孤独な戦の結末は

 ずしん、ずしん。さっきまでと比べてほんの少し、だけど確実に動きを早め、巨人は俺の方へ歩みを向け手バスターミナルの中央に踏み込んだた。怒り狂ってダッシュしたりしなかっただけマシか。このままなら歩きながらでも奴を引きつけて誘導できそうだ。

 それでも、巨人の気を惹くために何かを投げるには気を遣う。ある程度の重みがあるものを投げて人に当たって怪我でもしたらどうする。車に傷つけて弁償させられたらどうする。そんなことを考えると体がすくむ。どうにか、こいつを人気の無いところへ誘導しないと――。

「おい、加茂!」

「どうした少年」

 ちゃっかりと俺の肩口に掴まっている小さな眷属に聞く。

「この辺に人が少なくてだだっ広いエリアとか無いか!?」

「そうさなあ……。ひとつ思い当たる場所はあるな。時折人が大挙を為して押し寄せることもあるが、今日は人気は無かったと思うぞ」

「それどっちだ!?」

「この歩道の突き当たりを左だ」

 巨人が俺の方へ足を踏み出したのを確認しつつ、歩道を曲がった先に目をやって、一瞬息を呑んだ。

 その道は、いつだったか興奮を抑えられない蒔崎と一緒に歩いた道だったからだ。

「少年、のう少年!」

「……あ、何だよ」

「ぼんやりしてると――」

 加茂の声とともに、頭上に圧力を感じて上を見る。――巨人が腕を振りかぶっていた。そしてその顔は明らかに俺を見つめている。この腕が振り下ろされると――!!

 パキーーーン! 何かが割れるような高音が周囲に響き、俺だけが反応する。

「ぼんやりしてると、奴に潰されるぞ」

「そういうことは先に言え!!」

 倒れ込むように地面を叩く巨大な手のひらをかわし、そのまま走り出す。

「あのさ、加茂!」

「何だ少年、先程から口数が多いな。戦人とは思えんぞ」

「俺は別に戦人じゃねえよ! っていうかあいつ、何か動き速くなってねえか!?」

 そうなのだ。さっきバスターミナルを歩いていた速度では絶対に俺に届かないタイミングで、奴は俺に近付いてきたんだ。今は奴とある程度間合いを取ろうとすると、小走りでないと足りそうにない。

「それは当然だろう。奴らの餌がそこいらに散らばっておるのだから」

 エサって何だよ。そもそもあの巨人はただ歩いてるだけで……って、そうか。

禍つ神まがつかみの餌と言えば、人の感情そのものに決まっておろう。彼奴はこうやって暴れることで人の子等の不安を煽り、それを己で喰ろうておるのだ」

 うわ厄介! けど、だったら俺が取った選択肢は正しかったってことになりそうだ。巨人が暴れて起きる被害を防ぐのが目的で人気のないところを目指したが、それが奴にとってのエサを取り上げる効果もあったというわけだ。

 何とか全力疾走しなくてもいいくらいの速度で追ってくる巨人を率いてやってきたのは――以前蒔崎と訪れた、大きなホールのある市民会館前だ。

 確かに加茂の言う通り、イベントがあれば「時折人が押し寄せる」。そして何も無ければここに人はあまり来ないだろう。市街地からすこし外れていて、買い物でこんなところを通ることは無さそうだ。そして前には大きな広場もあり、闘いには申し分ない。

 ――ただ、俺にとっては蒔崎との数少ない思い出の場所で(俺から一方的に、だが)。こういう場所は出来ることなら戦場にしたくなかったというのが正直なところだ。

 けど、仕方ない。

 夕暮れで周囲の見通しは良く無いが、ざっと見たところ多少のゴミが散乱している。あのあたりを俺の弾にさせてもらおう。


 パァン!

 今度は俺に注意を引きつける程度じゃない。明らかに攻撃の意図を持って、出来る限りの霊力をそこら辺に落ちたペットボトルやら空き缶やらに含ませ、投げつける。

 パン! パァァァン!

 軽い音だが、その度に巨人の体が揺れる。うん、効いてる。自信を持ってこの攻撃を続ければあるいは……。

「なかなかやるではないか、少年」

「意外だろ? 俺だってこの程度の芸当は出来るんだよ」

「いやいや大したものだ。この分なら暫くすれば奴を滅することも出来よう」

「暫くって、どれくらい?」

 若干上がり始めた息とともに、質問を吐く。

「まあざっと数えて、ひと月といったところか」

 その答えに転びそうになる。

「そんなにかかるのかよ! いくら何でも硬すぎ――」

「ほれ、そんなことを言っていると」

 俺の台詞に割り込む加茂、彼の指の先に――。

 パキーーーーーン! またしても響く高周波の打撃音。

「っっっぶねええええ!」

 今のは本当にヤバかった。足の先を少しこすった気がする、それくらいにギリギリで何とかかわすことが出来たくらいだ。もう一瞬たりとも巨人から目を離すことが出来ない。

「ところでさ、加茂」

「何だ少年。お喋りなどしている余裕があるのか」

「いや、あんまり無いけど。この辺に結界とか張れるか? 人が寄ってきたら俺じゃフォロー出来ねえよ」

 俺の言葉に、ふふんと加茂が鼻で笑う。

「何を言うておるか。人払いの結界なぞ、とうの昔に張っておるわ」

「へー、さすがは眷属だな。けっこう使えるな」

「何を言うか。むしろ我等眷属がぬし等を使うておるのだぞ」

「へっ、言ってろよ」

 軽口を叩いてはいるものの、正直かなり辛い。

 考えてみれば、一対一で禍つ神まがつかみと戦うのは初めてなのだ。そして俺には蒔崎が持っていた、今は西澤に受け継がれている祓え巫女の力なんて無い。そこら辺のゴミや石ころに霊力を押し込んで投げつける、それしか攻撃手段が無い上に、戦闘経験が無いからこの攻撃をどこまで続けられるのかも分からない。

 途中で霊力切れなんてことになったらどうする? この巨人を加茂の結界だけで封じたりすることが出来るんだろうか? ……いや、無理だろう。もし可能なら加茂がとっくの昔にやっているはずだ。

 巨人をこの市民会館前に誘導して、もう三十分ほど経過したように思う。せめて少しくらいは弱っていて、他の人間に迷惑を掛けない程度になってくれていれば助かるんだが。

 そんな俺の期待とは裏腹に。

「――っ!」

 未だに一撃も直撃は食らっていない。けど、そのかわすタイミングがどんどんシビアになっている。

「――くそっ!」

 その攻撃を必死でかわし続けている俺に、少しずつだが巨人の拳が近付きつつある。

「なあ、加茂……っ! こいつ……素早くなってないか……っ!?」

 彼の方に視線を向けている余裕は無い。恐らくそこら辺にいるだろう加茂に疑問を投げかける。もしかして俺の霊力やら何やらを吸収して、この巨人が強く素早くなっているんじゃないか、と。けれど。

「何を言うておるか」

 加茂は変わらぬ調子で俺の疑問を否定した。

「奴の動きは何も変わっておらんわ。変わっておるのはお前だ、少年」

 俺が頭に浮かべたものの否定しようとしたひとつの仮設を、加茂はあっさりと述べた。

「少年よ、ぬしは戦慣れしておらんのだろう? 最初と比べて随分動きが緩慢になっておるぞ。息も上がっておる」

 ……やっぱりそうか。

 巨人が速くなったんじゃなくて、俺が遅くなった。それも戦闘に不慣れだったり、スタミナが無かったりするせいで。

 不安が頭を過ぎる。そして同時に、話にだけ聞いたことがあるとある小説を思い出した。

 男が巨大な人食いカタツムリとともに無人島に置き去りにされる。カタツムリの動きは遅いので、十分に距離を空けると多少の休憩が出来る。けれどそれで体力は完全回復出来なくて、男は徐々に体力を奪われて動きが鈍る。男は結局カタツムリに……。

 ガキッ。着地点に違和感。

 俺が投げた空き缶のひとつを、自分で踏んでしまった。靴に空き缶がガッチリとハマっている。

 ――外さなきゃ。そう思い、一瞬視線を足下に落とした、その瞬間。

「おい、少年!」

 加茂の声が飛ぶ。

 頭上に、大きな陰。

 そろそろ星が出ようかという薄暗がりをさらに暗くする、傘のように俺に覆い被さってくる、巨人の掌。

 ――あ、ダメだこれ。

 ――叩かれたら俺、潰れちゃうのかな。

 ――それとも、霊力吸い尽くされるのかな。

 そんな無感動の言葉が頭の中を過ぎ去り、直後。


 ドォォォン!!!

 激しい衝撃音が、会館前の広場にこだました。


―続―

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