かれた巨人は、跡形も無く姿を消した。


 その向こうには、恐らく巨人から抜け出して地面を転がったそのままの姿勢なんだろう、片膝立てで座ったまま弓を横倒しで構えている彼女がいた。

「ったく、余計なお世話なんだから……けどまあ、礼は言っとく。ありがと」

 明後日の方を向きながら手を差し伸べてくる彼女に支えられ、俺はようやく立ち上がった。


------------


「マジかよぉ……」

 二人の解説を受け、一気に俺の気持ちが萎えた。

 こいつら曰く、俺の手助けなんて必要なかったらしい。あの程度の禍つ神まがつかみに掴まれたところで変身した姿の蒔崎にとっては大した問題じゃなく、冷静になればそのまま矢を撃ったり蹴りで抜け出したりも全く平気。地面に叩きつけられても衣装の霊力が身体を守ってくれるんだとか。要するに俺が石を投げて巨人に襲われそうになったことは全くの無駄骨、彼女の言った言葉通りの「余計なお世話」だったということだ。

「そもそもチカ、あんたが最初から落ち着いてあの神さんを射貫いてたらそれで済む話やってんで? 分かってるか?」

「も、もう分かったから……勘弁してお願い……」

 本日二回目、初瀬の肉球攻撃をお説教とともに食らっている蒔崎は既にグロッキーだ。彼女に助け船を出すつもりというわけじゃ無いが、初瀬の行為を妨げるように質問を投げる。

「あのさあ、俺が石投げたときに何か破裂しただろ? あれって何?」

 前に学校に現れた巨人、つまり俺に憑いていた死神に石を投げた時は、直撃コースを取ってもそのまますり抜けた。ところが今回は着弾の瞬間に爆発したわけだが。ターゲットに何か違いがあったんだろうか。

「いや、どんな石を投げようが効果は変わらへんよ。ただ、今日武井君が投げた石にきっちり霊力が収まってただけの話や。禍つ神まがつかみ相手には良え武器になるで」

「いや、けど俺戦闘訓練なんて全然やってないぞ? やってたのはただの霊視のトレーニングで……」

「何言ってんのよ」

 俺の疑問に答えたのは、初瀬の肉球から解放されてようやく調子を取り戻し始めた蒔崎だ。

「アンタはそれまでロクに霊力行使出来なかったのに、トレーニングして霊視したり精霊に触ったり出来るようになったわけでしょ? それって要するに、スポーツで言えば筋トレしてるようなもんなの。足の筋力が上がればボール蹴ったときの飛距離が上がっても当然でしょ?」

 なるほど、俺が順調に力を付けてきてるって証拠か。上手くやれば俺だってあんな巨人をボコボコにやっつけたり……!

「ほんま、ええ牽制になったなあ。修行始めて一週間の成果とは思えんわ」

「……け……牽制……? あの、あいつにダメージ与えたりは……出来てなかったの?」

「当たり前やん。代々力を受け継ぐ巫女とほんの一週間前に偶々霊力が発現しただけのあんたと、どれくらい力の差があると思うてんのん?」

 さも当然のごとく応える三毛猫の澄まし顔が、俺の希望を打ち砕いた。

「そんじゃさ……あとどれくらい修行したら俺も蒔崎みたいにガンガン戦えるようになるのかな?」

「さあなあ。ざっと百年か二百年くらい長生きして頑張ったら何とか使い物になるんちゃうかな」

 さすが神様の眷属様。おっしゃる話の時間軸が人とは桁違いだわ。


「ほな、今日の修行はこれくらいにしよか。気ぃ付けて帰るんやで」

 少女の肩に襟巻きのようにしがみついていた初瀬がするりと身をくねらせ、華麗に地面に降り立つ。そしてそのままトトトトトッ、と小走りしたかと思うと、木陰に隠れたかそれとも煙のように消えたのか、瞬く間にその姿を消してしまった。去り際のあまりの素っ気なさに、しばし呆然としてしまう。

「どうしたのよ、置いてくよ」

 蒔崎の声で我に返り、先に帰路についていた彼女を小走りで追いかけた。


 女子と二人っきりで度々歩くなんてのは、中学に入ってからは初めての体験だ。それが現実的に手の届かない女の子であっても、いやむしろだからこそ、妄想が爆発しそうになる。

 とは言え、仲良く雑談するような間柄ではない。ただただ二人してひと言も語らず、二人で並んで歩いているだけだ。チラッと見た彼女の表情は逆光で全く読み取れないが、その整った輪郭と鼻筋は逆にくっきりと際立って目に飛び込んでくる。

「……何よ」

「……別に」

 「可愛いですね」なんて言葉が口を突いて出そうになるのを必死でこらえる。そんなことを口に出せば、また殴られたり罵倒されたりするのが目に見えている。

「良い奴だよな、蒔崎って」

「……はぁ?」

 話題に困った挙げ句ではあるが、ふと思っていたことを話してみた。予想通りというか、彼女は怪訝そうな声を上げる。

「アンタ何言ってんの? アタシ、アンタにそんなこと言われるようなことなんて……」

「自分のせいって言ってもさ、俺の修行に付き合ってくれてるじゃん。さっきだってビビってる俺の手握って落ち着かせてくれたし」

「……それは……周りでそういう奴がいるのは嫌だし」

 そうだ、そういう奴なんだ、蒔崎は。

 俺がビビっていれば安心させるように手を握ってくれる。俺が襲われれば助けてくれる。そもそも祓え巫女なんて役割は「周りの奴がどうなろうと構わない」なんていう奴につとまる仕事じゃないだろう。いくら願い事を聞いてもらうためとはいえ、巨人に握りつぶされそうになってまでやるにはそれなりの使命感が必要なはずだ。それも不特定多数の人間を守るような、そんな使命感が。

「大体アンタにそんな気遣いなんかしてないわよ」

 それもそうなんだろう。クラスでの彼女はどちらかというと物静かで、周りの友達を気遣うことの方が多い。だからこそ後輩からも王子様のように慕われているわけだ。

 そして俺の修行中、彼女はそんな素振りを見せない。俺ごときに気なんか遣ってやるもんか、ということなんだろう。けど、それでも修行の指導役を続け、怯える俺の手を握り、巨人に襲われる俺を助けてくれた。根っからの良い奴なんだ、この蒔崎は。

 そんなことを思いながら彼女のシルエットを見つめていると、

「……何ニヤニヤしてんのよ」

「え? 俺、そんなつもり全然無いんだけど」

「嘘つけ! アンタ、アタシの変身見て『弱み握った!』とか思ってんでしょ!?」

「いやいやいや思ってない思ってない! っていうか似合ってたなとか可愛いなとかは思ったけど」

 ……あ。思わず言ってしまった。

 これは『恥ずかしいこと言うな!』とグーで殴られる流れっぽい。

 けど体がこわばって反応しない。さすがに今は変身してないから体がすっ飛ぶことはないと思うけど……


 ……いつまで経っても、こぶしが飛んでこない。

 よく見ると、蒔崎の身体が震えている。これってもしかして格ゲーで言うところのチャージ中ってことか……なんて思っていると。

「……恥ずかしいこと言うな、馬鹿」

 少し怒った口調でたったひと言文句を言った彼女は、そのままスタスタと先に行ってしまった。俺も慌てて後を追い、さっきより少し早足の彼女と並んで歩き始めた。

 終始無言の彼女の横顔のシルエットは、さっき見たそれよりも少し、頬が膨らんで見えた。


------------


 風呂から上がり、ベッドにそのまま突っ伏した。

 人生初の対魔物リアルバトルで腰を抜かした身でありながら、今日の数学の宿題に手間取ってすぐに休息が取れなかったのだ。晩飯を平らげ風呂に入り、今になってようやくの休息である。

 霊視を閉じている今なら、部屋にどんな雑魚精霊がいようが何も感じることなく眠りに就ける。けど、少し気になって霊視を開いてみた。

 やっぱりいた。修行の前日に現れた、不眠の苦しみを食う禍つ神まがつかみだったか。糞真面目に部屋の外へ視線を向けているその背中を眺めていると、たまたま後ろを振り向いた奴と目が合った。

『あ、どーも旦那。この姿をご覧頂くのは暫く振りで』

「そんなのはどうでもいいよ。変なのは来てねえな」

『そりゃもう。時々夢魔の類が寄り付きますがアッシが撃退してますんで、へへ』

「ありがとよ。後はお前が人に迷惑かけまくるような神さんにさえならなきゃそれで良いわ。そうなったら祓わないといけなくなるしな」

『そ、そいつは勿論! お任せくださ』

 話を最後まで聞くことなく、霊視を閉じる。


 ふと学習机の方に視線を向けると、スマホにメール着信を示すLEDが点滅していた。風呂に入っている間、10分ほど前に蒔崎からメールが届いていたらしい。文面を確認する。

『明日も神社で修行。遅刻しないでよね?したらぶん殴る』

 初のメール本文20文字超え、そして句点付きのメールなんて初めてだ。彼女に何か良いことでもあったんだろうか?

 ともあれ、こういうメールの返事だったら、俺も少しくらいは砕けたメールを送っても良いだろう。いつもは無愛想なメールへの対抗措置として『了解』としか返さない返信も少し長めに打ってみる。

『了解。明日もよろしくな!そっちこそ遅刻すんなよ!』

 1分もしないうちにメールが返ってきた。

『テンション上げるな馬鹿』

 ……フレンドリーを彼女に求めたことが間違いだったんだろうか。少し寂しい。

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