扉の奥に秘めたるは

「ハァ……。何だか疲れちゃった。ちょっとトイレ、あと飲み物とか貰って来るね」

 ようやく落ち着いた蒔崎は階下のキッチンへ。パタン、とドアを閉じた瞬間、西澤の目が輝いた。

「よーし、今のうちに」

「ダメだぞ」

 何事かやらかそうとする西澤の出端をくじいた。

「何がダメなんですか! そもそもあたしが何をするつもりだと思ってるんですか!」

「うーん、まずはベッドに頭から飛び込んで匂いを思い切り吸い込んだ上にそのままベッドの上で悶えて匂い染みつかせて、あとはクローゼットの中の捜索かな。それから普段着の趣味の確認。今日着てる服とは別のタイプの私服とか、パジャマはどんなのを着てるのか、とか」

 西崎の顔がみるみる赤く膨らむ。

「な、なんで、あたしの考えてることが全部分かるんですか! あたしの頭の中を読み取る能力があるんですか!」

「んなもん無えよ! ただお前の考えることがあまりに単純で想像しやすいってことだよ。そんなこと考えてる暇があったら都道府県でも覚え直しとけよ」

 単純で想像しやすい。自分で言うのも何だがまさにその通りだ。そもそもこれは俺が昨日から必死に抑えようとしても沸いてしまう俺の妄想の一部をチラ見せしただけなのだ。下着漁りは本気で殴られるだろうし、勉強机に座ってみて普段の蒔崎がどんな姿勢で勉強してるのかを想像するなんていうのはさすがに変態的するのでどちらも公開は見送った。

「うーん、でもちょっとくらいは良いですよね?」

「良いわけないだろ。見つかったときにどう言い訳するんだ? 俺は弁護しねえし、そもそも目の前でやってたら見逃したりしねえぞ」

「ふーん、別にいいもーん。かってにするもーん」

 トコトコと歩き方は可愛らしいが、それでやろうとするのがクローゼット漁りである。看過するわけには行かない。

「勝手にされてたまるか! 俺が共犯にされるだろうが!」

「いやー! せめてクローゼットの中だけでもー!」

 羽交い締めにした俺の腕の中でもジタバタと暴れる西澤は必死に腕を伸ばし、クローゼットの取っ手に指先を掛ける。

「だから止めろって!」

 何とか彼女を止めるため、後ろに倒れる覚悟で彼女の身を引いた、その時。

 ――ガラガラガラァァァッッ!!

 西澤の体を抱え込んだまま背中から床に倒れて周囲を確認出来ない俺の耳に、何かをぶちまける音が聞こえた。

「痛ったーい、指打ったー!!」

「それどころかこっちはお前のぶっ倒れた衝撃ぜんぶ腹に食らってんだけどな……速く退いてくれ」

 あたしが悪いんじゃないのに、などとブツブツ文句を垂れながら身を起こした西澤は。

「あれ、何だろ、これ」

 何かに目を留めた。ようやく身を起こした俺も、恐らく同じものに視線が吸い寄せられた。

 マンガ。プロレス雑誌。中学の体操服、私服、パジャマ。さすがに下着は見当たらないが、それはそれとしてそんな雑多なものの山のど真ん中に謎の物体が、どっかりと倒れ込んでいた。

 全長は百五十センチメートルほど、色は全身赤色。ビニール製なのか表面にところどころテカリがある。何となく人型を形作るように腕があり、頭のようなこんもりとしたかたまりがある。その腕も精密に指まで出来ているわけではなく、手の部分はボクシンググローブのように丸くなっていて、前にならえなのか何なのか、何となく所在なげに体の前方へ延ばすような姿勢だ。

 これはサンドバッグか何かの類いなんだろうか? サンドバッグというとボクシングのジムなんかでつり下げられてる円筒形のやつのイメージがあるが、それが一番近い気がした。。持ち上げてみると意外と重量がある。

 そして。

 その顔と思しきところに。

「これ……武井先輩の顔です?」

「……かなあ」

 そう。俺の顔をほぼ実物大にプリントアウトしたらしきコピー用紙が切り抜かれ、サンドバッグの頭らしき丸い部分に貼り付けられていた。

 さらに、その俺の顔を見ると。

「これ……あからさまに殴られてるよな」

「そうですね」

 プリントアウトされた俺の顔の鼻っ柱を中心に、放射状に細かいシワが入っている。見るからに顔面の中央をグーパンチ、どころかかなり鋭い突きを打ち込まれていることが容易に想像できた。

「俺、こんなにされるまで蒔崎に悪いことしたかな……」

「してるんじゃないですか?」

 ……自分から蒔崎のクローゼットを開けに行ってるくせにこんな言いようをしてくる西澤にそんなことを言われる理由は無いが。


『ちょっと-、ドア開けてー』

 ドアの外から聞こえる蒔崎の声に、ビクン、と俺達二人の体が跳ねた。

 ドアの向こうでカチャンと軽い音がした。そう、トレイに並べたグラスが揺れて軽く当たったような音が。蒔崎が飲み物を持って部屋の前に立っている。

「ちょっと、これどうするつもりですか!?」

 小声で俺を責めるように聞いてくる西澤に、俺も小声で抗弁する。

「どうするって、これやったのはお前だろ! 俺にどうにか出来ると思ってんのか!」

「だってチカ先輩がこれ見たら……!」

 慌てる俺達を他所に、カチャカチャとグラスの音が続く。中からドアを開けない俺達を待てず、一旦トレイを床に置いてドアを開け――って、これはマズ……。

 ガチャリ、無情にもドアが開く。

「ちょっとあんた達、ドアくらい開けてよ……ね……」

 文句を言う蒔崎の顔が。

 みるみる鬼の形相になり、絞め技あるいは蹴り技が飛んでくる。そんな未来を想像していたら。

 蒔崎の顔が、みるみる赤らんでいく。

「あ……あの……蒔崎?」

「あ、あたしは何もしてませんからね!」

 いきなり責任逃れし始める西澤や俺を他所に、蒔崎は真っ赤な顔をうつむかせ、そのまま部屋に入ってくる。

 一歩引いて大きめに空けて棒立ちになる俺達二人の間を抜け、彼女はその場に転がっていた件のサンドバッグを起こして立たせ。

 俺に背を向けたまま、サンドバッグと相対し。

 ガクン、彼女の体が沈んだかと思うと。

 ぐるん、とその体が横倒しになりながら回転する。その回転にサンドバッグの腕が巻き込まれ。

 そのまま、相当のスピードでサンドバッグの上体が彼女の体に引きつけられ、最終的に――。

 超高速で振り上げられ、彼女の体を軸に頭上を通過したサンドバッグの足が。

 俺の顔面に強烈なかかと落としを食らわせ。

 俺はそのまま、あお向けに倒れた。

 呆然と天井を見上げる俺の頭に、部屋に響き渡る蒔崎の大声が浴びせられた。

「……勝手にクローゼット開けるなぁぁぁぁぁ!!!」

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