彼女の秘めた弱点は

 西澤がテスト時間に集中を維持できるのか試す意味も含め、少し多めの問題をまとめてそれぞれテスト形式で淡々と問題を解いている。

 急に背後からすきま風を感じる。何事かと気になるが、今一番大事なのは目の前にある数学の問題だ。隣の西澤だって途中でひと息つきながらも頑張って社会の問題を解いている、こいつより先に集中力を切らしてどうするんだ、と自分を鼓舞して問題を解き続けた。

 突然、再び蒔崎が立ち上がってドアの方へ歩み寄る。そして全力でドアをビシャリ!と締める。

「痛っ!?」

 謎の男性の声が聞こえた。

「えっ、誰っ!?」

 西澤が思わず声を上げると、蒔崎が恥ずかしそうに答えた。

「あの……のぞき魔」

『お父さんのことを覗き魔は無いだろ!』

 半泣きの声がドアの向こうから聞こえてきた。どうやらドアを細く開けて覗いていたお父さんの顔面を、蒔崎が勢いよく締めたドアが強打したようだ。

「うるさい! 勉強の邪魔だからリビングでおとなしくしてて!」

『そんなあ、ただ勉強の進み具合とかが心配なだけなのに……。あ、お母さん! お母さんからも何か言ってあげ……痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!』

『はいはいお父さん、子供達が真面目に勉強してるのを邪魔しちゃダメでしょ?』

『だからって腕の関節完全に決まっちゃってるから! お願いちょっと緩めてお願いだから!』

 ドアの向こうで泣きそうなお父さんの声がフェードアウトしたところで、三人は無言で試験対策問題に再び目を落とした。


 自前の試験時間終了。俺の数学の解答は蒔崎が、蒔が解答した英語と西澤が休み休みながらも解き切った社会は俺が採点する。

「お、武井、意外に善戦してんじゃん。正解が六割越えてる。因数分解けっこう合ってるじゃん」

「蒔崎も過去分詞けっこう頭に入ってきてるな。ところどころスペルミスってるけど」

「うっさい。後で落としたとこ覚え直すし」

「西澤もちゃんと最後までは手付けてるな。正答率は五割……まあこんなもんか、スタート時点の状態考えれば頑張ってるじゃん」

 そう言いながら西澤の方へ目をやると。

「俺が褒めてるのにお前は何をやっている」

 俺達がお互いのテストを採点している間、特にすることが無い筈なのに何やらペンを走らせていたが……。そう思いながら彼女の手元に目をやると。

 マンガ描いてやがった。

「こっちが採点してるときになにやってんだよ!」

「ちがいますぅーこれも勉強なんですぅー」

 何言ってやがる。西澤が絵を書きまくっていたノートを奪い、蒔崎と囲み込んで見入る。

「これがマンガじゃなくて何なのよ、綾乃ちゃん」

「だからぁー、これは社会の内容を覚えるためにマンガを描いてるんですっ」

 ですっ、と言われてもなかなかピンと来ない。何より絵が全体に乙女チックなので、何が何を締めそうとしているのか全くピンと来ないのだ。

「じゃあ聞くが、この全体のオオサンショウウオみたいなのは何だ」

「オオサンショウウオじゃないですー日本地図ですー」

「……じゃあこの東京らしきところにいるイケメンは誰だ」

「徳川家康ですー」

「んじゃその下に行列作ってる細身の連中は何なの」

「譜代大名ですー」

「とすると遠くのマッチョな連中は」

「外様大名ですね」

 ハァ。ため息をついてはみたものの、それはそれで記憶に結びつける役には立ってるみたいなので文句が言いづらい。しかし。

「覚えるのに絵を描くのは覚える手段として良いとは思うけどさ……。もうちょっと上手く描けないのかよ……。っていうかそれっぽい感じでさ」

 俺の言葉に西澤が頬を膨らませた。

「そんなこと言うんなら先輩、徳川家康描いてくださいよねー」

 ぐいっ、と俺にノートを突き出した。別に構わない。俺はさらさらとシャーペンをノートの紙の上に滑らせる。

「……何ですかこれ、教科書で見たことあります」

「だから徳川家康の肖像だよ。教科書に載ってる写真そのまんまだ」

「なんていうか気持ち悪いくらい似てるね」

「模写だけは得意なんだよ。何なら他も描いてやるぞ」

 そのままの勢いで豊臣秀吉や伊達政宗の肖像画の模写を描きまくる。わーすごーい、と特に感情のこもっていない賞賛の声が西澤から上がる一方、蒔崎はまるで気配を消すように無反応に行きをひそめていた。

「な、だからこうやって肖像画を覚えておいて、それと一緒に関連する情報を覚えて行けばいいわけだ」

「なるほど。絵が上手なのはよく分かりました」

 こいつ論旨が分かってないな。まあそれはそれとして。

「ところでチカ先輩はどんな絵が描けるんですか?」

 その質問に、蒔崎の体がびくんと反応した。あれ、この反応はもしかして……。

「わ、私は別に良いって」

「そんなこと言わないで下さいよぉ。あたしの絵も見たんだし、武井先輩も絵で勉強覚えるって言ってるじゃないですか」

 うーん、これは止めた方が良いんだろうか……。けどこんな風に描きたがらない蒔崎の絵、見てみたい気もするんだよなあ、実際のところ。

「……そんなに言うなら……。でも、笑わないでよ?」

 彼女が西澤のノートに遠慮がちにペンを這わせる。その進み方はまさに地虫が這い回るように不器用かつ速度が安定しない。じりじり進んだかと思うと、とっかかりを失ったようにキュッ、と真っ直ぐ進む。人の輪郭のように見えなくもない大きく湾曲した線が何度か重ね描きされ、さらに内側に謎の物体がいくつも描かれる。長方形の物体が幾つか、そして大きな丸い輪。さらに輪郭の外にも触手のように伸びる何かや正体不明の多角形がいくつも折り重なって現れた。最後にどういう目的なのかはよく分からないが、あちこちに何度もキュッ、キュッと線を書き込んで修正と思しき作業を行い、ペン先を迷わせながらも作業は終了した。

「……えーっと……。これは……どこの地図なんだ?」

 体を縮み込ませながら、彼女はぼそりと答えた。

「……織田信長」

 えっ、という聞き返しの言葉を二人で飲み込み、何とか絵の解読を試みることにする。

「えっと……。ああ、なるほど! この上に突出してるのはカブトかな!」

「それ、ちょんまげ」

「……ああ、この伸びてるのが手だな、うん間違いない」

「それは肖像画の後ろにあった屏風の雲の柄」

「……よし、これは分かるぞ!袴だな!?」

「それは裃だよっ! いいよ変に褒めるとこ探さなくても! 私絵が下手なの自覚あるから!!」

 声を荒げる蒔崎に、西崎が救いの手を延べた。

「先輩大丈夫ですよ! この絵なら禍つ神まがつかみだって倒せますっ!」

「アンタ達、慰めるつもりなんてないでしょーー!!」

 蒔崎の半泣きボイスが室内に残響した。多分下にいるお父さんやお母さんにも聞こえてたんだろうなあ。

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