祓えの道の手始めは

「――やだなあ、もう。そういうんじゃないってば」

「えー? あたし等に秘密は厳禁だぜ? さあ白状するんだ!」

「もう観念しなよーチカちゃーん」

 放課後の教室。誰かさんが友人数人に何かしらの詮索を受けて人の輪の真ん中にいるらしい。特に興味は無いのでそのまま教室を抜け出そうとする。が。

「あれー、お相手が帰っちゃうよ-? チカぁ、あんたは帰らなくていいのぉー?」

 あまり体験したことのない、自分を茶化す声。背中に刺さる無数の視線。出来ればこのまま何事も無かったかのように帰りたいところなのだが……進行方向にいる後輩女子とも目がばっちり合っている。足を止め、恐る恐る振り返ってみると。

 興味ありげに、あるいは弄る気まんまんでこちらの方を見ているいくつもの顔の中央に。

 怒りのあまり青ざめた顔でこちらを睨む顔があった。

 俺はその顔に軽く会釈をし、ゆっくりと前へ向き直って。


 走って逃げた。

「あ、あいつ行っちゃうよ!?」「逃げるなー」「チカも早く追っかけろ!」

 背中越しに聞こえる無責任な声を全力で無視し、走って逃げた。


------------


 前日に指定を受けた場所、町外れの寂れた神社へ向かう。

 何はともあれ、今日から放課後の除霊活動というか、俺のためのトレーニング?開始である。その活動内容は、まず――

「なんでアンタは逃げてんのよーーー!?」

「ぐ、ぐえ……い、息できな……」

 パートナーに背後からがっちりと首を絞められることだった。どうやらさっきの教室での態度がお気に召さなかったらしい。

「ほら、チカ。あんまりそんなことしてたら武井君、霊力失うてしまう前に去んでしまうで?」

 そこにいる猫はもうちょっと焦った方が良いと思う。しかし蒔崎はそれで溜飲を飲み下したらしく、背後から突き飛ばすように俺を解放した。

「っ痛てて……。っていうか、俺に何か責任あるのか? あいつらが勝手に勘違いして茶化してるだけだろ?俺にどうしろって言うんだよ」

「学校に来るな。来ても気配消して誰の視界にも入るな。喋るな息するな音立てるな」

 無理難題をおっしゃる。

「はいはい、じゃれ合うのはそれくらいにして。そろそろ始めるで」

 別にじゃれてなんかない、とぶつぶつ文句を言っている彼女を見て俺も思う。それを言いたいのはこっちの方だ、そして俺は被害者だ、と。


「そしたら武井君、あそこ見てや」

 初瀬が前足で指し示す方向に目をやる……が、よく分からない。猫の前足が指し示す方向というのは、人間の指差しと違ってどうも方向が取りづらいのだ。第一その方向には神社を覆い隠すように茂る、鎮守の森……と呼ぶほども密集していない木々が少しばかり厚めに並ぶだけで、特段気を引くようなものは無い。

「あの……何もないんだけど?」

 猫相手に知ったかぶりしても仕方がない。見たままを正直に伝えると、初瀬は仕方なさげにうなずいた。一方で蒔崎は勝ち誇った笑みを浮かべている。

「えー? あんなのも見えないのー? それでよく祓えに参加しようだなんて言えたギニャ」

 語尾がおかしくなったのは霊現象でも何でもない、三毛猫が頭に飛び乗って顔に文字通りの猫パンチを食らわせたからだ。

「チカ、あんた偉そうに言うてるけどな、あんたは見えるようになるまで何日かかったんや? 何やったら武井君に教えたろか? え?」

 肉球をぺちぺちと額やら眉間やら顔のあちこちに振り下ろしながらのお説教。彼女も苦虫をかみつぶした表情ながらそれを受け入れているあたり、霊能力を身につける第一歩はなかなかに困難だったようだ。っていうか大丈夫なのか俺。蒔崎がそこまで手こずった技術をそう簡単に……?


「だってアタシが大変だったのは指導役がネコだったからってのもあるじゃん……」

「ほら、文句言うとらんで。チカが指導役なんやから、しっかりしぃや」

 不承不承に俺の背後に近付く蒔崎。とっさに振り向き、身構える。

「ちょっと、真面目にやんなさいよ」

「いや、さっき蒔崎に首絞められたとこだからさ。やっぱちょっと……怖い」

「あのね? フロントからの絞め技もあるんだけど? 真面目にやってくんない?」

 指をバキバキ鳴らす彼女に抵抗する手段は無さそうだ。諦めのため息をつき、身体を元の方向、最初に初瀬が指し示した方向へ向ける。

「はい、アンタはまず今の方向を見でもなく見ること。例えば人が並んでるとしたら、その一人一人の顔をじっくり見るたり人数数えたりするんじゃなくて、全体をひとつの塊として大きく捉えるような感じで」

 言われたとおりにぼんやりと木々を見る――いや、目の前から自分の眼窩に飛び込んでくる光を、ただ諾々と受け止めること十分少々。

 ふわ、と視界の中央よりすこし右下に違和感を感じる。何というか……水中に沈めた透明のガラスのコップが動いたのが見えた、みたいな。ところが凝視しようと視線をそのポイントに集中させると、何も見えないのだ。結局諦めて視界を大きく取り全体をぼんやりと見ていると――また、見えた。

 そんなことを数回繰り返している俺の様子を彼女たちも見て取ったようだ。

「チカちゃん、あんたはほんまにええ子を連れてきたみたいやなあ。ええ男運持っとる」

「うっさいわね。男運とか言うな」

 俺のすぐ後ろでそんな弄り方をされると……ほら、集中力なくなって見えなくなった。ただ、少し疲れたせいもあるだろう。目の周囲をマッサージし、リラックスさせる。

「どや、見えそうか?」

「全っ然。何か輪郭だけは見えそうな気がするんだけどな。何でだろ、最近部屋に来るような連中ははっきり見えるのに」

「そらそうやん。人の精気狙うて自分の意志で動くような連中はそれなりに力を持っとるから、不安定な霊力でもそれなりに見えるて。けどここにおるような子らは違う。人のこぼした精気をたまたまその身に受けて、何とか形を維持しとる程度や。脆弱で不安定、そんな子らをちゃんと見よう思うたらそれなりにきっちり霊力を身につける必要があるんやね」

 なるほど、ここにいる奴らをちゃんと見ることが修行、その意味が分かってきた気がする。


「はい、そんじゃアンタはそのまんま、あの子達が見えそうな雰囲気の状態を維持しなさい」

 背後から急に声をかけられて思わず振り返ると、額にチョップが振り下ろされてきた。

「痛って!」

「当たり前でしょ、痛いようにやってんだから。ほらっ、言われたとおり前向いて」

 鬼教官のご降臨であらせられる。何だよ急に先輩風吹かせまくりやがって。

「はい、そんじゃアンタはその輪郭だけでも見えそうな状態のまんまで深呼吸。そんでアタシが背後で何やっても、アタシが命令した事以外は抵抗すんな口答えすんな反応すんな」

「ちょ、お前そりゃいくら何でも」

 ビシッ。後頭部にチョップが入った。

「そんな不必要な反応さえしなきゃ殴ったり蹴ったり締めたりしないわよ。分かった? 分かったら返事!」

「……おう」

 自分の耳でも余裕で聞き取れるほどの不満を交えて、俺は返事をした。


 一応さっき初めて見えた時にコツは掴んだ。今度は数分で連中の輪郭を拾えるところまで到達できたが、そこから先が難しいようだ。注視しようとすれば消える、目で追うことを止めればぼんやり見えてくる。まるで逃げ水のような存在だ。

「何となく見えてきたみたいね」

「分かるのか?」

「霊気の状態を見てれば何となくね。そんじゃ続き行くよ。何があっても反応しないこと。殴ったりはしないからそこは信用しなさい」

 多少不安感の残る台詞ではあるが、その口調は真摯だ。信用しよう。

 深呼吸したまま連中を視界に捉えていると、そっと俺の肩に手が置かれた。蒔崎の手だ。

「今からアンタとアタシの霊力を同調させるからね。アタシと呼吸合わせなさい」

 本当なら反論したかった。「どうやって背後のお前と息を合わせるんだよ」と。けど、何か理由があるんだろう。彼女の手を、その手から広がるぬくもりを、自分の深呼吸とともに受け入れる。

 そのとき、奇妙な感覚を覚えた。

 奇妙としか言いようがない。自分の呼吸のリズムに違和感を覚えたのだ。何というか……片足だけ靴を履いたせいで左右の足の踏み出しのリズムが合わないような、そんな違和感。そもそも自分の呼吸はひとつなのにそんな感覚を感じるはずが……そこまで考え、気がついた。

 そうか、これは蒔崎の呼吸のリズムだ。彼女の呼吸が、霊力の同調で伝わってきているんだ。ようやくそれに気付いた俺は、その違和感を打ち消すべく呼吸のリズムを整える。そして違和感が消えた、そのとき。


 視界が開けた。

 それまで全てを見ていたと思っていた俺の眼が、本当に全てを見始めた。

 ほんの一瞬前までゆらゆらとかげろうのようにしか見えなかったものが突然、土色の巨大キノコのような姿を現わした。いや、それだけじゃない。他にも幾つもの影があちこちに見える。木の幹の表面を這い回る虫のような奴。宙を舞いながら虹色の輝きをぼんやりと放つ、クラゲのような塊。さらにその向こうには、樹木の向こうに身を隠すようにしながらこちらを覗うぬいぐるみのような巨体もあった。あまりに大きすぎて身体は八割方隠せていないが。

「わわっ!?」

 一瞬にしてとんでもない数の化物を見せられて、あまりの驚きに尻餅をつく。――背後で俺の肩に手を置いていた人物を巻き添えにして。


「ってて……」

 と反射的に呟いたものの、実際のところ頭を打ったりはしていないらしい。

 っていうか、なんかやわらかいものに後頭部を突っ込んだ……よう……な……?

「えーっと、武井君?」

 とても冷静な声が、俺の頭の上の方から聞こえてくる。

「……何でしょうか蒔崎さん」

「遺言なら聞いてあげるけど、何か言い残しておきたいことはあるかしら?」

 とってもクールな、いや冷淡な声である。

「えーっと……明日も元気に学校へ行きた」

「今ここで死ねぇぇぇ!!」

 顔面に強烈な膝の打撃を食らい、俺はダウンした。


「どないや、ええ枕やったか?」

「ああ、ついでに直後の一撃で昇天させられかけたよ」

「ちょっとお仕置きが足りないみたいね。今度はアバラ行っとく?」

 すぐさま飛び起き、さらに追い打ちをかけようとする蒔崎から逃れた。怒ること自体が悪いとは言わないが、どう考えても事故なのにそこまで重い一撃食らわせるか普通? 第一、前もって「色々見えるけど驚くな」くらい言っておいてくれれば済む話だったんじゃないか、全く。……まあ、その直前の「枕」が役得だったことだけは大いに認めるが。

 しかしさっきのあれは……。

「しかし色々見えたみたいやね」

「ああ。キノコみたいなのやらクラゲみたいなのやらでっかいぬいぐるみみたいなのやら。あれが全部その……禍つ神まがつかみって奴なのか?」

「いやいや、そういうわけやないんよ。禍つ神まがつかみいうんはこういう精霊から育った八百万の神々の中でも、人に害を為す類の連中の総称や。この子等はそこまで育つ前の存在の精霊、言うなれば神さんの赤ちゃんみたいなもんやね。人やら何やらの精気を受けて成長することで、和神にぎかみにも禍つ神まがつかみにも成り得る子等なんよ」

 初瀬は何やら宙に前脚を泳がせながら教えてくれている。きっと俺にはまだはっきり見えない精霊の頭を撫でているんだろう。

「こんな神社みたいな神域は基本的に心を清めた人間しか入って来んから、ここにいる子等はだいたい和神に成長してくれるんやけどね。街中に住み着いた子等はそういうわけにはいかんのよ。人の漏らす瘴気を吸うて、後々禍つ神まがつかみになってしまうこともあるんやね。

 ――さて、もうちょっと練習しよか。さっきチカと霊力を同調させてコツは掴んだやろ? 今度は一人でやってみ」

 俺の眼精疲労と戦う時間が始まった。


「プハァッ」

 呼吸を整えることで霊力を調整する、そこに集中しすぎて本来の呼吸そのものが疎かになる。そんな珍しい体験をしつつも、ようやくぼちぼちと霊力調整のコツを掴み始めた。

「どや、そろそろ一人でも見えるようになってきたか?」

「ああ、まだぼんやりだけどな」

 初瀬に応える。輪郭は大体捉えられるようになった。色味も何となくわかる。まだ精霊から透けて見える向こうの景色の方がはっきり見える状態ではあるが。

「そうか……そしたらそろそろ見えへんようにする訓練、始めよか」

 …………え?

「……見えなくするの?」

「そやで」

 目の前にいる細身の三毛猫は、さも当然のごとく即答する。

「じゃあ、今まで見えるようにトレーニングしてたのは何のためだったんだよ……」

 落ち込み混乱する俺に、初瀬はため息をつきながら説明を始めた。

「武井君。君は現時点でちゃんと精霊を見られるようになっとるか?」

「いや、まだまだだけど。だからもっとちゃんと見えるように――」

「ほなこの中途半端に見える状態のまま、家に帰るんか?」

 ……質問の意味が分からない。そりゃ家に帰るよ。野宿なんてする気もなければ泊まり込みのトレーニングするつもりもないよ。

「精霊でさえ中途半端に見えるっちゅうことはな、街中や家の中におる禍つ神まがつかみは確実に見えるで。それも、全く意識しとらんでも」

 ……え?

「帰り道にずーっと。家に帰っても、家のそこかしこに山ほど。寝床の周りにびっしりと。いろんなとこにおるで、禍つ神まがつかみも精霊も」

 ……びっしり?

「そんな連中が見える状態で……まともに生活出来るか?」

「…………見えなくする練習、頑張ります」

 俺は素直に応えた。


 夕焼けの中、蒔崎と帰路につく。

 精霊を見えなくする練習というのは、意外に簡単だった。要は「気付き」の類だったのだ。

 精霊を見る状態、言うなれば「霊視モード」は例えるならばトレーニングとしてのウォーキングの歩き方。一方で精霊を見ないようにする「通常視モード」は普通の散歩をしているようなものだ。中途半端にウォーキングの歩き方を身につけてしまうと散歩の時でさえウォーキングの歩き方に引っ張られてしまう、そんな風に普段の視覚が霊視に引っ張られてしまうわけだ。

 これを防ぐためには、普段の視覚を霊視と区別して把握すること。トレーニングではない普通の歩き方をきちんと把握して、「散歩の歩き方」を改めてきちんと記憶することが必要だったのだ。

「あー、アンタにめっちゃ追い付かれてる気がする」

 隣を歩く蒔崎が愚痴り始めた。

「アタシはハッキリ見えるようになるまでに三日かかったのに……アタシの手助けがあったとは言え初日で見えるようになるなんて悔しすぎる」

「俺に言われてもなあ……。けどアレだろ? 俺は蒔崎に霊力の調整を手伝って貰ったからあっさりクリア出来たんだと思うよ。そういう良い先生がいなかったんじゃないのか?」

「先生は……初瀬。呼吸合わせろなんて言われてもさ、ネコの呼吸なんて分かんないわよ」

 ごもっともである。よぼよぼのおじいちゃん監督に野球の指導を受けてるようなもんだろうか。


「あ、そうそう。メッセ登録しとかないか?」

「……はぁ?」

 スマホを取り出して声をかけた俺に、彼女は全身全霊の不信感を向けてきた。そこまで警戒するか? 俺はそこまで信用が無いのか?

「いや……だからこれからトレーニングとか祓えとかで会う機会も多くなるだろ? 連絡先も知らないとさ、何かトラブルあったときに困るし」

「……わかった」

 本当に渋々、スマホを取り出す彼女。リモコンのようにスマホを突き出している。多分赤外線通信で送ってくるということだろう。滅多に使わないアプリをようやく探し出して赤外線通信の受信をする。

 聞き慣れない赤外線通信完了のサウンドで、彼女のメアドをゲットした。

「んじゃ連絡あるときはメール入れるから」

「え、メッセに登録しないの?」

「あの子たちに余計な詮索されたくないの! あいつら時々勝手にスマホ覗き込んでくるから」

 以前から常に一緒にいる友達のことらしい。確かに最近、彼女等は蒔崎と俺の関係を弄って遊んでいる。友達が多いのも、色々と大変なようだ。

「分かったよ。んじゃ俺からメール入れるから登録しといて」

 彼女から貰ったメアド宛にメールを送信する。受け取った彼女は……深く深く、ため息をついた。

「……あのさあ……『これからもよろしくね!』って何なのよ、この脳天気さ……」

 別にいいじゃないか。文句言うんならさ、こういうときのメールはどういう内容が正しいんだよ、教えてくれよ。

 今日だけで十発に達しそうな彼女の攻撃を避けるため、その言葉は口から出さずに飲み下した。


 夜になって、蒔崎からメールが届いた。

『明日も修行放課後神社』

 ……別に色気出せとは言わない。が、十文字作文じゃあるまいし。もうちょっと何か気の利いた文言が無いもんか。そんな文句をぶつぶつと言いながらも、修行のおかげで三日ぶりに静かな夜を過ごせることに感謝しつつ、安らかな眠りについた。

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