その身に降るる災いは
路地裏の空き地――と言うには少し幅が狭い。少し開けた裏路地と言った方が良いだろう。そんな袋小路に連れ込まれる。脇抱えや襟を掴むのではなく、背中側のベルトを掴んで引き上げ自由を奪われていることに不慣れな恐怖を感じる。あまり目立たない動きのせいで、周囲の大人達もあまり異変に気付かないみたいだ。
「どういうつもりなんだよ」
投げ捨てるように路地の奥へ突き飛ばされ、かろうじて倒れずに脚を止めた俺に声が浴びせかかる。俺を引き摺ってきた男の声らしい。
「どういうって……何が?」
「だーかーらぁ。誰に断って蒔崎さんと一緒にいるのかなーって」
……意味が分からない。
「誰にって……今日は蒔崎……さんが余ったチケットあるからついて来るかって誘われたんだけ……ど?」
いつもの調子で蒔崎を呼び捨てにしようとしたが、妙なざわつきを感じたので取り敢えずさん付けをしてみた。それでもそのざわつき、肌にピリピリと届くかすかな刺激は止まらない。
「勝手なことしてんじゃねえよ! 蒔崎さんはな、この中江君と付き合うんだからな!」
居並ぶ三人の中央の男を指してもう一人の子分……とでも言えば良いんだろうか、顔は何となく覚えがあるが名前も知らない小男が薄っぺらい大声を上げる。
っていうかそんな話は聞いたことが無い。教室にいれば大声で喋る女子の声が聞くでも無く聞こえてくるから蒔崎にまつわる事件や噂話の類いは大体聞き取れているが、彼女に彼氏がいるなんて話はおろか、告白しようとしている奴がいるなんて話もさっぱりだ。
「おう、人の話聞いてんのか!?」
最初の男が再び声を荒げた。
「いや、何て言うかその辺の細かいことはあんまり気にしない方だし。今回も蒔崎さんが誘う相手がいなくて仕方なく同じ部活の俺を誘ったって感じだったから、特に他意は無いと思うよ」
ちょっととぼける感じで答えてみたが、さっきから感じる肌のピリピリが少しずつだが強くなっている気がする。
「舐めたこと抜かすなよ」
襟を掴んで凄んだ顔を間近に寄せられる。
……何だろう、あまり怖くは無い。
俺自身が一度
あるいは――
彼の後ろにいる中央の男。中江君と言ったか。彼に尋常では無い雰囲気を感じているからだろうか。
その男――周囲よりも影が濃く見えるその姿が、ゆらり、と脚を踏み出した。
「もういい、お前等下がれ」
「おいおい、もうちょっと楽しませてくれよ」
「そうだよ。ほら、こいつガチガチにビビってんだぜ?」
それはお前等の方だろう。子分二人の声の裏には、どこか緊張が聞き取れる。何にそんなに怯えてるんだ?
「うるせえ黙れよ!!」
ガシャン! 放置されている工事現場のバリケードを蹴り上げる彼に、子分達が隠していた緊張が露わになる。
「ビビらせるとかそんなことどうでも良いんだよ。俺はただこいつをぶん殴れればそれでいいんだ」
「や、その、ぶん殴るとかそういう荒っぽいことはちょっと……」
根性ねえな、こいつら。結局は不良っぽい外見で周りを威嚇して遊んでただけってことか。その実、大ゲンカをして補導されたりなんていうことには興味が無い、というか完全に腰が引けている、一人ずつだと単なるチキン野郎なんだろう。そしてそれは中心人物である中江君も同じの筈、なんだが。
「もういい、お前等行けよ。行かねえんならまとめて砂にすんぞ」
ドスの利いたその声に、「ひっ」と悲鳴を喉の奥に詰まらせた二人は我先にと今来た裏路地を駆け戻っていった。
残された、俺と彼。にらみ合うと言うにはあまりに格差のある殺気。そして彼の影を色濃くしていたものが、ゆらり、と背後から沸き立った。そのゆらぎに呼応するように、彼の声も怒気を孕んでいく。
「てめえクソ舐めたことしてくれたじゃねえか。歩いて帰れると思うなよ?」
そうか、そういうことだったのか。
いつだったかの俺は、「死にたい」のひと言に目を付けられて自殺衝動を呼び起こされた。
多分今の彼もそうなんだろう。蒔崎と一緒にいる俺を見て「ぶっ殺すぞ」みたいなひと言を吐き、それに目を付けられて引き起こされているんだろう――破壊衝動を。
「取り敢えずそのむかつく顔面から潰してやるよ」
俺を正面に見据え、完全に火がつき隠しようもない殺意。避ける方法は無いか。
いや、待て。憑かれた俺に対して、蒔崎は何をした?
――言葉で気を逸らした。完全に自殺に向いた俺の気を、予想外の言動で惹きつけ、逸らした。
あれをやってみるか。
「あ、あのさ? 蒔崎だったらさっきの店にまだいる筈だけど……喋ってみる?」
俺が声を上げてみた瞬間、彼の影が濃く、大きく膨らむ。
「お前がこの場で死ねば全部解決だ」
さらに膨らんだ影は凝集し、彼の筋肉を膨らませ、顔を獣にする。彼の体は二倍近くに膨らみ、ワックスか何かで立てていたらしい髪は既にたてがみのようだ。彼が一歩踏み出すごとに、ずしん、ずしん、と地響きが脚に届く。
対抗策は、無い。
奴の怒りの矛先は俺自身だ。俺が言葉で気を逸らすなんてのは無理なんだ。俺が口を開いても黙り込んでも、逃げても立ち向かって行っても、何をやって俺の行動は奴の神経を逆撫でする。俺をブチ倒すまでは、多分彼は止まらない。
何をやっても同じなら、せめて逃げれば良い。……けど、何処へ? この路地に入ってきた入り口は奴の背後。俺の背後は猫一匹が辛うじて通れるような狭い道だ。奴の脇を上手く抜けられれば……そんな体術が俺にあれば、の話だが。
そんな俺の逡巡に気付いているのかいないのか、ジリジリと、いやむしろ無造作にダラダラと弛緩した全身を寄せてくる奴。霊視してみても、彼の体に何やら黒い気を吐くどう見ても良からぬものがまとわりつき、あるいは体の各所に染み込んでいるのが分かる。これを祓うのは容易なことじゃ無さそうだ。それも俺のような初歩の霊能力者にとっては。
ヤバい、これ詰んだ。
そんな現実に、乾いた笑いがこみ上げてきた。その時。
聞き馴染みのある声が響いた。
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