彼等の試練の道行きは

「チカ先輩、その動詞は不規則動詞だから過去分枝系が違いますよ! それにこの構文は目的語がふたつなんですって! ひとつめの目的語とふたつめの目的語をちゃんと区別しなきゃですよ! あーほらそこ、またスペル間違ってる」

「武井先輩、平方根の前のプラスマイナス忘れちゃダメです。 平方根の出し方? それくらい大体覚えてるのが普通じゃないんですか? 仕方ないですね、コツとしては同じ数字の二乗を順番に当てはめていけばいいんじゃないですか? あたしは大体分かるんでそういうの要らないですけど」

「あーもう二人とも徳川将軍くらい覚えててくださいよー。江戸期の大飢饉はこことこことここ、それから試験に出そうなポイントは……」

 俺達の弱点をガンガンと突く、三年の範囲まで網羅した西澤の徹底指導が続いて……。


 後輩でそんな妄想をした俺を許して下さい。

 こいつ普通に馬鹿だった。


「綾乃ちゃんさあ……。アルファベットの順番くらい覚えようよ」

「えー、ちゃんと順番に書いてますよ?えーびーしーでー、って」

「いや、BとDの小文字が逆になってるし」

「なってませんって。ちゃんと順番通りに」

「蒔崎、それ多分間違ってるのは順番じゃ無くて小文字のbとdを覚え間違ってるんだと思う……」

 英語……まずアルファベットを覚えるところからやり直し。


「俺達の社会は戦国から江戸時代の復習だな。西澤と範囲かぶってるから一緒にやるか」

「はいっ」

「えーっと、江戸の基準になりそうなとこ……関ヶ原の戦いからとりあえず始める?」

「そうだな。一六〇〇年に徳川率いる東軍と豊臣率いる西軍に分かれて戦った戦だ。江戸時代の譜代大名と外様大名の仕分けポイントにもなってるんだっけ。ちなみに関ヶ原ってのは現代で言うところの岐阜県の西の端だな」

「はいっ、武井先輩」

「何だ、質問か?」

「先輩、ギフケンは現代で言うところのどのあたりですかっ!」

 社会……まず都道府県を覚えるところからやり直し。あと国語の読解もヤバそうだ。


「綾乃ちゃん……さすがに数学くらいは自力で何とかなるよね?」

「はい。頑張ってみます! ……それで武井先輩、ちょっと確認しときたいんですけど」

「何だよ」

「私の記憶に寄れば……不等式の大なり小なりって……開いてる方が大きい数字、で良かったんですよねっ!?」

 そんなこと、キリッとした顔で聞いてこないでくれ……。俺達は崩れ落ちた。

 数学……小学校レベルから頑張ろう。取り敢えず九九を覚えてるところは確認して胸をなで下ろした。


「何て言うか……アレだね」

「うん……アレだな」

「アレってなんですかー、二人とも失礼じゃないですかー」

 普通にふくれっ面で拗ねているだけの西澤に、とてつもない不安を感じる。こいつ、自分の成績がひどいっていう自覚あるのか? 今日は教科書を持って来なかった理科だけは確認していないが、数学の状況を考えれば言わずもがなだろう。

 どこから手を付ければ良いのか。そんなことに頭を悩ませていると、俺の背後のドアがノックされた。

「みんな頑張ってるみたいねえ。ちょっと休憩したら?」

「あ、ありがとうございます」

「お母さん、そういうの良いから!」

 蒔崎のお母さんからお菓子と飲み物を出してもらったのでありがたく頂戴しつつ休憩。

「調子はどう?」

「いやあなかなか……。自分たちもそう成績が良いわけじゃ無いんですけど、約一名手に負えないレベルのが……」

「うん、ちょっとこれは大変……」

 きょとん、と西澤は全く自覚の無い顔を向けてくる。

「ふーん、それでもちゃんと面倒見てあげるんだ。可愛い後輩ちゃんなのね」

「へへ~、ありがとうございます~」

 おい、お母さんにデレるなよ。今のはお前じゃなくて俺達を褒めてるんだよ。っていうかいい加減ちゃんと勉強するつもりになってくれよ。


 振り返って思い出せば、初瀬の話をちゃんと聞かないあたりで学習能力がどの程度かは推測できていたわけで。けどさすがにここまでとは思わなかった。それに運動能力を確認したときも目の当てられない感じだったが、この子何か取り柄あるのかな……。

「あーん、疲れたぁ」

 多分一番の問題はこの集中力の無さなんだと思う。今は蒔崎が本棚から引っ張り出してきた数学のドリルをやっているが、一回の集中で二ページ進めるのがやっとだ。

「西澤さぁ、もうちょっと粘れないのか?」

「無茶言わないでください。あたしも全力でやってるんですよ?」

「全力は分からないでもないけどねー、もうちょっと頑張らないと私達も教え甲斐が無いっていうか……」

 あこがれの先輩からのダメ出しに喉から絶望の声を絞り出し、慌ててドリルの問題を猛スピードで解く……いや、解こうとするがイマイチスピードは乗らない。そして数分後、また停止してしまう。

「だめだなぁー。どうしたら良いんだろー」

 他人事みたいに言うの止めろよ、と思うが、一応アドバイスを試みる。

「二ページしか集中力が保たないんだったらさ、一ページずつにすれば?」

「それじゃあんまり勉強進みませんよー」

 進めてないのはお前自身だろうが、という突っ込みはぐっとこらえて言葉を続ける。

「だから、集中力が保たないんだろ? だったら他の科目にどんどん切り替えて行けば良いじゃん」

 数秒の沈黙のあと、ぽん、と西崎は手を打つ。

「今はじめて、武井先輩のことをかしこいと思いました!」

 しょぼいよ、賢いと思うポイントが。

 しかしまあ、西澤が数学と英語と社会の問題集を並べてローテーションを組み、テンポ良く問題を解き始めたので良しとしよう。


 蒔崎の熱烈指導で俺がようやく因数分解のコツを身につけ、二度目の休憩。再び蒔崎のお母さんが出してくれたお茶とお茶菓子でひと息つく。今度は早々に階下へ去るお母さんにお礼を言って背を向けて暫く喋っていると、蒔崎が俺の背後、ドアの方に目をやり沈黙した。何事かと見守っていると……。

 突然立ち上がった蒔崎はするするとドアの方に歩みを進め。

 ビシャリ! かなり激しい音を立てて、ドアを閉じた。

 何事かと思い彼女を見てみたものの、軽くこめかみに血管が浮いているくらいで他におかしな様子は……。いやいや、何があったんだよ。

「ん~。何も気にしないで~。さあさあ勉強頑張ろうっ。ほら、次は英語なんだからきっちり教えてよね?」

 何かを振り払うように荒々しくどすんと床に座り、英語の問題に視線を落とした。

「どうかしたんですかね?」

 ひそひそ声で俺に質問してくる西澤にどう答えれば良いんだろう。っていうか目の前で声をひそませる意味って何なんだよと。

「綾乃ちゃ~ん。しっかり頑張ろうね?」

 貼り付いたような蒔崎の笑顔に、西澤も若干おびえながら「はい」と小さく答え、社会の問題集に取り組み始める。俺も余所見しないでちゃんとやらないと本気の怒りの視線を食らいそうだ。あれマジで怖いんだよ、食らったパンチや関節技を思い出して。

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