孤独な戦の幕開けは

 大丈夫か、俺。

 へんじがない。ただのしかばねのようだ。

 それくらいに俺の体力は削られていた。一回の授業が一時間半って、学校の授業しか受けてない身にとっては異世界過ぎる。

 しかも入校のための学力診断テストの成績が普段以上に良かったらしく、少し自分には過ぎるクラスに入れられてしまったようだ。授業を聞いていても「お前等分かってるよな?」といったノリで説明される定理の名前が「あの、仰る意味がよく分かりかねますが」と返したくなるようなものばかりだ。問題を見るだためだけに受け取ったはずのテキストのページを必死で巻き戻し、たった今聞いた謎のワードを見つけてはそのページの端を折る作業を繰り返した。

 はぁ……取りあえず、家に帰ったら復習しないと。今日の授業の範囲より前、ほとんどのページの端が折られているテキストを思い出してげんなりする。

 このまままっすぐ帰るのもどうかと思う。なんていうか、アウェイの試合に負けた感じがする。せめてどっかの店で時間を潰して「よし、俺はこの街で客になった」という証拠が欲しい、というか。

 でもなあ。一番手頃なのは前に蒔崎と行ったハンバーガーショップなんだけど……、不良連中が今日もいたら嫌だなあ。かといって他の店だとコーヒーショップとかは大人がいっぱいいそうで気が引けるし……。

 仕方ない。店内をチェックして不良連中がいなかったらそのまま店内に入ろう。

 いかにも「友達が先に入って待ってるんですよ」と言いたげな雰囲気をアピールしながら、買い物する前に二階に上がる。そーっと階段から二階フロアに顔を覗かせ、周囲を見渡すと……。うん、不良連中はいないみたいだ。意気揚々と階下に降りて買い物を……と思った、その時。

「おお、そこな少年はいつぞやの」

 まさか再び聞くとは思わなかった声が、久しぶりに届く。

「まあ待て待て待て待て。少し話でもしようではないか」

 身長十センチ程度の平安貴族。暫く前に少し、ほんの少しだけ縁のあった神々の眷属の一人……加茂の姿がそこにあった。


「うむ、美味美味」

 本当ならドリンクだけ買って時間を潰すつもりだったんだが、加茂がいるとなるとさすがにそれだけでは不足しそうだ。そういうわけでポテトを追加することになってしまった。小遣い、百円少々ながら余計に減。なんだか金額以上に悔しい。

 さて、こいつとどう話そう。相手が初瀬なら、あいつは誰にでも見ることが出来るので「猫と喋ってるちょっとイタい奴」程度で済む。けど、加茂の場合は話が違ってくる。こいつは他の誰にも見えない。だから俺がこいつと喋っていると、周囲からは「何も無い空間に向かって喋ってるイタい奴」になり、猫と喋る男より数段上のヤバさを帯びてしまう。さてどうしよう、と思ったその時。

 ポケットの中でスマホが震えた。取り出して確認してみると……、動画サイトの宣伝メールだった。ちっ、と舌打ちして……ああ、そうか、と心の中で膝を打った。

 イヤホンを取り出し、スマホに繋ぐ。適当な画像を画面に表示させ、目の前に置く。そして。

「おい、加茂」

「どうした、少年」

 体の大きさに対して巨大な芋を完食し満足しきっている加茂を導き、スマホの端に座らせた。

「これで良いか」

「ああ、これで顔を見て話せる」

「ふむ。我の方は普通に話してもらって構わんのだがな」

 こっちの事情を察するという発想は無いのか、こいつには。

 改めて、加茂の話し相手になりつつ情報収集を試みる。

「で、お前は飢えてるのか」

「飢えているのかとは失礼な。ただ普段は我を見ることの出来る者が少ないでな、献饌けんせんを受けることもまず出来んのだ。だからうぬのように献上する者がおるうちにたっぷりと受けるのは当然であろう」

「俺には節操なくむさぼってるようにしか見えんけどな。そもそも俺は献上してるつもりは無いぞ」

 俺の嫌味など何処吹く風と、今度はポテトの欠片のよく揚がったカリカリの部分をポリポリとかじって食感を楽しむ加茂。はぁ、とわざとらしくため息をつきつつ、再び言葉をかける。

「お社にいたらちょっとでも賽銭だのお供えだのがあるんじゃないの? っていうか、あんたのお社ってどこよ」

「社か……。そんなもの、いつ以来無くなったかのお。百年以上前に社を守る一族が絶えてしもうての。それ以来、我は野良の眷属よ。ここらは人が多いでな、たまに少年のように我を見つけて何かしら献上する者がおるから、我は何とかこの身を保っておる」

「じゃあ何やるにもそこら辺で、ってことか」

「その通り。そこいらの人の子等に声を掛けては巫女に誘ったり、禍つ神まがつかみを見つければとりあえず……見守ったり。そんな日々よの」

 見守るだけかよ。もうちょっと頑張って巫女探せよ。そう突っ込もうとしたその時。

 加茂が、クンクンと犬のように鼻を鳴らし始めた。

「……どうかしたのか? 何か食い物の匂いか?」

「ふむ……」

 その雰囲気は、さっきまでとは打って変わってやたらとシリアスだ。もしかして何か起きてるんじゃ……。

「少年。ぬしが我に献上したから言うわけではない。神の力は滅多矢鱈と偏らせて与えるものではなく、人の子等に区別無く与えられるべきものであるからな。ただまあこの場で唯一我と言葉の通じる相手でもあるわけだ。だから」

「回りくどい説明はいいよ。要するに何なんだ」

 加茂は、ハンバーガーショップの窓から見える駅前のバスターミナルを指差して言った。

禍つ神まがつかみが近付いておる。ぬし等で言うところの五分といったところか、そのあたりはちょっとした惨事になりそうだぞ」


 俺がショップを飛び出すと、駅前付近は徐々に混乱が広がり始めていた。

 線路に並行する国道の向こうから、いくつもの衝突音が断続的に聞こえる。

 玉突き事故――じゃない。それぞれ別の小さな事故が、それぞれ別個に発生し、さらにその事故現場がこちらの方へ徐々に近付いているんだ。それに気付いた通行人も、あるいは立ち止まってその光景を見つめ、あるいは逃げようと駅へ殺到し始めている。

 その原因を直視している人間は、多分そんなに多くない。俺達以外に一体何人いるだろうか。

 国道の中央を、ゆっくりと。身長五メートルはあろうかという巨大な霊体が、足下の人間や車の接触など何処吹く風と、悠然と歩いている。

 そして、その霊体に気付かず接触した人間が、立ちくらみを起こし、あるいは倒れる。自動車がが接触すれば車内の運転手が同じように倒れているんだろう、コントロールを失って他の車やガードレールに激突する。それが連鎖する事故の正体だ。

 加茂は「ちょっとした」と言っていたがそれどころじゃない。既に死者が出ていてもおかしくない大惨事だ。線路の方へ突っ込んでいかないだけマシと言えるだろうが、いつ何時あいつが方向転換して線路に突っ込むとも知れない。

「お――おい! あれ、どうにかならないのかよ!」

「なるわけが無かろう。我に奮う力があるわけでなし」

 全く、こいつはどこまでも冷静だ。これまで無数の人の命を見てきたせいで「目の前の命」というものに鈍感になっているのか、あるいはそもそも眷属には人の命なんてどうでもいいのか。

 とにかく誰かに助けを……っつってもそんな相手は……あいつしか!

 スマホを取り出し、電話。数回のコールで繋がる。

『何? どうかしたの?』

 少し不機嫌そうな蒔崎の声が聞こえてきた。

「何って今、隣市の駅前で――」

 そこまで言って、急に思い出した。

 蒔崎にはもう、戦う力は無い。ここに呼ぶわけにはいかない。

 慌てて言葉を繕う。

「――なんかめっちゃでっかい事故があったみたいでさ。危ないみたいだから来ない方が良いぞ」

『行くわけないじゃん。うち、もうすぐ晩ご飯だし』

 声の調子は変わらず不機嫌だ。どうやら何とか取り繕えたみたいだ。

『あんたこそ、こんな時間に何やってんの?』

「だから言っただろ、夏期講習だって」

『ふーん。まあ頑張ってね』

「お、おう。んじゃ、またな」

 下手に詮索される前に、一方的に通話を切った。

 さて、どうするか。西澤に戦わせるか? いや無理だろう。蒔崎でさえトレーニングをやってたくらいだ、今日祓え巫女になったところの西澤に戦闘なんて無理だろう。戦闘向きじゃない彼女があんな巨大な禍つ神まがつかみの相手なんて無理ゲーにも程がある。けど放置するわけには――!

「……あーーーーもうっ!」

 とにかくこれ以上の大惨事を避けるには、奴を暴れさせずに線路から引き離す、それしかなさそうだ。そして俺に出来ることは。

 足下に転がっていたコーヒーの缶を拾う。

「頼むぞ……暴れんなよ……」

 願いを込めつつ、自分の方へ注意を向けさせるために。

 ほんの少しだけ霊力を籠めた空き缶を、巨人に投げた。

『…………ぼぁ?』

 俺達にしか聞こえない重低音の声を響かせつつ、巨人が俺達の方を向いた。

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