二人の歩み。

祓え巫女として闘うは

 「趣味は人間観察です」とか言う奴がけっこういる。

 けど実際のところ、本気で「人間観察」をやっている連中はほとんどいない。ごく普通に生活し、ごく普通に周囲に目をやって、おかしなことをやっている通行人がいたら心の中でほくそ笑んだり指さして笑ったり、果てはスマホで写真を撮ってネットにアップしてさらし者にして逆に自分が激しいバッシングを受けたりする程度の人間がほとんどだ。

 実際、俺もそちら側の人間だ。

 小学校から中二にいたるまでに作った友人は、中三のクラス替えですべてが別のクラスになった。新学年の自己紹介は俺ひとり対クラスメイトの残り全員という図式になってしまったわけで、その状況で「趣味は人間観察です」なんて言葉を口走ってもそれはそれで仕方ないと言えるだろう。

 そして放課後である今も、隣のクラスにいる友達が迎えに来るのを待ちながらその「人間観察」の真っ最中。要するに、他にやるべきことが無いということだ。ついでに昨晩現われた化け物のせいでそれまでの眠りが浅く、若干睡眠不足気味で何もやる気が起きないということもある。ふぁぁ、と大あくびをひとつつく。

 けど、気になることが無いわけじゃない。

 俺の右斜め前方、机みっつ。そこでワイワイと楽しげなおしゃべりを続けている女子の集団。その中心人物である。

 スポーツ万能、成績……はともかく、容姿端麗、面倒見の良さでクラスメイトや同学年はもちろん、後輩にも多くの女性ファンを持つ、この中学の姫……というよりは、王子様。

 そして昨日の放課後、俺の前に魔法少女の姿で現われた女子。

 蒔崎チカである。


「えー、チカ最近付き合い悪くない-?」

「だからゴメンって。今日はどうしても抜けられない用事があってさ、ほんっとゴメン」

「怪しいなー。彼氏でも出来たか?」

「は? 何言ってるんですか長谷川さん意味がちょっと分かりませんね」

「……チカちゃん、ちょっと目が怖い」

 奇妙といえば奇妙な会話。こんなシビアな返し方をするのはちょうど今話をしている長谷川さんの得意技で、確か彼女は彼氏がどうのという話を振られても「そんなのいるわけないじゃーん」などと軽くあしらうのが常だったように思う。……うろ覚えだが。

 眠気のせいで動き出すのも面倒だが、そろそろ下級生達が彼女を目当てにクラスの前にたかり始める時間だ。とっとと帰って一眠りしたい。そう思って立ち上がり、重いカバンを肩に引っかけて帰ろうとした、まさにそのとき。


「あのー、武井君?」

 背後から、声をかけられた。

 まさに予想外だ。三年になってから今に至るまで、女子に声をかけられたことなんて配布物絡みの連絡事項を除けば「そこ、邪魔だからどいて」くらいのものだったのだ。それを名前で呼ばれている。それも――

「……へ、俺? な、何か用、……蒔崎さん?」

 問題の彼女から。

 我ながら間の抜けた返事だ。虚を突かれたのだから仕方ないが。

「あのさ、武井君、今日ちょっと時間ある?」

 もしこれが昨日より前だったら、俺はほんの少しくらいは舞い上がっていた可能性があったと思う。けれどそれを許さない事実がふたつある。

 ひとつは当然のごとく、昨日の一件だ。彼女の奇妙な魔法少女衣装、その彼女に殴られたこと、そして俺の生徒手帳に脅迫文を残していった、この一連の流れだ。こんな経験をしていては、蒔崎に対しては謎と恐怖を感じるばかりだ。

 そしてもうひとつが。

 限界までつり上がった眉と目尻、その上に浮いた血管、女子でありながら身長があるために俺とほぼ同じ目線でまっすぐ突き刺さる眼光。その台詞とは全く釣り合わない、まるで「ちょっと体育館裏まで面貸せや」的な雰囲気さえ醸し出す、蒔崎の怒りの形相だ。


「あ、えっと……何の用なんだろ? 俺は今日はちょっと寝不足でさ、さっさと帰って一眠りしたk」

「良いから来てくれないかな?」

 有無を言わせないその雰囲気。一体どうしろと。そして何より困っているのが……周囲から無数に浴びせられている、好奇の視線だ。

「あ、うん、でもあの……」

「ねえねえチカちゃん、武井くんがお気に入りだったんだぁ? 知らなかったなーーー?」

 背後の友人から弄る気満々の声が彼女にかけられる。

 ……あーあ、この子、やっちゃったよ。地雷踏んじゃったよ。声をかけた友達の女の子には背を向けているから見えないが、俺とさらにその背後の廊下で見物していた連中はその変化を目の当たりにした。

 限界までつり上がっていたと思われていた中学生女子の目の端がさらに釣り上がり、般若の顔になる瞬間を。

「お気に入り? 一体何のことですか……ね!?」

 最後のひと言に合わせて振り返った蒔崎の顔を突きつけられた友人は、そのにやけ顔を一瞬にして凍り付かせた。

「アタシはこの男子生徒と少しばかり用事があるために連れて行かないといけない義務があってそれで仕方なく連行しようってとこなんだけどこの状況のどこからお気に入りなんて言葉が出てくるのか教えてくれないかなあ?」

「ごめん! もう言わない! 冗談!冗談だから!」

 とめどない言葉に晒されて既に半泣きの友人をおいてこちらへ向き直り、手を引いて……というよりは、腕をむんずと掴んで引きずるように廊下へ出る彼女。

 廊下にいたギャラリーは静まり返ったままモーゼの十戒のごとく割れて道を作り、その中央を俺は彼女に導かれるままに進んでいった。


 キィ、ときしむ音を立てながらドアを開け、校舎の屋上へと出る。俺としては昨日の一件を思い出すので、あまり来たくはない場所だったんだが。

「何や、えらい時間食うたなあ」

「色々手間取ったのよ」

 待ち受けていた相手と挨拶ですらない少ない言葉を交わす蒔崎。

 ちなみに喋る相手は……

「それより、あんたや。武井君言うたかなあ? 昨日は世話になったなあ」

 ……昨日の喋る三毛猫だ。

「ああ、どうも」

「あれから身体の具合、どうもなかったか?」

「ええ、まあ身体の方は。えっと……質問いいっすか?」

「何でも構わへんよ。何が聞きたいんや?」

「まあ疑問は色々山ほどあるんスけどとりあえずは…………何で猫が喋ってるんすか?」

 何となく敬語になってしまっているが、目の前にいるのはどう見てもただの猫だ。時折人間くさいアクションが入るのが気になるが。あくびの時に前足で口もとを隠したり、わざとらしく猫まねきして見せたり。

 至極単純な質問に、目の前の猫は、

「ほんまはな、うちは猫と違うんよ。天神様の眷属の初瀬<ハツセ>いいます、以後よろしゅう」

 そう答えながらウィンクをしてみせた。


「で、初瀬さん。一体何がどうなってるんですか」

 とりあえず猫の隣に並んで座り、質問を投げかける。

「あら、ええのん? うちみたいな人外相手に質問しても」

 そう言いながら、初瀬は蒔崎の方に目をやる。釣られるように俺も彼女の方へ視線を向けるが、何というか予想通り。あぐらをかいて座り込み、仏頂面で明後日の方向を向いている。

「…………何よ」

 俺達の視線に気付いても、一瞬顔を向けてこんなひと言を投げつけ、またそっぽを向いてしまう。

「まあ蒔崎さんがこんな状態なんで……多分説明なんて無理かと」

「なるほどなあ。ほんま、可愛い顔が台無しやで」

 とことこ、と彼女に歩み寄り、傍らに座り込んで丸くなる。その尻尾で彼女の肘の先をちょろちょろと弄ると、蒔崎は鬱陶しそうに払いのけた。クラスで見る彼女とはまるで違う、人……ではないか、他者との関わり方だ。

「この子も可愛いところが色々あるのになあ。……ああ、うちらの話やったな」

 三色の丸い毛玉がするりと解けるように、初瀬はそのみをゆったりと起こし、うん、と猫らしい伸びの姿を見せて座り直し、語り始めた。

「うちの仕事はこの近辺の魔物の除霊。そんでチカはな、うちと契約して仕事を手伝うて貰うとるバイトの……せやね、魔法少女や」

 …………はあ、そうですか。今のところ情報が不足しすぎていて、それ以上の感想が浮かばなかった。

「だから魔法少女じゃないって言ってるでしょ!? アンタがハラエミコとかいう名前で呼んでんじゃない! こんな格好だと分かってたらアタシ、こんな仕事引き受けなかったわよ!」

 隣から怒号が飛んできた。

「何言うてるんやろ、この子は。お仕事の内容は祓え巫女そのものやん? うち、何も嘘ついてへんやん?」

「あの格好のどこが巫女なのよ!? アンタの頭ん中ではあのクソ恥ずかしい衣装が巫女の服だとでも言うわけ!?」

「まあその辺については事情も説明したし」

「聞かされただけで納得出来るか!」


 何だろう、今の俺。

 生まれて初めて女の子に呼び出されたら、その子と喋る猫の口論聞かされてるんですが。

「あの、俺……帰っていいっスか?」

 俺のひと言に蒔崎は目を怒らせ、かあっと顔を赤らめる。

「いいから大人しくしてろ!」

「はいぃっ!」

 おこられた。

「ほらチカ、この子放ったらかしにしとる場合ちゃうやろ? ちょっとでも話進めんと。それとも……自分で全部説明するか?」

 ニヤリと口元を歪めながら問いを投げかける初瀬に、蒔崎は体育座りに身体を丸め込み、黙り込んだ。怒りの目元と紅潮した顔はそのままに。

「ほんま、面倒くさい子やわ全く。あ、武井くん。うちのことはタメ口で構わへんで。猫相手に敬語使うてんのも気持ち悪いやろ」

「あ……うん、そんじゃ、お言葉に甘えて。とりあえず、俺が呼び出された理由が知りたいんだけど」

「うん、分かっとるで。ちょっと長ったらしい話になるんやけど聞いてくれるか」


「さっきも言うたけど、うちは天神さんの使いとしてこの辺りで魔物――禍つ神まがつかみとか呼ばれる類の連中を祓うのを勤めにしとるんよ。

 けどまあ神さん言うてもピンキリやから。中には塩かけるだけで消える神さん、巫女が頭撫でるだけで和神にぎかみに変わる神さんもいたはるし、昨日みたいな大立ち回りするんは珍しい方やね。

 ただ、うちはそんな荒ぶる神さんの居場所は分かるんやけど、うちの力ではお祓いは出来へんのよ」

「それって担当配置間違ってない?」

 俺の率直な感想に、猫が眉をひそめる。

「厭なとこ突かんといて。そもそもうちら眷属みたいに幽界<カクリヨ>の存在はな、直接現世<ウツシヨ>に力を行使でけへんのよ。せやからこの子みたいに現世の子らに手伝うて貰うてるわけや」

「それじゃ、蒔崎さんはその祓え巫女とかいうのを先祖代々やってるってこと?」

「いや、そういうわけやないんよ。代々巫女とか宮司に仕えさせてる神さんとかは数多くいたはるけれど、うちはそこまで神格高うないからな。その時々に応じて才能のありそうな女の子に声かけて、願い事聞いたげる代わりに巫女やってもらう、ちゅうわけや」

「それって……一生あの格好のまま過ご」ごん。

 鈍い音がした。

「一生なわけないでしょ! あんな格好、一生なんてやってられないわよ! 半年よ半年!」

 殴られた後頭部をさすりながら、うつ伏せに張り倒された自分の身体を起こす。

 いくら恥ずかしい格好だからって殴る事ぁねえだろ、そんなことを言うと追い打ち攻撃を食らいそうなので止めておく。


「ほな続き行くで。次はその禍つ神まがつかみの話や」

 殴られた俺をいたわるそぶりすら見せないクールな猫である。

禍つ神まがつかみいうても……せやな、幽霊とか妖怪の類やと思うてくれたらええわ。人やら何やらの鬱積した感情が一定の形をなしたもの、それが禍つ神まがつかみや。

 そういう連中はいつでも町中をうろうろしとってな、何かの拍子に人に害を為すようになる。そうやって人の心に不安や恐怖を与えて、自分のエサにしとるっちゅうところやね。

 例えば幻覚を見せて脅かしたり恐怖心を起こさせたり、あるいは事故を起こさせたり。

 例えば人の感情をざわつかせて、暴力沙汰を起こさせたり。

 例えば人に取り憑いて、自殺しようとさせたり」

 ……人に取り憑いて……自殺? 俺は、眉をひそめる。

「分かったか? あんたはな、禍つ神まがつかみに殺されるところやってんで」

 初瀬の口調が柔和なものから突然、突き刺さるような強い口調に変わる。

 ふと蒔崎の方に目をやる。彼女もまた、俺の顔を真っ正面に捉えていた。

「自殺までさせるような事はよっぽど強力な神さんでないとやらかす事は無いし、そんな連中に取り憑かれるとなるとこれはもう偶然の産物でしかないんやけど、逆に言うと運が悪ければ誰にでも取り憑いてしまうんやね。たまたま心が同調しただけで。

 例えば冗談でも『あー死にたいー』とか言うただけで、最悪そういう連中に目ぇ付けられるわけや」

 そう言えば昨日、昼飯を食い終わった後の数学の授業が面倒で「あー、死にてー」とか呟いていたような気がする。そのたった一言で、自分の命がそこまで危険に晒されていたとは……。今更ながらに冷や汗がダラダラと流れてきた。

「あ、あはは……俺が自殺しないで済んだのって……けっこーラッキーだったんだな……」

「んなわけ無いでしょ」

 すぐ隣、今度は猫とは別の方向から言葉が飛んできた。今度はゲンコツではなく後頭部への平手打ちをオマケにして。

「アタシが除霊してあげたの。アタシが」

「……は? だって蒔崎さん、声かけてきただけで何にもやってないんじゃ」

 バチン。次の平手打ちは額にいい音を立てて命中。

「除霊の方法は主にふたつ。取り憑いてる禍つ神まがつかみを消したり和神にぎかみに変えて無害化するか、もしくは取り憑いてるそのリンクを断ち切るか。アタシがアンタにやったのはその後者の方」

 ああ、そういう事か。

「つまり……蒔崎さんは俺の気持ちを自殺っていう方向から逸らすことで、俺に取り憑いてたその……まがつかみ?を取り除いてくれたってことか」

「そうしないとアンタの目の前で変身しないといけなかったから。別にアンタが自殺するのはどうでもいいんだけど」

 後頭部殴られるよりもダメージのある言葉を食らう。

「それと面倒くさいから、さん付け止めろ。どうせ頭ん中じゃ呼び捨てなんでしょ? アタシも呼ぶときは呼び捨てにするから」

「……お、おう」

 急に女子とタメ口とか微妙に照れくさいが、まあ本人の了承があるならそうさせてもらおう。


「さて。ここまで来てようやくの本題やね」

 初瀬が言った瞬間、蒔崎の顔がメキメキッ、と強ばり、一気に紅潮した。一体何があった? 訝しげな俺の表情を見て、初瀬がなだめるように声をかけてくる。

「あー、この子はこの子なりに悩むことがあるから、今んとこはそっとしといたって。それより武井君、最初に体調のこと聞いたよなあ?」

「ああ、特に問題は無いけど……」

「けど……何か続ける言葉があるんやね? ここまでの、うちの話を聞いて」

 そうだ。昨日俺が自殺しようとしたこと、そして彼女等との遭遇以外にも。これまでの俺の人生であり得なかったことが、昨日から今日にかけてひとつ発生している。

「昨日の晩……っていうか今朝かな。妙な化け物が俺の腹の上に乗っかって俺に悪夢を見せてた。むかついたんで蹴飛ばしたら部屋から飛んで出て行った」

「昨日より前に、あんたはそういう霊体験の類は?」

「いや、全く経験なし。今回が初めてだよ」

 ふむぅ、と納得するように鼻を鳴らして、初瀬は蒔崎を横目で見た。一方蒔崎は……さっきの強ばった赤ら顔のまま、目をそらす。

 無言の時間が十数秒。そして。

「……チカちゃん?」

 初瀬の優しげながらも強い口調に促され、蒔崎が体育座りの足を正座に組み替え、深々と頭を下げる。

「……ごめんなさい」

「……何が?」

 俺にとっては寝耳に水の謝罪だ。そりゃ確かに昨日殴られたのは事実だけど、ここまで事情を聞いた上で改めて謝られるほどの事か?

「チカ、ちゃんと事情も説明せな」

 そのまま黙ろうとした蒔崎を初瀬が促し、さらに言葉を続けさせる。

「昨日武井のことをぶん殴った時に、武井くんの霊体を傷つけちゃった可能性があります。修復しないと霊力が抜け切って身体が弱ったり衰弱死したりする可能性があります。こうなったのはアタシの責任です、ほんとにごめんなさい」


 …………。

 今、何言いやがった、こいつ? こいつが殴ったせいで俺が死ぬかも知れない、って!?

「は、は、はぁぁぁ!? どういうことだよ!? 俺死ぬの? 厭だよ? 彼女も出来たことないのに!?」

「何よ、アンタ意外と俗物ね」

「何言ってんだよ余命宣告受けてそんな冷静になれるかよ! そもそもお前のせいだろ蒔崎!? どうしてくれんの俺の命!?」

 謝罪の言葉も開き直ったまるで棒読みの台詞だ。これでは謝意もへったくれも無い。ますますヒートアップしそうな俺を抑えるように三毛猫が俺のヒザにぴょん、と飛び乗った。

「はいはい、ちょっと落ち着いて。まだ死ぬとは決まってないからなー。ちょっと説明ついでに冷静になって貰おか。

 武井君、昨日の一件で霊感を発現したっちゅうことになるわな。霊を感知出来るっちゅうことはどういうことか分かるか?」

「どうって言われても……霊力が強いとか霊の検知能力が高いとか、そう言う事か?」

 唐突に問題を出題されて、怒りの矛先を失ってしまい、何となくその質問に答えてしまう。

「まあそれも正解やけど……もうひとつ霊感が上がる理由があるんよ。

 武井君、そよ風を肌に受けたら触覚が反応するわな? それが強まるケースがあるとしたら、それはどういう理由が考えられる?」

「それは……神経が敏感だから?」

「それはさっきの霊感の話と一緒、不正解では無いけれど片手落ちやね。もうひとつ……肌が弱かったり、あるいは生傷を負うて、感覚神経がむき出しになってる状態や。」

 あ……なるほど。高性能センサーを持っているか、普通のセンサーを持っていてもそれに保護がかかってないかってことか……って……え?

「霊感が高まる可能性はふたつ。ひとつは基礎的な感知能力が高まること。もうひとつは、霊体そのものが弱まって防御能力が落ちて、結果として周囲の霊的影響を吹きっ晒しで受けること。例えば死期の近い人間が霊を見やすいとかいうのもこの類や」

「え……じゃあ……俺の霊感って……」

 再び、冷や汗がダラダラと流れる。

「そう。昨日この子に殴られたせいで霊体が弱まってる可能性が一番高いんよ」


 ……俺、もうちょっと真面目に生きてれば良かったのかな。彼女の一人も出来ないまま、ローティーンでこの世に別れを告げるなんて。やっぱ、何かのバチがあたったのかな。

 そんな辞世の言葉がとめどなく頭の中を駆け巡っている俺に蒔崎が顔を寄せ――

「うざい」

 パチン! けっこう強力なデコピンを食らう。

「痛って!! 何だよ死にかけの俺にトドメ刺す気か!?」

「変身してない状態だったらアンタをボコボコにしても霊体傷つけたりしないわよ。っていうか死にたくなかったら大人しくしてろ」

 は? 死にたくなかったらって一体……混乱する俺を無理矢理立たせ、引きずるように階段ドアの脇まで誘導し、叩きつけるように座らせた。そして周囲をうかがった上で。

「……目、つぶってなさい」

「へ?」

 今まで以上に、耳まで紅色に染めながら、彼女が俺に命令する。

「だから目つぶれって言ってんの! いいって言うまで目開けるな!」

 意味が分からないが、とにかく今の蒔崎の圧力がすごい。覆い被さるような格好に少しだけ「ラッキー」と思う気持ちが無いわけじゃないが、それ以上にこの行動の意味が分からず混乱している。とりあえずここは従うしかないか、そう思い、目を閉じる。

 ……一分は経っただろうか。

 ……何も起きない。

「……あの……蒔崎?」

「うっせ、黙ってろ!」

 微妙に泣きの入ったような声で答える。様子を覗いたいところではあるが、目を開けるとまた殴られるかな――そんなことを考えていると。


 頬に、柔らかい、温かい感触。

 思わず目を見開いてしまう。

 蒔崎の顔が、俺の右頬間近にあった。

 彼女の唇が、俺の右頬に触れていた。

 その唇は、ふるふると震えている。

 それでも、その唇は俺の頬を離れない。

 そして、何分かが過ぎた頃。ようやくその唇が離れる。


 意味が分からず、目の前で立ち上がった蒔崎を見上げる。

 彼女は瞳に涙さえ浮かべ、真っ赤な顔のままで唇を震わせ、叫んだ。

「――目開けるなって言ったでしょ!!!」

 全力ビンタが、さっきまで唇の触れていた右頬に飛来し。

 パァン!

 まるで風船が破裂したかのような音が鳴り響き、それを合図にするかのように、蒔崎は全力で階段を駈け降り、姿を消した。


「何や悪かったなあ、結局説明不足で」

 呆然と屋上に座り込む俺に初瀬が近付き、優しく声をかけてきた。

「……どういうこと?」

 我ながら間の抜けた質問だが、これはもうどうしようもないだろう。未だに事情が分からなさすぎる。

「ほんまにあの子はもうひと言ふた言説明してくれたらそれで済む話やのに……

 確かに霊体が傷ついたまんまの武井君をそのままにしてたら死んでしまうかも知れんけど、治療の方法が無いわけやないんよ。祓え巫女やったら十分可能やし。

 そんでその方法は……ひとつが祓え巫女の術を使うて治癒する方法。けどあの子は変身した姿を人に見せとうない言うてな、この方法は却下したんよ。

 あともうひとつの方法が……傷ついたところに巫女の霊力を与えて、穴を埋めるように修復する方法や」

 あ……なるほど。

「霊力を出すのは口しか無いってことか」

「修行如何では色々手段が無いわけでも無いんやけどな。さすがに巫女になりたてのあの子では……口から霊力を吐き出すしか無かったんよ」

 まあ彼女にとっても厄介ごとしかないだろう。ほっぺたとは言え、初めてと思しきキスの相手が何の興味も無いであろう俺みたいなクラスメイトだったなんて。

「……あのさ、初瀬。念のため聞いときたいんだけど……」

「どうした、少年?」

「……実は蒔崎が俺のことを好きってこと」

「無いな」

 俺の言葉をさえぎって否定された。

 だよな、うん。知ってた。

 とは言え寂しいなあ。屋上から臨む町の風景が、少し滲んで見えた。


---

 帰宅して自室に入る。

 昨日から今日にかけて、あまりに色々なことがありすぎた。コスプレ見るわお化け見るわ猫が喋るわ余命宣告受けるわキスされたかと思ったらビンタされるわ。

 おかげで身体の疲れもさることながら、圧倒的に神経が疲れている気がする。とにかく眠い。十分でもいい、とりあえず一眠りしないと保たない。どさり、ベッドに身を投げて睡魔に身を任せる。とろとろと眠気が意識を覆い隠そうとした、その時。


『ウケケ』

 妙な笑い声が聞こえる。薄目を開けて室内の向こう側に目をやると、机の脇に赤黒い霧の塊がうごめいていた。それは徐々に形をなし、形の崩れかけたぬいぐるみのような姿になってじり、じりと俺の方に近付いて来る。ようやくベッド脇にまで近付いた奴は――

『今日はコイツに憑かせてもらって、不眠の苦しみをエサにさせてもらモギュ』

 犯罪予告を俺の足踏み攻撃に邪魔された。


 どうも昨日現われた奴とは別の輩らしい。何度か踏ん付けながら話をして、他の禍つ神まがつかみが寄り付かないようにこいつを見張りに立たせて眠りについた。

「……霊感体質……治ってねえじゃん……」

 そんな文句を垂れながら。

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